『日本妖怪大事典』水木 しげる, 村上 健司2005/7/16
『日本の伝説9 佐渡の伝説』浜口一夫・吉沢和夫1976/8/10
『まんが日本昔ばなし 海の底の蛇の目傘』
海。
そこにまつわる、怪異は古来より洋の東西を問わず、枚挙に暇がない。
人間はずっと昔から知っているのだ。
海が魔を孕んでいることを。
今回、皆様方にご紹介するのは、そんな海にまつわる、ある怪異の一つである。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
新潟県の佐渡郡相川町金泉村、統廃合を繰り返し今は佐渡市となっているが、そこにこんな話が伝わっている。
その村には長吉という、男が住んでいた。
長吉は村一番の力持ちで腕自慢。
怖い物など何もないと、豪語するそんな男であった。
ある日のことである。
何やら、村人達が集まり、ガヤガヤと騒いでいる。
長吉が、さて何事かと近付くと、村人の一人である八蔵が村人達を相手に、ひどく興奮した様子で話をしている。
八蔵の口から長井戸がどうとかと、聞こえてくると、長吉は井戸端会議ならぬ、長井戸会議かと、下手な洒落を心に浮かべて、隅の方で八蔵の話を聞く事にした。
長井戸とは、村から舟を漕いで間もなくのところにある、海域のことである。
八蔵は釣りが大層に好きな男で、いつも一人で沖に出ては、釣り糸を垂らし、日が暮れるまで魚を釣っている男だ。
それ故に、何ぞ大物でも釣れた自慢だろうと、長吉は思った。
八蔵の顔は青褪め、幾分げっそりと憔悴しているのに、気付きもせずに。
「それで、長井戸の、底に、あったんだよ!!」
「あったって、何があったんじゃ八蔵?」
「傘だ!! 蛇の目傘が、海の底にあったんだ」
「傘ぁ?」
「ああ、傘だ。蛇の目傘!!」
「ほう、誰が落としたんかの?」
「八蔵、拾ってくればよかったんじゃないか?」
ふとそんな事を村人の一人が言った途端、八蔵は全身を身震いさせて、顔色をいっそうに青くして、吐き出すように呟いた。
その声は、か細く、だけど不思議とよく通った。
「ひ、拾おうとした。拾おうとしたんだ。どこも破れていないようだったし、拾おうと思ったんだ」
「じゃあなんで拾ってこなんだ?」
あの辺りの海は、きれいに透き通っているし、そう深いわけでもないので、海の底までよく見える。
それに流れの急なところでもない。
海の底だろうと、ちょっと海に潜れば、すぐにでも取ってこれたはずである。
「着物を脱いで、海に潜ろうとしたんだ。そ、そしたら・・・・・・」
「そしたら?」
「し、しばらくまてって声がしたんだ。薄気味悪い声だった」
村人達はしだいに、騒ぐのをやめて、八蔵の話に聞き入りだしていた。
「だけど誰もいねえんだ。いるわけがねえ!! 海の上だぞ、誰かいたらすぐ目に付く!! だから気のせいだと思った!! 思ったんだよ!! それで今度こそ海に入ろうとしたら、もっと大きな声で、しばらくまてえってがなり声がして、声がして・・・・・・」
八蔵は震々と震えていた。
聞いている村人の何人かが、どこか落ち着かない様子で、それを見ていた。
「海、海の底を見たんだ。あの蛇の目傘が、岩陰にあって・・・・・・そ、その傘が、いきなり、勝手にパって開いたんだ。蛇の目が、お、俺を見ているような気がした。いや、見てたんだ。俺を見てやがった!! びっくりして、急いで舟を漕いで逃げたんだ!!」
――まてえ、まてえ
「後ろを振り返ったんだ。そうしたら、あの傘が浮かんできてた。その下に、髪を振り乱した女の顔が、あった・・・・・・もう無我夢中だった。何とか岸に辿り着いて、舟から飛び降りて走って、その時、後ろから聞こえてきたんだ」
――ああ、とうとう逃がしてしまった。惜しいことをした。
「俺もあの辺りで、髪を梳いていた、気味の悪い女を見たことがあっだ」
「おお、オラがいつかの晩、青い顔をした女にでくわしたのも、あの辺だった」
八蔵の話を聞いた、村人達。
取り分け、落ち着かない様子だった何人かが、自分も長井戸の辺りで、女がいたのを見たというものが現れた。
「恐ろしいこった・・・・・・」
村人達がみな、首をすくめる中、それまで黙って話を聞いていた長吉は、馬鹿馬鹿しいと心中で吐き捨てながら、ついっと前に出ると大きな声で叫んだ。
「大の大人が、雁首揃えてだらしねえ!! どだい臆病だからそんなありもしねえ幻なんぞ見るんだ!! よーし、なら俺がいっちょ、その蛇の目傘なり、青い顔の女なりとっ捕まえて持ってきてやらあ!!」
そう豪語する長吉を、村人達はただ黙って眺めておった。
それから二、三日して、長吉は件の長井戸へとやってきた。
「さて、この辺か? それともあっちか?」
あっちへ行き、こっちへ行き、舟を漕ぎ、海を覗き込みと、しばらくはその辺りを周っていたが、女どころか、蛇の目傘すら見当たりはしなかった。
「まったく、何もありゃせんじゃないか。やはり臆病者が、何かを見間違えたんだろう」
それとも俺の強さに恐れをなしたか等と、呵々大笑しながら、舟を岸に戻そうとした時である。
俄に空がかき曇り、大粒の雨が降り出した。
轟々と風も勢いを増して、突如として大時化になった。
「こりゃいかん、早く戻らんと。しっかし、おかしな天気じゃなあ」
何しろ、こんな事は初めてだ。
海にほど近い村に住んではいるが、生まれてこの方、こんな突如として大時化になるなど今までにない事であった。
打ち寄せる高波に、長吉の乗る舟は、右に左に上に下に、木の葉のように揺れ動く。
長吉が懸命に舟を漕いで岸を目指していると、風の音とも、波の音とも違う、何か奇妙な音がした。
ざんぶと打ち寄せる高波のうねり。
その中から
――まてえ、まてえ
水底に引き摺り込まれそうな、不気味な声。
波のうねりの中に、爛々と輝く光があった。
その光が、波の中からこちらへと向かってくる。
すいっと波の中から光と共に、青い顔の女が飛び出してきた。
爛々と光を放つ、釣り上がった目。
耳まで裂けた口。
髪をざんばらに振り乱した、凄まじい形相。
奇妙に長い手をこちらに伸ばして、長吉の乗る舟に追いすがってくる。
「うわあああああああああああああああああ!!!!!」
力自慢の長吉も、生きた心地がしない。
膝は震え、身体はガクガクと恐怖に支配されている。
それでも必死に舟を漕ぎ、長吉は命からがら逃げ帰ってきた。
しかし、それから間もなくして、この事が原因で長吉は寝込んでしまった。
さしもの力自慢も、この世ならざるモノには心底、震え上がったということであろうか。
如何に力が強かろうと、それが通じない相手にはどうしようもなかった故か、心までは強くなかったか。
いや、あるいは・・・・・・
八蔵の時には、時化など起こらなかったはずだ。
これは、あの怪女が、獲物を逃さぬために起こしたものではなかったか?
つまり、アレは、学習していたのだ。
どうやって獲物を捕らえるのかということを。
そして、もう一つ。
八蔵が聞いた、逃がしてしまったという怪異の声を、果たして長吉は聞いたのだろうか?
あの大時化だ。
うねり押し寄せる波。
轟々と吹き荒れる風。
降りしきる豪雨の音。
聞こえなかったとしても無理はない。
無理はないのだが・・・・・・もしかしたら、聞き逃したのではなく、聞こえなかったのだとしたら。
そう、逃げられなかったのだとしたら、どうだろうか?
長吉はそれに気付いてしまったのではないだろうか?
例えば、家にある水瓶の、その水底に・・・・・・
あの光る目を見てしまった、というのは?
いやいや、詮の無いこと。
どうであったか、もはや誰にも分かりはせん。
今に伝わっているのは、長吉は寝込んだきりそのまま亡くなったと、ただそれだけなのだから。
――捕まえた
六月十一日は傘の日!
ということで、傘に関連する妖怪を書いてみました。
この話は、長井戸の怪、あるいは海の底の蛇の目傘といったタイトルで、いくつかの文献に記載されていますが、アニメの日本昔ばなしでは謎であった怪異の正体を、村で壊れたまま放置された傘の祟りとして、供養した後は現れなくなったとアレンジして話を〆ておりました。長吉も死んでいませんね。