呪術廻戦リリカルなのは∅   作:織姫ミグル

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第19章

 

 

そもそもこの日本全土を覆う結界の全ては、羂索という一人の黒幕が組み上げたものだった。

 

全国一◯カ所に展開されているそれらは全てが同質、かつ同一のプログラム。

 

そうでなければどの結界であれ、足を踏み入れた泳者が等しく上空へと転送されるという異常極まる現象の説明がつかない。

 

結界に触れるのと同時に響く、死滅回游の案内人であるコガネからの最終チェック。

 

それに応答してしまうことで発生する転送の座標の致命的なズレ。

 

この上空への転送というバグの原因は、羂索が『無理を通して』作り上げた結果による歪みだ。

 

日本全土を巻き込んでの大規模儀式のために、ルールと機能を極限まで最適化した結界。

 

故に侵入する人間の安全対策などという些末な機能は、最初から全て削ぎ落とされている。羂索にとって重要だったのは、ただ儀式が完成することだけだ。その過程で起きるシステムエラーの理不尽も、それによるイレギュラーも知ったことではなかった。

 

そして。

 

 

バグによる理不尽な超常現象は────“別の領域からやってきた異分子”に対しても適用される。

 

 

彼女達のような魔導師にとって管理局が管轄する『次元世界』の移動は、基本的には干渉可能な範囲の出来事であり、いつも通りの『次元渡航』のはずだった。

 

だが。

 

この呪いが蔓延る世界は、彼女達の常識から外れた、所謂『並行世界』である。

 

並行世界とは、真の意味で自分達が『関知しない時空』の物語。

 

譬えるならばそれはコインの表と裏。表側にいる人間は裏側へと回れず、互いに干渉することすらできない。さらに譬えるなら、鏡の奥に広がる世界。目には見えていても、決してその先へ触れることも踏み入ることもできない、拒絶された領域だ。

 

本来ならば、決して交わるはずのない二つの世界。

 

そこに触れてはならない致命的な『亀裂』を生み出したのは、羂索の結界の歪みだけではない。

 

その引き金となったのは、両方の世界を蹂躙した、ある一つの『天災』だった。

 

 

そう────両面宿儺である。

 

 

かつてなのは達の世界に現れ、その圧倒的な力で暴虐の限りを尽くした呪いの王。そしてこの並行世界の『渋谷事変』において、街一つを文字通り消滅させるほどに狂い咲いた、最悪の生得領域。

 

交わるはずのなかった二つの世界にそれぞれ深く刻み込まれた『宿儺の残穢』が、時空の壁を越えて互いに激しく共鳴し惹かれ合い、ついに空間そのものを斬り裂くようにして世界に不可解な風穴を開けてしまったのだ。

 

宿儺という共通の因縁に導かれ、亀裂のその先へと突入したなのは達。

 

通常であれば、彼女達はそのまま東京の結界へと転送されるはずだった。宿儺が暴れたのは渋谷、そこを中心に呪霊達は解き放たれ広がっていき、最終的には東京全域が魔境と化した。

 

そしてそこに発生した亀裂に吸い込まれるように羂索が取り込んでいた、あるいは契約していた呪霊はなのはがいた世界へと流れていってしまった。だから本当なら虎杖悠仁の前に現れた高町なのはのように、東京の第一結界(コロニー)または第二結界(コロニー)へと転送されるはずであった。

 

しかし。

 

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システムとしての処理能力を遥かに超過した死滅回游の結界は、一種の暴走を起こす。

 

狂ったルーティング。

 

バグの上に重なった最悪のエラー。

 

結果として彼女達の身体は同じ座標に留まることを許されず、処理を分散されるようにして。

 

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◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

世界が反転する。

 

通常の次元渡航あるいは時空管理局が定義する如何なる転送式、如何なる高次元跳躍の法則とも根本から異なった、悪意の塊たる『呪術』の洗礼。

 

それは侵入者の意志や座標の整合性を一切顧みない、空間の強制的な剥離であった。

 

あらゆる次元空間の連続性が断裂し、光と闇の境界が融解するような錯覚。

 

東の地に澱む負の感情。

 

人間の怨嗟、恐怖、嫉妬といったネガティブの感情から汲み上げられる『呪力』というマイナスのエネルギー。

 

それが聖なる願いを源泉とする純粋な正のエネルギーである『魔力』と接触した瞬間、両者は同一の異能でありながらも正負の極性を激しく衝突させ、空間そのものを異常な歪みへと変貌させていた。

 

 

「───ッ!?」

 

 

視界が急激に明転した直後。

 

八神はやての目の奥まで貫いて脳の底にまで灼きつかせた光景は、今までいた場所ではなく、海鳴市とはどこか違う不気味な空が広がる世界であった。

 

亀裂、その未知の存在に吸い込まれ、境界を越えた瞬間、空間の位相が致命的に変転したことを彼女の優れた直感が瞬時に察知する。

 

通常であれば、結界内への転送の際には補正機能によって地表へと緩やかに着地するはずの座標設定は、この世界の『負の法則』によって完全に破綻させられていた。彼女もまた、このゲームの案内人の問いかけに応答してしまったのだ。慣性の法則すら置き去りにした位置エネルギーの急変動、それが彼女の肉体を地上数一◯◯メートルの天空へと一片の慈悲もなく乱暴に放り出していたのである。

 

周囲の空気が彼女の命を刈るため、耳の奥にまで侵入した風圧が鼓膜を激しく叩き鳴らす。

 

重力加速度という物理の法則が、容赦なくその肉体を地上へと引き摺り下ろし始める。

 

体が地面まで急速に接近する。

 

風圧が視界を奪い、思考の連続性を寸断しようと襲いかかる。

 

 

「ヴィータ········ッ!? シグナム!? シャマル!? ザフィーラ!?」

 

 

激しい引力によって身体中に暴風が纏う中、はやては喉の奥から空気を絞り出し、常に己の傍らにあった守護騎士達の名を叫んだ。

 

しかし身体中に付き纏う空気抵抗から生まれる風の轟音に、その声は虚しく掻き消される。

 

脳内の魔力回路を通じて念話を試みるも、返ってくるのは回路の端々が焼き切れるかのような強烈な雑音のみ。

 

 

「フェイトちゃん········!? クロノ君········!? どこや!? みんなどこ行ったん········ッ!?」

 

 

親愛なる友、そして頼れる先輩上司の名を叫び、視界を限界まで広げる。

 

自身で読み取れる範囲で皆の魔力波長を感知しようとするが、この周辺にはやての感覚に引っかかる残穢は塵一つとして存在しない。

 

完全なる孤立。

 

脳裏を過る急激な動揺。

 

困惑に満ちた彼女の心臓は早鐘を打った。

 

管理局の如何なる資料にも載っていない、異質で冷徹で、悪意に満ちた未知の結界。そんな未知への恐怖と仲間を失ったかもしれないという焦燥が、彼女の精神を地の底へと引き摺り込もうとする。

 

だが、“歩くロストロギア”と謳われた八神はやてという魔導師の真価は、この極限状態における冷静さにこそあった。

 

 

「········ッ!!」

 

 

彼女は激しく脈打つ胸に手を当て、数秒で感情の乱れを圧殺する。

 

取り乱すことは即ち死の運命を加速させることに他ならない。守るべき者がいるならば、まずは己が冷静に状況を把握しなければならない。知性を研ぎ澄ませ、状況を幅広く観察する。

 

その急降下する視界の端。

 

猛烈な速度で墜落していく、もう一つの小さな影が瞳に映った。

 

 

「アインスッ!?」

 

 

リインフォース・アインス。

 

かつて『夜天の書』の管制人格として一つの世界を崩壊させかねない全盛期の魔力を有していたはずの彼女は、今やその力は両面宿儺の手によって完全に消し去られていた。

 

魔力は残り滓程度しかなく、使えるのは精々簡単な魔法で、だがどれも戦闘には不向きなものばかり。

 

手錠にしかならない強度のバインド、BB弾程度の威力しか出せない魔力弾、浮遊時間は数秒程度の飛翔魔法。

 

今までの世界を滅ぼすほどの力は、自身の名を継いだ妹が保有。

 

よって、彼女はただ重力の命じるままに衣服を激しく羽ばたかせて落ちていく。その表情に浮かぶのは自身の無力への絶望、守るべき主を前にして何もできないという屈辱そのものであった。

 

 

「アインスッ!!」

 

「我が主········ッ!!」

 

 

はやては胸の奥に眠るリンカーコアから魔力を全身に供給、落下の運命から逃れるための行動に出る。

 

そのままはやては自分よりも背の高いアインスの元まで飛ぶと、彼女の墜落軌道へと割り込んだ。

 

 

「離さへん········ッ!! 何があっても絶対に、離さへんッ!!」

 

 

想い。

 

たったそれだけで、未知の青空に鮮烈な光を放つ騎士甲冑が顕現する。

 

無詠唱、ただ頭に思い浮かんだだけで即座にその身に装備が纏われる。

 

全身に魔法が纏われたことで、重力のベクトルを力技で捻じ曲げた。慣性による内臓の軋み、アインスの重みもあったが、彼女の規格外の魔力運用によって全身の筋肉が悲鳴を上げるほどのGの負荷を一切無視することに成功、すかさず滑空体勢に移行させ、地表まで僅か数一◯メートルの上空で空気そのものを足場にするかのように辛うじて水平飛行の均衡を保つことができた。

 

 

「はぁ、はぁ········ッ!! アインス、 平気か!?」

 

「はい、異常はありません········ですが申し訳ありません、我が主。本当なら私が貴女を守るべきなのに、今の私は魔力を完全に失い、主の盾たる役目を果たせぬばかりか、このような無様な········ッ!!」

 

「そんなんええ、無事ならそれでええよ········とにかく今は手を離さんようにな」

 

「はい········」

 

 

主に励まされても、不甲斐ない自分に悔しさのあまり小刻みに震えるアインス。

 

そんな彼女をはやては片腕でしっかりと抱き寄せ、魔力の消費を極限まで抑えつつ高度を保つ。

 

周囲に感じ取れる気配は、自分自身の精神部分を支えてくれるアインスという家族のみ。

 

他の家族である守護騎士達も、アインスの妹であるツヴァイも、そして友人のフェイトとクロノの姿もない。

 

無論、先に飛び込んでいった高町なのはの気配も感じ取れない。

 

頭上には雲一つない青天から、残酷なまでに鮮明な太陽光が降り注いでいた。

 

その眩しい日差しの下、視界の端に映る景観は、八神はやてにとってかつて訪れたことのある巨大主都───『東京』の街並みそのものであった。

 

 

「ここ········東京、やんな?」

 

 

はやての唇から自信のない疑問が、微かな吐息と共に漏れ出た。

 

ほんの数分前まで自分達がいた場所は、小学校の卒業式を終えたばかりの麗らかな春先だった。だがこの東京の街並みを包んでいるのは、肌を刺すような晩秋の冷気。

 

あまりにも急激な季節外れの寒さと、真昼の陽光に照らされてギラギラと輝く高層の商業ビル、規則正しく配置された信号機、網の目のように複雑に入り組んだ道路には放置された無数の自動車。

 

それらは全て、最近まで人間が確かにそこで暮らし、経済を回し、各々の生活を営んでいた痕跡を完璧に留めている。

 

見慣れたコンビニエンスストアの看板、見慣れた文字、見慣れた建築様式。

 

間違いなくここは日本の、それも首都である東京の景観であった。

 

───にしては、静かすぎる。あまりにも静寂が深すぎる。

 

本来であれば数百万から数千万の人間が犇き合い、真昼時であれば絶えることのない大都市の波動、溢れかえる自動車の排気音やクラクション、交差点を行き交う無数の人々の雑踏、電車の走行音、街頭ビジョンなどから流れる大音量の広告、それら全ての雑音が渾然一体となってこの都市を激しく震わせているはずの時間帯だ。

 

なのに。

 

その様子は一切感じられず、根底から完全に停止している。

 

まるでゴーストタウン。

 

人の気配がしない東京に、より一層の不気味さを感じる。

 

 

「静かすぎる········いくらなんでもお昼のど真ん中にこんなん絶対におかしい········っ!!」

 

 

太陽が空高くの位置にあり、日本を隅々まで明るく照らし出しているからこそ、その無人の異常性が際立っていた。

 

風がビルの谷間を吹き抜ける、その乾いた風切り音だけが妙に大きく響く。

 

自動販売機の電子表示は虚しく光を放ち、ある店舗では無人のまま自動ドアが開閉を繰り返している。コンビニの店内には陽光が差し込む中で整然と商品が並んだままであり、だが昼営業の飲食店の厨房からは腐敗した熱気が漂っているように見えた。

 

まさに人間という種だけをこの空間から綺麗に濾過し、消滅させたかのような錯覚。

 

電力や水道という限られたインフラだけが正常に生き存え、その主である人類だけが唐突に壊死したかのような都市の骸。

 

白昼に晒されたその光景は、底知れない狂気に包まれていた。

 

 

「我が主·······この一帯に未知の波動を感じます。しかし魔力とは違う········もっと悍ましい、例えるなら私を圧倒したあの“怪物”が放っていたような力を感じます」

 

 

腕の中に抱えられたアインスがまだ残っていた機能をフル活用して周囲の気配を読んだところ、何かの波動を感じ取ったが、それがあまりにも彼女にトラウマを植え付けた者の力と酷似しているという事実をそのまま告げる。

 

世界をいくつも滅ぼしてきたアインスでさえその名を呼ぶことを恐れ、だがそれだけで彼女が何を言いたいのか伝わったはやては目を見開いていた。

 

 

「じゃあまさか········ここは本当に!?」

 

「はい、おそらくは········しかしこれはあの怪物のものとは違い、ですが確かにこの都市全域を覆い尽くすほどの巨大かつ悪意に満ちた塊が、この周辺を支配しているようにも思えます」

 

 

アインスの解析結果を耳にしながら、はやては魔力を滑らせて上空を飛び、さらに広く街を見回った。

 

事態の把握を急がねばならない。

 

ここが本当に東京なのだとしたら、何故この都市はこれほどの異常事態に巻き込まれているのか。混迷する思考の海を泳ぎながら、人工的な建造物の隙間、真上からの陽光に照らされたアスファルトの道路を見下ろした。

 

まさにその瞬間。

 

周囲の色彩───灰色のコンクリートや黒いアスファルトとは明らかに異質な『何か』が、はやての視界の端を過った。

 

 

「? アインス········あれ何やろ? ビルの谷間に、何か落ちてる?」

 

「この空間のエネルギーの源········ではありませんね。ですがそれに近いものを感じます」

 

「········とにかく行ってみよ」

 

 

アインスの言葉にはやての脳裏に嫌な予感が過る。

 

彼女は慎重に高度を下げ、速度を殺しながらその『何か』がある元へと降下を開始した。

 

高度が数一◯メートルから一◯数メートルへ。

 

影が短く落ちる正午の街。

 

地面に近付くにつれてその物体の輪郭が明瞭になり、二人の視界に凄惨極まる光景を容赦なく突きつける。

 

それは───“人間の死体”であった。

 

それも刃物で切り裂かれたのでも、銃弾で撃ち抜かれたのでもない。

 

真昼の光に容赦なく照らし出された、コンクリートの地面に不自然に折れ曲がった四肢。

 

衝撃によって破裂した肉組織、アスファルトを黒々と濡らす流出液。

 

衣服の乱れや外部からの打撃痕は皆無。

 

彼らの死因は超高度からの自由落下───はやて達と同様に空中へと放り出され、だが空を飛ぶ術がなかった故にそのまま地面へと叩きつけられたことによる墜死の遺骸そのものであった。

 

 

「なんや········これ!?」

 

 

一人ではない。

 

再び高度を上げて周囲に視線を巡らせれば、路地裏やビルの境界、広場の中心に同じように墜落によって肉体を無惨に損壊させた死体達が点在している。

 

鮮明な太陽光が、その肉と骨の塊となった姿をこれ以上ないほど生々しく浮き彫りにしていた。

 

衣服の乱れはなく、所持品も散らばったまま。

 

はやてらはまだこの中に入ったばかりで知らぬのも無理はないが、彼らはこの結界に侵入、あるいは内部で異能に『覚醒』した泳者達であった。しかし飛行の術式を持たぬ者、着地の手段を持たぬまま上空へと強制転送され、戦うことすら許されずに命を落としたのだ。

 

はやて達は一体何が起きているのか、全く分かっていない。

 

この空間そのものが侵入者を選別し、無力な者を容赦なく淘汰するために設計された悪意そのものの舞台であるかのような、底知れない不気味さが二人の背筋を凍らせた。

 

しかし。

 

その困惑と戦慄を強引に払拭させるような、この空間そのものを震わせる苛烈な爆発音が、数一◯◯メートル離れた品川区周辺の臨海部から響き渡った。

 

 

 

ドゴォォォォンッ!!!!!!

 

 

 

海からの風を引き裂く不穏な轟音と、真昼の太陽光すら一瞬だけ塗り替える、激しく鋭い閃光。

 

品川の運河沿いに立ち並ぶ高層タワーマンションや、巨大な港湾倉庫の壁面がその猛烈な衝撃波によって目に見えて激しく震える。

 

静寂に満ちた空間だからこそ、その音はよく響いた。

 

直後。

 

音がした方向、そちらに目を向けると異様な白煙が青空へと高く舞い上がっていた。

 

 

「あっちや! 行くで、アインス·······ッ!!」

 

「はい!! ですがどうかご警戒を!! 今の音、単なる爆発ではありません。極めて高密度なエネルギーが瞬間的に解放されたものです!!」

 

「うん!! 分かってる!!」

 

 

はやては魔力を加速させ、東京湾の潮風を切り裂きながら、爆発の発生源である臨海部へと急行する。

 

だが。

 

品川埠頭のコンテナターミナルに近付くにつれ、空間に満ちる不浄な気配の密度が急速に跳ね上がっていくのを感じた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

はやてとは別の場所、違う時間帯。

 

東京から遥か北方に位置する結界。

 

この東北最大の政令指定都市もまた、時空の亀裂がもたらした初期配置のバグから逃れることはできていなかった。

 

キィィィィン、と引き絞られた弦のような鋭い風切り音。

 

雲一つない空を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「誰も応答がない·······なのは、はやて!! 誰か聞こえてたら返事して·······ッ!!」

 

 

愛用のインテリジェントデバイス、バルディッシュを握りしめたフェイト・T・ハラオウンは、焦燥と孤独の混じった吐息を漏らしながら広大な街の空中を大きく旋回していた。

 

デバイスによって宙に浮かぶディスプレイに表示されるものは、依然として致命的な通信エラーを告げる砂嵐と赤文字を虚しく点滅させている。次元世界を繋ぐ管理世界の通信網どころか、数キロメートル以内の広域無線すら声一つ拾わない。

 

完全に仲間達と逸れてしまった。

 

高度数一◯◯メートルから見下ろす視界の端には、任務で訪れたことがある東京の都市とは異なる巨大な地方主都の景観が広がっている。

 

仙台市。

 

眼下に広がっているのは仙台藩刑場跡周辺を中心とした、本来であれば東北の経済と文化の心臓部として多くの人間が交錯し合っているはずの街だ。

 

通りの広大な並木道、整然と区画された街並み。

 

だがその美しい杜の都の景観は、天を衝くほど巨大な結界によって世界から完全に切り離され、無機質な檻の中に閉じ込められていた。

 

見渡す限り、生きている人間の営みが根底から消滅している。

 

大通りにはドアを開け放ったまま、あるいは交差点の真ん中で衝突した状態で放置された無数の自家用車や路線バスが列を成し、商業施設の巨大な街頭ビジョンは電力を失って真っ黒な画面を晒している。真昼の太陽光が残酷なまでに隅々を照らし出しているからこそ、歩道にもビルの窓辺にも、誰一人として動く影がいないという無人の狂気がより一層際立っていた。

 

無人の街、それだけで恐怖を覚えるのは当然だった。

 

 

「この気配·······なんだか“あの時”と同じ·······っ!!」

 

 

しかし何よりもフェイトの肌を粟立たせるのは、その五感で捉えられる静寂の裏側、この空間の底に澱んでいる『異質な気配』だった。

 

魔力の消費を抑えるために飛行の高度を最低ラインに維持しながら、フェイトは周囲の状況把握に務める。

 

 

「あの時の闇の書事件で感じた·········でも宿儺よりはまだ弱い、だとしても邪悪な感じがする」

 

 

事態の把握が追いつかない。

 

ここが本当に日本の仙台なのだとしたら、何故これほど人の気配もせず、代わりに宿儺のような不浄な気配をあちこちから感じるのか。

 

そして、自分達を吸い込んだあの亀裂の歪みは一体なんだったのか。

 

混迷を極める状況に焦燥を募らせながらも、フェイトはさらにこの広い街を見回ろうとした。

 

直後だった。

 

市街地を切り裂くように流れる七北田川、そこに架かる強固なコンクリート製の巨大な橋の周辺から、街全体を揺るがす不穏な大轟音が爆発的に響き渡った。

 

 

 

ドドドドォォォォンッ!!!!!!

 

 

 

爆発による破壊ではない。

 

純粋な、あまりにも暴力的で圧倒的な威力によって物理的に叩き潰された破壊の衝撃。

 

はるか先まで伸びている高架道路の一部が真っ二つにへし折れ、凄まじいコンクリートの破片を周囲に撒き散らして崩落していく。

 

衝撃のあまり周辺の草木が一斉に激しく揺れ、衝撃波によって遠くの住宅の窓ガラスがビリビリと小さく震えた。

 

 

「今のは·······!? 誰かが戦ってる·······ッ!?」

 

 

フェイトの優れた直感が崩落する橋の煙の向こう、必死に走る数人の影を瞬時に捉えた。

 

それは怯えきった表情で悲鳴を上げながら逃げ惑う、武器も持たない無力な一般人達。

 

そして。

 

その最後尾、彼らを背後から迫る『脅威』から守るように、“誰か”が立ち塞がっている。

 

何が起きているのかはわからない。

 

だが、あそこで泣き叫んでいる人達を今すぐ助けなければならない。

 

管理局員であり、執務官である以上はこの危機的状況を見逃すわけにはいかないのだ。

 

 

「行くよ!! バルディッシュ!!」

 

『Yes,sir』

 

 

迷いは一瞬だった。

 

フェイトの身体は雷光と化して、崩落する橋の煙が立ち込める区域へと急降下を開始した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

運良く先にここへ向かったであろう高町なのはと同じ空間に飛ばされても、携帯端末類が全ておじゃんでは連絡が取れないので意味がない。

 

ウィーン、と。

 

聞き慣れた電子音を立てて、無人のコンビニエンスストアの自動ドアが開いた。

 

薄暗い店内から太陽光が照りつける通りへと一歩を踏み出し、ヴィータは露骨に不快そうな顔で背後の自動ドアを振り返った。

 

並ぶ商品のパッケージも、値札の文字も、何もかもが自分達の知る日本のそれと同じだ。

 

だがレジの奥にも、外の通路の陰にも、店員や客の気配は微塵も存在しない。

 

生活の痕跡だけを残して消えた、気味の悪い静寂の街並み。

 

そんな中で、上空を呑気に飛び続ければ格好の標的になる。

 

そう本能的に察知したからこそ、ヴィータは即座に地上へと降り立ち、手がかりを求めてまずは目の前にあったコンビニの店内へと試しに捜査に入っていたのだが、得られたのは歩くほどに増していく不気味な違和感だけだった。

 

 

「ヴィータちゃん、店内をスキャンしても生存者の反応はありません········本当に何があったんでしょうか?」

 

 

なのはと同じく新調した組織の制服を着込んだヴィータの上で、小さな衣服を羽ばたかせる主の新しい相棒のリインフォース・ツヴァイが不安を滲ませた声でそう言う。

 

対して、ヴィータは少し低い声で応える。

 

 

「あぁ、建物も道路もほとんどそのままだってのに、不気味なくらい静まり返ってやがる。でも─────」

 

 

アスファルトの硬い感触を靴の底で踏みしめ、広大な交差点の真ん中へと歩み進めた。

 

そんな時だった。

 

ビルの境界、路地裏のコンクリートの隙間に鋭い視線を向けた瞬間、ヴィータの唇が低く濁った声を刻んだ。

 

 

「人っこ一人見当たらねぇ········わけじゃなさそうだな」

 

 

ヴィータはすでに鉄槌と化したグラーフアイゼンを低く構え直すと、その場所にゆっくりと歩み寄り、足元に転がっている『それ』を見つめ、顔を顰めた。

 

それはこの街でつい先程まで行われていたであろう────凄惨な殺し合いをした者達の成れの果てだった。

 

電柱の根元に転がっている遺体は、何らかの強烈な一撃に襲われたのか、身体のあちこちが折れ曲がって原型を留めていない。そのすぐ傍らの壁面には大型肉食獣にでも襲われたかのように引き裂かれ、抉り取られた生々しい血痕がべっとりとこびりついている。

 

何故殺し合ったのだとわかるのか、それはここに来る前にコガネという謎の物体から『殺し合いのゲームが開催中』という単語を聞いていたのもあるが、それ以上に彼女は遺体の損傷具合からこれは他殺だと察せられた。

 

死因は撲殺。

 

それも自分と同じハンマーでの凶行。

 

容赦ない真昼の陽光が、コンクリートに焼き付いた赤黒い染みと、生存競争の無惨な爪痕をこれ以上ないほど生々しく浮き彫りにしていた。

 

ヴィータはグラーフアイゼンを握る手にぐっと力を込め、その恐ろしい現実に奥歯を噛み締めた。

 

 

「なんなんだよ、この胸糞悪い現状は········!! 誰がこんな事しやがったッ!?」

 

「解析したところ、街全体がアインスを傷つけた········あの“両面宿儺”という怪物に近いエネルギーを感じます。何があったのか現時点では断言できませんが、殺し合いが行われていると言われた以上は少なくとも良くないことであるのは確かです」

 

 

生理的な嫌悪感を伴うこの空間。

 

だがヴィータの心は折れるどころか、その理不尽な暴虐への怒りによって魔力が湧き出して、全身を限界まで加熱していく。

 

 

「上等だ········誰がこの死滅回游とかいう趣味の悪い殺し合いを仕組んだか知らねぇが、あたしが全部ブチ壊してやるッ!!」

 

 

ヴィータが足元のアスファルトを強く蹴り、さらに周辺の捜査を進めようとした。

 

その直後にそれは起こった。

 

 

 

ドガァァァァンッ!!!!!!

 

 

 

東京らしき街を包んでいた不気味な静寂を強引に引き裂くような、胸の奥まで響かせる轟音がすぐ近くから響き渡った。

 

高層住宅の一角がテロにでもあったようにして、炎と硝煙の渦に呑まれていく。

 

 

「ヴィータちゃん!! すぐ近くで爆発!! その煙の中に、今まさに命を狙われている生存者の反応がありますっ!!」

 

「リイン!! 行くぞ!!」

 

「はいですッ!」

 

 

地上から上空を見上げたヴィータはリインフォース・ツヴァイの正確な情報を聞き終えると。

 

唐突に鳴り響いた爆音の方面へ向かって、彼女の足は迷わず一直線に突進を開始した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

東京品川臨海部。

 

宮城仙台市。

 

東京新宿。

 

それぞれの結界で行われる殺し合い。

 

各々が違う場所で同じような光景を目にし、同じような感情を抱いた。

 

見知らぬ場所へとバラバラに引き裂かれ、それでも彼女達は誰一人として立ち止まることはない。

 

殺し合いという理不尽を前にして、その瞳に宿る闘志の炎は一度も消えはしなかった。

 

別々であっても、彼女達のすべきことは変わらない。

 

 

そう。

 

 

ここからが本番だ。

 

 

魔法と呪術が混ざり合う物語が、今再び始まる。

 

 





じゅじゅさんぽ



海鳴市。

なのは達が調査に向かい、謎の亀裂に飛び込んでから僅か一時間後のこと。


「本当、人使いが荒いなぁ。緊急事態なのは分かるけど、まさか僕に“彼女達”の案内役を任せるなんてさ」
 

海鳴市の街並みと、星のように輝く穏やかな海が一望できる緑豊かな丘の上。
 
そこで『無限書庫』の司書長である“ユーノ・スクライア”は少し困ったような、だけどどこか楽しげな苦笑いを浮かべて溜息を吐いていた。
 
高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、八神はやて。

そして守護騎士達までもが調査に出掛け、一時的に最高戦力を失ってしまったこの世界。

それでクロノは自分達が留守の間、この警備の薄くなった地球を密かに守るための助っ人として秘密裏に召集した者達と合流し、そして案内をすることを任せられていた。


「お〜い!!」

「!!」


背後から響いた聞き覚えのある声。

フェイトに近い声質だったが、すぐに違うと察した。

ユーノは後ろを振り返ると、丘の向こうから三つの人影が歩いてくるのが見えた。


「お久しぶりですね、ユーノ司書長」

「みんな!! 久しぶりだね!!」

「うむ、待たせたな!!」


ユーノは思わず嬉しげな声で彼女達を迎え入れた。

そして次の瞬間、近付いてくる彼女達の姿を間近で捉えたユーノの瞳が、驚きに大きく見開かれた。
 
驚いたのは、彼女達の容姿の変化だ。
 
三人のうち二人は以前に会った時よりも明らかに身長がスラリと高くなっており、その髪も大人びた印象を与えるほど綺麗に伸びている。

唯一あまり変わっていないのは残る一人くらいで、彼女だけは相変わらずのやんちゃな子供っぽさを残したままユーノの前へ元気に駆け寄ってきていた。

そう。

そこにいたのは、かつてこの地球で激闘を繰り広げ、そして和解してエルトリアへと帰って行った三人。


“ディアーチェ”

“シュテル”

“レヴィ”


なのはとフェイトにはやて、あの三人によく似た少女達の姿だった。



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