夜の帳が周囲の街並みを容赦なく塗り潰し、人工の灯火すら届かぬ静寂が包む海鳴市の一角。
多くの市民や知的好奇心に駆られた来訪者達を受け入れ、文化と学術の殿堂として穏やかな賑わいを見せていた公共施設の『海鳴市立博物館』は、いまや生きた人間の呼吸を頑なに拒む巨大な石の柩と化すかのように、深夜の闇の底で沈黙を守っていた。
建造物の広大な敷地を外界から画定する鉄製の格子柵には、警察組織の手によって黄色いビニール製の規制線が幾重にも交差するように張り巡らされている。
黒いゴシック体の塗料で印字された『立入禁止』の四文字は、海鳴の海岸線から吹き抜けてくる湿った夜風に煽られ、乾いた笹の葉が擦れ合うような不快な摩擦音を断続的に響かせていた。
本来、一般市民が数名同時に消息を絶ち、重大事件としての指定を受けた現場であれば、近辺には赤色灯を一定の周期で明滅させるパトロール車両が待機し、防寒装備に身を包んだ複数の警察官が交代で厳重な警戒線を維持していなければ筋が通らない。
しかし、現在の博物館周辺に人の気配は全くなく、規則正しく並んだ水銀灯の放つ白濁した照明が、冷え切ったアスファルトの路面に寂寥とした影を投げかけているのみであった。
この一帯を取り巻く大気は不自然なまでに澱み、深夜の都市特有の遠く響く車両の走行音や工業地帯の排気音すらも、厚い硝子板で隔てられたかのように遮断されている。
「·······周囲三キロメートル圏内の生体熱源反応の全ての消失を確認。意識阻害の波形は完全に周囲の位相へと定着しているね」
鉄柵の前に佇む『無限書庫』の司書長であるユーノ・スクライアは、目を瞑って周囲の状況を把握していた。
彼の体を包む淡い翡翠色の魔力光。
その淡い光脈が網の目のように奔り、少年の足元を中心として地表を這う微細な魔導式の紋様が同心円状に拡大していく。
高度な結界術式として分類される広域認識阻害、ならびに通行人を追い出すための封時結界。
それは目に見える光の壁を物理的に構築するのではなく、周囲の大気中に希薄な思念誘導の波長を充満させることで成立する術式であった。偶然この区画へと足を向けようとする一般市民の脳裏には、『買い忘れを思い出した』とか『急用が生じた』といった些細かつ自然な連想が無意識のうちに生じ、自らの意志で進路を別の方角へと変更するように仕向けられる。
そして。
たとえ結界内にいたとしても、術者が許可した者と結界内を視認・結界内に進入する魔法を持つ者以外には、結界内で発生していることは認識できず、進入することもできない結界を構築。
これにより外部からの物理的な観察や侵入の試みは完全に遮断され、戦場となり得るかもしれないこの座標は、人知れず現実の街並みから切り離された孤島へと作り変えられていた。
「うむ、見事な手並みだ。流石、時空管理局の退屈な書庫番であっても、結界構築の腕前は一流であるな」
「あはは············」
背後の暗がりから掛けられた、尊大でありながらも凛とした響きを帯びる声。
ユーノが魔法の操作を中断し、僅かな緊張を解いた苦笑を浮かべながら振り返ると、そこには海鳴の街並みを見下ろす丘の上で久々の再会をしたばかりの、三つの人影が佇んでいた。
先頭に立つのは、八神はやてにそっくりな──“ディアーチェ”
腰まで伸びた濡れ烏の如き黒髪の隙間から覗く横顔には、他者の追従を許さぬ圧倒的な支配者としての自負が冷たい彫像のように刻み込まれていた。耳元から上の部分は銀髪であり、その凛とした佇まいは、まさしく『王』の器に相応しい不遜な威厳を放っている。
「これだけ人がいなくなれば、何も気にすることなく調査できますね」
その半歩後方。
高町なのはと瓜二つな顔つきをしているものの、その表情には冷静さそのものを宿している──“シュテル”
理知的な光を宿す瞳には一切の動揺や乱れがなく、まるで複雑な数理演算の解を導き出す直前の数学者のように整然とした姿勢を保っていた。
「ねぇねぇ!! それよりもさ!! ボク達今回何をすればいいの!? 襲いかかってくる敵をぶちのめせばいいの!?」
そして、そんな彼女の右手側。
二人の落ち着きとは対照的に、退屈を隠そうともせずに石畳の上でピョンピョンと愉快そうに跳ねている──“レヴィ”
身軽な衣装に身を包んだレヴィはあのフェイトとほとんど同じ姿をしていながらも、彼女と違ってとても無邪気でやんちゃであり、とにかく自分達がこれから何をするのか楽しみで仕方ないといった感じで青髪のツインテールが調子良く揺れている。
「レヴィの相変わらずの威勢の良さは頼もしいけれど···········まずは落ち着いて話を聞いてほしいな」
ユーノは苦笑いを漏らしながらも、その柔和な表情を急速に引き締めて姿勢を正した。
上着の胸ポケットから取り出した使い込まれた魔導端末の表面へ、静かに人差し指を滑らせる。
夜気を震わせる微かな電子音が響き、少年の指先から放たれた淡い翡翠色の輝きが四人の立つ石畳の頭上へと立ち昇った。
「ここ最近多発している失踪事件。その裏には僕達が使う魔法とは全く異なる異能────僕らはそれを、“呪い”と呼んでいる」
少年の口から紡がれた未知の語彙に、三人の視線が一斉に収束する。
ユーノが端末の操作盤を軽く弾くと、淡緑の光の粒子が空中で編み合わされ、深夜の暗がりの中に立体的な光の資料群となって静かに浮かび上がった。
そこに展開されたのは、自分達がずっと封じ込められていたあの“夜天の書”と。
「これは··············」
「“夜天の書”·········だよね?」
「この本のことはいいとして·········こっちの“
三人が一番気になっているのは、自分達が封印されていた魔導書の方ではなく、顔の左右に通常のものとは別に下側の目が開き、四つの目を見開いて不気味に嗤っている少年の方であった。
あらゆる魔法の情報を蒐集してきた魔導書のことは以前も聞いた。
だがこの髪が逆立って、額や鼻の横、頬から首、手首などに黒い独特の模様が浮かび上がっている男のことなど見たこともなかった。
「君達も知っている通り、これは三人が眠っていた“夜天の書”。そしてこっちにいる男の人は“虎杖悠仁”───いや、“両面宿儺”って言った方が正しいかな?」
ユーノは少し声色を低くして言う。
両面宿儺、というのはこの日本においての伝説の妖怪、または鬼神として恐れられた存在である。
その存在は空想上のものとして語り継がれており、だがユーノが映し出した映像には、その空想上の人物らしきものが愉快そうに嗤って表示されている。
「·········で、こやつがその“呪い”となんの関係がある?」
「うん········それを説明するためには、まず以前ここで起きた事件のことを話させてもらうよ」
ユーノはできればその時のことは思い出したくもないような顔をして、だがそれを説明しないと“呪い”が一体なんなのかを説明できないから仕方なくという感じで語り出す。
それは、クリスマスの前日のことだった。
まだ“夜天の書”が正しい機能を取り戻せておらず、世界を滅ぼす危険物として“闇の書”として恐れられていた頃のこと。
八神はやての元に闇の書が現れ、彼女を主として認め、守護騎士達が彼女のために魔力の蒐集をしていた時、その男はやってきた。
あの夜。
海鳴市の天空を覆い尽くしていたのは、星々の光を一切通さない程の分厚い雪雲であった。
はやてを救うため、闇の書の呪縛を解き放とうと奔走していた守護騎士達と、その強大な魔力を狙われた高町なのは。
双方の譲れぬ想いが激突し、市街地の一角が暴走した魔力の乱気流によって寸断されかけていたその最中。
その少年は突如として現れた。
名を───“虎杖悠仁”
最初は、ただの少年に見えたのだという。
魔導師としての訓練を受けた形跡もなく、デバイスの類すら携えていない、この地球のどこにでもいるような一人の少年。
だが驚くべきことに、彼の身体能力は凄まじく、高町なのはを抱えたままビルから飛び降りたり、守護騎士達の飛翔魔法を以てしても追いつけないような脅威的な走りを見せていた。
それだけではない。
彼は唯一、
守護騎士の一人であるシャマルがなのはのリンカーコアを捉えようとした時、誤って虎杖悠仁の胸元に魔法陣を展開してしまって、彼のリンカーコアらしきものを掴んでしまった。
それはとてつもなく禍々しく、『赤黒い』魔力光が見ていたディアーチェ達の背筋を震わせる。
だが、本当に驚くべきところはここからだった。
シャマルが彼のリンカーコアをその手に包んだ瞬間、彼女の肩が唐突に切り裂かれ、夥しい量の鮮血が飛び散ったのだ。
正気を疑うような光景であった。
何が起こったのかを理解するという思考すら成り立たず、奇妙な現象としか脳は説明してくれなかった。
彼はそのまま気を失ってしまっていたが、守護騎士達は魔力を収集するどころか、仲間の一人が致命傷を負ってしまったことで酷く動揺していた。彼女達はそのまま去ってしまい、後に残ったのは虎杖悠仁という男と、当時小学三年生だった高町なのはだけであった。
それから彼の尋問が始まったが、彼の言っていることについてはディアーチェ達でも理解できていなかった。
三人はユーノの説明を黙々と聞いて、そしていよいよ闇の書復活の日のことを説明し出した。
高町なのはとフェイト・テスタロッサ、そして友人二名を連れて八神はやての病院へお見舞いに向かおうとしたところに虎杖悠仁とたまたま合流、流れで一緒についていくことになったらしい。最初こそなんのトラブルもなく平和であったが、そこに今度は偶然にも守護騎士達までやってきてしまい、まさしく一触即発の状態になってしまい、お見舞いが終わった直後、なのは達は守護騎士達の説得を試み、虎杖という男は一人だけ戦線を離脱し、仲間達の元へと救援要請に行ったとのこと。
そして。
八神はやてが危篤状態になったことで闇の書が完成を急ぎ、守護騎士達のリンカーコアを蒐集して足りなかった部分を補い、闇の書の管制人格が八神はやてを依代として目覚めてしまった。
高町なのは達は彼女の暴走を食い止めようと戦っていた、そんな時だった。
仲間の元に救援要請をしに行ったはずの虎杖悠仁が、まるで人が変わったように戦場へと舞い戻り、その場を満たしていた空気は一変した。
虎杖悠仁という男の肉体に宿り、そして彼が死んだことで主導権を強奪した『怪物』───“両面宿儺”
彼の性格はとにかく残忍で冷酷であり、その場にいたフェイトの使い魔であるアルフの首元を切り裂き、そして説明してくれているユーノの顔まで踏みつけるという、目も当てられない行為を繰り返していた。
彼の隙を見て一時的に撤退したなのは達のことなど興味もなさそうに、だがいくつもの世界を滅ぼしてきた闇の書にだけは興味深そうにしてその口元を邪悪に歪めていた。
それからは、地獄絵図そのものだった。
彼が操っていたのは、なのはや時空管理局の魔導師達が扱うような魔導術式とは似て非なる異質の力。
人の身から漏れ出た忌避の念、苦痛、そして死への怯懦を極限まで練り上げた負のエネルギー、すなわち『呪力』であった。
その男が放った一撃は、魔力による防護障壁をまるで濡れた紙を千切るかのようであった。かつて多くの世界を呑み込み、一度暴走を始めれば惑星の表皮すら削り取ると恐れられていた闇の書、その管制人格が手も足も出ず、惨たらしく蹂躙されるだけのその映像は見るに堪えないほどであった。
最終的には闇の書、今はリインフォース・アインスという名を付けられた彼女の肩を食い破り、そして海鳴の街並みごとミキサーの如く切り裂いていくその光景には流石の三人でも顔を背けたくなった。
「なんという·········!!」
「やばいね、これ·········!!」
「·········っ!!」
あの数多の世界を滅ぼしたと恐れられた闇の書が一方的に叩きのめされるその光景は地獄としか言いようがない。
しかもその後、両面宿儺を止めにきた高町なのはですらも歯が立たず、増援としてきたフェイトや、闇の書から夜天の書として目覚め、その主となった八神はやてと守護騎士達が束になってもかなわないほどであった。
「なるほど」
ここまで説明されて、ディアーチェはようやく理解した。
これだけの悲劇を生み出す異能。
時空管理局の査定基準において、かつて記録されたことのない『オーバーSSSランク』という規格外の脅威度。
彼女達の魔法が全く通じない、圧倒的な力。
「これが········“呪い”か」
「そう。彼らはこの技術を“呪術”と呼んでいて、その力の源は負の感情から生まれるものらしいんだ。そして、その中でもこの“両面宿儺”っていう怪物は呪術全盛の時代、呪いの力を使って数々の術師達を返り討ちにしてきて、今でも『呪いの王』として恐れられているんだ」
「········ふむ」
ディアーチェは『呪いの王』という言葉に反応する。
彼の姿を映像で見ていると、ある意味納得がいった。
“王”というのは別に一国の王とか、所謂その地を収める者のことだけを言うのではない。
その道を極めた者、そして誰もが辿り着けなかった場所へと登り詰め、頂点として君臨する者こそ『王』として相応しいという、畏敬の念を込めての呼び名だったりするのだ。
ディアーチェ自身も『王』として誇り高く振る舞い、自らの臣下に揺るぎなき信認を求めてきた彼女にとって、他者の身の上に冠された『王』という称号は、決して軽々しく看過できる代物ではなかった。
彼女は胸元で腕を組み、細い顎を僅かに上向けながら、空中に投影された四つ目の怪物の横顔を射貫くように凝視する。
「王·······か。己の欲望と気まぐれのためだけに他者を切り刻み、ただ他者を蹂躙する無頼の暴威。率いるべき臣下も持たず、背負うべき仲間の命も持たず、ただ己の存在そのものを唯一のものとして君臨する者。なるほどな」
ディアーチェの口元に刻まれたのは、恐怖でも怯懦でもなく、同種の頂に立つ者だけが滲ませる薄い皮肉と、僅かな納得であった。
「我が掲げる王とは天と地ほどに性質が異なる。だが、他者の介入を拒絶し、己の力のみで周囲の法則を書き換えてみせたという点において、その者が『王』と呼ばれるに足る異端の傑物であることは認めざるを得んな······くだらぬ群れを頼みに威張り散らす凡百の権力者どもよりも余程わかりやすく、かつ忌々しい存在だ」
王としての矜持を刺激されたディアーチェの言葉に、隣に立つシュテルがその澄んだ瞳を僅かに細めた。
高町なのはと瓜二つの端正な顔立ちを静かに引き締め、空中に浮かび上がる戦闘記録の残影を見つめながら、感情の乱れを感じさせない平坦な声で口を開く。
「ええ。ディアーチェの言う通り、この宿儺という男·······我々の力でも、おそらく太刀打ちできないでしょう」
一切の虚飾を交えぬその冷静な宣告に、ユーノも息を呑んで彼女の横顔を見つめる。シュテルは視線を落とすことなく、淡々と言葉を紡ぎ続けた。
「かつて我々と激闘を繰り広げた高町なのは達·······彼女達ですら束になって敵わなかった相手です。世界そのものを力任せに蹂躙する、その異能の凄まじさは計り知れませんね。真正面から衝突すれば、私達の方が紙片の如く断ち切られることは明白です」
己の力量を過信せず、客観的事実のみを冷静に摘み取るシュテルだからこその重みのある見解。
一方。
二人の張り詰めた空気を退屈そうに眺めていたレヴィは、青髪のツインテールを激しく揺らしながら露骨に両肩を竦めてみせた。
「うへぇ、ボクそういう小難しい強さの話はよくわかんないけどさ············でもこいつの顔見てるだけで、なんかこう、背中のあたりがゾワゾワして鳥肌が立ってくるよ!」
レヴィは腰に佩いた二振りの柄を、苛立ちを紛らわせるように強く握り締めた。
「なんていうかさ············強いとか弱いの前にすっごく意地が悪い!! 相手が嫌がることとか、一番痛いところを面白がって突っついてくるような、あの目つき!! エルトリアでもたまに見かけた罠にかかった獲物をわざと嬲り殺しにする凶暴な原生生物達とおんなじ匂いがする!! あんな奴と出くわしたら、挨拶代わりに先手必勝で首を刎ね飛ばさないと、こっちが危ないよ!」
野生の直感で宿儺の底知れぬ凶暴性を嗅ぎ分けたレヴィの言葉に、ユーノは重苦しく頷いた。
「レヴィの言う通りだよ。この男にはまともな対話なんてまず成り立たない········そして、今回のクロノから頼まれた任務において僕達が最も警戒しなければならないのは、この宿儺という怪物が遺していった『影響』なんだ」
ユーノが操作盤を軽く弾くと、四つ目の少年の姿は静かに霧散し、再びあの深夜の博物館の見取り図と赤く明滅する不可解な失踪地点のデータへと切り替わった。
「宿儺については彼の担任教師が駆けつけてくれたおかげで何とかなったけど、彼らが元の世界へ去った後も宿儺が撒き散らした負のエネルギー········呪力の残滓はあちこちに目に見えない傷跡として残り続けている。そしてこの海鳴市の各地で起きた失踪事件は、まさにその残っていた傷跡から生じた『呪い』が遅れて発動した結果なんだ」
少年の真剣な眼差しが、三人の少女達を順に見据える。
過去の惨劇を耳にし、これから対峙すべき『異能』の悍ましさを肌で理解したマテリアル達。
彼女達の視線は、再び目の前に聳え立つ巨大な石造りの建築物。
闇に沈む博物館の正面扉へと向けられた。
◇◆◇◆◇◆◇
「それで? 今回我らがすべき事はなんだ?」
不信感も露に、ディアーチェはユーノの顔を見た。
呪いと魔法、そして惨たらしい映像を見せられた挙句に自分達の力不足を嫌でも認識させられたことに、激しい不快感を覚えたからだ。
ああ、うん───とユーノは眼鏡の鼻橋に細い指先を添え、
「クロノが言うには、呪いが生まれる場所はお墓や廃校とか、みんなが怖いと思いそうな場所らしいんだ。以前に虎杖さんから聞いた話でそういうことを言っていたことから仮説なんだけど、でも今回この博物館で起きた謎の失踪事件も、近くにそういう心霊スポットがあったからだってクロノが言っていたんだ」
三人はギョッとしてユーノを見た。
心霊スポット、という誰もがあまりいい顔をしないであろう不穏な言葉に対して、ちょっと肩が震えた気がした。
いや、怖がっているわけではない。
ないのだが、思わず拒否反応が出てしまったという感じだ。
「それでこの博物館の地図を見てほしんだけど」
ユーノは魔法で構築したモニターを三人の前に表示し、そこに映っているものを説明する。
それは博物館の見取り図だった。
投影された青白い光の図面には、整然と区分けされた展示区画や収蔵庫の配置が精密な三次元の線画として立体的に浮かび上がっていた。
しかし。
その均整の取れた近代建築の設計図の上には、まるで鮮血を乱暴にぶちまけたかのように、不穏な赤い光彩を明滅させる三つの座標が刻まれていた。
「この博物館は古代の遺物や美術品だけでなく、中世の合戦記録や、昔この近くで掘り起こされた出土品まで、人の死や無念に直接繋がる物品が数多く収蔵されているんだ」
ユーノは指先を滑らせ、二階の東翼に位置する細長い回廊を拡大表示した。
「最初の異変が観測されたのが、この絵画フロア。数日前、深夜の単独巡回を行っていた警備員が、この直線通路の途中で突如として消息を絶った。前後の監視記録には不審な人物の侵入は一切記録されておらず、まるでその場に最初から人間など存在していなかったかのように、煙の如く掻き消えてしまったらしいんだ」
「ふむ········外傷や争った形跡は残されていなかったのか?」
ディアーチェが腕を軽く組み、淡々と問いを投げかける。
「何一つとしてね。床に靴底の擦れた跡すらなく、ただ、彼が落としたであろう懐中電灯だけが、異常な高温に晒されたかのように変形して残されていたそうだよ。そして、その異変に気付いた監視室のもう一人の警備員──────」
ユーノが操作盤を叩くと、一階の奥、頑丈な防音壁に囲まれた中央管理室の座標が赤く点灯した。
「彼もまた、警察への通報を試みる間もなく消え去った。数十台並んでいた監視モニターが一瞬にして灰色の雑音で埋め尽くされ、厚い扉に鍵が掛かったままの密室の中で、人間だけが消失したんだ。机の上には、開封されたばかりの夜食や私物がそのまま残されていた」
「密室からの人間消失、か。転移魔法の類であれば、空間の歪みや残留痕が必ずどこかに刻まれるはずだが·······」
ディアーチェは不快そうに唇を歪ませ、腕組みをしたまま細い顎を引いた。
「それが一切観測されなかったんだよ。そして最も深刻なのが、事態を不審に思った臨時支局から派遣された、初期調査の武装隊員三名の件だ。彼らはいつも通りにバリアジャケットを身に纏い、常に本部と魔力通信を接続したまま内部へ突入した。けれど、正面玄関を抜けてすぐのホールに足を踏み入れた瞬間に通信機から『人の声とも獣の唸りとも違う異様な鳴き声』が一度だけ響き、そのまま隊員達の反応はデバイスごと空間から完全に消滅した」
「う〜ん·······つまりその人達も、指一本動かせずに消えちゃったってわけか」
レヴィが顎に手を当てて考えるポーズを取り、その青いツインテールを揺らすと鼻を鳴らした。
「ずいぶんと情けない話だけど、要するにその心霊スポットの親玉みたいな化け物がこの建物の中に陣取って待ち構えてるってことでしょ? ボク達の仕事は、そいつを見つけ出してコテンパンにしてやればいいんだよね!!」
「··············そう単純にいけば良いけれどね」
ユーノは苦笑をこぼしつつも、その瞳を厳しく細める。
「この先に待ち構えているのは、文字通り未知の存在だ。もし仮に両面宿儺の影響で発生した呪いであったのなら、まず間違いなく僕らの魔法は通用しない。通常の探知魔法は通用せず、空間の構造そのものが不規則に歪められている恐れがある。だから突入後は決して無理はしないで、まずは僕の魔法で空間の歪みを解析しながら、慎重に進路を確保していかないといけ──────」
「フン、小賢しい懸念はそこまでにしておけ」
「え?」
ディアーチェが鼻をふんと鳴らして前へ出た。
その顔には未知の怪異に対する怯えなど微塵もなく、ただ不躾な者どもを徹底的に裁く王としての闘志だけが灯っている。
「理屈が通らぬ下郎であろうと、我が道を遮るならば等しく塵芥に還すのみ。シュテル、レヴィ、油断なく我の後に続け。その『呪いの王』が残した傷跡とやらを、我らが直々に踏み荒らしてやろうではないか!!」
ディアーチェは王として高いプライドがあり、どれほど未知の怪異が待ち受けていようとも、背中を丸めて怯むような無様な真似など己の誇りが断じて許さなかった。
かつては家族のために命の炎を燃やし、エルトリアの大地を再生させる過酷な歳月を潜り抜けてきた彼女にとって、得体の知れぬ怨嗟の残り滓など、王の道を妨げる路傍の石ころに過ぎない。
「御意」
シュテルが静かに頭を垂れ、その端正な顔立ちに一切の迷いを挟むことなく、王の背後へ静かに歩調を合わせた。
「いかなるものが待ち受けていようと、生涯の忠義を貴女に誓った身として引くわけにはいきません。王である貴女の進むべき道を切り拓くことこそが、我らの責務です」
「へへっ、ボクもいつでもいけるよ!! その呪いとかいう生意気なもの、このボクが細切れにしてやるんだから!!」
レヴィもまた獰猛な笑みを口元に浮かべ、その瞳には一点の曇りもない純粋さだけが浮かび上がっていた。
「あはは···········本当に頼もしいけれど、くれぐれも無理だけはしないでね」
「無論だ」
ユーノは降参したように両手を軽く掲げて苦笑を浮かべつつも、その眼差しにはディアーチェ達への確かな信頼を置いていた。
◇◆◇◆◇◆◇
黄色いビニール製の規制線が海鳴の冷え切った夜風を孕んで擦れ合い、微小な摩擦音を断続的に響かせる石段の前。
ユーノ・スクライアは手元で淡い翡翠色の光を微かに明滅させる魔導端末の操作盤を握り直した。
画面の奥で不規則に乱れる空間の波形を視認し、未知の事象に対する緊張を喉の奥へ押し込みながら、三人の少女達と共に正面の重厚なガラス扉へ歩み寄ろうとした。
その時。
少年が踏み出そうとした直前、細い腕が音もなく差し出された。
有無を言わせぬ力が宿ったその腕の持ち主へユーノは足を止め、怪訝そうに顔を上げた。
「···········え? ディアーチェ?」
「貴様はここで待機していろ」
振り返ることもなく、平坦な調子で吐き捨てられた言葉。
王としての威厳を保つその顔には、一切の迷いもない。
「待機、って········僕も一緒に行かないと、空間の歪みの解析も、もしもの時の退路の確保もできないよ!? 相手はもしかしたら僕らの魔法が効かない呪いかもしれないんだ。僕の後方支援なしで踏み込むのはあまりにも危険すぎるよ!?」
戸惑いと焦燥を滲ませて反論する少年に対し、ディアーチェは組んだ腕の肘に細い指先を添え、冷ややかな視線を眼前に閉ざされた巨大なガラス扉へと据え置いたまま低く言葉を重ねた。
「万が一にもあり得ぬ話だが、念の為の措置だ。我らとは違う未知の力を操る怪異の巣窟へ足並みを揃えて全員で踏み込むなど、それこそ危険だ。我らに不測の事態が生じた際、外部から状況を観測し、救出の機を正確に測れるのは、この一帯へ結界を編み上げた貴様一人しかおらぬのだ。内部の異変に呑まれ、結界の維持役である貴様まで共に命を落としてしまっては元も子もあるまい」
「ッ!!」
王たる者が下したその判断は、決して仲間を侮るものではなく、戦況を冷静に見据えた上での極めて合理的な考えであった。
その言葉の真意を即座に汲み取ったシュテルが静かに一歩前へ進み出て、ユーノの困惑を解きほぐすように平穏な声で言葉を継いだ。
「ユーノ司書長、ディアーチェの指摘は的を射ています。先程貴方自身が提示された通り、あの建造物の内部へ足を踏み入れた瞬間に、時空管理局の部隊すら外部との通信が遮断させられています。外部において結界の安定性を維持し、私達の突入座標を固定し続ける観測者がいなければ、万が一の際の帰還路そのものが消失しかねません。どうかここから先は、こちらに任せてください」
「へへ、そういうこと!! 留守番よろしくねユーノ!!」
「············みんな」
二人の説得をよそに、レヴィは退屈を吹き飛ばすように快活な笑声を上げ、青髪のツインテールが軽やかに揺らしてみせた。
その足元からはいつでも闇の奥へ跳躍できるだけの無駄のない推進力が滲み出ている。
「············まったく、敵わないな」
三人の揺るぎない覚悟と王としての冷静な判断を前にして、ユーノは降参したように深く息を吐き出した。
手元の端末を操作し、通信回線を外部からの常時観測モードへと切り替える。
少年の眼鏡の奥に宿る光には、諦めではなく、彼女達の強い誇りに対する深い期待の色が灯っていた。
「わかったよ。僕は外から結界の安定性を保ちつつ、内部から漏れ出る空間のノイズを監視し続ける············何か異変を感じたら躊躇わずに魔力の波形を外へ撃って合図を送ってほしい。そしたらすぐに助けに向かうよ」
「フン······そんなことにすらならぬうちに、終わらせてみせよう」
ディアーチェが尊大に顎を引くと、ユーノは端末の操作盤へ触れ、正面玄関の施錠機構へ不可視の解除シグナルを照射した。
油圧が減圧される低い摩擦音と共に、閉ざされていた正面の二重ガラス扉が左右へとゆっくり押し開かれる。
三人の少女がその境界線を跨ぎ、建物の内部へと靴底を落とした瞬間。
背後でガラス扉が無慈悲な勢いで閉ざされ、同時に周囲の気配が一変した。
◇◆◇◆◇◆◇
バタンッ、と。
背後で乱暴に噛み合ったガラス扉の施錠音が、まるでこの世とあの世を分かつ断頭台の刃の如く重く響き渡った。
その直後であった。
三人の少女の肌を撫でたのは、空調の停止した深夜の屋内特有の冷気などでは断じてない。
それは、真夏の密閉された空間に放置された臓物が腐敗を始めたかのような、ねっとりと油分を含んだ生温かい空気。息を吸い込むだけで気管の粘膜が強烈な異物感を訴え、吐き気を催すほどの悍ましい臭気が鼻腔の奥を容赦なく衝き刺した。
「······ッ!? な、なにこれ······!? すっごく臭いし、空気がねっとりしてて息が苦しいよ!!!??」
レヴィが露骨に鼻を歪ませ、襟元を手で乱暴に引き上げた。
だが嗅覚を苛む異臭など、これから彼女達を襲う狂気の変容に比べれば、ほんの些細な前触れに過ぎなかった。
「······これは、一体!!」
常に整然とした落ち着きを崩さぬシュテルが、その端正な顔立ちを驚愕の色で硬直させ、言葉を途切れさせた。
視界そのものが水面に垂らした濃厚な油絵具のように、ぐにゃりと音もなく反転していく。
本来であれば、正面玄関の先には磨き上げられた白大理石の床が広がり、案内板や入場ゲート、そして二階へと続く中央階段が設えられているはずであった。外から見上げた博物館の構造は、いかに壮麗とはいえ、敷地の面積に見合った二階建て建築に過ぎなかったはずなのだ。
しかし。
三人の足元を支えているのは、もはや大理石のタイルなどではない。
土埃とアスファルトのようなものが混じり合い、踏み締めるたびに靴底へ不快な湿り気を伝える、暗褐色の有機的な地層。
そして何より。
視線を前方、そして頭上へと向けた三人の瞳に、激しい眩暈と空間認識の崩壊が襲いかかった。
「······な、んだ······これは············!?」
王としての不遜な笑みを浮かべていたディアーチェの口元から、僅かに乾いた息が漏れ出た。
見上げる先────
いや、あるのはあるのかもしれないが、天井が遥か彼方へと伸びまくり、どこまでも垂直に穿たれた巨大な暗闇と化している。
建物の外観が誇るはずの『二階建て』という物理的な制限、その概念すら見当たらない。
目の前に広がっていたのは、近代的な文化施設の内装などでは断じてなく、何百年、あるいは何千年もの間、陽光を遮断して地下深くで眠り続けていた太古の石造神殿を彷彿とさせる光景であった。周囲を囲い込むのは、歴史的な価値がありそうな彫刻が刻まれながらも、湿気によって黒ずみ、所々に深い亀裂を走らせた巨大な石壁。
遥か頭上の闇に溶け込んで輪郭すら定かではない高所からは、枯れ果てた無数の蔦が雨垂れのように垂れ下がり、微動だにしない淀んだ空気の中で不吉に揺らめいている。
足元から前方を見渡せば、幾段もの粗削りな石造りの階段が連なり、その先の中央にはかつて悍ましい儀式や生贄の捧げ物を載せるために設えられたかのような、古めかしい台座や石の支柱が無言で鎮座していた。
静まり返った空間の奥底、かすかな霧が漂う先には、唯一の出口を偽装するかのように、小さく口を開けた暗い石扉の影が佇んでいる。
近代都市の真ん中に位置する博物館の内部であるはずなのに、まるで忘れ去られた古代遺跡へと、空間ごと引き摺り下ろされたかのような錯覚。
「古代の、寺院············? いえ、これはそんなものではないですね」
シュテルが細い指先を額に当て、乱れかけた平衡感覚を無理やり繋ぎ止めながら、周囲の石柱を鋭く見据えた。
「私達の知る魔法の法則から言えば、これほどの大規模な空間を維持するならば、膨大な魔力が定期的に観測されないといけない。しかし、ここにはそれがない············外と中とで、空間の規則性そのものがすり替えられています」
「········うむ」
シュテルの観測結果を耳にしながら、ディアーチェは組んだ腕の指先を顎に添え、深い思考の底へと視線を沈めた。
外観は紛れもない近代都市の博物館でありながら、内部は太古の神殿を模した物理法則を無視した広がり。
これほど常軌を逸した位相の改変を成し遂げる異界の力、まさしく『呪い』という異能の法則が働いている可能性がある。
その底知れぬ力の悍ましさに、王としての矜持が微かな警鐘を鳴らす。
しかし。
「········待て。シュテル、レヴィ」
「? はい?」
「どうしたの王様?」
その思考の途中で、ディアーチェはある根本的な違和感にハッと顔を跳ね上げた。
「退路の確保はどうなっておる········我らが入ってきた────
「「え?」」
王の鋭い指摘に、三人は弾かれたように背後へと振り返った。
そして。
「あ、あれぇえッッッ!!!?? 入ってきた扉が········
レヴィが両手で自身の頭を抱え込み、目を白黒させながら絶叫をあげた。
彼女の視線が捉えたのは、さっきまで確かに存在していたはずの近代的な二重ガラス扉でも、外で待機しているはずのユーノの姿でもない。
そこには何百年も前からそこに存在していたと主張するかのような、苔むした冷たい一枚岩の石壁が、退路を塗り潰すようにして立ち塞がっていた。
「これは不可解ですね········空間の入口そのものが消失したかのようです」
シュテルは至極真面目な顔つきを崩さぬまま、淡々とした口調で事態の深刻さを口にした。
「これでは········通常の手順による脱出は不可能と言わざるを得ません」
「えぇ!? ってことは脱出不可能!? うわぁぁぁん!! もう閉じ込められたぁぁぁぁアアアアッ!!!!! どうしようどうしようシュテルンッッッ!!!??」
「ええ、まさに前途多難。八方塞がりの窮地です」
パニックに陥ったレヴィが両手を左右へ激しく振り乱し始めたかと思えば、何を血迷ったのか隣に立つシュテルまでもがスッと背筋を伸ばし、両腕を奇妙な角度で構え始めた。
そして二人は呼吸を完璧に同調させると『どうし〜ようっ!! あっそぉ〜れどうしようッ!!』などと、およそ緊迫した調査任務の現場には似つかわしくない調子の外れた掛け声を皮切りに、二人は滑らかな円運動を描きながら奇妙な踊りを繰り広げ始めた。
理知の権化であるはずのシュテルが無表情のまま手首を雅やかに返して腰を落とし、青髪のツインテールを激しく揺らすレヴィが足踏みを合わせて、どこか東洋の土着的な祭礼を思わせる軽快な踊りを披露している。
退路の消失という致命的な異常事態に対し、脳内の情報処理が許容量を超えまくった結果、身体運動による緊張緩和を図ろうとしたのか、あるいは単なる悪ふざけの領域に踏み込んでしまったのか。
絶対的な絶望に直面してしまってもう踊るしかないみたいな状況に、二人は愉快に盆踊りをし続ける。
「貴様ら·······王である我の前で何を阿呆な狂態を晒しておるかぁぁぁアアアアアアアアッッッ!!!??」
ディアーチェのこめかみに青筋が浮かび上がり、その威厳に満ちた佇まいをかなぐり捨てて、二人の頭上へ向けて怒気を含んだ一喝を叩きつけた。
「ええい取り乱すな莫迦ども!! 落ち着かんかと言っておろうが貴様らぁぁぁああああああッッッ!!!!!」
「だ、だって王様ぁぁぁああああッ!! 扉がないんだよ!? ここから出られないんだよ!?」
「その通りです。退路を断たれた以上、精神的な動揺を身体運動へと変換し、心理的均衡を保つための合理的判断とご理解ください」
「どこが合理的かこの愚か者めが!! 踊っておる暇があるならそのエネルギーを周囲の警戒に回せ!!」
ディアーチェは乱暴に頭髪を掻き毟り、深い溜息と共に二人を鋭く睨む。
まったく、頼もしい我が臣下と誇らしく思っていた矢先にこの体たらく。
頭痛を覚えるような徒労感に眉間に皺を寄せながらも、彼女は石壁を背にして前方に広がる闇の回廊へと視線を据え直した。
「フン······喚いたところで消えた扉が生えてくるわけでもあるまい。外には結界を維持するあやつがおるのだ。この空間の構造がどれほど歪んでいようと、ここの謎を解明できれば、この鳥籠も自ずと崩壊するに決まっておる。ほら行くぞ、莫迦ども」
「はーい!!」
「御意」
二人は何事もなかったかのように踊りをピタリと止め、姿勢を正して王の背後へと戻る。
こうして、出口を閉ざされた太古の石造迷宮の奥深くへ、三人の少女達は足を踏み入れることとなったのである。
◇◆◇◆◇◆◇
幾段もの粗削りな石造りの階段を上り、中央に鎮座する不気味な台座を通過したところで、回廊は左右へと大きく枝分かれしていた。
湿り気を帯びた空気は奥へ進むほどにその異臭を増し、壁面の彫刻の隙間からは絶えず何かが擦れ合うような微細な異音が鼓膜を打つ。
「············二手に分かれるぞ」
ディアーチェが足を止め、左右の暗がりを検分しながら命じた。
「これほど広大な構造を全員で辿っていては、相手に先手を取られかねん。シュテル、貴様は我と共に中央の主回廊を直進し、最奥の気配を探れ」
「わかりました」
「レヴィ、貴様はその俊敏さを活かし、側面の側廊を索敵して退路の糸口を探せ」
「了〜解!! 任せてよ王様!! 怪しい奴がいたら真っ先に切り刻んでやるから!!」
「え? いや、そこまでは別にしなくて──────!!」
「じゃあ行ってきま〜す!!」
レヴィは自身の胸に拳をぶつけて派手に打ち鳴らすと、ディアーチェの制止を待つまでもなく、身軽な跳躍と共に右の細い通路へと飛び込んでいった。
「あ、レヴィ、単独での深追いは────!!」
シュテルの忠告もすでに届かぬほど、少女の姿は軽快に闇の彼方へと遠ざかっていく。
「やれやれ、相変わらず落ち着きのない奴だ。シュテル、我らも行くぞ」
「ハッ!!」
◇◆◇◆◇◆◇
二人の視界から外れた廊下は、中央の神殿のような大回廊に比べ、極端に天井が低く圧迫感に満ちていた。
足元には依然として湿った土塊と砕けた石材の混ざり合う不快な感触が続いていたが、一人で軽快に駆け抜けていくレヴィの高速移動能力の前には、足場を乱す障害とすらなり得ない。
青髪のツインテールを風に乗せて揺らし、少女は薄暗い通路の奥へとすり足で前進を続けた。
と、不意に。
石壁の連なりが不自然に途切れた。
「········ん? あれ何だろ?」
レヴィが急ブレーキをかけ、足を止めたその先。
太古の神殿を模した苔むした石壁を力任せにくり抜き、無理やり嵌め込んだかのように極めて場違いな近代建築の設備がそこにあった。
歪んだ鉄枠に収められた、分厚い防音仕様のスチール扉。
衝撃によって蝶番が軋んでいるのか、扉は外側に向かって数センチほど半開きの状態で固定されており、その上部には煤けた金属のプレートが打ち付けられていた。印字された塗料は激しい摩擦によって掠れかけていたが、そこには紛れもなく『中央監視室』の五文字が刻み込まれていた。
「へぇ···········もしかしてここがユーノの言ってた警備員のおじさんが急に消えたっていう部屋かなぁ」
外で共有された見取り図を思い出しながら、レヴィは警戒度を一段引き上げた。
細身の体を滑り込ませるようにして、隙間から薄暗い室内へと足を踏み入れる。
内部は先程までの湿気に侵食された神殿回廊とは異なり、辛うじて人間が日常を営んでいた近代的な事務所の名残を留めていた。
しかし。
正面の壁一面に整然と埋め込まれていたはずの数十台に及ぶ監視モニターは、その悉くが映像信号を失い、チリチリと乾いた電子音を立てながら灰色の砂嵐を激しく明滅させている。不規則に明滅する無機質な白黒の光が、室内の暗がりに不穏な影を不規則に揺らめかせていた。
足元を見れば、激しい混乱の痕跡が散乱している。
踏み潰されて平たくなったプラスチック製の弁当容器、無造作に放り出されて中身の茶色い液体を床へぶちまけた清涼飲料水の缶、そして未だ点滅を繰り返す警備員私物の通信端末。
刃物による破壊痕や血痕が飛び散った形跡はどこにもない。
ただ、そこに確かに存在していたはずの生きた人間が、ある一瞬の出来事を境にして、この世から唐突に抹消されたことだけを生々しく告げていた。
「う〜ん、誰もいないみたいだけどねぇ················」
レヴィは首を傾げ、薄気味悪い電子音の反響する室内を歩調を緩めて進む。
視線を手前の操作盤からモニターの明かりすら届かない部屋の最深部、大型の自家発電装置や配電盤がひしめく機械室の暗がりへと向けた。
その時であった。
じとり········と。
湿り気を帯びた重い布切れを、コンクリートの床面へ擦りつけるかのような。
「········ッ!?」
レヴィの身体が反射的に硬直した。
その手から自分のオリジナルであるフェイトのデバイスを模した武器が出現し、その魔力刃から微小な紫電の火花が切っ先にパチリと弾ける。
少女は重心を低く落とし、目を細めて音がする方へと鋭く睨む。
「だ、誰だ!? そこに隠れてるのはわかってるんだぞ!! 誰かいるんなら隠れてないで堂々とボクと勝負しろ!! こっちはいつでも受けて立つぞッ!!」
鋭利な警告を投げかけた、その返答。
光の差し込まぬ機械の隙間から、まるで耳へ直接、腐敗した脂を塗りたくられるかのような。
『·······チ、ュ·······』
「····························ハ?」
鼓膜を撫でたその不快極まりない音に、レヴィが怪訝そうに眉を顰める。
その目前。
機械の背後にある闇の底から、重力に逆らうようにしてずるりと這い出てきたのは。
到底この世の自然が生み出したとは思えぬ─────歪んだ“肉の塊”であった。
全体としてキノコや軟体生物を思わせる不恰好な隆起が無数に蠢き、その湿った表面には『人間の顔面』そのものをブドウのように連ねて幾つもの箇所に埋め込んでいる。
その怪異は血走った瞳の全てをレヴィの華奢な姿へと固定すると、醜悪に裂け、湿った口元をだらしなく歪ませ、
『チュぅしよぉぉぉおおおぉおおお』
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