呪術廻戦リリカルなのは∅   作:織姫ミグル

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第18章

 

 

全ての運命を決定付ける場に立つ。

 

その絶対の位置にいる裁判官席において、日車寛見はかつてないほどに動揺していた。

 

彼の内に何度も響いていたのは、驚愕という生半可な感情ではない。

 

それは自身がかつて踏み荒らし、そして永遠に捨てたはずの、近代司法という名のゴミ捨て場から這い出てきた不気味な『真実』に対する正直な恐怖であった。

 

日本の刑事裁判における有罪率は、九九・九パーセント。

 

その異常な統計学の結果の前に、日車寛見という弁護士はかつてその◯・一パーセントに賭ける不屈の“天才”として、法廷に立っていた。

 

彼は誰よりも他者の苦しみに寄り添おうとした男だった。

 

被害者の慟哭をその身に刻み、加害者の歪んだ境遇を闇の底まで潜って理解しようとした。彼らの弱さ、環境の理不尽、国家の機構が個人の尊厳を圧搾していくその不平等な現実に、自らの精神を磨り潰しながら介入し続けた。

 

しかし、寄り添うという名の自傷行為を繰り返すうちに、日車がその深淵の底で見出したものは至高の救済などではなかった。

 

浮き彫りになったのは、ただひたすらに醜悪で、陰湿な人間の本質たる“醜さ”であった。

 

自分が死に物狂いで無罪を勝ち取った被告人が法廷の一歩外へ出た瞬間、世論という名の当然でありながらも無責任な流れによって『無罪の犯罪者』として私刑に処され、踏み躙られていく。

 

そんな世論の意見を代弁するかのように検察は強引な差し戻し請求によって無実の被告人を『いつも通りの有罪』へと引き摺り戻していく光景を何度も見た。

 

彼が最後に行ったあの裁判。

 

ほぼ無理筋な展開での有罪判決。

 

その不平等な現実を具現化したかのような鉄槌が下された瞬間、日車はついに世界の構造そのものに内在する致命的な欺瞞を理解したのだ。

 

同時に、絶望した。

 

己が信じ、捧げてきた全ての行動が天文学的な確率の虚しさの結実であったと気付かされた瞬間、日車寛見の心は完全に死んだ。

 

人を救うための聖職であった弁護士という肩書は、彼にとってただの紙切れへと零落した。

 

彼は法を諦め、正義を呪い、一切の情状酌量を排した『自分だけの絶対の法理』そのものに変貌することで、“呪術師”という呪われた深淵へと自ら堕ちていったのだ。

 

彼の領域『誅伏賜死』とは、彼が法に絶望した精神の最も醜悪で、最も残酷な心象風景そのものに他ならなかった。

 

───それなのに。

 

今、その死に絶えたはずの法廷の底で、日車の理性を激しく揺るがす異常事態が起きていた。

 

魔力を奪われ、その源を封印され、腕の骨の軋むような激痛に華奢な身体を震わせながらも、ただの『生身の子供』へと引き摺り下ろされた少女の高町なのはが、その九九・九パーセントの絶望の壁に立ち向かい、不服申し立てという名の反撃を成立させた。

 

ここまではいい。

 

それは領域のルールが近代法を模しているが故に発生した、極めて知的で正式な利用である。日車はその法理の美しさに、司法のプロフェッショナルとして純粋な敬意すら抱いた。

 

だが。

 

そんな日車寛見の心根を真に叩き割ったのは、その再審によって提示された最悪の別件起訴。

 

【二〇一八年一◯月三一日、渋谷における大量殺人罪】に対する、第一被告人の虎杖悠仁の反応であった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「········ッ!!」

 

 

証言台の前で。

 

術式を奪われて不利な状態に陥って絶体絶命な状態となっている少年の口から溢れ出たのは、一切の言い訳を排した、どこまでも静かであまりにも迷いのない『自白』であった。

 

日車は。

 

その絶望しきっていた瞳の奥で、激しい認知的不協和の動揺に身を焦がした。

 

 

(嘘だ、あり得ない········!? こんなことは俺の弁護士人生においても、一度として起きたことがない········ッ!!)

 

 

九九・九パーセントの絶望を経験してきた日車にとってこれほどの大罪、国家の法において一律で死刑が確定するような大量殺人という告発に対し、これほどあっさりと無抵抗に罪を認める人間など、存在して良いはずがなかった。

 

本当ならば、どれほどの極悪人であれ、死の恐怖を前にすれば死に物狂いで否認に走る。

 

あるいは精神の衰弱を訴え、不可抗力の環境を並べ立て、自らの保身のために言い訳や精神障害などという虚言の壁を築いて罪から逃れようとする。それが、日車が嫌というほど見てきた、醜悪で、でも確かに人間らしい生存本能の露呈であった。

 

しかし。

 

この虎杖悠仁という少年の胸の奥にあるものは、そのどちらでもなかった。

 

日車がこれまで磨き上げ、そして呪いへと反転させた弁護士としての鋭利な観察は、虎杖の瞳の奥に眠る、常軌を逸した『真摯さ』と底知れぬ自責の念を瞬時に見抜いてしまっていた。

 

 

(何故だ!? お前は·······()()()()()!!)

 

 

確信だった。

 

彼はそもそも、自身の快楽のために人を屠る狂人ではない。

 

なんなら自らの意志で大量虐殺を企てたテロリストでもない。

 

そして、何より。

 

 

(殺したのは········君の中に巣食う悪魔────“宿儺”だろう!?)

 

 

領域展開のメリットは、勝ちの確定を強めること。

 

日車の領域は五条悟のように結界に閉じ込めた時点で勝利を約束するような必中必殺という効果はないものの、それが領域である以上は必ずメリットが発生する。

 

例えば────“相手の弱みをすでに知ることができる”とか。

 

ジャッジマンは領域内の者の全てを知っている、それは日車に共有されないとされていたが、それはブラフだった。

 

いや、全ての情報は共有されないという意味ではある意味その通り。

 

だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

どんなに言い訳を並べても、日車はカンニングで先に証拠を知れるため、相手がどんなことを言っていても反論できる奥の手という名の反則技を持っていた。

 

だからパチンコ店での件もすぐに言い返せる、論破の武器を先に組み立ていた。

 

しかし彼は高町なのはを救うために罪を認める代わりに交換条件として自分だけ罰して欲しいと頼んだため、判決はあっさりと言い渡された。そもそも日車は検察側であり、どれだけ綺麗事を並べて交渉しても裁判である以上は判決を下すのは自分ではない。

 

ジャッジマンの判決は慈悲もなしに言い渡され、それでもあの少女はまた立ち向かってきた。

 

その結果、彼はどうした?

 

罪状は明らかに否認できるもので、せっかく有利な状態へと戻れるはずだったのに、虎杖悠仁は罪を認めた。

 

 

(何のつもりだ!! 虎杖悠仁!! 他人の犯した罪を庇うのか!? 庇うに値しない者の罪を、その身に背負うというのか!?)

 

 

彼の肉体の中で、本人の知らぬところで起きた、不可抗力かつ絶対的な天災の如き虐殺───『他者の犯した最悪の業』に対して全ては自分の責任だと思い込み、自らの魂を内側から磨り潰しながらその罪を正面から引き受けようとしている。

 

自らの命を差し出してまで他者の業の『責任』を全うしようとする、痛々しいほどの誠実さ。

 

自らの保身のために他者を蹴落とし、欺瞞を重ねる醜い人間ばかりを見てきた日車にとって、虎杖のこの自己犠牲的な自白はあまりにも異質であり、魂そのものを揺さぶるほどの衝撃であった。

 

それはかつて、日車寛見が法の闇から救い出そうとして、だが結局仕組みに踏み躙られて救えなかった『尊ぶべき弱者の魂』そのものではないか。

 

 

 

“死刑”ッ(デス・ペナルティ)!!

 

 

 

次の瞬間。

 

裁判官の絶対的な判決によって、日車の手に持つ裁きの鉄槌が変貌する。

 

日車の右手に握られていたはずの木製の法槌が突如として非実体的な融解を始めた。

 

まるで数多の怨念と法の意志が混ざり合い、物理的な形状を保てなくなったかのように。

 

ジ、ジジジ、と。

 

空間そのものが引き裂かれるような、悍ましい破断音が鳴り響く。

 

融解したガベルの柄から、突如として神々しい光が噴き出した。

 

それはさながら極限まで圧縮されたプラズマの如き、あるいは重罪人に対する極刑として用いられた『十字架の刃』の具現化であった。

 

シュウゥゥゥ、という。

 

空気を超高温で焼き焦がすような特異な音が、空間の静寂を支配する。

 

その光の刃は神聖にして、同時に悍ましいほどに禍々しい。

 

いかなる鎧、いかなる強度の呪力防御であろうとも。

 

触れた瞬間にその『魂』を例外なく消滅せしめる絶対の死刑の具現。

 

その刃から放射される圧倒的な光は、周囲を不気味なほどに白々と照らし出し、証言台の前に立つ二人の影を劇場の床へと長く、濃く焼き付けていた。

 

それが。

 

日車寛見の術式における究極の聖剣───『処刑人の剣』であった。

 

 

(神の子にでもなったつもりか!? 他人の罪を背負って身代わりとなるように、だがそれだと君は誰からも救われないッ!!)

 

 

しかし、その絶対の死を約束された光の刃を握る日車寛見の五指は。

 

 

「君もだ········虎杖!!」

 

 

かつてないほどの激しい精神の葛藤によって、異様に震えていた。

 

 

「人は皆!! 弱く醜い!! オマエがどんなに高潔の魂を望もうとも!! その先には何もない!!」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「ねぇ··········嘘···········嘘って言ってよ悠仁君ッッッ!!!??」

 

(ごめん·······なのは·······)

 

 

虎杖悠仁は、隣で絶句して何度も問い正してくる高町なのはを敢えて黙殺した。

 

ここで彼女の傷だらけの瞳を見てしまえば、自分の胸の内にある凄絶な自責の念が、あるいは生きることへの未練が、正しく裁かれるべき『罪の自白』を曇らせてしまうと直感が告げていたからだ。

 

なのはをその場へと完全に置き去りにしたまま、虎杖はただ一人、自らの背負うべき業へと立て籠もり、日車の放つ死罪へとその身を晒した。

 

彼の視線はもはや誰の姿も捉えておらず、ただ眼前で不気味に輝く絶対の死刑執行の刃だけを凝視していた。

 

 

(これは·······俺の罪だ。俺が一人で·······一生背負っていかないといけないんだ)

 

 

その決意の言葉の終わりを告げる間もなく、日車寛見の持つ呪具から、暴力の解禁に伴う圧倒的な呪力が噴出した。

 

劇場全体の空気が急激に圧縮され、目に見えぬ重圧の壁となって押し寄せる。

 

日車の踏み込みの一歩ごとに死へのカウントダウンを刻み、彼の纏う呪力が暴風に晒されたかのように激しくはためいた。

 

その音はまるで、死者の怨嗟が法廷の天井を叩くかのような不快な残響を伴っていた。

 

 

「君もだ········虎杖!!」

 

 

虎杖は構えていた。

 

対して。

 

日車は何故か悔しそうに、奥歯を噛み締めながら叫んでいた。

 

 

「人は皆!! 弱く醜い!! オマエがどんなに高潔の魂を望もうとも!! その先には何もない!!」

 

 

日車の薄い唇からかつてない激情が、怒号となって吐き出された。

 

それは虎杖へ向けられたものであると同時に、法に裏切られて闇に落ちた自分自身へと言い聞かせるための悍ましい拒絶の叫びであった。

 

彼の瞳の奥に宿る絶対零度の如き冷酷さは今や、拒絶のための呪詛の炎へと反転し、その視界には自己犠牲を貫こうとする少年の姿が、不公平への挑戦者として焼き付いていた。

 

 

「目の前の闇はただの闇だ!! 明かりを灯した所で!! また眩しい虚無が広がっている!!」

 

 

それは自分が通った道。

 

それをまっすぐ受け止めて進もうとする虎杖を見ていると、無性に殺意が湧いてくる。

 

何故か?

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ッ!!」

 

 

日車はまるで、自分自身の醜さを鏡などで強引に見せられている現状を拒絶するように走り出す。

 

空間の分子を直接焼き焦がすような光───『処刑人の剣』が空気を切り裂き、絶対の死を内包した弾道となって虎杖の頭上へと振り下ろされた。

 

一切の物理的障壁を無視し、死刑による罰そのものによって対象を両断する光の軌跡が、大気の歪みと共に爆発的な速度で伸張する。

 

 

「ぐっ、おおおッ!!」

 

 

突っ込んでくる日車に対し、虎杖は重力と慣性を置き去りにした超人的な跳躍を敢行し、空中で身を翻してその一撃を回避。

 

そのまま破壊された客席の方へと向かって着地した。

 

その着地の衝撃だけで周囲の木片が霧散する。虎杖の体は呪力を失っているものの、宿儺の器として最適化された骨格と筋肉の連動により、物理法則の限界以上の機動を可能にしていた。

 

そのまま虎杖はその足場に向けて、呪力なき規格外の物理的な拳を強烈に叩きつけた。

 

 

 

ズゴォォォォンッ!!

 

 

 

肉体が持つ純粋な重量と筋肉の爆発が劇場内の床板を粉々に破砕し、その凄まじい衝撃波が周囲へと伝播する。

 

その余波により床に固定されていた無数の木製の座席がすべて根こそぎ弾け飛び、まるで無重力空間に放り出されたかのように、一斉に宙へと浮き上がった。重力の概念を失ったかのように乱舞する木と鉄の塊が、閉鎖された空間を埋め尽くしていく。

 

空中へと乱舞する座席の群れ。

 

 

「········ッ!!」

 

 

それが日車の視線を遮り、戦場に予測不能な撹乱の作用を生み出す。

 

日車は容赦なくその障害物を『処刑人の剣』で切り裂きながら虎杖の姿を探すが、斬られれば即座に死へと直結するその絶対の刃を虎杖は宙舞う座席を盾にし、紙一重のブリッジ姿勢やアクロバティックな体術を駆使して回避し続けた。

 

一切の無駄を削ぎ落とした処刑人の剣戟が、浮遊する座席を次々と分子レベルで消滅させ、そのたびに白い閃光が虎杖の肌を至近距離で焼き焦がしていく。

 

 

(何故だ········虎杖悠仁!!)

 

 

日車の剣が空間を十文字に切り裂く。

 

 

(何故········あの少女の想いを裏切ってまで········ッ!!)

 

 

間合いが完全に潰され、回避の限界が訪れようとしたその直後、虎杖は自らの高専の上着を脱ぎ捨てた。

 

それを日車の顔面を覆うように囮として投げつける。

 

視界を遮られた日車が一瞬だけ剣の軌道を鈍らせた。

 

上半身を完全に無防備な裸体へと晒しながら、虎杖はその視界の隙を突き、死を覚悟した爆発的な踏み込みで日車の懐の最奥へと滑り込んだ。

 

彼の足裏の床を削る摩擦音が、劇場の壁に反響する。

 

 

(何故········何故!?)

 

 

だが日車の呪術師としての才能もまた、その肉薄を許さない。

 

日車は呪力操作による超人的な身体能力を発揮させ、虎杖の間合いの内側から天井付近にある狭い通路にまで達する垂直の跳躍を敢行し、その強烈な肉弾撃を紙一重で回避した。

 

スーツの袖が風を切り、彼は重力の手枷を外したかのように一瞬で頭上の闇へと消え去った。

 

 

「────ッ!!」

 

 

虎杖の視界の上方、天井の鉄骨を強く蹴りつけた日車が空中で強引に自らの身体を反転させた。

 

その身体能力の連動は開花から僅か一二日間で一級術師と相違ないレベルまで手を伸ばした天才の証明に他ならない。一切の無駄を取り除いた呪力強化が、彼の四肢に神速の推進力を与えていた。

 

日車は重力の加速と完璧な呪力操作による莫大な推進力をそのまま乗せ、上空から真っ逆さまに落ちるような急降下の軌道を描きながら、虎杖を文字通り両断せんと『処刑人の剣』を容赦なく振り下ろした。

 

死刑の刃が描く縦一文字の残光が、劇場の暗闇を真っ二つに切り裂いていく。

 

 

「ッ!! 」

 

 

虎杖もまた逃げることを良しとせず、死を受け入れても生存の本能のままに、自らの規格外の拳を上空へと真っ直ぐに打ち込もうと突き出した。呪力の保護を失った肉体そのものが、法の絶対性に反逆する唯一の威力として発揮する。

 

拳と剣。

 

物理の一撃と、処刑の刃が。

 

空間のねじれるような刹那の中で激突せんとする。

 

その極限の交錯の中、日車の先程からずっと脳内で激しい疑問と動揺で沸騰していた。

 

 

(何故········これほどの大罪を一切の抵抗もなくあっさりと認めた!? 何故言い訳をしない!? 虎杖悠仁!! 自分の命が惜しくないのか!? それほどまでに、オマエの高潔さは本物だと言うのか········ッ!!)

 

 

日車がかつて味わった世界の虚無を、その自己犠牲によって全否定されるかのような恐怖。

 

自身の法が少年の持つ異常なまでの真摯さという純粋さによって圧搾され、歪んでいくのを感じていた。

 

彼は自らの闇を正当化するため、この少年が『醜い犯罪者』でなければならなかった。

 

それなのに。

 

目の前の少年が示す魂の輪郭は、あまりにも無垢で、あまりにも残酷なまでに透明だった。

 

死闘の余波で膨大な煙と埃が舞い散る中で、互いの攻撃が届こうとした。

 

────その瞬間だった。

 

 

「ッ!?」

 

「な········ッ!?」

 

 

日車の視界にさらなる激しい動揺をもたらす光景が広がった。

 

いや日車だけではない、虎杖もまた目の前の光景が信じられなかった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

魔力を失い、その腕の激痛に華奢な身体を震わせ、先程まで『信頼』を打ち砕かれて意気消沈していたはずの少女。

 

 

高町なのはが。

 

 

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「········ッ!!」

 

 

その血まみれの身体。

 

打撲と骨折でまともに動くはずのない生身の子供の肉体。

 

公判を無理やり引き戻したその本人が、死刑執行人の刃の前にその薄い体を投げ出すようにして立っている。

 

衣服の破れ目から覗く肌は異様な紫色に変色し、額から滴る鮮血が床に小さな赤い水溜まりを作っていた。呼吸のたびに激痛が彼女の肋骨を軋ませているのが見て取るように分かった。

 

にも拘わらず、日車を正式な対抗者として正面から睨み据える彼女の瞳には、一切の迷いも恐怖もない、

 

絶対的な強い光、不屈の精神そのものが宿っていた。

 

その覚悟は、呪術によって強化された日車の威圧感をも押し返すほどに強く、どこまでも眩しかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

高町なのはは確かに一度は絶望しかけていた。

 

『強くなる』と誓ってくれたはずの虎杖悠仁の口から、あまりにもあっさりと【渋谷における大量殺人罪】を認める自白が漏れ出た時、彼女を支えていた世界の柱が折れたかのような衝撃を受けたのは事実だった。

 

あの誓いは嘘だったのか。

 

彼は本当に、自分の知らないところで大罪を犯す怪物になってしまったのか、と。

 

その場に膝を折り、涙に視界を曇らせていた。

 

魔導師としての全ての栄光を剥ぎ取られ、世界の理不尽にただ押し潰されるだけの無力な子供に戻ってしまったかのような、言葉では言い表せない虚無が彼女の心を支配していた。彼女が守ってきた次元世界の秩序も、正義も、全てはこの少年の抱え罪悪感の前には無意味だったのではないかと、深い絶望の淵に囚われていた。

 

彼女が強くなろうと改めて誓ったきっかけは虎杖悠仁を追い抜き、そしてそんな彼を支えられるようになりたいと思っていたからだ。

 

両面宿儺によって何度も叩きのめされ、そんな怪物に虎杖はもう二度と負けないと誓ってくれた。

 

それなのに。

 

彼は、その誓いを破るように

 

 

(········違う)

 

 

だが。

 

なのはの魔導師としての人を見る目は、日車の猛攻を死に物狂いで回避し、上半身を裸体にしてまで必死に応戦を続ける虎杖悠仁の『目』を捉えていた。

 

 

(········悠仁君のあの目········あれは、()()()()()()()()()()!!)

 

 

恐怖から逃れるために嘘をついている者の目でもない。

 

それは、あまりにも強すぎる、不器用なまでの『責任感』にその魂を内側から押し潰されながらも、その全ての業を『自分のもの』として引き受け、血を流して受け入れようとしている少年の瞳であった。

 

自らの存在そのものを削りながらも、犯した過ちを決して否定しないという痛々しいほどの誠実さがそこにはあった。その瞳の輝きは罪の深さに怯える犯罪者のそれではなく、世界の重みを一人で支えようとする殉教者のそれに近かった。

 

 

(悠仁君は········誰も傷付けてない!! やったのは········“宿儺”!!)

 

 

なのははその時、彼という人間の本質を思い出したのだ。

 

彼は優しすぎる。

 

自分が傷付くことなど一顧だにせず、ただ自分の周りの誰かが自分のせいで傷付くことを世界の何よりも恐れている。

 

だからこそ、自分の中にいる宿儺という最悪の呪いが引き起こした虐殺を、他ならぬ『自分の罪』として引き受け、自らの命を差し出してまで責任を全うしようとしているのだ。

 

彼は誰も恨まず、誰のせいにもせず。

 

ただ自らの魂の消滅を以て世界への謝罪としようとしていた。

 

 

(だからこそ悠仁君はあの時········私達に『強くなる』って誓ってくれたんだ········ッ!!)

 

 

彼は嘘をついていたものの、それはなのはが想像していたものとは違い、決して裏切りの行為ではなかった。

 

彼は強かった。

 

自分の罪を背負い、しかしそれは自分が直接やったわけではない。

 

だとしても、それを他人のせいにせずに自分の責任だとして強く受け止めている。

 

 

虎杖悠仁が罪を認めたのは··········()()()()()()()()()()()()()()()()

 

両面宿儺という大いなる存在をその身に宿している以上、その責任が伴う。

 

 

それを自覚しているのだ。

 

その真実に到達した瞬間、なのはの胸の奥で燻っていた不屈の魂に再び爆発的な火が灯った。

 

信頼は壊れてなどいなかった。

 

彼は今もなお、あの時に誓った『人を助けるための強さ』を、あまりにも悲しすぎる自己犠牲という形で全うしようとしているに過ぎない。

 

他者が投げ出すような極限の闇の中であっても、彼は自身の生き様を貫こうとしていた。

 

魔法の力を失い、たとえただ女の子に戻されたとしても。

 

彼女の内に宿る“エース・オブ・エース(不屈の魂)”の精神までをも奪わせることは、この法廷の『呪い』を以てしても不可能であった。

 

 

(だったら··········私が悠仁君を一人にさせない!!)

 

 

そう。

 

自分も誓った。

 

 

(悠仁君が全部一人で背負って死のうとするなら··········!!)

 

 

親友の母親を救い出せる場所にいたのにその手は届かず、そして古代遺物の呪いに苦しんでいる子を自分の手では救えなかった。

 

 

(その絶望から、私が必ず··········!!)

 

 

だから、彼女はもうしくじったりしないように。

 

 

(助けるッ!!)

 

 

自分の全てを使ってでも。

 

 

(私の魔法で───『呪い』なんてものを全部、撃ち抜いてみせるッ!!)

 

 

魔力はない。

 

バリアジャケットもないただの少女の身体。

 

全身の細胞が悲鳴を上げている。

 

脳を焼き切るような痛覚の奔流が押し寄せる。

 

呼吸をするたびに喉が焼けるように痛み、折れた腕の骨が肉を内側から突き刺すような錯覚すら覚える。

 

それでも。

 

時空管理局のエースとして培った確かなものと、何よりも『誰かの物語を悲しい結末のまま終わらせるのだけは耐えられない』という剥き出しの意志が。

 

 

「ッ!?」

 

「な········ッ!?」

 

 

彼女の身体を弾丸の如き速度で突き動かし、必ず死に至る処刑人の刃の前に飛び出させたのだ。

 

 

「········ッ!!」

 

 

禍々しい光が少女の華奢な胸元を、ミリ単位の至近距離で焼き焦がさんばかりに照らし出す。

 

一歩間違えれば、その魂ごと消滅する死の淵。

 

衣服の繊維が超高温の余波で僅かに焦げ、チリチリと音を立てている。

 

その絶対の死の切っ先を前にしても、彼女の睫毛は一ミリたりとも震えてはいなかった。

 

どこまでいっても。

 

虎杖を庇うように前に立ちはだかったなのはの瞳には、日車の『虚無』を真っ向から撃ち抜く絶対の不屈の輝きが宿っていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「ッ!? なのはッッッ!!!!!」

 

 

突如として。

 

戦闘の真ん中、絶対の処刑の軌道上へと飛び込んできた小さな影。

 

その存在を視界の端に捉えた瞬間、虎杖悠仁の頭の中に生への執念をも遥かに凌駕する獰猛な驚愕が突き抜けた。

 

魔法も使えない、ただの非力な子供となってしまっている────高町なのは。

 

このままでは、彼女が死ぬ。

 

魔力という武器を剥ぎ取られ、ただの華奢な人身へと引き摺り下ろされた少女が、あの分子レベルで命を消滅せしめる絶対の刃に触れれば、問答無用で彼女は命を落とす。

 

己の犯した罪と罰、その理不尽の巻き添えにして良いはずがなかった。

 

 

 

「やめろぉぉぉオオオオオオオオオッッッ!!!!!!」

 

 

 

虎杖の肉体が、思考を置き去りにして爆発的に飛び出した。

 

彼は眼前に立ちはだかるなのはの細い肩へと強引に、しかし壊れ物を扱うかのような絶妙な加減を以て自らの両腕を伸ばした。

 

 

「ッ!?」

 

 

そのまま驚愕に染まる彼女の小さな身体を自らの懐へと力任せに引き寄せ、抱き留める。

 

上着を脱ぎ捨て、無防備となった虎杖の上半身。

 

その強固にして傷だらけの胸壁が、なのはの全身を包み込むようにして外界の脅威から完全に遮絶した。

 

だが。

 

日車の振り下ろす『処刑人の剣』は、すでに全てを焼き切んばかりの光を以て直近にまで迫っている。

 

ただ抱きしめて盾になるだけでは、二人まとめて両断される。

 

 

 

「うおォォォオオオオオオオオオッッッ!!!!!!」

 

 

 

虎杖はなのはを片腕で強く抱き寄せたまま、空いたもう片方の右腕を背後から迫る日車の襲撃を迎え撃つべく強引に放った。

 

上半身の捻りと、宿儺の器としての異常な背筋の連動。

 

それは迫り来る死への凄まじい抵抗であり、なのはを絶対に死なせないという執念の表れであり、そして日車を肉体的に叩き伏せんとする、裏拳気味に放たれた攻撃であった。

 

片方は、高町なのはという少女を理不尽な死から護るために。

 

もう片方は、正義という名の呪詛を振るう執行人を打ち倒すために。

 

その二つの意志が。

 

引き裂かれるような交錯の瞬間に凝縮された。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

その時。

 

執行の刃を振り下ろしていた日車寛見の視点は激しい動揺の果てに、完全なる精神の崩壊を迎えていた。

 

 

(·········俺は何をしている?)

 

 

その瞬間に、日車はまるで走馬灯でも見ているかのように、世界の流れがゆっくりとなった感覚に陥っていた。

 

日車の脳裏を駆け巡るのは、かつて自分が救おうとして、指定された司法の仕組みによって踏み躙られていった弱者達の姿。

 

そして目の前の少年、虎杖悠仁は彼らと同じ、あるいはそれ以上に無垢で、しかし狂おしいほどに真摯な魂の持ち主であった。

 

あれだけ自らの弁護を、なのはの不服申し立てを拒絶して。

 

『これは俺の罪だ』と言い放って一人で戦う道を選んだ虎杖。

 

そして。

 

その少年をなおも信じようとする少女の瞳。

 

日車の目の奥に焼き付いたなのはの『瞳』は、今なお死の淵に立たされながらも世界の正しさを、人間の良心を、どこまでも『信じたい』と痛々しく訴えかけているかのように見えた。

 

あれだけ虎杖自身が自分の弁護を拒絶しておきながら、だがそうまでしても彼女のその覚悟だけは、未だ世界の善性を諦めきれずに縋っている。

 

 

(俺は·········俺は一体───何を裁こうとしている·········?)

 

 

自らの心の死を正当化するため、目の前の少年を『醜い人殺し』という枠に嵌め込もうとしていた己の憐れみ。

 

人を救うために志したはずの法が、いまやただの残虐な処刑装置として機能していることへの根源的な嫌悪。

 

高町なのはのその『信じたい』とする眼差しを見た瞬間、日車の胸の内を統べていた『虚無』の仮面が、音を立てて粉々に砕け散った。

 

彼の中にあった、人を屠るための呪術師としての戦意が。

 

完全に喪失した。

 

 

(あぁ·········俺は·········)

 

 

日車は自らの意思で、右手に握られていた『処刑人の剣』から指の力を抜いた。

 

魂を消滅せしめる絶対の刃。

 

その神々しくも残酷な光が、日車の手を離れた瞬間にフッと幻影の如く掻き消え、何も存在しない虚空へと溶けていく。主の戦意喪失を以てジャッジマンが下した死刑執行の因果そのものが、完全に消滅したのだ。

 

虎杖はその瞬間、日車の手からあの禍々しい光が消え去った光景を。

 

限界まで見開いて、確かに目撃した。

 

 

(術式が·········消えた·········!?)

 

 

しかし、一度起動した虎杖の拳の弾道は呪力による制御を持たぬ生身の衝動であるが故に。

 

もう、誰にも止めることはできなかった。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

光の刃が消滅し、無防備な姿へと戻った日車寛見。

 

その顔面に向けて、虎杖の裏拳気味に放たれた規格外の鉄拳が空気を爆裂させながら直撃する。

 

呪力の防壁による保護はない。

 

しかし宿儺の器として最適化された骨格、猛獣の頭蓋を一撃で粉砕せしめることも可能な破壊力。

 

それが、一切の抵抗を放棄した日車の右頬へと寸分の狂いもなく正確に直撃した。

 

 

バキィィィィンッ!!!

 

 

劇場の閉鎖空間に、肉と骨が激しく破砕されるかのような、異様な衝突音が鳴り響く。

 

日車の身体はその圧倒的な推進力の威力をまともに受け止め、並べられた椅子をいくつも破壊しながら、真横の空間へと弾丸の如き速度でぶっ飛ばされた。

 

 

ドゴォォォォンッ!!

 

 

何メートルも吹き飛ばされた日車の身体は劇場の反対側の壁際、瓦礫の山となって崩れ落ちていた観客席の残骸へと猛然と叩きつけられ、さらなる土煙を巻き上げながらその奥へと深く埋没していった。

 

静寂。

 

荒れ狂っていた戦闘の残滓、浮遊していた座席の破片がガラガラと乾いた音を立てて床へと落ちていく。

 

上半身を裸体にした虎杖は、その腕の中に高町なのはという少女の身体をしっかりと抱き寄せたまま、激しい呼吸と共に日車が吹き飛ばされた方をじっと見ていた。

 

 

「お、おい!?」

 

 

ぶん殴った自分でも、目の前で起きた現象について完全には理解できていなかった。

 

呪力による肉体強化という絶対的な防壁を喪失し、生身の肉体一つで臨んだ無理な抵抗。

 

術式の優位性も、異能の出力も、全てにおいて日車寛見という呪術師の方が凌駕していたはずだった。

 

敗北するのは確実と言ってもいい極限の間合い。

 

それなのに。

 

あんな半ば野生の直感だけで放った裏拳が奇跡的に直撃し、相手を文字通りぶっ飛ばした事実に、虎杖はただただ激しい動揺を隠せなかった。

 

虎杖は、自分の腕の中で未だ呼吸を荒くさせているなのはの細い身体を、壊れ物を扱うかのような慎重な手つきでゆっくりと離した。そして、恐る恐るといった感じで床に点々と残る自らの血痕を踏みしめながら、日車の様子を伺うように瓦礫の山へと一歩一歩近付いていく。

 

劇場を舞っていた土煙と、爆砕された客席の瓦礫が、重苦しい静寂の中で異様な空気感を漂わせる。

 

すると。

 

 

「─────“刑法三九条”・“一項”─────」

 

 

衝撃で舞っていた土煙が次第に晴れていくと、その奥底から骨の軋むような苦痛を噛み殺した、しかしどこまでも明晰で冷静な声が聞こえた。

 

 

「え?」

 

 

虎杖の足が止まる。

 

土煙の向こうからスーツを乱れさせながらも、日車寛見が静かにその身を起こしていた。

 

右頬は虎杖の規格外の打撃によって赤黒く腫れ上がり、口角からは鮮血が滴り落ちている。肉体間違いなく悲鳴を上げているはずだ。

 

しかし、彼の瞳から死神としての呪詛は完全に消失しており、そこにはかつて◯・一パーセントの奇跡を信じて法廷に立っていた、『一人の弁護士』としての希望を持った光が宿っていた。

 

 

「弁識能力と制御能力、いずれかが欠けていると心神喪失となる。渋谷での君は───宿()()()()()()()()()()()()()()

 

「「!?」」

 

 

日車は溢れ出る血をスーツの袖で無造作に拭い、虎杖悠仁とその傍らでボロボロになりながら立つ高町なのはを、ただ見つめていた。

 

 

「な、何で·········宿儺のことッ!!?」

 

 

虎杖悠仁の瞳がこれ以上ないほどに激しく見開かれた。

 

脳内を直接撃ち抜かれたかのような衝撃。

 

何故、今日会ったばかりの見ず知らずの呪術師が、自らの肉体の内側に潜む最悪の『呪いの王』の名を知っているのか。

 

何故、自分が誰にも言わず、ただ自らの業として地獄の底に埋めようとしていた『肉体強奪の真実』を、まるでその場で見ていたかのように正確に言葉にできるのか。

 

その疑問に答えることはなく、ただ日車は続ける。

 

 

「自発的に制御能力を放棄したわけでもない·········つまり───」

 

 

自責の念という名の罪に自らを嵌め込み、死を以て償おうとしていた虎杖にとって日車の提示した『刑法三九条第一項』という免責の論理は、自らの魂の拠り所すらも引き裂くほどの意味不明な救済であった。

 

自分で自分を許すことができない。

 

だからこそ、彼は自らが『人殺し』でなければならなかったのだ。

 

混乱と困惑の混ざり合った虎杖の動揺が、虚しく反響する。

 

しかし。

 

日車は自分の使命を思い出したように、そんな彼にこう告げた。

 

 

「“()()()·········()()()()()()

 

「·········ッ!!」

 

 

虎杖はそれを聞いても、素直に喜べなかった。

 

だが。

 

その日車の落ち着いた解説を誰よりも強い衝撃を以て受け止めていたのは、隣に立つ高町なのはであった。

 

 

(宿儺に肉体を乗っ取られていた? 自発的に制御能力を放棄したわけでもない·········じゃあやっぱり悠仁君は!?)

 

 

日車の口から語られた言葉の意味が、時空管理局の魔導師として数多の戦術を叩き込まれてきた彼女の脳細胞の全回路へと、鮮烈な閃光となって駆け巡る。

 

 

「·········!!」

 

 

なのはの薄い唇から言葉にならない、しかし熱い感嘆の息が漏れ出た。

 

彼女を覆っていた絶望の霧。

 

虎杖の『俺が殺した』というあまりにも静かな自白によって一度は根底からへし折られ、意気消沈して沈みかけていた彼女の『信頼』が、日車の弁護によって一瞬にして元の輝きを取り戻していく。

 

 

(やっぱり·········!! やっぱり、悠仁君は·········!! 誰も殺してなんかいなかった·········ッ!!)

 

 

確信だった。

 

彼女が信じ、三年の修羅場を超えてようやく再会を果たした、あのどこまでも優しくて不器用な虎杖悠仁という少年は何一つ変わってなどいなかったのだ。

 

大勢の人々が理不尽に命を奪われた、地獄の渋谷の真実。

 

そこで起きた大虐殺は、彼自身の意志によるものでは決してない。

 

彼はただ、自らの中に宿る最悪の呪い───両面宿儺という名の厄災に肉体を強制的に乗っ取られ、傀儡にされていたに過ぎないのだ。

 

 

(それなのに、悠仁君は·········自分が身代わりになってでもその呪いの責任を、全部一人で背負おうとして·········ッ!!)

 

 

なのはの胸の奥から、言葉にするのが難しいほどの激しい愛おしさと、痛々しいほどの悲しみが、涙となって溢れ出しそうになる。

 

彼が優しすぎるからこそ、あの時自分達に『強くなる』と誓ってくれた。

 

やはり彼は罪から逃れるために自白したのではない。

 

自分で自分を許せないほどの、常軌を逸した『強い責任感』を持っているからこそ、他者の犯した最悪の業を他ならぬ自分の罪として引き受け、命を賭けても償おうとしていたのだ。

 

魔力を奪われ、走る激痛に華奢な身体を震わせながらも、なのはの瞳には世界の全ての絶望を圧し潰すほどの絶対的な安堵が灯っていた。

 

彼を信じた自分の心は何一つ間違ってなどいなかったのだと、少女は静かに息を吐いた。

 

 

「でもやっぱり、俺のせいだ···········俺が、弱いせいだ」

 

 

だが、本人は納得していなかった。

 

その言葉は虎杖悠仁の心の奥底から、血を吐き出すかのようにして漏れ出た。

 

日車が提示した心神喪失という近代刑法の免責理論。

 

宿儺という天災に肉体を強奪されていたという客観的事実の証明。

 

それがどれほど正当な法理であろうとも、虎杖の記憶に焼き付いた渋谷の凄惨な血の海は、一滴たりとも薄まりはしなかった。

 

自らの内側に、あの『史上最悪の呪い』を宿してしまったという原罪。

 

肉体を奪われるその一瞬まで、あの怪物の暴挙を抑え込むことができなかったという、圧倒的な力不足の事実。

 

そして自分の指先が、自分の腕が、身体全てが。

 

何の罪もない人々を塵芥の如く斬り刻んでいくのを、ただ内側から観測させられるしかなかったあの無力感。

 

 

「俺が、あいつを止められなかったから···········俺が、あの指を何本も喰ったから。だから···········!!」

 

 

虎杖は傷だらけの自らの両手を激しく震わせながら、狂おしいほどの自責の念にその声を震わせた。

 

彼が背負っているのは、現代の法律の条文で裁けるような生易しいものではない。

 

自分で自分を絶対に許すことができないという常軌を逸した強い責任感は、宿儺が犯した虐殺の責任を自らの魂の消滅を以て清算しようと、少年はなおも絶望の底へとしがみつこうとする。

 

 

「違うよ、悠仁君」

 

「···········え?」

 

 

その時、過呼吸に喘ぐ虎杖の血に濡れた大きな手を、小さく、しかし驚くほどに温かい手のひらが包み込んだ。

 

高町なのはだった。

 

リンカーコアを封じられ、バリアジャケットという防御の加護すら失った生身の身体。

 

歩くたびに全身の神経が直に炙られるような激痛が、彼女の体を軋ませているはずだった。

 

にも拘わらず、少女は凛とした足取りで虎杖の隣へと寄り添い、その不屈の眼差しで、少年の絶望の瞳を正面から覗き込んだ。

 

 

「悠仁君は弱くなんてない。本当に弱い人だったら·········自分のせいにして、こんなに苦しんだりしないよ」

 

 

なのはの掠れているけれど、その芯の通った声が、虎杖悠仁の心を優しく震撼させていく。

 

 

「全部一人で背負って、全部一人で血を流して···········それが悠仁君の優しさなのは分かってる。でもね、自分の力じゃどうしようもない理不尽に襲われて、傷つけられて···········それを『自分のせいだ』って諦めちゃうのは、絶対に間違ってるよ。私は、そんなの認めない」

 

 

なのはは、虎杖の手をさらに強く握りしめた。

 

魔力という異能を完全に失ったからこそ、その手のひらから伝わる生身の体温が、虎杖の凍りついた心を内側から強引に融解させていく。

 

 

「悠仁君があの時私達に誓ってくれた『強くなる』って言葉···········私は一瞬だって嘘だなんて思ってない。その強い責任感があるからこそ、悠仁君は人を助けるためにあの時立ち上がってくれたんだもん。だったら、その優しさを···········()()()()()()()()使()()()()()ッ!!」

 

「··········なのは」

 

 

虎杖の悔しさが、声にも出ないくらいの嗚咽となって吐き出される。

 

自らを人殺しと思うことでしか保てなかった精神の均衡が、少女の絶対的な信頼と強い魂の言葉によって、優しく、けれど決定的に叩き割られていく。

 

 

「··········」

 

 

その二人の姿を、瓦礫の山の上から見つめていた日車寛見はもはや一歩も動くことができなかった。

 

 

(ああ、そうか。俺は··········これを見たかったんだな)

 

 

日車の胸の奥で、かつて彼が法に絶望した瞬間に死に絶えたはずの『弁護士としての初心』の精神が、激しく呼応していた。

 

保身のために醜い欺瞞を重ねる犯罪者。

 

弱者をただ数字の帳尻合わせとして擦り潰していくシステム。

 

九九・九パーセントの絶望。

 

その絶望の檻の中で、日車はいつしか人間そのものを信じることを諦めていた。

 

だが、今目の前にいる二人はどうだ?

 

他者の犯した罪を全て自らの業として背負い、血を流してもなお誠実であろうとする少年。

 

そして。

 

今までの絶対的な力を奪われ、満身創痍の身体になりながらもその少年の高潔な魂を救うために、九九・九パーセントの絶望の壁に真っ向から立ち向かった少女。

 

彼らが示すその不器用で痛々しいほどの善性の輝き。

 

それこそが、かつて日車寛見が法の闇から救い出そうとして、どうしても救えなかった『弱者の尊厳』そのものであった。

 

 

(俺の負けだよ··········虎杖悠仁。そして、高町なのは)

 

 

日車は心の中で低く呟き、静かに目を閉じた。

 

 

「お前達のような弱さ(強さ)を持つ人間が、まだまだいるのかもしれん」

 

「「!!」」

 

 

日車は二人にそう言った。

 

その時の彼の瞳には、希望のようなものが宿っていた。

 

二人にその希望を見出したのか、大人しくなった日車は言う。

 

 

「服を着ろ、虎杖。そして座れ、二人とも·········()()()()()()()

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

虎杖となのはは、日車の前に用意した椅子に座り、そのまま黙っていた。

 

虎杖はボロボロになった制服を拾い、なのはは愛機のレイジングハートを回収すると、舞台の上はまるで閉廷した直後の静寂が包んでいた。

 

 

「··········虎杖」

 

「··········ん?」

 

 

日車は自身が保有する一◯◯点を使う前に、どうしても確認しておきたい事があった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「··········」

 

 

日車が知るのは、ジャッジマンに提出された証拠の中身のみ。

 

そこで彼は知った。

 

宿儺という呪いの王がいる以上は呪いから逃げることはできず、必ず凄惨な現場を見ることになったはず。

 

呪術師の中には自分のためだけに呪いの力を使う奴もいる。呪詛師と呼ばれる奴らは、平気で他人の命を無下に扱える。それを食い止めなくてはならない以上、最悪殺しという手段を選ばなくてはならない。

 

何より。

 

この“死滅回游”という殺し合いは、それを強制する仕組みで成り立っている。

 

ならば今はしていなくても、いつかどこかで彼らは人を殺めることになるかもしれない。このまま一◯◯点を使わずに殺し合いが続けばそうなるのは必然だった。

 

しかし、それでも聞いておきたかった。

 

虎杖は呪術師となって、誰かを殺さなくてはならない状況に陥ったことはあるのかを。

 

それで。

 

虎杖は。

 

顔を俯かせて、こう答えた。

 

 

「··········あるよ」

 

「··········そうか」

 

「····················」

 

 

日車はそれを聞いて納得したような表情を浮かべている。

 

隣にいるなのはは虎杖のその告白に対して、悲しそうな顔をしていた。

 

彼が望んで人殺しをしたわけではないことは分かっている。彼は優しい、だから自分の仲間が危機に陥ったか、それとも相手が危険人物だったから殺す以外方法がないくらいに追い詰められたか、どちらにしても虎杖自身が進んで手を汚したわけではない。

 

だから日車は、彼に共感と同情するように、

 

 

「最悪の気分だったろう」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

『承認されました。〈総則〉一◯=“泳者は他泳者に任意の得点を譲渡する事ができる”』

 

 

死滅回游を見守る“コガネ”の無機質な機械音声が、空間の境界線を越えて劇場の静寂に響き渡った。

 

それは日車寛見という男が、かつて法に裏切られた絶望の果てに獲得した一◯◯点という莫大な罪の重さが、自らの意志を以て他者へと委ねられた瞬間を告げる宣告に他ならなかった。

 

 

「「··········」」

 

 

二人はそのことに対して安心していた。

 

これで誰も殺し合いをしなくて済む。

 

それだけで、ここまで傷付いた甲斐はあったというわけだ。

 

 

「コガネ··········俺の二点を虎杖と高町なのはへ」

 

『かしこまりました』

 

「「!?」」

 

 

それは唐突だった。

 

日車の意図がわからない提案に、虎杖悠仁と高町なのはは同時に息を呑んで目を見開いた。

 

安心の安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間、死滅回游のプログラムの一部であるコガネの機械的な音声が二人の前に通知として現れ、同時に同じ言葉を知らせる。

 

 

『『日車寛見から一点が譲渡されました』』

 

「これでお互い、一九日間は術式を剥奪されることはない」

 

 

達者でな、と。

 

そう言い残して去ろうとする日車に。

 

 

「日車!! これからどうするつもりだ? アンタさえ良ければ、俺達を手伝ってくれないか!?」

 

「··········」

 

 

虎杖の真っ直ぐな言葉。

 

その言葉に日車は瞳の奥に、弁護士としてのあまりにも潔癖で、それ故に自らを傷つけ続ける暗い澱みが襲いかかる。

 

 

「余った二点は··········東京に来る前、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「「!!」」

 

「虎杖悠仁··········高町なのは··········」

 

 

日車の声が一段と低く、掠れたものへと沈んでいく。

 

 

「その二点は··········その二点だけは、俺が自分の身勝手な理由で犯した『原罪』そのものだ」

 

 

日車は深く。

 

そして底のない虚無の息を吐き出し、二人の若者達をどこか哀れむような眼差しで見つめた。

 

 

「死滅回游のルールは、ただの数値でしか測定しない。俺が二点をそれぞれ一割ずつ譲渡したとしても、その『人殺しの罪』を上書きされることは法的に、そして呪術的には絶対にない··········だが同時にこうも思う。これは、俺の手を汚した司法の返り血だ。それを、誰かを救うためにボロボロになっているお前達二人の手に握らせる。それは··········システムを利用した、俺自身の『罪のなすりつけ』に他ならないのではないか、と」

 

 

自嘲。

 

嫌悪。

 

自らの使命を思い出させてくれた少年少女に対し、自らの汚れた業を分け与えて汚してしまうのではないかという。

 

大人としての、そして元弁護士としての激しい潔癖さが、日車の心を内側から締め付けていた。

 

 

「なすりつけなんかじゃありません」

 

 

それに対し。

 

そんな大人の不安を受け止めるように、高町なのはの温かな心が優しく日車の罪を包み込んでいた。

 

彼女は折れた腕を強く押さえ、激しい痛みに体を震わせながらも、一切泣くことはなく日車へと歩み寄った。

 

魔力が戻り始めたその目には、日車の自己嫌悪を真っ向から撃ち抜く、絶対の不屈の輝きが宿っている。

 

 

「日車さんがこれ以上誰も傷つけないために、そして私達がここから誰も死なせないために必要な··········『最初の変化』です。システムがどうとか、罪がどうとか、そんなの私達が一緒に背負います。日車さんのこの二点は私達だけでなく、日車さん自身が前を向くための大切な一歩です!!」

 

「··········なのは」

 

 

虎杖が息を呑む。

 

虎杖もまた、自らの中に宿る宿儺の業に押し潰されかけていた。

 

だからこそ。

 

日車の抱える罪という名の点の重みが、痛いほどに理解できた。

 

虎杖は傷だらけの筋肉を強く引き締め、なのはの隣へ並び立つと、日車をまっすぐに見据えた。

 

 

「俺も··········もう誰も死なせたくない。アンタの罪も、俺の罪も、全部一緒に背負って、この馬鹿げた殺し合いを終わらせる。だからなすりつけなんて言うなよ、日車。俺達は、アンタのその罪ってやつを受け入れる」

 

 

二人の少年少女が示す、常軌を逸した覚悟。

 

 

「··········」

 

 

それをまともに浴びた日車寛見は、もはや自らの法へ逃げ込むことすらできず。

 

ただただ。

 

その魂の熱量に激しく胸を衝かれていた。

 

 

「結界が開けたら··········」

 

「「?」」

 

「自首でもするかな··········」

 

 

日車は力なく笑い、完全に憑き物が落ちたような穏やかな表情のまま、この劇場入り口の扉の前まで歩いて行った。

 

 

「君達といると、益々自分を嫌いになりそうだ」

 

「「··········」」

 

「すまない、責めたわけじゃないんだ··········またな」

 

 

ガゴン、と。

 

今まで拠点としていた劇場から立ち去っていく日車のその背中からは。

 

守るべき弱者のために立ち上がる『一人の弁護士』としての使命を、再び呼び起こそうとしているようにも見えた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

『申し訳ありません、マスター』

 

「ううん、仕方ないよ。それよりも、お願いできる?」

 

『オーライ』

 

 

日車の術式効果が消えたおかげで、なのはは本来の力を取り戻す事ができた。

 

すると彼女の愛機のレイジングハートも魔力が供給されたことで目覚め、申し訳なさそうに浮遊すると、彼女が負傷した部位を修復するように出血を止め、傷口を塞ぎ、失われた生命力を充填するように回復魔法を実行していた。

 

今までと違って丁寧な日本語を響かせるレイジングハート、そこに僅かに違和感を感じていた虎杖だったが、なのはの相棒が無事に起動したことに素直に安心していた。

 

薄く淡い光の玉が蛍のように周囲に展開され、なのはの傷を癒していく。引き裂かれた皮膚の隙間を埋めるように潜っていって、細胞一つ一つを綺麗に修復していく。

 

高町なのはという少女にとって、このくらいのことは朝飯前だった。

 

だが同時に、痛感した。

 

魔法を失った自分はほとんど無力なのだと。

 

ただの非力な子供へとなってしまい、隣で戦いたいという思いすら抱かせてくれないのだと。

 

それで。

 

俯き気味だった彼女に、

 

 

「ごめん、なのは」

 

「··········え?」

 

「俺のせいで··········こんな目に遭わせちゃって」

 

 

それ以上に重い責任を感じていたのは、虎杖だった。

 

自分の行いに対して真摯に向き合いすぎた。

 

その結果、彼女を無力化させてしまった。

 

自分の罪は決して許されるものではないと、改めて実感したのだ。

 

 

「··········悠仁君」

 

 

なのはは虎杖の名を呼ぶと、黙って彼の顔を見た。

 

そして、その手を握ってあげた。

 

まるで独りぼっちになったような子供を、安心させるように。

 

 

「頑張ったね」

 

「え··········?」

 

「誰よりも苦しいのに、誰よりも辛いのに、ずっと自分の罪と向き合ってきたんだね」

 

 

なのはの言葉に、虎杖は息を呑んだ。

 

そんな彼の顔を見て、なのはは完全に治った腕を上げて、虎杖のその頬に優しく当てた。

 

 

「でもこれからは一人じゃないよ。悠仁君が一人で塞ぎ込む事なんて誰も望んでないから。だからもっと頼って? それで一緒に頑張っていこう?」

 

「··········」

 

 

虎杖悠仁の薄い唇から、懺悔のような声が聞こえてきた気がした。

 

ただ、なのはの手のひらから伝わる生身の体温と、三年の時空の断絶を超えてなお変わらぬ絶対の肯定の言葉が、彼の胸の内に縛り続けていた激しい自責の念を、内側から強引に決壊させていく。

 

 

「··········ッ!!」

 

 

虎杖の喉の奥から押し殺したような、しかし今度こそ悔恨の残響が漏れ出た。

 

彼の頑丈な身体が、糸の切れた人形のようにガタガタと震え始め、なのはの手のひらに縋り付くようにして俯いた。

 

それは少年の自責の終わりではなく、独りで戦うという『呪い』からの完全なる解放の証明であった。

 

 

「ありがとう、なのは·······ごめん·······ごめん·······ッ!!」

 

「ううん、いいんだよ·······悠仁君」

 

 

高町なのはは。

 

子供のように震えている虎杖の背中にそっと左腕を回し、優しく、しかし絶対に離さないという強い意志を込めて抱き留めた。

 

なのはと虎杖の、決定的な違い。

 

それは怒るのではなく、まっすぐ受け止めてあげる事ができる人間であったという事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───それはそれとして」

 

「え?」

 

 

すると突如。

 

虎杖悠仁を優しく抱き留めていたなのはの細い両腕に、常軌を逸した異常なまでの力が加わった。

 

ミシミシッ、と。

 

虎杖の頑強な肉体から不穏な悲鳴を上げる。

 

それは決して華奢な少女が肉体的に篭められる類の剛力ではなかった。そこに作用しているのは彼女のリンカーコアの完全復活がもたらした、不屈のエースたる別体系の異能の出力に他ならない。

 

よく見ると、彼女の全身には桜色の正なる魔力光が、まるで高密度に圧縮されたオーラのように激しく纏われていた。

 

術式による肉体強化とは根本から起源を異にする、魔力による自己強化。

 

それによって高町なのはの筋力は肉体の安全装置を完全に無視して限界以上の出力を引き出しており、まさに虎杖を決して逃がさない、地獄の果てまで拘束し続けるという鉄の意思を込めて、力強くその肉体を締め上げていた。

 

 

「な、なのは············?」

 

 

虎杖の額から、さっきまでの感動の涙とは違う、冷や汗の濁流が噴き出す。

 

 

()()()()()()()()()()()

 

 

それを言った途端に桜色の魔力光がさらに爆発的に輝きを増し、虎杖を拘束する腕の力が肉体を圧搾せんと強まった。

 

その微罪の真偽を完全に明らかにするまで天地がひっくり返っても絶対に逃がさないと言わんばかりの、神聖にして不可侵の絶対防壁(バリアジャケット)の魔力に裏打ちされたホールド。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()············()()()()()()?」

 

「············」

 

 

虎杖悠仁は、自分の全思考回路が凍りつくのを感じた。

 

なのはの全身から放たれている力は聖なる願いと祈りの結実たる『正の輝き』のはずであった。しかし今、彼女の言葉とその声色から滲み出ているものは、呪術師達が人間の負の感情から汲み上げる『呪い』と全く同じ、ネガティブにして逃げ場のない『負の性質』そのものであった。

 

それは、これまで呪いに対して誰よりも敏感に触れ続けてきた虎杖悠仁だからこそ、誰よりも正確に理解できた。

 

彼女の声の輪郭から伝わってくる悍ましいまでの威圧に、宿儺の器としての野生の本能がかつてないほどの警鐘を鳴らし、虎杖の肩を激しく震わせる。

 

恐る恐る、横目で高町なのはの顔を盗み見た。

 

そこには宿すべき光を完全に消え失せた、代わりに深淵の暗闇を宿した瞳があった。

 

そしてその瞳とは裏腹に、背筋が凍るほどに美しい満面の笑顔でこちらをじっと見つめている。

 

 

「いや、あれはその············本当はトイレをね? 借りたんですよ、うん」

 

 

虎杖の声域が情けなく頼りなく揺らぐ。

 

無理な言い分。

 

そして今更の言い訳。

 

何にしても、なのはの気持ちが変わることはない。

 

 

「どちらにしてもつまりは、入店はしたんだね?」

 

「あ············はい」

 

 

近代の六法全書を並べ立てようが、今更どんな言い訳を並べても一切の意味を成さないと、虎杖の生存本能は悟っていた。

 

彼が自らの意思でパチンコ店への立ち入りという確定した非行の前に、少女は告げる。

 

 

「少し、頭冷やそうか?」

 

「ッ!?」

 

 

それはかつて数多の次元世界の犯罪者達を問答無用の高威力砲撃によって物理的に説得し、そして更生させてきた『白い悪魔』の冷血な宣告であった。

 

ジャッジマンが下した死刑判決すらも生温く感じられるほどのあまりにも重い、そして回避不可能な鉄槌が、虎杖悠仁の身へと容赦なく叩き込まれるのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

『『『『『『『『『よお! 俺は“コガネ”!!』』』』』』』』』

 

『『『『『『『『『この結界の中では“死滅回游”って殺し合いのゲームが開催中だ!! 一度足を踏み入れたらオマエも泳者(プレイヤー)!! それでもオマエは結界(なか)に入るのかい!?』』』』』』』』』

 

 

「うん!!」

 

「もちろんや!!」

 

「問題ない!!」

 

「当たり前だ!!」

 

「無論、参加する!!」

 

「ええ!!」

 

「あぁ!!」

 

「主が向かうと言うのなら!!」

 

「私達も行きます!!」

 

 

その頃。

 

未だ見ぬ境界線の向こう側で、死滅回游の案内人達がその圧倒的な数の侵入者を前にして。

 

一斉に。

 

そして非情な最終チェックを済ませていた。

 

 

 

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