呪術廻戦リリカルなのは∅   作:織姫ミグル

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第13章

 

 

いつになっても、現場となる場所に向かうときは緊張感を嫌でも抱く。

 

作戦会議を終えたなのは達は、クロノが独自に入手した『最も巨大な亀裂』が観測されている場所へと向かって、静まり返った街の中を並んで歩いていた。目的地へと足を進めるにつれて世界の境界そのものが歪んでいくかのような、決定的な位相の変質が始まっていた。

 

空間を満たす大気の流れはあらゆる生物の肺や肌が本能的に拒絶するほどに毒々しく濁り、じっとりとした不快感が魔導師達の精神を内側から蝕んでいく。

 

アスファルトを規則正しく踏み締める足音、およそ一◯人ほどの張り詰めた緊張感が現れるように靴底から重く響く。

 

 

「········」

 

 

この場にいる皆の間に言葉はなかった。

 

そうなってしまうのも無理はないことだった。

 

憶測の段階ではあるものの、今から向かう場所はあの規格外の存在、“両面宿儺”という怪物が残したであろう禍々しい負の残骸が濃くなっていくのが肌で分かったのだ。昔の出来事がトラウマのように押し寄せ、魔法の障壁なんかでは防ぎきれないような、心の奥深くまで直接侵してくるような圧倒的なプレッシャーが一同の表情を自然と険しくさせていく。

 

いつの間にかもう付近からは件の“亀裂”の気配ようなものがあった。

 

なのはとフェイトは一度見た時に感じたから分かる。

 

そして、二人にとって忘れることができない相手が絡んでいると聞いてから、より一層不気味に感じ取れるようになった。

 

周囲に漂っているのはかつてこの国の平穏を蹂躙し、表面上は死刑にされたことで歴史の闇へと消えたはずの天災───両面宿儺という絶対的な『呪いの力』の残穢に他ならなかった。

 

 

「········ッ!!」

 

 

一体誰の喉からそんな音を鳴らしたのか、むしろ誰が鳴らしてもおかしくない。

 

それは願いの力とされるような正のエネルギーを以て構築される高度な魔導障壁の防護をまるで存在しないかのように容易く透過し、

 

衣服を、そして皮膚を通り抜けて。

 

生物としての生存本能に冷酷な圧力を叩き込んでくる。

 

空間の歪みをレイジングハートやバルディッシュといった高性能のデバイスが計測するたび、世界が根底から変質していく不吉な予感が一◯人の最高戦力達の表情を険しいものへと引き締めさせていった。

 

 

「なのは、フェイト、はやて」

 

「「「?」」」

 

 

そこで。

 

先頭を行くクロノ・ハラオウンが管理局の司令としての規律に満ちた足取りを筆頭になのはやフェイト達がついていっていたのだが、歩調を一切乱さぬまま背後にいる彼女達へ向けて声をかける。

 

その背後には八神はやてと守護騎士達、ヴォルケンリッターの四騎士であるシグナムとヴィータにシャマルやザフィーラが一切の隙もない鉄壁の陣を敷いて追随していた。さらには八神はやての肩元には、この異質な空間が放つ波長の乱れを検知し続けるリインフォース・ツヴァイの姿がある。

 

そして。

 

その傍らを厳かに歩むのは、大人の姿のまま変わることのない、今はもう形だけの存在である夜天の書の管制人格、リインフォース・アインスの姿もあった。

 

かつての聖夜の決戦。

 

宿儺が放った無慈悲なる極大の火矢、『(フーガ)』は皮肉にも彼女を永劫に蝕んでいた『闇の書の防衛プログラムの呪い』を、その因果ごと強引に焼き祓っていた。

 

圧倒的な呪力の火力が闇の書のシステムそのものを強制的に上書きし、滅びの命運から一転して、その実存する資格を繋ぎ止められた彼女もまた最愛の主を護る盾となるべく、この一◯人の最高戦力による出陣の列に確固たる決意を秘めて加わっていた。

 

やれることは少ないだろうが、これまで長く生きてきた際に培った知識はある。

 

話を戻して。

 

急に後ろにいるなのはとフェイトに向けたその声は氷のように冷徹でありながら、全員の耳の奥へ精緻に行き届く。

 

 

「僕らはこれから、もしかしたらあの虎杖や両面宿儺が関わっているかもしれないものへと干渉しに行くわけだが、その際に生じる最悪のリスクを整理しておきたい」

 

「? うん?」

 

 

なのはが歩調を合わせながら小首を傾げ、クロノの背中を見つめる。

 

 

「僕達一◯人が全員でこの亀裂の向こう側················虎杖悠仁のいる世界へと突入するとなれば、こちらの側、つまりは地球の防衛戦力は一時的に、いやほとんど完全に手薄になる状態になる。各地の亀裂から流出し続けているあの『魔力が通じない化け物』どもから僕たちが留守の間、一体誰がこの街を人々を守るのか、その段取りについてを話しておきたいんだが────」

 

 

クロノの指摘は本局の艦長、あるいは今回の事件の最高司令官として極めて真っ当な懸念だった。非公式ではあるが、今この星を守っているのは彼女達であり、そんな最高戦力である魔導師達が一斉に異世界へと旅立てばこちらの世界の防衛線は一瞬で崩壊しかねない。

 

またあの時の悲劇が繰り返されても、誰も守ってくれないのだ。

 

 

娘を失った悲しみから地球や時空管理局へのテロ行為をしてまでロストロギアを発動しようとした、プレシア・テスタロッサ事件。

 

時空管理局でも手に負えないほどに何度も封印を試みたがその度に失敗して、ついには地球の女の子を主人として覚醒し、世界の崩壊の危機にまで陥った闇の書事件。

 

そして最近で言えば、エルトリアから永遠結晶というものを狙って地球が巻き込まれた事件など。

 

 

世界が崩壊しそうな事件が少なくとも三度もこの星では起きている。それほどの規模となるともちろんこの星にいる警察や軍隊なんかでは対処できるはずもない。

 

彼らにとっては魔法は架空の力、そんなものに対しての知識などないに等しい。

 

だから何もできないまま終わってしまうに決まっている。

 

だがしかし、

 

その件について話しておきたいと言った張本人であるクロノは前を見つめたまま、何かを企んでいるかのように僅かに口元を緩めて続けた。

 

 

「その心配は要らない。その段取りは、僕が既にすべて済ませてある」

 

「「「?」」」

 

 

クロノのそんな言葉を受けて、なのは達は意味がよく分からず首を傾げる。

 

なのはとフェイト、そしてはやての三人にとってこれから赴く世界は未知の恐怖が渦巻く領域に他らない。

 

あの巨大な亀裂の先にはもしかしたら、かつて共に致命的な死線を潜り抜けた最高の戦友──虎杖悠仁がいるのではないかという微かな予感はあるものの、それは行ってみなければ誰にも分からない賭けでもあった。

 

しかしその一方で、自分達は時空管理局の魔導師であり、この世界を守る盾でもある。

 

個人の希望を優先し、魔力が一切通じない異形の怪異──『呪い』が暴れ始めたこの街を放り出し、最高戦力である自分達全員でその世界に関わる物体に干渉することがどれほど無責任で利己的な決断であるかも痛いほど理解していた。

 

守るべき人々の顔が脳裏を過り、言葉にできない罪悪感と焦燥が彼女達の胸を内側から締め付ける。

 

だからこそ、だ。

 

クロノが提示した『段取り』というものは、彼女達にとっては防衛線の確保が約束されているという戦略的な意味でも救いそのものであった。

 

 

「こちらの防衛については管理局の“無限書庫”より呼び寄せた“ユーノ”にその全権を委託した。彼が最も得意とする補助魔法とその卓越した頭脳は僕でも認めるほどで、そして何より彼の戦術的な知識は信頼に足るものだ。ユーノを総指揮官としてこの星に防衛線を敷けば、宿儺の影響で発生した呪いの怪異どもの侵攻を一時的に鎮圧・隔離することは充分に可能だ」

 

 

“ユーノ・スクライア”

 

闇の書事件ではそれに関連した資料の捜索にあたり、主に裏方に回っていたが、そのおかげで闇の書の本来の性質を突き止めることができた。当時は情報が未整理だった無限書庫という果てしない場所にまで本が埋まっている図書館で、彼はほぼ一人で闇の書に関する情報を集めれるほどに探索のスキルに恵まれ、はやて達の裁判に勝つための記録としての資料を揃えるのにも一役買ってくれた。

 

その功績を讃えられて彼は無限書庫の司書長の権限を与えられ、本来の彼の仕事でもある考古学者としても活動する一方で、皆の役に立てるように無限書庫から最適な情報を探し出してくれる。

 

それほどにまで優秀な彼がこの世界に残って、全権指揮を執ってくれる。

 

これほど頼れる人材も時空管理局内でも中々いないだろう。

 

それを聞いたなのはは安堵の息を漏らす。

 

 

「ユーノ君が来てくれるんだったら頼もしいよ! 空間の隔離や防壁の維持ならユーノ君の右に出る者はいないし、それにユーノ君、私に魔法を教えてくれた時から結界の扱いに関しては天才的だったし、どんなに複雑な魔法でも一瞬で組み上げられるし! ユーノ君が総指揮を執ってくれるなら安心して任せられるよ!!」

 

 

なのははどこか嬉しそうに言うものの、その件に不服を申し立てる者もいた。

 

守護騎士の一人、現在は戦術教導員であるヴィータが腰に手を当て、鋭い眼光で追及した。

 

 

「いや、たとえどれだけ優秀でも実際に戦って守ってくれる奴らの頭数が足りなきゃ意味ねぇだろ? あの不気味な鳴き声を放つ化け物どもは、この二人がどれだけ高出力の魔力をぶち込んでもまるでなかったことにしたみたいに平然としてやがったんだろ? 結界で閉じ込めてどっかに隔離しとくとしても、そんな大仕事をアイツ一人に押し付けるつもりか?」

 

「僕がそんな無策のまま全軍を動かすと思うかい?」

 

 

なのは達のような最高戦力を動かす以上はそれに代わる者が必要となる。

 

この一連の失踪事件は情報が少なく、それによって管理局側でも少なからず被害が出ている。これ以上はできるだけ被害を広げないためにも高町なのは達のような高ランクの魔導師が必要不可欠だった。

 

しかし、だ。

 

鋭い指摘をしてきたヴィータに対し、クロノは歩みを止めぬまま、

 

 

「君らが『惑星エルトリア』への現地視察へと赴いてもらっていた時に、はやてが協力を頼んでいただろう? その上で本局の僕との個人的な連絡先とエルトリアの管理権との間で直接交渉を行い、独自の強力な迎撃戦力として“三人”ほどこちらに招集した。ユーノの指揮の元で、僕らの不在を埋める実戦部隊として“彼女達”が応援として来てくれて、この世界の防衛線を死守する手筈になっている」

 

「“三人”? “彼女達”········? エルトリアの助っ人って、一体誰を呼んだの?」

 

 

フェイトが眉を顰める。

 

エルトリアと地球の危機を共に救った仲間達の中に、この誰も手に負えないような特殊な怪異に対応し得るほどの適任者がいただろうか。

 

クロノは前を見据えたまま、冷静な声で続けた。

 

 

「君達に容姿が酷似した───“()()()()()()()()()()()”だよ」

 

 

そう告げられた瞬間になのはとフェイトは一瞬だけパチパチと瞬きして目を丸くしたものの、それからすぐに『あっ』とした顔を互いに見合わせて、全てを察したように小さく微笑んだ。

 

かつてエルトリアからやって来た人工知能の者の手によって夜天の書の中に意図的に眠らされ、だがデータとして残されていたため意識しかなく、肉体を持たなかったから、魔導書の現所有者である八神はやてと、戦闘記録として採取しておいた高町なのはとフェイト・T・ハラオウンの姿をインストールさせ、彼女達に似た姿でこの世に顕現した。

 

三人とも容姿がそっくりなだけでなく、その力も三人に引けを取らないほどに強かった。

 

この地球で彼女達は激烈な死闘を繰り広げ、しかし後に和解して背中を預けて共に戦った───あの“彼女達”。

 

前とは違って他の人を守る大切さを知った彼女達の強さは、なのは達だって知っている。

 

不屈にして破天荒な精神と、理不尽なまでの規格外の破壊力を持つあのトリオであれば、どれだけ魔法とは存在定義の異なる奴が相手だろうと持ち前の無尽蔵の適応力と、さらにはユーノの知的な指揮の元であれば、文字通り力尽くで守備を維持してくれるはずである。

 

 

「なるほどな! 確かにあの三人なら純粋な戦闘力やのうて破壊力に関してはこれ以上ないほどお墨付きやね。私らが直に視察に行った時も相変わらずの暴れっぷりやったし、これなら後ろの心配はいらへんわ」

 

 

はやてがクスッと楽しげに笑うと、敬意を払うように主の一歩後ろを歩いていたシグナムが腰に手を添えたまま毅然とした声で続けた。

 

 

「ふむ········彼女らはまだ戦闘経験が浅いとはいえ、元は我らが主や二人のデータを元に構成された肉体を持っている身だ。確かに彼女達ならばどれだけ奇怪な化け物が相手だろうと、力尽くで鎮圧してくれるだろうな」

 

 

はやてと共にエルトリアへと赴いた際にシグナムは彼女達の戦闘訓練に付き合った時があったのだが、現地の荒廃した環境に適応するために進化して獰猛な怪物へと変貌してしまった悲しき生き物達を、一瞬で退治するだけの戦闘力は秘めていた。

 

自分達でさえ、命懸けで闇の書に魔力を蒐集させるためにあらゆる魔法生物達から奪っていたのだが、あれくらいのレベルをたった三人で制圧していたため、実力は本物だった。

 

だからまだ荒い部分はあっても、彼女達の戦闘能力はなのは達にも負けず劣らないとして認められている。

 

 

「フン········アイツらが前線で暴れ回るなら、化け物どもの方が気味悪がって逃げ出すんじゃねえか?」

 

 

最初不満でも漏らすかのような感じで鼻を鳴らしていたが、実際はヴィータも彼女達なら任せられるとしてニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、シャマルが『本当に頼もしい人達が残ってくれてよかったわね』と優しく同意してくる。

 

そんなヴォルケンリッター達の賑やかなやり取りを横で聞いていたリインフォース・アインスが、静かに、しかし透き通るような美しい声で言葉を紡いだ。

 

 

「彼の知勇と彼女達の武勇があれば、留守の間のこちらの守りは万全かと存じます········主、それになのは、フェイト。これで私達は何の心配もなく、前方の脅威にのみ全力を傾けることができる」

 

「そうですよ皆さん!! こっちのことは何も心配せず、気を張って行きましょう!!」

 

 

彼女と瓜二つでありながらも、その姿はとても小さいツヴァイが姉的な存在であるアインスに同調するようにそう言ってきてくれた。

 

アインスはすでに魔力はほとんど空っぽの状態。

 

にも拘わらずついてくる理由は、主であるはやてから離れたくないという、彼女のちょっとしたわがままだった。自分の意思はすでに妹のような存在であるツヴァイが引き継いでくれている。

 

だから自分ができるのは後ろでのサポート。

 

足手纏いだと罵る者もいるかもしれない、だが主であるはやてはそんなことはないときっぱりと言ってくれた。むしろ自分から離れたらそれこそ主の側近として失格だと怒られてしまう。近くにいてくれるだけでいい、そう八神はやては言ってくれた。

 

妹であるツヴァイがこれからはやてを守るのなら何の心配もないし、自分は安心して送り出せる。

 

そんなリインフォース姉妹の言う事に、なのはは力強く頷いた。

 

 

「うん、二人の言う通りだね。今はとにかく目の前のことに集中だね!!」

 

 

そう言うとなのはは覚悟を決めるように力強く拳を握りしめ、呪いに覆われた空の彼方を見据える。

 

胸にしまうレイジングハートが主人の意思に呼応するように鮮やかに光り輝く。

 

この世界をこれ以上汚させない、その意思を抱いて、

 

 

「あの亀裂の向こうに何が待っているのか、どんな世界が広がっているのかはまだ誰にも分からない·。でももし、あの先に悠仁君達の········宿儺がいる呪いの世界があるかもしれないのなら、確証なんて何一つなくても私は行くよ。この街で起きている異変を止めるためにも、何が起きているのかこの目で確かめてみせる」

 

「うん········たとえどれだけ危険な場所だったとしても、私達は恐れずに進もう」

 

 

フェイトもまた、自身のバルディッシュのコアをそっと撫でながら、静かに、そして強い決意を瞳に宿した。

 

一同の歩調は目的地が近付くにつれてさらに鋭く、速くなっていく。

 

やがて、

 

クロノが示した目的地へとたどり着いた。

 

劣化で僅かに崩落した瓦礫と冷たい無機質な壁が挟む空間。

 

その真ん中に。

 

あの時見たのと同じ、ビキビキと空間そのものが引き裂かれたかのように亀裂が広がっている『大気の裂け目』があった。

 

そこから毒ガスのように漏れ出る、悍ましい気配。

 

その風に気圧されることなく、一◯人の魔導師達はそれぞれのデバイスを構える。

 

そして。

 

 

「········っ!!」

 

 

誰がその亀裂に触れるのか相談する前に、代表として高町なのはが一度だけ目を細めると、意を決したようにその亀裂の表面へと手を伸ばして触れる。

 

───その瞬間だった。

 

 

バチン!! と。

 

 

静電気が散るような感触と共に、周囲の空間の時間が止まったかのような奇妙な錯覚を覚えたと同時、

 

 

ポン!! と。

 

 

軽快な音が突如どこかから響き渡った。

 

それで皆が周囲を見渡していると、

 

 

「········ッ!?」

 

 

この場の代表として謎の亀裂に触れた高町なのはが、何かを見て息を呑む。

 

それに続いてフェイトやはやて達もなのはの見ているものを追って視線を上に上げると、伝染したように彼女と同じく息を呑んでしまった。

 

自分達が得た知識の中でも、そして事件が起きるたびにあらゆる次元世界の調査に赴いた時でも一度だって目撃したことのない『()()()()()()()()()()』が、空間の罅を触れた瞬間に自分達の頭上に突如として姿を現した。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()────“()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

何故いきなりそんなものが現れたのか、これが一体何なのか、その事態の把握を終えることすらその未知なる存在は許さなかった。

 

 

深刻極まりない緊張感を木っ端微塵にぶち壊すような、あまりにも軽快で、あまりにも非情な声が全員の鼓膜へと容赦なく叩きつけられる。

 

 

()()”は無機質で丸い瞳を点滅させるように瞬きしながら、そこにいる一◯人の魔導師達のうちの一人。

 

 

高町なのはの情報をスキャンするように見ると、

 

 

誰にでも親しみ合うような気軽さで、こう告げた。

 

 

 

()()()()()()()”!!』

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

人々の賑わった声も、いくつもの車のエンジン音も交錯せず、

 

遮るもののない太陽の光に照らされた、無人の東京。

 

もはや今までのような活気に溢れた街並みはそこにはない。

 

ただ静かに、まるでゴーストタウンのような静寂さで満ちている。

 

何せここは戦場、殺し合いとしての舞台となっているのだ。

 

それはいい、もうすでに受け入れていることだ。

 

だが、それよりも────

 

 

「········ッ!!」

 

 

虎杖はとにかくずっと悩んでいた。

 

死滅回游のルールで気をつけなければならないことを再度伏黒と確かめ合っても、死滅回游の平定に向けて多大なるリスクを冒して挑んだ秤金次の説得に成功した直後に虎杖悠仁の傍らに出現したコガネが見せた、あの画面。

 

あまりにも無機質で非情な情報が表示された事実が、未だに彼の脳裏にこびりついて離れなかったのだ。

 

画面の電子光の中に刻まれていた、忘れもしないあの幼い少女の名前。

 

廃墟の駐車場の明かりが乏しい中であっても、彼女の名前の横に冷酷に表示されていた『五点』という血生臭い数字は、嫌でもはっきりと見えた。

 

まだ僅か五歳であるはずのアリシアが、この地獄のような殺し合いの舞台ですでに誰か一人の泳者を“()()()”点数を得ているという紛れもない事実。

 

その事実に虎杖は、それでも信じられないといった感じで、内側から激しく掻き毟られるような衝撃と困惑に突き動かされていた。

 

 

「········なぁ、伏黒」

 

 

決して消えることのない強固な闇の壁が、午前の青空の彼方まで聳え立つ東京。

 

かつて多くの人々が行き交っていたはずの、ひっそりと静まり返った道路。

 

結界の境界へと向かって等間隔にアスファルトを叩く二人の足音の中で、虎杖は前をじっと見据えたまま、ぽつりと隣に歩いている伏黒恵に声をかけた。

 

その動揺の揺れが見れる瞳は眼前の異様な結界を鋭く睨み据えながらも、その焦点は遥か遠く、すでに戦場と化している仙台の結界へと向いている。

 

 

「アリシアのあの五点········やっぱりさ、その········誰かを殺しちまったってことだよな? 死滅回游のルールだと、他の泳者を殺さなきゃ五点は入らねぇんだろ?」

 

「········あぁ」

 

 

伏黒はただ返事をするだけだった。

 

虎杖の罅割れた声には胸を締め付けられるような激しい苦渋と、やり場のない割り切れなさが切なく滲んでいた。

 

“他者の命を奪う”ということ。

 

その消えない罪の重さを永遠にその身に刻まれるということを、虎杖は誰よりも良く知っている。

 

改造人間と化してしまった者達を救うためとはいえ、嫌々ながらも初めてその手を汚してしまったあの感覚は決して気持ちの良いものではない。

 

さらに、かつて別の世界で両面宿儺が放った無慈悲な蹂躙の末に、元の世界へと帰還してからの数多の死闘。

 

彼は自身の生き様に宿す『正しい死』への倫理観を、呪いという世界の圧倒的な理不尽によって、何度も何度も残酷なまでに叩き壊されてきたのだ。

 

大人のエゴや過去の呪詛師の思惑に巻き込まれただけの、僅か五歳の、それもまだ呪いについて何もわかっていない純白な少女。

 

コンビニの薄暗がりの中で必死に生きようとしていたところを乙骨に助けられ、そんな先輩の優しさによってこの世界の残酷さを見せないようにしていたあの純真無垢な少女が、他者の生命活動を永久に停止させた代償に自身を生き永らえさせたという残酷な現実。

 

それが人の死に対して真剣に向き合える虎杖にとっては何よりも悔しく、そしてやり場のない怒りが湧き上がってくる。

 

 

(あんなにまだ小さい子供の手のひらに········!! 人の命を奪った感覚が、あの血の重みがッ!! もう乗っかっちまったっていうのかよ········ッ!!)

 

 

千年前から存在していたとはいえ、五歳児というあまりにも幼すぎる精神がそんな業を受け止めきれるはずがない。

 

もしその感覚を理解してしまっていれば、彼女の心は間違いなく一瞬で崩壊する。逆に、何の感触もなければそれはそれで命のやり取りを単なる得点の数値として処理する、死滅回游という狂気のゲームシステムに彼女の存在定義ごと調教されつつあることを意味していた。

 

どちらに転んでも、だ。

 

そこにあるのは········間違いなく地獄の世界だ。

 

虎杖の思考はその割り切れぬ無力感によって、内側からキリキリと引き絞られるように軋んでいた。

 

 

「でもさ!! アイツまだ子供なんだぞ!? 乙骨先輩と一緒にいた時にあんなに楽しそうに笑っていた女の子が自分から進んで人を殺すわけねぇじゃんか·······!? それにあの時は俺達も、乙骨先輩だってアイツから呪力なんてこれっぽっちも感じなかったんだぞ!? じゃあアリシアがどうして殺しを────ッ!!???」

 

 

それは伏黒に答えを求めているというよりは、もはやこの呪われた世界の不条理に対する無意味な抗議だった。

 

そうでもしないと落ち着かなかったのだろう、虎杖は優しすぎるが故に他人の死に寄り添ってしまう傾向がある。

 

しかし。

 

ほぼ一方的な熱弁を叩きつけられる伏黒とて、胸の内は限界だったのだ。

 

別の結界へ向かった乙骨とは連絡が取れず、状況は一刻を争うのだ。何より姉の津美紀を救わなければならないという極限の焦燥と、彼女と同様にこの殺し合いから救うべき弱者であるはずの五歳の少女が、すでに『人殺し』になってしまっているという予想外による葛藤。

 

もはや完璧な答えなど、誰に訊ねてみても、どこを探しても見つかりはしない。

 

 

「わっかんねぇよッ!! そんなの俺だって知りたいッ!!!!!」

 

「ッ!?」

 

 

突如。

 

激昂した伏黒の叫びが、空気を切り裂いた。

 

普段の冷静沈着な性格をかなぐり捨て、興奮気味な虎杖に向けられたその顔にはどうしようもない苛立ちが滲み出ている。

 

伏黒はぐっと拳を握り締め、吐き捨てるように言葉を絞り出した。

 

 

「天元様すら羂索に拒絶されていたせいでアイツの渋谷までの動きは追えていなかった。あんな子供の体に何が仕込まれているかも、仙台の結界内で何が起きたかも、ここにいる俺達には何も知ることはできないんだ!! 乙骨先輩とも連絡がつかない以上、真実を知るには今すぐ仙台に行くしか方法がねえ······! でも俺達には東京で“日車に点を使わせてもらう”っていう最優先の仕事があるッ!!!!!」

 

 

伏黒自身もどこか苛立ちのあまり八つ当たりしているようにも見えた。

 

どれだけ必死に頭を働かせても、どれだけ正当化しようとして考えても、肝心の情報が何一つ足りない。

 

あの純粋無垢だったはずの子供の身に一体何が起きてしまったのか、本当に何も分からない。

 

分かっているのは、コガネが見せたあの結果の画面だけ。

 

その絶対的な真実しかないということが、二人の胸を鋭く抉っていた。

 

 

「········クソッ!!」

 

 

虎杖は低く俯くと、本当に悔しそうに舌打ちをし、その荒い呼吸を整えるように硬い拳をさらに強く握りしめる。

 

白日の下に浮かび上がる不気味な死滅回游の結界の輪が、彼らを見下ろしている。

 

 

(羂索って野郎········!! アイツあんな小さい子供に一体何をさせやがるんだ········ッ!!)

 

 

虎杖は奥歯が砕けんばかりに噛み締め、その拳からはもはや力が入りすぎて血が滲むほどだった。

 

最後にそいつの姿を見たのは、渋谷だった。

 

渋谷で五条悟が封印されてしまい、その呪物である獄門疆を持ち去った彼のかつての親友の体の中に潜む悪魔的な存在は、虎杖にとっては決して許せない相手だった。

 

命を弄び、まだ善悪の境界すら曖昧な子供に『人殺し』の業を背負わせた張本人への形容し難い激憤が胸の奥で黒炎となって燃え上がる。

 

 

「だが────」

 

 

伏黒だってまだ状況の整理ができていない。

 

それでも今できることを最優先にするために、虎杖を説得するように告げる。

 

 

「理由がどうあれ、アイツが点を得て死滅回游のシステムに『明確な参加者』として登録されてしまったのは変えようのない事実だ。ルール追加で全泳者の名前と位置情報が開示された以上、仙台の術師········石流や烏鷺のように点を持っている連中が、五点持ちのあの子を次の標的として狙い始めるのは時間の問題だ。でも、アイツがいる結界には乙骨先輩もいる。おそらくは乙骨先輩でも想定外な事になったことに動揺してるかもしれないが、あの人は五条先生と同じ特級術師だ。たとえアリシアが点を得ていたとしても、見捨てるはずがねぇって········そう信じるしかない」

 

 

今すぐ仙台へ飛んであの子を助けに行きたい。

 

だが自分達には東京第一結界にいる一◯◯点持ちの術師────“日車寛見”に接触し、

 

ポイントを使用してもらって『泳者間の点数移動ルール』を新しく追加するという最優先の絶対任務があった。これを行わなければ、伏黒の姉である津美紀を救うことも、死滅回游の殺し合いを止めることもできないのだ。

 

アリシアが人を殺してしまったのは悲しい真実だが、これ以上の殺しだけは止めなければならない。

 

とにかく、あの子のことは近くにいる乙骨に任せるしかない。

 

 

「·······乙骨先輩がアリシアの近くにいてくれるのを祈るしかねぇな」

 

 

一先ずの妥協。

 

虎杖は胸の奥から湧き出る焦燥を押し殺すように、深く息を吐き出した。

 

その言葉は心配の意味も含まれていただろうが、あの子がこれ以上、呪いという理不尽な闇に染まらないでくれという祈りにも似た切実な願いでもあった。

 

 

「ああ、あの人がいればそう簡単にあの子がやられることはないはずだ。俺達は俺達のやるべきことをやる。日車を説得して、一◯◯点を手に入れるぞ」

 

「······あぁ!!」

 

 

伏黒の力強い言葉に、虎杖は気合を込めて短く頷いた。

 

アリシアについて働かせていた思考を、眼前の戦場へと完全にシフトさせる。

 

しかし、

 

その限界を超えた集中と眼前に迫る巨大な障壁による緊張のせいで、虎杖は決定的なことを見落としていた。

 

彼は覚悟を決めるように、五条先生が勝手にオーダーしてカスタマイズした呪術高専の赤いフードを正すように掴むが、そこにあるべきものに気付いてなかった。

 

秤の説得の際に賭けの試合で『絶対に汚したくない』からと伏黒の影、“十種影法術”の格納庫に預けたままにしている、別世界から譲り受けた少女から貰った大切な宝物であるあの『赤いマフラー』を自分の首元へと戻していないことに。

 

この時の虎杖は、焦燥と混乱に加えて緊張もしていたせいで完全に失念していた。

 

それに気付くこともなく、二人は進む。

 

二人の歩む先に、いよいよ東京第一結界の巨大な闇の障壁が聳え立っていた。

 

触れて参加を宣言すれば二度と平穏の日常には戻れないことを告げる、呪いの本筋たるデスゲームへの入り口。陽光を遮るように聳える禍々しい呪力の波動が周囲の乾いた空気をじっとりと湿らせていく。

 

伏黒は意を決して、その不気味な壁をノックするように軽く叩く。

 

ゴンゴン、と。

 

空間の境界がガラスのように歪む。

 

それと同時に、二人の頭上に一体のコガネが間の抜けた音を立てて出現した。

 

 

『よお! 俺はコガネ!!』

 

 

一度聞いた自己紹介の台詞。

 

それは謂わばお決まりのアナウンスのようなもので、この中へと入ろうとする者への最終チェックと同時に警告でもあった。

 

 

『この結界の中では死滅回游って殺し合いのゲームが開催中だ!! 一度足を踏み入れたらオマエも泳者!! それでもオマエは中に入るのかい!?』

 

「あぁ、問題ない」

 

 

元からそのつもりだったのだから覚悟はすでにできており、その確認は伏黒にとってはスキップしたいシステムだった。

 

 

『伏黒恵が死滅回游へ参加しました。総則を参照しますか?』

 

「いい、必要ない」

 

 

一蹴するように言うと、コガネはつまんなそうにあからさまな舌打ちをする。

 

 

「虎杖、まずは日車の情報収集だ············行くぞ」

 

「応!!」

 

 

二人は同時に、目の前に聳え立つ暗闇の向こう側へと。

 

迷いのない足取りで力強く一歩を踏み進めた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

その直後だった。

 

 

「げぇ!?」

 

 

状況把握の暇もなく、その顔は驚愕に染まる。

 

結界の境界線を越えた瞬間、まるで世界そのものが上下左右を失って完全に反転したかのような、凄まじい重力の奔流が二人を襲った。

 

そばで感じていたはずの互いの気配が一瞬にして消え去り、網膜が激しく明滅して視界が完全に暗転する。

 

 

(伏黒がいねぇ············!?)

 

 

隣にいたはずの伏黒の姿はどこにもない。

 

暗闇を抜けた次の瞬間に急激に視界が開けた虎杖が目にしたのは、地上数百メートルの『東京の上空』という最悪の足場だった。

 

奈落の底へ向かって吹き抜ける激しい風が、衣服を爆音と共に激しく靡かせる。

 

これこそが死滅回游の悪意に満ちた仕様、結界内へのランダム転送の罠だった。

 

午前でもっとも真上へと昇っている時間帯のぎらついた太陽の光があまりにも白々しく、無人で無機質となったビル群の輪郭を冷徹に照らし出している。

 

 

「────ッ!!」

 

 

ビル群が遥か下で建ち並ぶ、真っ逆さまの墜落。

 

普通の人間の精神であれば、その高度と死への予感だけで一瞬にしてパニックに陥るところだろう。そのパニックによって負の感情を生み出し、現代の術師は呪力を理解して次の段階へと覚醒することを目的として敢えてそういう風にしているのかもしれないが、術式を持たぬ虎杖ができることは呪力を放出して身の守りを固めることくらいだ。

 

だが、虎杖の心に焦りは微塵もなかった。

 

両面宿儺という怪物を抑え込めるほどに頑丈に作られた超人的な身体能力を持つ彼にとって、この程度の高低差からの自由落下は恐怖の対象ですらない。以前、別世界でさらに高い場所から落とされたのだが、その時水に落ちたのだがなんともなかった。普通はそれほどの高度から落ちれば水は衝撃を吸収しきれずコンクリートのような硬い壁と同じ作用を発揮するのだが、それでも生きていたのだ。

 

無意識に呪力を練っていたというのもあるだろうが、元々彼の身体能力は宿儺を抑え込めるようにと“誰かが”意図的に強化させていることもあってか、虎杖は今回も落ち着いたように落下しながらもその鋭い瞳は眼下に迫るビル群の構造を瞬時に見定め、どこに足をつけ、どうやって肉体のクッションを使って受け身を取れば無傷で着地できるかという最適解を驚くほどの余裕を持って弾き出していた。

 

しかし。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

ブオン、と。

 

 

落下する虎杖の鼓膜に、空気を引き裂くような凄まじい“ジェットエンジンの爆音”が響いた。

 

気付いた時にはもう遅かった。

 

聞こえた瞬間にそちらを見ると、背中まで伸ばしている髪の毛を戦闘機の主翼のように生やした“女の術師”が、

 

音速に近い速度の呪力推進で、虎杖を空中ですり潰さんと突撃してきている。

 

これがルールにない現象に動揺した泳者を狙う、『初心者狩(ビギナーが)り』による洗礼だった。

 

 

ドゴォッ!!

 

 

空中で衝突したとは思えないほどの凄まじい衝撃音が、虎杖の肉体に直撃した。

 

その高速の突進に防御の姿勢を取る間もなく、その圧倒的な推進力の質量に圧され、虎杖の身体は東京の空中へとはるか高く木の葉のようにぶっ飛ばされた。

 

急激な衝撃に肺の空気が強制的に押し出され、次々とビルを貫いて背中を叩く痛みによって視界が激しく揺れる。

 

 

「グ────ッ!!!!!」

 

「な────ッ!!???」

 

 

しかし、虎杖悠仁の中に眠る戦闘本能は全くブレていなかった。

 

ぶっ飛ばされた最中、虎杖は驚異的な体幹の強さで強引に空中で体勢を立て直し、そのまま近くにあった建築途中の高層ビルの工事現場の剥き出しの鉄骨と鉄板の床へと、凄まじい煙を上げながら滑り込むようにして力強く着地を決めた。

 

 

(コイツ!! 固いだけじゃない············!! ピンピンしてるし、只者じゃないわッ!!)

 

 

一方、結界に侵入してきた新入りの参加者を一方的に吹き飛ばして完全な優位を確信した“羽生”は、ぶっ飛ばそうとしていた相手が五体満足で立っている事に驚きを隠せなかった。

 

大抵のやつはそもそも直撃した瞬間に体が耐えきれなくて四散する。

 

ビルにまで突っ込んだっていうのに傷を負わず、平気そうに立っていられることに思わず恐怖した。

 

このまま戦うのはまずいと、本能が告げている。

 

後ろへと流れている髪の先端をエンジンのように変形させている羽生は空中を自在に旋回しながら、ポケットに仕舞っていた通信機へと切迫に満ちた声色で語りかけていた。

 

 

「ダーリン、合流しましょ────」

 

 

そう作戦を提案する羽生だったが、上空で止まっている彼女のその隙を虎杖悠仁という男が見逃すはずがなかった。

 

足元に転がっていたのは、工事現場で外の作業をするために一時的な足場として持ち込まれる金属の板だった。虎杖はその質量を片手で鷲掴みにすると、数々の死線で研ぎ澄まされてきた呪力のうねりを、一瞬で物体の芯へと爆発的に練り込んだ。

 

足元僅かな踏み込みだけで全身のバネを極限までしならせ、その超人的な怪力で板を撃ち出す。

 

投げ放たれた板はヒュンヒュンという音を鳴らしながら勢いよく回転し、空気を引き裂いてその距離を伸ばすブーメランのごとき速度で、上空にいる羽生へと直撃した。

 

 

「が、は────ッ!?」

 

 

呪力を帯びた巨大な質量は、無防備だった羽生の腹部へと寸分の狂いもなくクリーンヒットした。

 

大気が激しく爆破したような破壊音が響き、羽生は一瞬にして白目を剥いてその推進力を完全にへし折られ、そのまま戦闘不能となって真っ逆さまに墜落していく。

 

 

(? 簡単に落ちたな············)

 

 

自分をあれだけの速度を以てしてビルまで貫いていたのに、たったの一撃でダウンした相手の術師に虎杖は思わず唖然としてしまった。

 

しかし、これで無事に着地できた。

 

一般的に見ればそれは無事とは言えない部類になるのだが、虎杖の信じられない身体能力があったからこそだ。

 

だが、敵とはいえせっかく会えた奴を地面に落としてしまった。

 

現場の作業状況を見せないようにするためにある青い幕が彼女の体を包み、まるで滑り台のようにして地面へと下ろしているのが見えた。

 

これで虎杖は点を得られていないという事になったが、それで良かった。

 

生きるために、人を殺してまで点を得たくない。

 

けれど面倒な事になった。

 

おそらくだが地面に降り立っても彼女は衝撃のあまり気絶していると思われる。幕がクッションになったとはいえ、虎杖の攻撃で落ちたということはあまり体は強い方ではないのだろう。

 

ならば別の奴に探し求めている人物のことを教えてもらおうと思った時、

 

 

「なんじゃあワレェェェェエエエエエエエエエエッ!!!!!!」

 

「!!」

 

「人の女に何しとんのじゃぁぁぁアアアアアアアッッ!!!!!」

 

 

バババババ、と。

 

空気を連続で切り裂くような音が上空から聞こえてくる。

 

相方の羽生を撃墜されたことに激昂し、額の血管をこれでもかと浮き上がらせたヘリコプターのプロペラ頭の男、“羽場”が狂ったように目を血走らせて急降下してきた。

 

 

「コッチに聞けばいいか············ッ!!」

 

「絶対に許さんぞクソガキィイイイイイイイッ!!!!」

 

 

虎杖はすぐさま身構えたが、羽場は頭上のブレードから凄まじい風圧の塊を巻き起こし、その突風の勢いのままに虎杖の襟首を強引に掴み上げた。

 

コンクリートの足場を強烈に蹴り上げ、そのまま建築途中だったビルから空中へと凄まじい速度で一気に引きずり出した。

 

地上から数百メートル上空。

 

足場など何一つ存在しない。

 

 

「ぐッ!!」

 

「逃さんぞぉおおおおッ!!」

 

 

二人の身体は激しく揉み合い、互いの質量を奪い合うようにして空中での凄まじい取っ組み合いへと発展していく。

 

想定外の事態だ。

 

また足場のプレートを投げるか、一度ビルの屋上まで跳躍して上から飛びかかって相手の足を掴み、そのまま地上へ引きずり落とすつもりだったが男は頭に血を上らせすぎて我を忘れたように突進してきた。

 

地上であれば虎杖の体術が一方的に圧倒していたはずだった。

 

しかし相手はプロペラの推進力によって空中で自由自在の軌道を描き、落下死の因果を無視できる空中戦のプロだ。羽場は頭上のヘリのブレードの回転数をさらに跳ね上げ、周囲の空気を切り裂く凶悪な乱気流の壁を作り出しながら、片手による空手の鋭い突きと容赦のない膝蹴りの猛嵐を虎杖の肉体へと叩き込んでいく。

 

 

「く············ッ!!」

 

 

強烈な風圧が虎杖の顔面を打ち据え、皮膚の内側へと衝撃を走らせる。

 

足場のない空中ではどれほど強靭な踏み込みを誇る虎杖の脚力も、その威力を発揮するための反作用を得られない。それでも虎杖は空中で驚異的な体幹の強さを発揮し、腕や膝を巧みに交差させて羽場の連撃をガードする。

 

急降下する慣性の最中、虎杖の視界のすぐ端に建っているビルのコンクリート外壁が過った。

 

虎杖は落下スピードを利用し、その外壁へと強引に右足を突き出す。

 

 

「ふんッ!!」

 

 

ドォン、と。

 

ビルの壁を横向きに力強く蹴りつける。

 

ほんの一瞬だけ得られたその反作用の地点から虎杖は空中での自転運動を生み出し、羽場のホールドを力尽くで振り解きながら、呪力を篭めた強烈な回し蹴りを羽場の側頭部へと放った。

 

しかし羽場は頭上のプロペラを傾け、空中で急激なスライド移動を実行。

 

虎杖の蹴りは虚空を切り、羽場はその隙を逃さずにプロペラの風圧と己の全体重を乗せた渾身の裏拳を、虎杖の胸元へとクリーンヒットさせた。

 

 

「ごはっ!?」

 

「空中戦でワシに勝てると思うなよガキィ!!」

 

 

ドッ、と激しい衝撃波が走り、虎杖の身体は強烈な慣性によって羽場の手から完全に弾かれるようにして遥か下方へと無惨に投げ出されてしまった。

 

ここからが、この男の術式が持つ本物の悪意だった。

 

虎杖が投げ出された先は高層ビルの狭い隙間───つまりは完全なる虚空。

 

周囲のビルの壁面までは数メートルほど離れており、今度の自由落下では蹴るべき壁も、掴むべき鉄骨も、何一つ手が届かない。

 

どれだけ超人的な身体能力があろうとも、空中では物理的な作用点がないため、己の軌道をミリ単位すら変えることができない。

 

身動きを完全に封じられた、絶対的な制動不能状態。

 

 

「スムージーにしたらぁぁぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」

 

 

その決定的な一瞬を、空中戦のプロである羽場が見逃すはずがなかった。

 

普通なら一度距離を取ってから体勢を整えるところを、羽場は獲物の危機を本能的に察知して襲撃。

 

一切の躊躇なく、即座に牙を剥いたブレードで猛烈な速度を生み出し、真下にいる虎杖へ追撃しようと襲いかかってきた。

 

ただの落下ではない。

 

羽場は頭のプロペラを凶悪なミキサーのように激しく逆回転させ、空気を切り裂く死の旋風を巻き起こしながら、回避不能となった虎杖の肉体を細切れにするために足を下にして蹴りを入れるように真っ逆さまに突っ込んでくる。

 

虎杖は落下しながらも必死に身体を捩り、呪力を拳に集中させて何とかカウンターの一撃を叩き込もうと奮闘する。

 

しかし、これは賭けに近い。

 

空中で完璧に自身の体をコントロールし、プロペラの回転刃を突き出して突っ込んでくる敵を前に、足場のない身体では間合いを外すことすら叶わない。

 

だから一か八かだった。

 

 

「終わりじゃァァァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」

 

「うおおおおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!」

 

 

二人の叫びが空中でぶつかり合う。

 

虎杖が覚悟を決めて拳を突き出す。

 

高速回転するブレードの金属音が鼓膜を狂わせる。

 

外せば万事休すのデッドエンド。

 

完全に勝利を確信した羽場の歪んだ笑顔が迫り、

 

虎杖の拳が届くか、その凶刃が虎杖の肉体を切り刻むか───────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の攻撃が交差しようとした、まさにその瞬間だった。

 

 

「な、なんじゃぁ!?」

 

 

羽場のプロペラは虚しく虚空を通り過ぎた。

 

 

突如として───────()()()姿()()()()()()()

 

 

消えた虎杖を追って辺りを探していると、羽場は信じられないものを目撃した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

驚いていたのは虎杖も同じだった。

 

肉体を切り刻むはずだった凶刃の代わりに伝わってきたのは痛みの衝撃などでは断じてなく、

 

自分の身体·······背中と腰の辺りの服が後ろから強引にグイッと引っ張り上げられるような、()()()()()()()()()()()

 

 

「は············え?」

 

 

ミキサーのような凶暴なプロペラに引き裂かれるはずだった落下の軌道が、その見えない強固な質量によって完全に上へと相殺され、引力という世界の法則に逆らって上空へと急速に引き上げられていく。

 

呪力による術式とも違う、あまりにも洗練された、未知のエネルギー。

 

訳が分からず、困惑と混乱の中に突き落とされた虎杖が、引き上げられる力に身を任せて頭上の方を見上げようとした、その時だった。

 

東京の結界の空を震わせるプロペラの風音や、冷酷な殺し合いの喧騒の全てを力尽くで置き去りにするようにして。

 

頭上からあまりにも唐突に、けれど確かに聞き覚えのある。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 

「────()()()!? ()()()!?」

 

「────ッ!!!??」

 

 

その声はちゃんと彼の耳に届いていたものの、それが信じられなくて自分の耳を疑った。

 

────あり得ない。

 

ここは呪いの、しかも死滅回游の結界の内部だ。

 

“あの子”がこの日本に、ましてやこのような趣味の悪すぎる殺し合いの戦場にいるはずがない。

 

脳が現実を実感させるための処理を拒絶する中、それでも虎杖は服を引っ張り上げるその暖かな力の“主”に向かって、勢いよく顔を上げた。

 

 

「う、嘘────ッ!?」

 

 

その瞬間に虎杖悠仁は、自分自身の目を疑った。

 

視界を埋め尽くしたのは、午前の陽光すらも『桜色』に染め上げるほどの、眩い粒子。

 

核心たる光の渦の中心。

 

その桜色の淡い光の粒子を幾重にも輝かせ、重力を完全に無視してふわりと浮遊している、“一人の少女”の姿があった。

 

驚愕のあまり、虎杖の思考が一瞬で完全にフリーズした。

 

かつて虎杖が単独で呪物の回収へと任務先へと赴いた際に呪物の効果が発動し、別の次元へと飛ばされた。

 

見たこともない場所へと落ちた虎杖はただひたすらに街の中を駆け抜けて、そこで名の知れぬ“小さな女の子”にであった。

 

異界の者同士であっても手を取り合い、共に『闇の書』という絶対的な呪いを祓い、その後それぞれの世界へと別れたはずの“女の子”。

 

だが虎杖の脳に焼き付いている彼女の記憶は、あの日の可愛らしいツインテールの小さな少女の姿のままだ。

 

それが今ではどうだ?

 

目の前に浮かぶ彼女の姿は、虎杖の記憶をあまりにも鮮烈に、そして理不尽なほど美しく裏切っていた。

 

あんなに小さかった背丈は驚くほど伸び、すらりとした手足はしなやかな強さを感じさせるくらいに見違えるほどに大人の女性へと成長を遂げている。

 

そして彼女が身に纏う戦闘服、“バリアジャケット”と呼ばれる鎧の形もまた、かつてのドレスのような幼いシルエットではなかった。上半身を包むのはデザインが結構簡易的でありながらも、実戦的な防護を予感させる引き締まった白と青のショートジャケット。その襟元や袖口のラインは、かつてよりもどこか鋭利で洗練された気高さを放っている。

 

ジャケットの内側、彼女の肌を守るように密着しているのは、身体の洗練されたラインを際立たせる、光沢を抑えたスタイリッシュな純白のアンダーウェアだ。

 

さらに腰元から足元にかけては、動きやすさを極限まで追求したような実戦的なスカートと、その細くて美しい脚を護るように膝上まで伸びた、力強くも美しい黒ストッキングが陽光を吸収してもなお輝いている。

 

その足元は以前とは違ってさらにSF作品に出てきそうなほどに近代的なデザインのシューズへと変更されている。

 

そして。

 

彼女のチャームポイントでもあった栗色のツインテールは大人っぽさを出すために勇気を出して変えたのか、サイドテールに結ばれた綺麗な髪が、呪われた東京の風にサラサラと気高く舞い上がる。

 

 

その右手には、かつて気を失っていた虎杖の肉体を宿儺から取り戻してくれた、あの杖───“レイジングハート”が。

 

 

主の成長に合わせるように、よりソリッドで、より一層武器らしく進化した、最高峰の槍の如き美しさを燦然と輝かせていた。

 

立ち上る“魔力”の光が、世界を闇へと塗り替えた呪いの結界を優しく、かつ圧倒的な異質さで照らし出している。

 

その神々しいまでの佇まいは、血と暴力にまみれた死滅回游の世界において。

 

あまりにも異質で美しい『イレギュラー』そのものだった。

 

しかし、

 

 

「な、なんで············ッ!?」

 

 

それでも脳はあり得ないと告げている。

 

───会えるはずなんてない。

 

次元の壁の向こう側にいるはずの最高の友達が、信じられないほど格好良く、さらに美しく成長して何故か今この日本の『死滅回游』という最悪の舞台に浮かんで自分を助けている。

 

あり得ない現実を前にして、現状の処理が完全に追いついてない。

 

予想外の、しかしこれ以上ないほどに待ち望んでいた。

 

最高の友達の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、“なのは”············ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“高町なのは”

 

 

あまりの事態に処理落ちを起こす虎杖に、異界にいるはずの少女、高町なのははクスリと微笑み。

 

手にしているレイジングハートを前方の敵へと真っ直ぐに向けた。

 

 

 

「詳しいお話は後ね! 頭の上に変なものをつけてる人がこっち見てきてるから············まずはあの人に集中だよッ!!」

 

 

 

 

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