あまりの光景を前に、乙骨は凍りついた。
呪霊の泳者を倒して点が追加されたことを何事もなく告げるコガネが、逆に奇妙だった。
それは────どう見てもアリシア・テスタロッサだった。
その事実に肌が粟立ち、思考が根本からへし折られる。
絹糸を紡ぎ上げたかのような、腰元まで流れる気高き金色の髪。
人形のように端正に整った、あの愛らしい顔。
だが、身に纏う衣服の性質が決定的に異なっていた。
壊滅した東京の無人店舗で調達した、あの不思議の国のアリスを思わせるライトブルーのワンピースではない。
その身を包むのは、機能美と厳格さを体現するように仕立てられた白を基調とするジャケットであった。肩口から袖にかけて施された深い藍色の配色が彼女の持つ静かな闘志を際立たせている。さらにインナーの白いシャツの首元には、濃紫のグラデーションが美しいネクタイがきっちりと締められ、ボトムの引き締まった紺のタイトスカート、そして細く美しい脚を護る黒ストッキングへと視線が流れる。
それは高専の一般的な黒い制服とも、千年の時を渡ってきた過去の術師達が纏う装束とも。
完全に一線を画する、高度な統率と異質な力によって磨き上げられた理解不能の制服の威容さであった。
「········ッ!!」
しかし、乙骨はあり得ない矛盾だと即座に判断を下す。
何せ、彼女はつい先程自分が時間を稼ぐことでスタジアムの方に避難していったはずなのだ。
乙骨はずっとアリシアの身を案じて匿ってくれていた非術師の男の手に彼女を託し、迫り来る魔の手から救い上げて避難するまでの時間を稼いでいた。今頃はスタジアムの安全地帯で身を潜めているはず、わざわざこんな前線まで戻ってくるなんて考えられない。
それに、よく見れば決定的な身体的差異が存在する。
彼女は不安のあまりあんなに自分の袖を小さな手で必死に掴み、寂しさを埋めるようにずっと手を繋いできた。そんな子供らしい見た目だったことは覚えている。
それなのに、眼前に佇む黄金の女性は驚くほどに背丈が伸び、すらりとしたしなやかな四肢を誇り、すでに見事な成長を遂げた大人の気配すら漂わせている。まだ幼さは残るものの、少なくとも五歳なんて年齢ではない。よくて一二から一四の間、小学生から中学生くらいの歳の子だ。
だとしても、その女性は落ち着いた佇まいと洗練された服装で、大人顔負けの見た目をしていた。
そして。
声も、瞳も、ビジュアルも。
何から何まで完璧に『あの少女』そのものであるという、否定したいのにできない程に瓜二つであるという事実。
それと同時に、服装と身長も、実戦的な気配の持つ異様な雰囲気も、何もかもが『自分の知るあの子』とは決定的に異なっているという脳髄を左右に切り裂くような非対称の歪み。
羂索の手によって平安の過去から現代へと持ち越され、あの渋谷の災厄の夜にタイミングを合わせたかのように目覚めたという、謎に満ちた受肉体の少女。
その存在定義のあまりの時間差と、受け入れ難い事実の前に、乙骨の思考回路は完全に停止。
絶句のあまり得体の知れない悪寒が全身を駆け巡る。
(アリシアちゃんが何で!? さっきスタジアムに避難させたはずなのに··············いや、違う!! アリシアちゃんじゃない!?)
それは僅かな間、それこそ本当に刹那の瞬間だったのかもしれない。
乙骨はとにかく意味が分からず、そして理解をしようとすればするほど思考が遠のいていく感覚に陥る。その時間は数秒で、だが永遠とも言えるほどに気が遠くなりそうな処理が実行され、乙骨はあまりの事態に固まっていた。
五条悟もこのような気分だったのだろうか、かつての親友の姿が目の前に現れた時に戸惑いのあまりその場で硬直してしまったように、乙骨も呆然としてしまっていたのだ。
しかし。
その底の知れない時空の混沌に身を震わせていたのは、異なる場所からこの杜の都の結界へと強制射出されたフェイト・T・ハラオウンにとっても、全く同じだった。
「··············え?」
激しい電撃の余波によって濛々と立ち込めていた土煙が黄金の魔力粒子を蛍の光のように空間に散らしながら、静かに晴れていく。
その戦場の最奥。
白くてぶかぶかな服を虫の返り血で染めた少年が口にした、自分にとっても深い関わりのある“少女の名前”を聞いた瞬間。
まるで雷に打たれたように全身が麻痺していた。
(今この人···········!! “アリシアお姉ちゃん”の名前を···········!? なんでこの人、アリシアの名前を知っているのッ!?)
意味が分からない。
結果、脳内で構築していた数千の魔法術式が急激に点滅するように崩壊、過負荷を起こすような戦慄がフェイトの喉を激しく震わせた。
アリシアという名前は、自分にとっては『姉』であり、この世に存在できる理由もくれた人でもある。
彼女はフェイトが生まれる大分前に空へと旅立ち、そして自分はその『姉』の本物の肉体の細胞から構成され、記憶を刷り込まれた───“クローン”である。
アリシアを亡くしたことで悲劇の末路を辿った『母親』は彼女の面影を追い求め、そしてフェイトという存在を作り出した。結局最後まで愛情を注いでもらえることはなかったが、あの二人がいなければ、自分は今こうやって幸せに生きられなかった。
だから死んでしまった彼女達のためにも、自分が二人の分も精一杯生きようと思えた。
そうすることで、二人の魂は報われると思っていたから。
「········ッ!!」
それなのに。
何故、この見知らぬ男性が。
目の前にいる自分を見つめながら、かつて天国へと旅立ったはずの本物の『お姉ちゃん』の名前を、『アリシアちゃん』とまるで旧知の仲であるかのように親しげに呼ぶのか。
互いの背景にある巨大な『謎』と『謎』がぶつかり合い、理解しようにも意味が分からなすぎて思考は完璧にぐちゃぐちゃになり、二人ともその場で硬直していた。
一方はその姿をよく知っていて、そしてもう一方は彼を知らないのに、自分のことを『姉』の名で呼んで見てきている。
だが。
この無慈悲なデスゲーム『死滅回游』の結界が、彼らにその歪みを紐解くための猶予を安易に許すはずもなかった。
これ以上、この奇妙に捩じ切れた沈黙に留まっていることはできない。
「「ッ!!」」
そう同時に察し、その謎を早く解明しようと、二人はほぼ完全に同一のタイミングで口を開いていた。
「「あ、あの────!!」」
そして。
止まっていた時間は、二人の声が合わさることで動き出す。
「········
その直後。
突然、“女の声”が響いた。
聞き覚えのある声、でも全く知らない声。
「「────ッ!?」」
音源はすぐ近く、二人の間。
二人は揃って慌ててそちらを向くと。
わずか数秒。
直後、
バキッ、という空気を引き裂く音と共に、世界の位相そのものが捩じ切れるような鈍い衝撃が走る。
◇◆◇◆◇◆◇
「グ········ッ!?」
乙骨憂太の脳が大きく揺さぶられた。
気が付いた時にはさっきの場所よりも少し離れたところ、どこかの裕福な民家の高級ソファの上に倒れていた。
(何だ今の········打撃?)
思わぬ一撃を喰らって視界がぐらつく。
何か重たいものに轢かれたような感覚········とは違う。
それよりも今、自らの死角から響いた声。
それはほんの数瞬前まで頭の中を揺るがしていた黄金の少女のソプラノとも、かつてこの死地から救い出し、信頼に足る一般人の男へと託したあの五歳ほどの幼き子の震える声とも、驚くほどに均質な透明度を保った音響であったのだ。
アリシア。
その存在定義を中心に据えたかのように、まったく同じ骨格、同じ喉からしか生じ得ないはずの響きが、これで三つも揃ったことになる。
五歳の幼女。
その幼女に瓜二つな中学生前後の謎の女性。
そして。
二度目の人生を迎えるためにこの殺し合いに参加している、呪術師。
この異常な三者の一致が意味する羂索の仕掛けた不穏な企みに、乙骨の全細胞が警戒する。
その時。
「ふっ!!」
「!?」
瞬きの間、自分を吹き飛ばしたであろう女術師がすぐ目の前まで迫ってきていた。
見た目はとても破廉恥········いや、術式を使用するために必要な縛りなのかもしれない。
衣服をほとんど纏わず、そして肝心な部分は歪んでいるというか、“
戦慄する乙骨の前で、もう一度無造作に拳を振おうとする女に、乙骨も反射的に拳を繰り出していた。
「ッ!!」
女の拳を避け、乙骨の右手がその顔面に突き刺さる。
その拳が女の顔を捉えたかと思えば。
「な────っ!?」
乙骨の目が驚愕に見開かれる。
何が起きたのか考えさせられる余裕もなく、視界がぐにゃりと反転した。
女に当たるはずの自らの右腕が、まるでレンズの奥に閉じ込められたかのように異様に歪み、変形した。
関節の構造を無視して波打つ肉体の不気味な輪郭。
直後、女は両手を突き出して乙骨の体を押し出そうとしてくる。
迎撃の構えは完璧であるはずだった。
乙骨憂太は自らの肉体に莫大な呪力を巡らせ、いかなる死角からの強襲にも即座に対応できるよう、両腕を固く交差させて顎のラインを完全に防御していた。特級術師としての反射速度、そして近接格闘における間合いの把握は常人の領域を遥かに超越している。
しかし。
その特級の防御は、眼前の女が放った『不可解な術式』によって、あまりにも呆気なく無惨に崩壊させられることとなる。
バキィィィィィンッ!!!
視界が、文字通り“割れた”。
女の拳が迫ったその光景、乙骨が強固に守りを固めていたはずの両腕の軌道が、レンズの奥の虚像を歪ませるかのように、物理的な法則を無くして外側へと強引に押し出される。
空間そのものを掴み取り、翻弄する術式。
それは肉体の強度や呪力の出力による防御という概念そのものを完全に無効化し、対象の体勢を強制的に解体する不気味な搦め手であった。
「········ッッッ!!!??」
防壁を失った乙骨の懐へと、歪んだ空間の残響を伴った女の容赦のない追撃が肉薄する。
恐るべき威力と強烈な風圧が少年の黒髪を激しく逆立て、その顔を歪ませた。
大気を捩じ切るほどのねじれが直接脳を揺さぶるような音響となって耳の奥へと突き刺さる。防御の姿勢を取っていたにも拘らず、一方的にこちらの身体を弄られ、背景を割るようにして後方へと吹き飛ばされる乙骨。
ただ一撃。
その交錯だけで、乙骨は自らの経験値が一切通用しない『過去の術師』の常識はずれの実力を、文字通りその骨身に刻まれることとなった。
「········!!」
けれど乙骨だって負けてはいない。
これでも彼は特級術師だ。
吹き飛ばされたその先ですぐさま地を蹴って距離を取った乙骨は己の腕を見下ろすと、そこには異常もなければ、痛みすらも存在していなかった。
(腕が戻ってる。異常なし、痛みも何もない········多分、空間を弄る術式。レンズの歪みみたいな、エラーを作り出してる感じだ········)
腕の調子を確かめるように回してみるも、可動範囲に問題はない。
それよりも、襲ってきた相手の方だ。
「私の術式はね、“空”を“面”で捉えるの」
どれだけ吹き飛ばされても、次の瞬間にはすぐ側まで迫ってくる術師。
眼球が真っ黒に染まった女は全裸同然の異形を晒しながら、ゆっくりと自らの手を虚空へと掲げる。
「こんな風に」
その言葉と同時に、背景にあるはずの建物、そして空そのものがまるで一枚の『巨大な布』のように乱暴に翻り、空間の位置を完全に喪失させる。
(術式の開示········!!)
呪術戦において、自分の手の内を曝すことはデメリットと共にメリットも生み出す。
リスクとリターンそのものを体現した『縛り』によって、術式効果はいつもの威力を倍化させることができる。
並の術師ならそれだけで致命傷となるだろう、しかし相手は乙骨という現代の特級術師。
術式を明かされても下手には出ない。
(“空”、“空間”を“面”でか。二度の攻撃·······どちらも防御を無視して吹っ飛ばされた。その辺も“面”っていうのに種があるのか?)
乙骨は目の前の相手をただ静かに睨みつけ、冷静に分析する。
(······早く撃ってこいよ)
術式をわざわざ明かしてやったのに、乙骨が攻めてこないことに───“烏鷺亨子”という現代に生きていた肉体に宿る女の術師は、苛立ちを募らせる。
防ぎようのない空間を用いた術式は、使いようによっては多岐にわたる効果を発揮する。
だが乙骨の瞳にあるのはその術式に対しての恐怖ではなく、どこまでも冷静に観察するその精神力であった。
彼は一歩を踏み出し、空を纏う女を静かに見据える。
「一応、聞くんですけど······」
乙骨の低い、底なしの呪力の圧を帯びた声が歪んだ大気を震わせる。
「殺されても文句ない人ですよね。アナタみたいな強い人なら、獲りたい時に点を獲れる」
「············」
女の動きが微かに止まる。
「力のない人なら必死になるのは分かるんですけど、積極的に戦う理由はなんですか?」
(コイツ········)
その問いに、女の顔が激しい怨嗟と侮蔑に歪んだ。
千年前、仕えていた者の利権や怨念の道具として日々を送り、名前すら残せずに切り捨てられた彼女の生い立ち。
その魂の傷口を、現代の表舞台で甘やかされてきた術師の言葉が容赦なく抉ったのだ。
「何? 今の術師に受肉ってそんなカジュアルなの?」
烏鷺の声に果てしない殺意が混じる。
「私らにとっては“黄泉返り”よ“黄泉返り”!! 一度目の人生で悔いのない奴が羂索の誘いに乗るわけがないだろ」
────なんかムカつくな。
そんな思考が頭を埋め尽くす。
烏鷺は過去にもこんなやり取りをした、その記憶が蘇ってきて、目の前の乙骨に対して殺意をさらに膨張させる。
「死滅回游は二度目の人生の第一段階に過ぎない、なんせ手引きしてるのが羂索なんだからね。あらゆる事態を想定して点は獲っておくべきよ」
彼女も羂索という最悪の思想の持ち主相手にただ頷いたわけではない。未練を残したまま死ぬわけにもいかず、だから羂索と契約したものの、あいつの思考が狂っていることは承知の上だ。
この先、自分達に対して危害を加えないとは限らない。
だから点を取っている。何か起きた時に総則を追加し、そして生き残れるように。
だが乙骨は、本当に意味が分からないという風に首を傾げた。
「友達とか恋人とかいないんですか?」
「········は?」
その言葉が響いた瞬間、烏鷺は完全に思考が止まり、目を点にした。
その顔から一切の表情が消え失せ、闇そのものが宿っているような漆黒の眼球が、乙骨の無垢な顔をじっと凝視する。
乙骨は自らの価値観に違和感も抱かず、なおも淡々と純粋な疑問を口にする。
「僕も少し前まで友達がいなかったけど、全く共感できない」
(ああ·······この感じ。逆鱗の隣をなぞられているような)
このやり取り、既視感。
乙骨とは初めて会ったのに、彼の口から出てくる言葉全てが不快極まり、烏鷺の全身から噴き出す呪力の指向性が明確な『狂気』へと変貌していく。
彼女の顔が激しい怨嗟と、千年の時を超えてなお癒えぬ憎悪によって醜く歪んでいく。
「悔いがあるからって、何百年何千年越しに人まで殺して·······」
それでも乙骨の口は止まらない。
ずっと人と関わらず、つい最近になって友ができたからこそ、まだ上手くできないコミュニケーション力。
ここでやめておけば良かった、普通に『あっそ』程度で終わらせていれば、烏鷺の感情は爆発しなかったかもしれない。
けど。
乙骨はその純粋さ故に、彼女にとって最も口にしてはいけない、決定的な言葉を言ってしまった。
「
「オマエ────!!」
凄まじい殺意と共に、烏鷺が動く。
背景が彼女の感情に呼応するように割れていく。それだけじゃない、彼女の顔面に埋め込まれている太い血管も、罅割れるような音と共に表面へ浮かび上がってくる。
そして。
この湧き上がってくる感情の正体がなんなのか分かった時、烏鷺はもう容赦という言葉を忘れ、
「藤原の人間か!!」
「!?」
耐久値が限界に達したのか、背後の空間が割れ、その衝撃と共に烏鷺は飛び出していく。
烏鷺はそのまま乙骨の首筋を強引に搦め捕ると、衣服の代わりに纏った空の面を滑らせ、地表の引力を置き去りにするようにして一気に上空の遥か高みへと飛び出していった。
烏鷺の口から、まるで怨念そのものののような凄まじい呪詛の言葉が吐き出される。
「オマエらのような血族に────何が分かる!!」
「ッ!!」
上空で完全に拘束され、呼吸の経路を塞がれた乙骨憂太の視界が急速に遠のいていく。
烏鷺亨子の千年の血の涙を流すかのような呪詛が、喉を激しく圧迫していた。
抵抗しようにも烏鷺の術式によって軌道を曲げられ、上手く当たらない。
直後だった。
『Sonic Move』
付近に電子音に加工された男のような声が響く。
そして。
ゴバッ!! という閃光が迸った。
「「!?」」
二人はその現象に目を見開く間もなかった。
暗転しかけた乙骨の視界、そして激昂する烏鷺の視界が、
電光石火。
音どころか残像さえも置き去りにしながら、先程出会った“少女”が、空間を滑るようにして上空にいる乙骨達の元へと乱入してきたのだ。
「────ッ!!」
彼女は事情聴取する暇もないことは分かっていた。
だがとにかく、争いは止めなければならない。
フェイトは手にした愛機『バルディッシュ』から鋭い一撃を放ち、烏鷺が乙骨を拘束していた『空間の面』の結合部を物理的に叩き切る。
「な······ッ!?」
烏鷺が驚愕の声をあげる。
本来、烏鷺の術式はその一撃を受けても、軌道を曲げてダメージなんて一切受けないはずだった。
だが少女の持つ力、そこには『電撃』が纏われており、空間を捻じ曲げても感電して貫通し、烏鷺の神経を麻痺させた。よって乙骨はその拘束から解放され、虚空へと投げ出された彼の身体をフェイトは自らの腕で力強く受け止めた。
「大丈夫で────ッ!?」
だがその救出の完了と完全に同じタイミングで。
ドオォォォォォォォォォンッ!!!
遅れてやってきたのは、鼓膜の機能そのものを物理的に破壊せんばかりの地底から鳴り響くような不気味な地鳴りであった。
数百メートル先、立ち並ぶ高層ビルの屋上の境界に佇む『人影』が放った一撃。
太陽そのものを溶かした光が襲いかかり、敵味方関係なく呑み込もうとしてくる。
「!? バルディッシュ!!」
『Blitz Action』
それは空間そのものを力技で抉り、溶かすかのような不気味な光の巨砲に他ならない。つまり巻き込まれれば即座にその身は塵と化す。
フェイトはかつて、お互いのロストロギアを賭けて親友と激しくぶつかり合ったことがあり、その際に今のような凶悪な光によって完璧に撃ち落とされた経験がある。
直撃すればたとえ防御を張っていても、その盾ごと肉体そのものが原子レベルで蒸発する。
だからフェイトは喉が裂けるほどの悲鳴をあげながらバルディッシュに回避命令を出し、受け止めていた乙骨の衣服をさらに強く引き寄せ、全身に篭めた魔力の推進力を、限界を超えて爆発させた。
刹那。
三者がいた位置に、巨大な砲撃が通り過ぎていく。
「ぐ······ッ!?」
かなり早く動いたはず、それなのにフェイトの肌からじゅうという熱した鉄板に肉を押し付けるような音が聞こえてくる。
いや、フェイトだけじゃない。乙骨もだった。
その熱線の余波だけで、衣服越しに肉体を焼き焦がすような激痛が二人を襲う。さらに光の通過に伴い、周囲に立ち並ぶ鉄筋コンクリートのビル群の側面が、まるで熱したナイフを押し当てられたバターのように一瞬で赤黒く融解し崩壊していった。
大気が一瞬にして超高温へと沸騰し、視界の全てが蜃気楼のように激しく歪む。
危機一髪、文字通り首の皮一枚という極限状態でその直撃から離脱したものの、爆発に伴う凄まじい衝撃波と引き千切られた空間の不気味な真空状態が、逃れる二人の肉体を容赦なく背面から殴りつけた。
「う······ッ!!」
「く······ッ!!」
あまりの衝撃にフェイトの飛行制御が強制的に乱され、空中から引き摺り下ろされるようにして、二人の身体は地表へと向かってボロ雑巾のように激しく叩きつけられた。アスファルトの地面を数十メートルにわたって激しくバウンドし、瓦礫と激しい火花を散らしながら抉られたクレーターの底へと滑り込んでいく肉体。
乙骨はフェイトの体を抱き寄せ、自らの背中で庇うようにして地表の衝撃を受け止め、生々しい肉の削れる痛みに激しく顔を歪ませた。
濛々と立ち籠める凄まじい硝煙と、周囲のビルから崩落してくる瓦礫の雨の中。
二人は煤まみれになり、肺に溜まった熱い空気を激しく吐き出しながら辛うじて息を吹き返した。
呼吸を整え、お互いの生存を確認するようにして二人は傷だらけの顔を上げ、至近距離で正面から見つめ合うこととなった。
改めて見ると、似ているどころではない。
声も瞳も、その端正な顔立ちも。
何から何まで完璧にあの少女と瓜二つ。
もはや同一人物なのではないかと思ってしまう。
けれど乙骨は自らの優れた観察眼、特級術師としての分析によって一つの結論に達していた。
「········ありがとう、助かったよ」
乙骨は傷を反転術式で癒しながら、静かに首を振った。
「なんで君がアリシアちゃんと同じ見た目をしているのか、その理由は僕にはまだ分からない········だけど」
乙骨は顔を前方に固定し、視線だけ動かしてあの砲撃の余波に灼かれて行動不能状態が解けていない彼女の姿を見つめる。
そして告げる。
「君が········
「········ッ!!」
その言葉を聞いた瞬間、フェイトの紅玉の瞳が激しい驚愕と焦燥に大きく見開かれた。
目元の隈が少し不気味な少年。
彼がかつて天国へと旅立ったはずのあの亡き姉の名を、あまりにも自然に口にした事実。
そして何より。
(この声········どこかで········?)
フェイトはこの声に聞き覚えがあった。
無論、彼とは初対面、記憶にもない。
だけど。
数日前、親友の高町なのはと共にあの謎の『亀裂』を調べていた時に、ちょうど少年みたいな声を聞いた。
思い出そうとするフェイト。
あの時は確か、その声はこう言っていたはずだ。
「············ッ!!」
フェイトはその衝撃的な真実に目を見開く。
今、目の前にいるこの人こそ。
“
全てを悟り、だが今は一番知りたいものを訊く。
「すみません!! どうして貴方がアリシアの名前を知っているんですかッ!?」
その問いかけに対し、乙骨もまた脳裏を過る巨大な謎のパズルを噛み合わせようと、深く眉間を寄せていた。
(やっぱりこの子、アリシアちゃんと何か関わりがある。ならもしかして羂索とも············いや、だとしたら僕を助けるのはおかしい。今一番邪魔な存在である僕を助ける理由もないし············どちらにしても)
今はそれどころではない。
烏鷺だけでなく、また別の奴がこちらを狙ってきているという事実は無視できない。
「詳しい話をしたいのは僕も同じなんだけどね」
乙骨は視線を、遠くからこちらを品定めするようにギラギラと凝視してくる『奴』と。
離れたところで怒りが臨界点に達している烏鷺へと向け、その拳を固く握り直した。
「悪いけど、今はそれどころじゃないみたいなんだ」
乙骨はフェイトに向き直ると、特級術師として合理的な提案を静かに告げる。
「僕はあそこにいる人達を片付ける。だから、君はこれ以上巻き込まれる前にここから離れたほうがいい。君が戦う理由はないはずだ」
「···········」
乙骨はどこまでも優しかった。
無感情のまま泳者を殺せる冷酷さを持ち合わせていても、その中に宿る負の感情は罪のない人に向かうことはない。
彼女が何者なのか、この時点ではまだよくわからない。
しかし、少なくともこの殺し合いには相応しくない人間だというのは分かる。
そもそも、アリシアに似ている時点で彼女もなんとなくだが良い子そうな気がした。その証拠に自分を助けてくれたし、困っている人を見過ごせない心の持ち主であることはすぐに分かった。
だからこそ、ここから離れて安全なところに隠れていた方がいい。
乙骨はそう思っていた。
「···········っ!!」
だが。
そんな彼の撤退の勧告を、この少女が受け入れるはずがなかった。
彼女はバルディッシュを構え直し、乙骨の瞳をまっすぐに見つめ返す。
「お断ります。私はこれでも国連調査機関、『EXCEEDS』の執務官です。民間人をこの場に取り残して、自分だけ逃げ出すような真似は絶対にしません!!」
「···········」
乙骨は思わず愕然とした。
アリシアに似てるからいうこと聞いてくれるかと思ったが、彼女はやはりあの少女とは違うようだった。
そして乙骨は、その未知の組織の名に微かに目を細めた。
聞いたこともなかった。
だがなんとなく、人の味方っぽい組織であると判断した。
もしかしたら詐欺集団なのかもしれないとは僅かに思ったが、今一々そのことについて考えても埒が明かない。
元々情報が少なすぎる故、いくら考えても何も分からないのは当然だった。
もし。
もしこの瞬間に、彼女が自らのファーストネームである『フェイト』という名を口にしていれば、乙骨は全ての謎のパズルを完璧に合わせていただろう。
乙骨はかつて、渋谷の災厄の夜を生き抜いた後輩、虎杖悠仁から『魔法の世界』の話を聞かされていた。そこで出会ったという、アリシアそっくりの女の子、『フェイト』という名の少女の存在を彼は確かに記憶していたのだから。
しかし、彼女が口にしたのは自らが属する組織の『名称』だけだった。
その僅かなすれ違いを残したまま、戦場の空気はどんどん悪化していく。
「··········そっか」
乙骨は諦めたように小さく頷くと、眉間の皺を少しだけ和らげ、指先を空を纏う女へと向けた。
「じゃあ、さっきの人の相手を任せられるかな? 術式で空間をイジってくるからかなり戦いにくい相手だけど··········時間を稼いでくれるだけでいい。できる?」
「はい!!」
「ありがとう·········でも、相手も殺す気でやってくる。たとえ君でも一筋縄ではいかない相手だと思う。最悪の場合は僕が言ったように撤退することを頭に入れておいて。いい?」
「っ!! 分かりました··········」
乙骨の言葉にフェイトは一瞬非殺傷を常とする管理局の常識と、この空間が求める生死の天秤との間で瞳を揺らしたが、その後すぐに冷静さを宿した顔で頷いた。
二人は初対面だ。
そんな土壇場でわざわざ作戦会議をしている余裕はない。
各々の役割を理解し、乙骨とフェイトは一度だけ、僅かに顔を合わせて頷くと、
「気を付けて!!」
「そっちも!!」
二人それぞれ、敵に向かって走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇
「
「··········」
乙骨は先程の少女から離れると、迫り来る弾幕をアクロバティックな動きを駆使して距離を詰め、そして規格外の威力を放っていたであろう男の前へと降り立った。
死角から奇襲をかけたつもりだったが、男は体術の方も並外れており、乙骨の攻撃を難なく受け止めた。
頭がリーゼントのような、先端が『砲口』のようになっている男は吸い終わったタバコをそこらに捨て、新しいものを口に咥えて火を付けると、
「で、どうする乙骨?」
「決まってるでしょう」
二つの気迫がぶつかり合った瞬間。
ドンッ!!!
拳と拳が激突する。
渾身の力比べ。
体格に勝る“石流龍”が乙骨の一撃に身体を震わせる。
「点を貰うために、戦います」
「SweeT!! いいねぇ乙骨!! そうこなくっちゃなぁ!!」
強者二人の拳が周囲の空間を震わせる。
誰が相手でも、二人のやることは変わらない。
互いの思いをぶつけ合い、満足するまでその手が止まることはない。
◇◆◇◆◇◆◇
崩壊した建物が並ぶ中で、まだ無事だったビルの屋上。
空間を布のように纏う術師、烏鷺亨子は自らの術式を力技で叩き切られ、狙っていた獲物であったはずの乙骨憂太を逃してしまったという事実に、不快感を隠そうともしなかった。
「チッ··········!!」
眼球を真っ黒に染めたその異形の顔が、忌々しげに低く鋭い舌打ちを鳴らす。
そのまま、烏鷺の視線が自らの正面へと着地したあの少女へと向けられる。
負の感情を一切含まない、純粋で無機質な輝き。
呪術師とは思えないその佇まいに、烏鷺は恨みによって湧き上がってくる呪力を周囲の空間へパチパチと罅を走らせ、思わず八つ当たりのように訊いていた。
「なんだよオマエ、アイツの仲間か?」
乙骨憂太の知り合い、あるいは恨みの源である藤原の血族の手駒なのかという、千年の怨念を含んだ問いかけ。
しかし、対峙する少女はその禍々しい邪気の圧に一歩も怯むことなく、ただ静かに凛とした動作で首を横に振った。
彼女にとって、あの目元の隈が不気味な少年とは、ほんの数分前に出会ったばかりの名前すらも交わしていない完全な初対面なのだ。
彼女は自らの手に握られた愛機『バルディッシュ』の柄を固く握り直し、烏鷺の不気味な眼球を見つめ返すと。
その透き通った、しかし烏鷺と違って真剣さを帯びた声色を屋上に響かせた。
「国連調査機関『EXCEEDS』··········フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官です」
乙骨憂太が耳にしていれば、全ての謎が判明していたはずの真名。
それが決定的な捻れを含んだまま、千年前の術師へと告げられる。
「一度だけ言います。投降してくれれば、国際法に基づいて貴女の権利を保護します。同意するなら、武装の解除を」
それは正義の名の下にをモットーとしている者が放つ最後の警告。
しかし、その言葉が過去の術師に届くわけがない。
そう。
答えは決まっていたようなものだった。
ずっと抱えていた長年の恨み、己の尊厳すら踏みにじられて死んでいった彼女にとって、その『法による保護』という甘い言葉は、自らの執念を心の底から愚弄される最悪の侮辱に他ならなかった。
一瞬の沈黙の後。
烏鷺の顔が、これまで以上の凄まじい狂気と激昂によって醜く罅割れた。
「笑わせんな!! クソガキがァァァアアアアアアアッッッ!!!」
地を裂くような怒号と共に、烏鷺の背後の風景が爆発的な呪力を伴って激しく割れる。
風景を叩いたことで推進力を操作した烏鷺は、目の前にいる少女を殺そうと近距離まで一気に詰める。
「ハアァァァアアアアアアッ!!」
そしてフェイトもまた、その不気味な能力に対し、迷いを完全に振り切った顔で応じた。
バルディッシュの推進力が電光となって爆発し、彼女の身体は稲妻の軌跡となって女の懐へと滑り込んでいく。
交錯する、二つの異能。
杜の都の崩壊した殺し合いの舞台で、二人の強者が正面から衝突する。