呪術廻戦リリカルなのは∅   作:織姫ミグル

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第23章

 

 

「俺の一度目の人生は········“腹八分目”ってとこだった」

 

「?」

 

 

ビル屋上。

 

その中央で並外れた出力を誇る呪力、それをリーゼントの先端からいつでも放てるように櫛で整え、一度後退した石流龍はふんと鼻で嗤った。その声には戦いを邪魔されたことへの純粋な不快感と、同時に眼前に立つ敵への底知れない期待が混ざり合っている。

 

彼の視線の先には、白い高専の制服を血で染め上げ、肩で息をしながらも拳を構え直す少年、乙骨憂太がこちらを不気味な目で睨んでいた。

 

タバコの煙が立ち上る向こう側で、石流の鋭い眼光が乙骨のひ弱そうなその肉体を値踏みするように捉える。その視線は単なる敵への殺意ではなく、食の求道者が究極のご馳走を求めるかのような、狂おしいほどの熱を帯びていた。

 

 

「骨のある奴とも戦った。いい女にも巡り会った」

 

 

石流は遠い過去を思い起こすように呟いた。

 

死滅回游という呪いの狂宴によって再び現世に受肉した彼には、過去の確かな生の記憶がある。

 

 

「正直、悔いが残るかって言われるとそうでもねぇ。人並み以上の幸福も、術師としての栄誉も、それなりに味わってきたつもりだからな」

 

 

石流はタバコを指で挟み、天を仰ぐようにして吐き出した煙を睨みつけた。

 

その横顔には、満たされた人生を送ったはずの男特有の、深い『虚無』が刻まれている。

 

 

「このタバコ、吸った後少し甘いんだ。俺の人生には········『デザート』がなかった」

 

 

満腹の後にしか欲しくならない、別腹の贅沢。

 

人生というメインディッシュの全てを貪り尽くした後に訪れる、腹の底から己を満足させる、極限の強者との命のやり取り。

 

自らの全て、呪力の最後の一滴までを絞り尽くしてなお、届くかどうかも分からないほどの命取りな強者との戦い。それだけが、この強大な呪術師の飢餓状態を満たしうる唯一のご馳走であった。

 

一度目の人生では、誰も彼をそこまで追い詰めることはできなかった。

 

だからこそ、彼は飢えていた。

 

 

「こういう漠然とした渇きっていうのは厄介だぜ、乙骨。誰もが皆『何が不満だ? 恵まれた人生だっただろう』って面で俺を見やがる」

 

 

ドン、と。

 

周囲の空気が一気に震えた。

 

石流の肉体からこれまでにない濃密な、そして凶暴な呪力の波動が解き放たれる。

 

彼の瞳の奥に、戦闘狂としての純粋な歓喜と狂気が爆発するように灯る。

 

 

(········来る!!)

 

 

乙骨の脳内に最大級の警戒信号が鳴り響く。

 

目の前に立つ男の輪郭が、解き放たれる呪力によって陽炎のように激しく歪み、周囲の空間そのものが熱を帯びて融解し始めている。

 

 

「何が不満かって?」

 

 

時代を渡ってまでまとわりつく渇きを癒すための狂宴が。

 

今、幕を開けようとしていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

上空数百メートル。

 

そこは地上の喧騒が遠く霞むほどに音も少なく、しかし同時にいつ命が弾け飛んでもおかしくはない、本気の闘いが交錯する戦闘領域であった。

 

 

「う·······っ!!」

 

 

大気を切り裂く金属音が、爆音となって虚空を震わせる。

 

フェイトはただ愛機バルディッシュを振るい、けれどどれだけやっても当たらない。

 

 

(なんなのコイツ。変わった術式·······いや、それにしては何かが変ね)

 

 

元・藤氏直属暗殺部隊長日月星進隊隊長の烏鷺亨子は、その妖艶にして蠱惑な嗤いを唇に刻みながら、自らの肉体を物質的な衣服の代わりに覆う『空』を、まるで薄衣のように静かに揺らした。

 

彼女の姿は周囲の空間そのものが不自然に屈折しているせいで、まさに幽霊のように不確かに歪み、捉えることすら困難な幻影のように映る。

 

彼女はずっとこちらに対して牙を剥く小娘を睨み、鬱陶しく感じていた。

 

 

「ッ!!」

 

 

対するフェイトは。

 

バルディッシュをその小さな両手で鋭く振るい、この空を金色に染め上げるほどの魔力を練り上げていた。

 

 

「バルディッシュ!!」

 

『Yes,sir』

 

 

機械的な電子音声が響くと同時に、フェイトの周囲に無数の光の弾丸が展開される。

 

一発一発が戦車をも容易く消し飛ばす威力を持った雷撃の光弾。

 

 

「ファイア!!」

 

 

それがトリガーの解放と共に、一直線に烏鷺の肉体めがけて殺到した。

 

空を埋め尽くす黄金の軌跡。

 

指向性を持った純粋な破壊の嵐。

 

フェイトの力が一体なんなのか、それを考えて顎に手を当てている烏鷺は無防備状態に等しい。

 

 

「ま、なんにしても·······」

 

 

しかし、その全てが烏鷺の体に到達する直前。

 

 

「目障りだ!!」

 

 

まるで目に見えないぶ厚い布の膜に遮られたかのように、ぐにゃりと軌跡を歪められて虚空へと逸らされていく。

 

 

「!?」

 

 

フェイトは相手の力の正体が分からず、困惑と同時に驚愕する。

 

光の弾丸は軌道を捻じ曲げられ、互いに衝突し合い、意味のない爆発を空中散布するだけに終わった。

 

烏鷺亨子の術式は、『空間を操作する』こと。

 

どれほど強力な一撃であろうとも、どれほど緻密に計算された弾道であろうとも、その『空間の法則』そのものを物理的に捻じ曲げられれば、あらゆる攻撃は標的を見失い、ただ虚しく霧散するしかない。

 

それは防御という概念すら超越した、空間そのものを盾とする常識外のルールそのものであった。

 

 

(攻撃が全部逸らされる·······!? バリアやシールドの防御魔法? 結界術の一種? ·······ううん、違う。空間そのものを歪めてるんだ·······!!)

 

 

驚愕に瞳を大きく揺らすフェイト。

 

時空管理局の魔導師、そして今は新しく設立されたばかりの国連調査機関『EXCEEDS』の執務官として。

 

幾多の異世界、幾多の次元犯罪者と刃を交えてきた彼女の経験を以てしても、眼前の相手が扱う『空間を物質のように弄ぶ能力』は極めて異質であり、かつ絶望的なまでの完成度を誇っていた。

 

そして。

 

千年の修羅場を潜り抜けてきた呪術師が、その一瞬の動揺を見落とすはずもなかった。

 

 

「アンタのその奇妙な術式、速度と威力こそ評価してあげるけど、面を厚くして遮ればどれほど速かろうが、ましてや電撃を纏ってようが関係のないこと。どうしたって私とは相性が悪い」

 

「ッ!!」

 

「私の相手をしてくれるんだったら、せめてもっと楽しませてよね」

 

 

烏鷺が嘲笑めいた言葉と共に、しなやかな五指を虚空へと突き立て、何かを引っ掴むような動作を見せた。

 

空を掴んで、力任せに引き千切る。

 

その瞬間。

 

フェイトの目の前の空間が布のように引き裂かれ、凄まじい大気の断絶が不可視の波となって彼女の細い肉体へと襲い掛かった。

 

 

「·······っ!!」

 

 

その異様な風景。

 

咄嗟にバルディッシュを通して展開した魔力防御の壁が、まさに大波にぶつかった時のような強烈な衝撃波によって防壁を貫通し、フェイトの視界を白く染める。

 

ジーンと、急激な気圧の変化が彼女の鼓膜を烈しく圧迫した。

 

 

「う·······ぐっ!!」

 

 

彼女の焦りはどんどん増加していく。

 

あの少年の言った通りだった。今までの相手とは訳が違う。

 

フェイトは背中の長い髪を激しく揺らしながら、空中で辛うじて上下の感覚を保ち、機動力を維持するための魔力を足元に爆発させて体勢を立て直した。

 

じりじりと、精神的な余裕が削られていく。

 

 

(このままじゃダメだ。ここで戦ったらあの人も巻き込まれる。もっと上へ誘導するか、それとも一撃で動きを止めないと·······!!)

 

 

戦場という、油断や躊躇が命取りになる特殊な場において、フェイトを苦しめるのはどこまでも純粋で、それ故に脆い『優しさ』であった。

 

自らの全力を尽くした攻撃が周囲を巻き込むことを恐れ、無意識のうちにリミッターをかけてしまう。

 

その戦場に似つかわしくない躊躇いが、彼女の神速の機動力を致命的に鈍らせていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「何が不満かって? 分かってんじゃねぇか乙骨ゥウウウッ!!」

 

「チッ!!」

 

 

石流の巨体がコンクリートの地面を、まるでダイナマイトで爆破したかのような猛烈な踏み込みと共に、一瞬で間合いを詰めた。

 

移動の衝撃だけで、周囲の破片が四方へと飛び散る。

 

その巨体からは想像もつかない神速の一撃。

 

乙骨は瞬時に攻撃という判断を捨て、両腕を交差させて自らの顔面へと迫る拳をガードした。

 

しかし石流の拳に篭められた呪力の総量は、乙骨の常識を容易に超えていた。

 

 

 

ドゴォォォォォンッ!!!

 

 

 

重戦車、あるいは巨大な隕石がそのまま直撃したかのような凄まじい衝撃波が炸裂した。

 

衝撃の余波だけでビル屋上に残されていた鉄骨や塗装された壁が紙細工のように消し飛ばされ、暴風となって周囲を巻き込む。

 

乙骨の身体はビル屋上の頑丈なコンクリートを両足で深く削りながら、激しい火花を散らして数メートルも後退させられた。

 

ガードした両腕の骨が、軋みと悲鳴を上げている。

 

 

(高い出力と、それを出すまでの呪力の瞬発力が尋常じゃない!!)

 

 

乙骨は腕の痺れと激痛に耐えながら、脳内で敵の能力を鋭く分析する。

 

通常の呪術師であれば、これほどの破壊力を生み出すためには呪力を体内で練り上げ、拳へと集約させるための数秒の『溜め』や『予兆』が必要となる。

 

それが戦いにおける隙となり、やり返しのチャンスが巡ってくる。

 

しかし。

 

この石流龍という男には、その段階が完全に省略されていた。

 

彼は呼吸をするのと同じ自然さで、常に最大出力の暴力を、間髪入れずに連続して放ち続けることができる。

 

その瞬発力こそが、彼の最大の脅威であった。

 

 

(キツい········ッ!! キレも鋭く、ちゃんと呪力で強化して防御しないと、僕でも一撃で体をバラバラにされる········!!)

 

 

乙骨は奥歯を噛み締め、即座に反撃へと転じた。

 

一撃もらって後退しようとする勢いを強引に殺し、地面を蹴り戻して石流の懐へと飛び込む。

 

呪力を極限まで細胞の一つ一つにまで行き渡らせる。

 

コンクリを容易く粉砕する音速の連撃。

 

右ストレート、左アッパー、そして鋭い回し蹴り。

 

それら全てが、正確に石流の肉体を捉えた。

 

ドガッ! ボゴォッ!! ドカァン!!!

 

鈍く、重い肉撃音が連続して響き渡る。

 

乙骨の拳が石流の顔面にめり込み、腹部を激しく変形させているにも拘わらず、石流の狂気的な笑みはその顔から一切消え去ることはなかった。

 

それどころか。

 

 

「SweeT······!!」

 

 

彼は攻撃を受けながら、さらにニィと唇を歪めたのだ。

 

 

「ッ!!」

 

 

乙骨の拳、それが逆に自分の骨を痛めるのではないかと思わせるほどの、石流の頑丈な肉体。

 

石流は乙骨の全力を込めた打撃をその身に受け止めながら、筋肉の強引な収縮だけでその衝撃を殺し、息を吸うように自らの拳へと最大出力を込めた。

 

 

「何が不満か!? んなもん満ちてねぇから、不満なんだろッ!!」

 

「ッ!!」

 

 

石流の怒号が大気を震わせた瞬間、その巨体がさらに一歩、地面を爆砕しながら踏み込んだ。

 

乙骨の猛烈な連撃をその身に受け止めながら石流が繰り出したのは、技の技巧を全てかなぐり捨てた突進であった。リーゼントを崩さないように一瞬で鋭く旋回し、自らの強靭な背中を、乙骨目掛けて弾丸のように叩きつける。

 

互いの距離はゼロ。

 

次の瞬間。

 

石流の鋼鉄のような背中と、乙骨憂太の背中が。

 

文字通り真っ向から激しく激突した。

 

 

ボッ!!!

 

 

それは、人間同士が衝突した程度で説明できるような生易しい現象ではなかった。

 

現代で最高峰の呪力量を誇る乙骨の防御と、長年の渇きを魂に宿す石流の最大出力。

 

二つの規格外の呪力が、背中と背中が完璧に噛み合ったその薄い境界線で、爆発的なエネルギーの放電を起こしたのだ。

 

メキメキと。

 

互いの背骨が、肉が、破壊の圧力に耐えかねて限界の悲鳴を上げる。

 

激突の瞬間に発生した目に見えない衝撃の波動は逃げ場を失って足元へと伝わり、二人が立つ頑丈なコンクリートの地面を放射線状にバリバリと引き裂いた。

 

一瞬にして、隕石が落ちてきたかのような威力によって巨大な亀裂が走り、爆砕した石礫が散弾銃の如く周囲へと飛び散る。

 

 

(なんて、力だ········ッ!!)

 

 

傍から見たらおしくらまんじゅうしているように見えるかもしれないが、背後からの凄まじいタックルを受け止めた瞬間に乙骨の脳裏に走ったのは、敵の肉体の異常なまでの破壊力への戦慄だった。

 

ただ硬いだけではない。

 

背中を通じてダイレクトに伝わってくるのは、全てを打ち抜くことを可能にする呪力出力によって裏打ちされた、まるで夥しい重みを持つ鉄塊の壁に押し潰されているかのような圧倒的な圧迫感。

 

そこで乙骨は、石流が鼻で笑ったのを目撃した。

 

そして。

 

 

「おら!!」

 

「ぐ、ふ·······ッ!!!??」

 

 

背中合わせの激突から生み出された文字通りの面の衝撃が、乙骨の体内に残されていたわずかな酸素を強制的に絞り出した。反発のエネルギーが頂点に達した瞬間、乙骨の華奢な身体は衝撃に耐えきれず、大きく前方へと押し飛ばされた。

 

視界が、一瞬にして上下反転する。

 

上下の感覚を完全に失ったまま、乙骨の肉体はビル屋上の縁を越え、何もない虚空へと投げ出された。

 

 

「~~~!!!!!」

 

 

受け身を取ることも、空中で体勢を制御することも許されない。

 

背中を襲った凄まじいタックルの余波で視界がぐにゃりと歪み、血の混じった視界の向こうで灰色のビルの外壁が猛烈な速度で上方へと流れていく。

 

真っ逆さまに地表へと墜ちていく特級の少年。

 

それを追いかける石流の顔には。

 

長年の飢餓がようやく満たされようとしていることへの、狂気的なまでの歓喜の笑みが張り付いていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「どうした!? 早く撃ってこいよ!!」

 

 

烏鷺の刺すような声が、風を切り裂く音に混ざってフェイトの鼓膜を叩いた。

 

彼女はかつて、呪術全盛の時代を生き抜いてきた。

 

それこそ、歴史に名高い『呪いの王』が猛威を振るっていたあの過酷な時代だ。

 

当時の術師達は、現代であれば最高階級とされる特級クラスの者達が群雄割拠し、互いの命を削り合うことを日常としていた。烏鷺はその生き地獄を潜り抜けてきたからこそ、現代の異能と呼ばれる乙骨を相手にしても一歩も退かずに渡り合える。

 

昔と今では生きる価値観も、強さの基準も根本から違っていた。

 

命を奪い合うことは当時の日常であり、敵を殺すことこそが最大の誇りだと信じられていた。その狂った時代を生き残り、他者を踏み越えてこそ、人は歴史に名を残す何者かになれるのだ。

 

 

「オマエらみたいな平穏な世界で生きてきた奴には分からないだろう!? 強いが故に進もうとする道を阻まれ、誰にも認められずに朽ち果てる末路を辿る者の気持ちがッ!!!?? そんなに恐ろしいか!? 私が何者かに成るのがッ!!!!!」

 

「ッ!?」

 

 

それは、積年の恨みをぶつけるような八つ当たりだった。

 

フェイトには彼女が何を怒り、何を訴えているのか、言葉の真意が掴めない。

 

唐突にぶつけられた過去の因縁に、ただ困惑するしかなかった。

 

しかし。

 

その蔑みに満ちた視線を真っ向から受け止めながらも、フェイトはバルディッシュの柄を強く握り締めた。

 

 

(これまでの相手とは違う。もう迷っちゃダメだ。私はみんなを守るためにここにいる。あの人が私を守ってくれたように、今度は私が········私の力で!!)

 

 

かつて闇の底にいた自分を救い出し、血の繋がりを超えて『家族』になってくれた大切な人達の笑顔が、フェイトの胸の奥を熱く焦がす。

 

その確かな温もりが恐怖に竦みかけていた彼女の心に、再び立ち上がる力を与えた。

 

 

「バルディッシュ········セットアップ!!」

 

 

フェイトの決意の呼びかけに呼応し、愛機が気高い機械音を響かせる。

 

 

『セットアップ』

 

 

次の瞬間。

 

血生臭い戦場の空気を一息に吹き飛ばすような、純化された『黄金の魔力』がフェイトを中心に吹き荒れた。

 

それは呪術師達が操る負の感情とは決定的に異なる、魂の気高さそのものが形を成したかのような、あまりにも美しく清らかな光の柱だった。

 

光の奔流の中心で、フェイトの身体がゆっくりと宙へ浮かび上がる。

 

背中で揺れていた鮮やかな金髪が、解き放たれたエネルギーの風に煽られて天へと舞い上がった。

 

その瞬間、彼女の全身の国連調査機関の制服が眩い光を放ち、粒子となって弾け飛ぶ。

 

光の繭が彼女を包み込んだ。

 

フェイトがその瞳を鋭く見開いた瞬間、新調された黒と白のバリアジャケットが、彼女の肌をなぞるように組み上がっていく。

 

胸元から、そして四肢へと滑らかに、かつ頑丈に纏わりついていく魔力の装甲。

 

それは管理局が誇る最新鋭の戦闘用ジャケットであり、一ミリの無駄すら削ぎ落とした、戦う少女の正装だった。

 

 

「はああああああっ!!!」

 

 

気迫に満ちた叫びと共に、フェイトが自らのポニーテールを激しく靡かせる。

 

その背後、何もない虚空から一枚のマントが噴き出すようにして現れた。

 

空間を焦がさんばかりの出力を誇る魔力の塊が、彼女の背に形を成す。

 

全ての準備を終えたフェイトは、再びその両手にバルディッシュをがっしりと握り締めた。

 

完全に引き締まった表情。

 

その瞳には、もう一片の曇りも躊躇もない。

 

 

「········は?」

 

 

その光景を見ていた烏鷺の口から漏れたのは、戸惑いに満ちたため息だった。

 

見たこともない術式、感じたことのない異質なエネルギーの輝きに、千年の経験が狂わされる。

 

 

「あなたに何があったのかは知りません········でも」

 

 

フェイトは烏鷺に対して、憐れみのような目線を向ける。

 

 

「自分のためだけに生きるのは、いつかきっと限界が来ます」

 

「ッ!!」

 

 

その静かな一言は、烏鷺が千年の時を超えてなお抱え続けていた、魂の最も深い傷口に突き刺さった。

 

烏鷺の瞳が大きく見開かれ、顔の筋肉が激しく痙攣する。

 

顔中の血管が浮かび上がり、神経がマスクメロンのように罅割れて表面に現れる。

 

他者を踏みつけにし、己のためだけに生を貪り尽くすことこそが最大の誇りだと信じて疑わなかった彼女の生き様を、目の前の何にも知らないような小娘が真っ向から否定したのだ。

 

 

「黙れ········ッ!!」

 

 

烏鷺の口から、憎悪に満ちた叫びが飛び出した。

 

彼女の細い肩が怒りで激しく震え、顔が般若のように歪んでいく。

 

 

「『誰かのために生きろ』········『何者にも成る必要はない』!! そうやって綺麗事を嘯くのは、いつだって何者かに成った者だ!!」

 

 

空を掴む烏鷺の手のひらが、怒りのあまり白くなるほど強く握り締められる。

 

周囲の空間が彼女の激昂に呼応するように、再びぐにゃりと不気味に歪み始めた。

 

 

「いつだって歴史に名を残せなかった者は········誰かのために全てを尽くした奴らばかりだ!! お前のような小娘如きに、私の何が分かるというんだッ!!!??」

 

「分かりません!! でも────!!」

 

 

上空に響き渡る烏鷺の呪詛のような叫び。

 

そして。

 

 

「私は、私の大切な人を守るためにここにいる!! 自分のためだけに周りを傷つけるなんて、私は絶対に認めない!!」

 

 

二人の思想のぶつかり合い。

 

 

「もう私、堪忍袋の緒が切れました········ここからは私も、全力で行きます!!」

 

 

ここから再び、激しい戦闘の火蓋を切る。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「受け止めてみろ乙骨!! 俺の最高にSweeTな『大砲』を!!」

 

「········!!」

 

 

吹き飛ばされた先、乙骨よりも先に回り込んだ石流がギラギラとした狂気の瞳で見下ろす。

 

彼のリーゼントの先端が、もはや視覚的にも直視できないほどの激しい閃光を放ち、周囲の空気をバチバチと焼き焦がしていた。

 

 

「“グラニテブラスト”!!」

 

 

乙骨に向かって照射される、規格外の呪力の熱線。

 

それはもはや個人の放つ術式の域を超え、大型の要塞砲から放たれた呪力エネルギーそのものであった。

 

閃光が周囲を太陽光の如く白く塗り潰し、熱線の通過した空間のコンクリートが一瞬でドロドロのマグマのように融解していく。ビルそのものを縦に真っ二つに引き裂きながら、その圧倒的な破壊の光が、乙骨の眼前へと迫り来る。

 

直撃すれば、呪力防御の上からでも確実に消滅する。

 

 

「ッ!!」

 

 

その絶体絶命の瞬間。

 

乙骨憂太は、避けるのではなく、あろうことかその巨大な光の柱に向かって、自らの拳を真っ向から突き出した。

 

 

(弾いた········!! 素手で!?)

 

 

激しい閃光と、空間そのものを破らんばかりの爆風の中、石流の目が驚愕に大きく見開かれた。

 

乙骨憂太は自らの体内に眠る、底知れない呪力量の全てを拳に集中させていた。迫り来るグラニテブラストの圧倒的なエネルギーに対し、その威力を力任せに『押し出し』、強引に『圧殺』したのだ。

 

乙骨の手によって四方八方へと飛び散っていくグラニテブラストの残光が、周囲のビル群の屋上や外壁をドミノ倒しのように次々と爆破し、赤黒く焼き焦がしていく。

 

 

「いいねぇ········乙骨ゥ!!」

 

 

その硝煙の向こう側で、熱と呪力を帯びた拳を構え直す乙骨の姿を捉えた瞬間。

 

石流の胸の奥で、ずっと満たされなかった飢えを吹き飛ばすほどの衝撃が鼓動となって、受肉体の心臓を高らかに鳴らす。

 

呪力による補助があったとはいえ、生身の拳だけで己の最大砲撃を受け止めてみせた少年の規格外の強さに、全身の血が沸き立つような興奮が駆け巡る。

 

石流は顔の筋肉を歓喜に歪ませ、ご馳走に向かって吼えた。

 

 

「フッ!!」

 

 

対して。

 

乙骨も次の一手を許さぬように走り出していた。

 

狙うのは、石流の最大の武器であり、呪力を解き放つ砲門そのものである頭部のリーゼント。

 

 

「シッ!!」

 

 

乙骨の短い息と共に、呪力を限界まで集約させた右拳が、上から叩きつけるような軌道を描いて真っ直ぐに放たれた。

 

 

 

バゴォォォンッ!!!

 

 

 

鈍く重い打撃音が、引き裂かれた戦場に激しく響き渡る。

 

乙骨の拳は強烈な呪力を溜めていた石流のリーゼントの先端へと、真っ向から叩きつけられた。

 

肉体と呪力が正面から激突し、真昼の太陽光の下で激しいエネルギーの火花が四方八方へと爆散する。

 

殴られた衝撃により、石流の巨体が大きく後ろへと仰け反り、その背中が地面に押し込まれる。砲門の根本からバリバリと不気味な衝撃が伝わり、周囲のコンクリート片が暴風に煽られて宙へ舞い上がる。

 

背中が異様に底へと潜る。

 

いや、乙骨の拳と石流の大砲がぶつかり合ったことで地面が陥没したのだ。

 

だが。

 

己の命の拠り所である砲門を直接殴りつけられながらも、石流の顔にはさらなる狂気的な笑みが張り付いていた。目の前の少年はこちらの最大火力を防ぐだけでなく、即座にその出処を潰しにかかるほどの戦いのセンスと、容赦のない執念を持ち合わせている。

 

 

「オマエが俺のデザートか!? 乙骨ゥ!!」

 

「ッ!!!!!」

 

 

石流は出力を上げた。

 

蓋をするように頭部へ殴りかかってきた乙骨の拳ごと、ゼロ距離の至近距離から強引に大砲を放ったのだ。

 

バンッ!! と。

 

目の前で爆発した呪力の塊が、乙骨の身体を容赦なく空へと弾き飛ばした。受けきれなかった衝撃が骨を軋ませ、乙骨の白い制服が激しく引き裂かれる。

 

彼は為す術もなく吹き飛ばされていく。

 

強烈な勢いで宙へと放り出され、しかしその最悪のタイミングで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

それは乙骨が時間稼ぎを頼み、そして相手が強すぎて防戦一方で叩き落とされた────フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの身体だった。

 

 

「ぐあ········ッ!?」

 

「アァ········ッ!?」

 

 

吹き飛ばされた乙骨の背中と、上空から叩きつけられたフェイトの華奢な肉体が、空中で互いに避ける間もなく激しく衝突した。

 

肉体と肉体がぶつかり合う鈍い衝撃。

 

二人は落ちた先にある三角錐の形をしたものの中へ、悲鳴と硝煙の立ち込めるクレーターの底へと同時に落ちていく。

 

ただでさえ石流の砲撃でダメージを負っていた乙骨の肺から、さらに手痛い衝撃が酸素を奪い、フェイトの美しい金髪が砕けたガラスの粉で白く汚れながら地面に散らばった。

 

 

「チッ!!」

 

 

せっかくいいところだったのに、小娘の相手をしていた烏鷺が少女ごと乙骨を吹き飛ばしたことに激怒した石流は声を荒らげ、鋭い視線を上空の烏鷺へと向けた。

 

最高のデザートを邪魔された男の顔は、凄まじい不快感に歪んでいる。

 

その負の感情をぶつけるように、術式によるレーザー兵器の如き光がリーゼントの先端から放出される。

 

 

「邪魔だ!! ゲロ女ぁ!!」

 

 

獲物を横取りしたアバズレを灼き尽くすように、凄まじい速度で光の柱が襲い掛かり、

 

 

「るせぇッ!!!!!」

 

 

しかし天空から見下ろす烏鷺もまた、その理不尽な怒号に黙っているような女ではなかった。

 

彼女の五指が虚空を強く引っ張る。

 

グォォォン!!と、大気が歪んだ音を立てた。

 

 

「チンカスッ!!!!!!」

 

 

烏鷺は自らの背景を乱暴に掴み上げるようにしながら、地上へ向けて激しい怒声を叩き返した。

 

 

「ッ!?」

 

 

烏鷺の激昂に呼応するように、彼女の周囲の空間が巨大な渦を巻いてぐにゃりと反転していく。

 

それはまるでジャイアントスイングのようで、石流の放った砲撃は烏鷺の術式によって、漁網で捕らえた魚を遠心力で運ぶかの如く絡め取られた。

 

 

 

ドゴォ!! と。

 

 

 

そのままお返しと言わんばかりに石流の負の感情が篭った砲撃が直撃する。

 

 

「ハッ!!」

 

 

烏鷺は鼻で笑った。

 

激しい爆炎が上がり、自身の砲撃をまともに浴びた石流がガラガラと崩れる瓦礫の中へと落ちていく。

 

衣服を黒く焦がし、頭のリーゼントからバチバチという焼き焦がれる火花の音を散らしながらも、その顔にはどこか楽しげな笑みが浮かんでいた。

 

 

「キくぜ········自分の技を食らったのは初めてだ」

 

 

そんな二人が殺り合う中。

 

空中に浮かぶ烏鷺は、もはや彼への興味を無くしたかのように、再び視線を真下の三角錐の形をした入り口へと向けた。

 

 

「「········ッ!!」」

 

 

そこには満身創痍の状態でなんとか身を起こそうとしている乙骨と、その傍らでバルディッシュを握りしめ、彼に肩を貸して出てくるフェイトの姿がある。

 

 

「しぶとい········いいわ。アンタらはいたぶるって決めたから」

 

 

烏鷺の冷ややかな声が、強い日差しが照りつける広場に響く。

 

実際、乙骨憂太の肉体は限界直前だった。

 

他者の傷まで癒せる彼の『反転術式』は確かに強力で厄介な技術だが、その分呪力の消費量は並大抵のものではない。

 

ここに来るまで黒沐死の凶刃、烏鷺の空間打撃、そして石流の度重なる砲撃。

 

それら全ての強烈な決め技を何度もまともに受け、その都度膨大な呪力を削りながら肉体を強引に再生させてきたのだ。いくら底なしの呪力を持つと言われている乙骨といえど、その限界値は確実に削り取られていた。

 

乙骨の荒い呼吸と、肩の激しい上下を、過去を生き抜いた石流も正確に捉える。

 

 

「漸く底が見えてきたな、乙骨」

 

 

勝ちを確信した石流の言葉が、冷たい空気の中に突き刺さる。

 

退路を完全に断たれ、呪力の底すら見抜かれたこの最悪の窮地。

 

しかし。

 

 

「大丈夫········ですか?」

 

「········うん」

 

 

普段の彼ならこんな無様な姿は見せなかった。

 

この少年は特級術師であり、だがそれでも過去の術師のレベルは今とは桁違いだった。

 

乙骨でさえも苦戦する、そもそも連戦続きで休む暇もないのだから、限界が来るのは当然であった。

 

今日会ったばかりの、アリシアにそっくりな少女の肩に体を預けるようにして歩く乙骨は。

 

かろうじて体勢を保ちながら、隣にいる女の子に言った。

 

 

「あの石流っていう人は、一般人を狙いはしないけど巻き込むことに躊躇しない」

 

「え?」

 

「君と戦ってた烏鷺っていう人も、点の区切りから多分術師としか戦ってない。おそらく理由はプライド、かな········」

 

「???」

 

 

乙骨の唇が微かに動き、その声はフェイトにしか聞こえないくらいの音量だった。

 

作戦会議でもするかのような声色、それに気付いたフェイトは無言のまま彼の言うことを最後まで聞く。

 

 

「ここからはもう出し惜しみはしないつもりでいく。そうなったらもう君も無事では済まないと思う。さっき言ったように、あの二人は誰を巻き込んでも気にしない。これからの戦いは本当の殺し合いになる」

 

 

気が付けば、少年の手は制服のポケットへ。

 

後戻りはできなくなると分かっているから、乙骨はフェイトに言った。

 

 

「君はよく頑張った。でもここから先は僕に任せて········君は離れたところにいて」

 

「え!? そ、そんなことできま───!!」

 

「お願い」

 

「!?」

 

 

フェイトの表情が止まった。

 

その少年が浮かべる顔を見たら、嫌でも何も言えなくなってしまったのだ。

 

ここからは特級でしか許されない領域。

 

その世界についていけるほど、まだフェイトは呪術に関して詳しくはない。

 

万が一、呪術師達にとって頂点と呼ばれる切り札の大技───『領域展開』に巻き込まれたらフェイトはどうなるかわからない。

 

だからこそ、彼女の役目はここまでだと伝えたかった。

 

その少年の目、そこには別になんの恐ろしさもなかった。

 

なのに。

 

 

「───!!」

 

 

気が付けば、フェイトは彼を支えていた手を離してしまった。

 

乙骨は進む。

 

少女に背を向けて、再び戦場へと一歩踏み出す。

 

 

「おいで」

 

 

彼の呪いの象徴。

 

“幼馴染”から受け継いだ───“婚約指輪(特級呪物)”。

 

それをあるべき場所へ。

 

婚約の証として、左手の薬指へと。

 

そして。

 

幼き日からずっと自分を守ってくれていた──────“呪いの女王”の名を呼ぶ。

 

 

 

「────“リカ”────」

 

 

 

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