花(あなた)にとって。
葉(私たち)は、無為なものだったのだろうか。

花を喪った後、遺された葉は。


※本作は、
ゆっくりゲーム実況者グループ『めめ村』の皆様による
クトゥルフ神話TRPGプレイ動画『泥男は誰だ』を元にした二次創作です。
 
※本編の重大なネタバレを含みます。

※本来チラシの裏は、ネタと習作のみとの事ですが、原作の特性上、こちらに投稿いたします。

【リプレイ動画】
iemon様
https://youtu.be/eSRPKo4bx18?si=CFUDLtqmWuzNuF7b

茶子様
https://youtu.be/yhNmTZNs8l4?si=aGBfXlXrlDYoBJZH

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花はさ、葉は無為と知らず(完成版)

 

 彼等の命日となるその日、家元は、かつて鐘有邸があった地へと赴いていた。

 花束は五つ。暖色系と寒色系、若葉を感じさせる緑に、典型的な墓花を二束、そして少量のカップ酒。

 

 所有者の急死が相次(あいつ)ぎ、空き家が増えた。鐘有邸に至っては、あの日崩れた瓦礫(がれき)が放置されたまま。

 家の囲いが乾いた風に(こす)れ、きぃ、きぃ、と小さな金属音を立て、家元を迎える。

 

 一人の男が、死んだ妻を生き返らせようと暴走し、(あや)しげな地球外生命体の力に(すが)り──無関係な周囲の人間はおろか、家元の友まで死に追いやった悪夢。

 元凶は止めた。家元の友人たちを最後の犠牲者として。

 ……いや、家元が止めたことで、犠牲者は増えたと言うべきなのか。

 

 適当な平ら部分に花を供える。瓦礫の灰色と折れた材木のくすんだ茶色、金属製の門の黒の場で、花だけが鮮やかだ。

 カップ酒の(ふた)を外し、付属のドライフルーツを沈めると、酒の水分を吸った果実から、ほんのりと香りが立つ。

 

 甘い匂い。

 酔うと早口になっていた茶子。

 料理上手な善の包丁さばき。

 雨宮の、ポケットいっぱいのお菓子。

 

 些細(ささい)なことから掘り起こされる、(いく)つもの友との思い出に、家元は、押し流されるように、ふらりとたたらを踏んだ。

 目眩(めまい)がおさまった後、手を合わせる。

 

「カップ酒にも、こういったお洒落(しゃれ)な物があるんでござるなあ。

茶子殿、善殿、雨宮殿、一緒に飲む機会はおあずけになってしまったでござるが、天国の宴会場の予約は、任せたでござるよ。

まあ……自分は地獄行きやろうから、不参加になってもうたら、すまん」

 

 親しかったか、と言われたらそれなりに。

 好きだったのか、と問われれば、友人なのだから好きな部類に入っていた。

 だが、それだけだ。

 

「なあ。茶子殿、善殿」

 

 誰かがやらねば、の代わりに友を殺した。

 世界にとって正常だから。そんなお題目(だいもく)を振りかざし、他の誰かの、生きていたいという権利を、願いを、(にぎ)(つぶ)した。

 その選択が、できた。

 

「愛は、怖いでござるな」

 

 冷たい風が、家元の指先から熱を(うば)う。

 友のイメージに合わせ選んだ花に触れてみても、かつて友にあった暖かさは、家元に伝わってこなかった。

 

 世界そのものを。

 自分や他人の人生や命より、その人が大切なのだと。その人さえ(よみがえ)ってくれるのなら、己を含め世界など滅茶苦茶になって構わないのだと言い切り、実行できるほど。

 

 それほどに誰かを愛したことは、家元にはまだ、ない。

 

 ふいに、誰かの足音が(ひび)く。

 死と、家元だけの場に、規則正しいヒール音と、煙草の香が混ざる。

 

「鐘有さんのそれは、愛の持つ一面であって、全てではないでしょう」

 

 来ていたのは気付いていたし、今日来るだろうとも思っていたため、(おどろ)きはない。

 (あわ)てず振り返ると、相変わらずの細身に、煙草の匂いを(まと)った、スーツ姿の黒髪の女性──墓杜芽々が、今日も目の下に深い(くま)を宿して立っている。

 

「今度は何日寝ていないでござるか、芽々殿」

「問題ありません。昨夜は二時間は眠りました」

 

 墓杜は家元の横に来るや、無造作(むぞうさ)に、景品らしき菓子を花の手前に置いてから、手を合わせようとして……思い出したように、新しい煙草に火をつけた。

 しゅぼ。

 瓦礫と冷風。故人(こじん)と家元。この場に停滞(ていたい)していた死という概念(がいねん)の中に、墓杜という小さな熱が(とも)る。

 

 墓杜は煙草を、家元が供えた日本酒の近くへと(そな)える。線香代わりらしい。

 そのまま、花と酒の前にしゃがみ込み、目を閉じて手を合わせた。

 

 煙は風に揺られ、()ゆる前に消える。

 ぎい、ぎい。囲いが(きし)む。

 空にいる友への目印を上げることを、(はば)むように。

 

「……お二人は煙草は吸わなかったと思うでござるが」

「新たな嗜好品(しこうひん)を知る良い機会じゃないですか。ちゃんと後で火を消して吸い殻回収しますよ、安心してください」

 

 雨宮の無茶振りに、何度も二人でタッグを組んできている彼女は、家元の静謐(せいひつ)な墓参りなど、一瞬にして崩してしまった。

 黙祷(もくとう)しているのかと思いきや、その口がもごもごと動いている。

 ……墓杜が熱心に祈る内容。

 興味をひかれ、家元は、そっと耳を寄せてみることにした。

 

「…ますように、次のレース三連単当たりますように、次の…」

「芽々殿ぉ!?」

「天国からなら、馬の調子も体調もばっちり間近で観察できますし、私が()けた以外の馬の走行路をちょっと妨害(ぼうがい)するとかも、お茶の子さいさいですよね。

期待しています、特に茶子さん。

五万の重みを共感できる、私達友達」

 

 家元は(あき)れた目で墓杜を見遣(みや)るが、本人に(こた)えた様子はない。

 

「芽々殿のいう友達と、自分の考える友達は、絶対に違うということは、断言できるでござる」

「大丈夫です、茶子さんも善君も……ああ見えて、紗耶ちゃんも、優しいですから。きっと、私が負け込んで困っていたら、助けてくれます」

 

 さよか、と。ただそれだけを言うことが出来ずに、家元の言葉は、(のど)に詰まって出口を失う。

 

 そうだ、優しすぎたのだ。

 優しすぎた故に、元凶である、鐘有藍美や鐘有馬久留の心に寄り添った。

 ……寄り添うという選択が、できてしまった。

 

 自身と墓杜は、まだ泥男になっていないと、事件の調査段階で知った。

 が、放置すれば、泥男になるしかないと分かった。

 事件を解決する、とは、先に泥男に成り代わられた友と、永久に会えなくなることだと理解した。

 ……たかが肉体が泥になっただけの友を、友ではないと断じた。

 世界や友がどう、ではない。

 自分が、泥になりたくなかったのだ。

 

 自分本位の化け物。

 それが家元虎之介の正体。

 

 (わら)う家元に、花から目を離さぬまま、墓杜は尋ねた。

 

「殺したかったんですか?」

「そんなわけなかろう!」

 

 声を荒げ振り回した家元の手が、供えた缶に当たり、(こぼ)れた酒が煙草を()らす。鼻を突く、甘さの混ざったアルコールの香。

 

「私もです」

 

 静かな断言。

 我を忘れた振る舞いをしたことを、家元は即座に後悔する。

 墓杜は、家元が泥男事件を終わらせに行ったあの時、現実に(つぶ)され、ただ泣き(わめ)くだけの家元を叱咤(しった)し、地上まで駆け抜けてくれた恩人だ。

 御茶屋茶子、望月善、雨宮紗耶、三人の共通の友人であり……家元と同じ罪を負った、共犯者。

 

「バグってますよね、種として終わってます。

蜂や蟻みたいに超個体的な行動をする生物だって、女王が死のうが、下っ端は生き残るじゃないですか。

それを、諸共に道連れなんて」

 

 次第に早口になりつつ、墓杜は(うつむ)いたまま、濡れて火が消えた煙草を拾い上げる仕草をして、失敗する。

 ぽたぽた、ぽた。酒でできた小さな水溜りに、墓杜の目から落ちた水が新たな波紋を加えていくのを、家元は気づかぬふりをした。

 

「本当、私みたいないい人ほど馬鹿をみる」

 

 先程まであった灯りと狼煙は、消えてしまった。

 墓杜の細い指先が、(かす)かに震える。

 

 意を決して、家元は無理に明るい声を絞り出す。

 

「芽々殿、まさか。自分をいい人だと思っているでござるか」

 

 現金なもので、実際に口に出してみれば、脳が、日常が戻ってきたような錯覚(さっかく)を起こしたらしい。少しだけ、身体に血が巡りだしたようだ。

 友人からの稚拙(ちせつ)(はげ)ましが伝わったのだろう、座り込んでいる墓杜に手を差し出せば、家元の手を掴んで立ち上がる。

 と、

 

「技能値"知性"マイナス三」

 

 突然の駄目出し。

 

「女性が泣いているのであれば、そこはハンカチを差し出すのがベストアンサーでしょう。アイロンがしっかりかかった清潔(せいけつ)な物に限ります。

稀に、上着で泣き顔ごと隠してくれるキャラがいますが、あれは、加齢臭や汗臭さがないイケメン限定です」

「……………」

 

 家元は無言でベルトを外し、着ていた上着を墓杜へ投げつけてやる。

 不満を()らしていた墓杜であったが、やがて頭から被った上着の隙間から、ティッシュを鼻にあてる様子が見えた後、ぶびんっ、と盛大に鼻をかむ音がした。

 

「花粉症も大変でござるな」

 

 涙の理由など分かりきっていて、その傷口には触れない。

 ぎりり。

 家元の上着に(しわ)がよる。

 

「……重い」

「忍びの道具が仕込んであるでござるゆえ」

 

 重い。

 百三十四万五千六百三十一人の生命を摘み取ることを選択した重み。

 

 まだぐすぐすと鼻を鳴らしてはいるものの、ひとまず落ち着いたのか、墓杜が上着から顔を出し、家元は返された上着を再び羽織った。

 

「自分は」

 

 服のあちこちのバランスを整え、腰紐(こしひも)を締め直す。

 

「するべきことをした、とは思うてる。けど。

自分はそんな、いつだって正しいことをしたがってるわけじゃ、あらへん」

 

 やらなくてはと考え、そうあるべきだと思うことを、実行した。

 だからといって、それがやりたいこととイコールなわけではない。

 母体を殺すのは、誰かがやればよかった。

 そもそも忍者は裏方だ。

 ヒーローになぞ、なる気もない。

 だというのに、どうして自分がせねばならなかったのか。

 理不尽だ。

 

「…………当たり前じゃないですか、そんな完璧人間、気持ち悪い」

 

 責任転嫁(せきにんてんか)をしたい、誰かを(うら)みたいという悪意を、否定どころか肯定され、家元は、感情を一旦棚上(たなあ)げすることに成功した。

 家元の顔の前で、ちちち、と墓杜の細い指が振られる。

 

「ギャンブルですよ、人生は。

(たま)に割としょっちゅう大負けすることがあるんです。

堅実に確実に。そう思っていても脚はパチンコへ向かい、ロトを買う」

 

 目元の隈が乾ききらぬまま、それでも墓杜は、この場に(ただよ)う停滞と死から、自分という存在を引き戻し、笑ってみせる。

 

「というわけで帰りの電車代消えました。この付近で安いカプセルホテルをご存知ありませんか」

 

 そういえば彼女の供え物は、どこぞの賭け事で入手できそうなチープなお菓子。

 つまりはそういうことだ。

 

「人生、負けて泣いて血を燃やして。そこからが始まり」

「賭け事には付き合わぬでござるからな」

 

 邸宅へ背を向け、歩き出す。

 いつの間にか無風。

 囲いは鳴ることを止めていたが、それは二人が去ることを拒まないという意味なのか、それとも鳴りを(ひそ)めねばならない何かから、身を隠そうとしているのか。

 

 互いがいる。それが有り難くもあり、相手が今隣を歩く人物であるというのことが、少し怖くもある。

 

 墓杜は、家元を責めてくれない。

 家元も、墓杜に責任を問おうとしない。

 

「ああ、そういえば」

「なんですか」

「自分今回、地元からここまで新幹線で来とります。忍者教室と名古屋城での忍者ショー出演の合間での強行日程なんで、ホテルの情報は持っとりませんよ」

「は?」

 

 分かりにくいのか分かりやすいのか。家元は墓杜を見ながら思う。

 墓杜は経験上、自身の(やわ)らかい部分を見つけられ、触れられることを、苦手とする(ふし)がある。

 苦笑いしつつ、家元は墓杜と歩幅を合わせた。隣を歩く墓杜へ、その心遣いに気づかない(にぶ)い男として振る舞った。

 

「まあ、かまへんですよ、立て替えくらい。代わりにちょっと、動画編集手伝うてくれれば」

「先日ショート動画上げたばかりじゃありませんでしたか」

「未編集の録画が複数あるもんで」

 

 忍者教室の宣伝活動は、コンスタントな継続が必要。

 家元からの(げん)に、ややあって墓杜は、首を(たて)に振った。

 

「……背に腹は代えられません、良いでしょう。ただしクレジットに私の名前入れさせてください」

「それは常識や。ほな、新幹線、大人二人やな。

ああそういえば、芽々殿は名古屋住まいやったか。したら丁度ええわ」

 

 家元は(ふところ)からチケットをぴっ、と取り出し、うち一枚を墓杜へ手渡す。

 既に購入、発券済みのそれを、怪訝(けげん)そうに(なが)めた墓杜は、大仰(おおぎょう)に溜息をついて、失くさないように財布へと仕舞い込んだ。

 

「……ああ、そういえば名古屋城は、服部半蔵(はっとりはんぞう)の忍者ショーやってますね」

代打(だいだ)のヘルプやさかい、そないに出番あるわけやあらへんけど」

 

 家元は、チケットを準備済みであることを、別に意図して黙っていたわけではない。

 面倒見のよい反面、それを素直に表に出さない彼女なら、何かしてくるだろうと予測を立てていた。

 外れたのなら、新幹線の車内が一席、空席になっていただけの話。

 

「飯どないする?いうても昼は流石にもう食うてんけど」

叙々苑(じょじょえん)なら(おご)られてあげても良いですよ」

「…丸亀製麺にせぇへんか」

 

 とりとめもないやり取りをしながら、家元は、上着の仕掛け穴より、伸縮式特殊警棒(しんしゅくしきとくしゅけいぼう)を取り出した。

 歩く足は止めず、警棒を最長にまで伸ばす。

 墓杜の靴底が地面を打つ音が、歩行のそれから、軸足(じくあし)として地を(とら)えたそれへ変わった。

 それが合図。

 

 バギィッッ!!

 

 家元が逆手(さかて)で振りぬいた警棒と、墓杜の後ろ回し蹴りが、二人の背後に迫っていた気配を見事に捉えた。

 不意打ちだったのだろう、直撃を受けた不審者(ふしんしゃ)は、ドサリと仰向(あおむ)けに倒れる。

 

「白昼堂々、女性含む一般市民を背後から襲おうとは、いい根性でござ………うん?」

 

 警棒を元通りに上着に仕舞い込み、後ろを振り返った家元は、今しがた自身が成敗した相手の、そのあまりに現実離れした姿に、一瞬、息を()む。

 それは、どう表現しても。

 人の大きさをした二足歩行の巨大な蜥蜴(とかげ)が人間の服を着ているともいうべき、奇妙な化物であった。

 

「……家元さん、怖いこと言っていいですか。

私、以前、こういう化物が出てくる夢を見たことがあるような気がします」

「さよか。ほなきっとこれも夢やな」

 

 同じく人間大の蜥蜴を目にした墓杜が、背筋の凍るようなことを口にする。

 背に流れた汗は、べたりと肌に張り付くばかりで、そよとも吹かない風が、この異常さを語っているようだった。

 心臓の音が大きく鳴る。

 (ぬる)い空気に生臭さが混じっていると感じるのは、気のせいであると思いたい。

 一歩。非現実から目を背けることを、脳が判断する。

 二歩。後ずさる。

 三歩目で反転、家元と墓杜は、振り返らずにその場から脱兎の勢いで走り出した。

 

 全力疾走(しっそう)しながら、家元は声を張り上げる。

 

随分(ずいぶん)と気合いの入ったナンパでござるな。芽々殿、あんなのにまで交際を申し込まれているでござるか!?」

「というか特殊警棒入りのだったんですかその上着。道理で重いと。あと何が入っているんですか!?」

「あとは乾燥させた(ひし)の実と胃薬くらいしかないでござるよ!」

 

 怒鳴り返し、数秒。奇妙な沈黙が落ちる。

 乾燥させた菱の実(まきびし)

 墓杜が家元を怒鳴りつけた。

 

「アイデアロールファンブルか!今()かずにいつ撒くと!!」

「くそ、裁縫(さいほう)は苦手でござるがやむ無し!」

 

 家元は、決心したようにそう言うや、上着の(すそ)を縫い留めている太めの糸を、文字通り一気に引き抜いた。

 ばらばらと地面に落下していく、黒い(とげ)だらけの(かたまり)

 

「文句は後で聞くでござる!捕まれ!」

 

 元々足の遅い墓杜が遅れ始めた。家元は、強制的に墓杜の上半身に腕を回し、膝裏を(すく)い上げる。

 まだ間に合う。脚は溶けて泥になっていきはしない。

 振り落とされないように捕まる腕が、落とさないように抱く腕が痛い。

 

「芽々殿、普通の靴ではあり得ない威力だったでござるが、底になにを入れているでござるか」

「踏み抜き防止インソール系の物質を、インではなくアウトに施しているだけです。

いつ何時、非日常に巻き込まれるか分からないので!」

「いつの時代のヤンキーでござるか!」

 

 どれだけ経った、どれだけ走った、どれだけ離れた。

 影は同じ位置にある。足音が聞こえない。

 

 こけつまろびつ逃走する途中で、白衣を(まと)った医療関係者らしき人にぶつかる。色々な書類と共に、青い錠剤(じょうざい)の入った薬瓶が地面に転がり落ちたのを、短く、ごめんなさいとすまぬでござるの、各自ひとことだけで放置する。

 

 ピヨ、ピヨ、耳慣(みみな)れた電子音。LEDの青と、白線の上を行き交う人々。

 風がぶわりと顔に押し寄せ、車の排気(はいき)ガス独特の(くさ)みが肺に届いた。

 

 

 ──抜け出せた。

 

 

 家元は、やっとの思いで道路へ倒れ込み、墓杜を降ろす。

 突然大通りに飛び出し倒れた二人は異質なはずだが、しかし何故か、周囲は彼等に注目していない。

 通りにいる人々の視線は、皆、一組の男女の方を向いていた。

 

 ぜんくん。

 

 今はもういないはずの友人の名を、誰かが呼んでいる。

 声の主を追ってみれば、周囲の歩行者の視線と、同じ相手へと行き着く。

 どうやら男の方の名が、偶々(たまたま)、友である善と、同じようだ。

 怪奇(かいき)から抜け出したと思えば、また別の怪奇にぶち当たった気分だ。

 まだぼうとしたまま、道向こうの男女の会話を聞く。

 

 ぜんくん、楽しい?

 女性が男の手を引いている。

 そうですね、楽しいというか、(なつ)かしいというか。めめさんが楽しそうなのが、楽しいかな。

 男が答える。

 そう?……そうね、きっと明日も、最高の日になるわね。

 人の世からかけ離れた男女が笑っている。

 

 (うつつ)か幻かとも(わか)らぬ狭間(はざま)の男女の姿は、次第に遠ざかり、人混みに埋もれて消える。

 ふっ、と息をついたのは、家元と墓杜、どちらだっただろうか。

 街並みの喧騒(けんそう)を、耳と脳が理解し始めた。

 自然と、顔を見合わせる。

 いまいち現実に戻りきれぬまま、のろのろと身を起こした。

 

「……新幹線、間に合いますか」

「あー……何処かでちょっとひと息入れて……。夕飯は車内でコンビニ弁当でござるな、これは…」

 

 鐘有邸付近での異形のことは、強制的に忘れる。

 ご近所の方が犠牲になるやもしれないが、首を突っ込んでもどうにもならないことも世の中にはある。

 墓杜は煙草を(くわ)えてライターを取り出しかけ……ここが道路であることを思い出したか、あからさまに肩を落とした。

 

「先ずは、自販機と喫煙室(きつえんしつ)を探しませんか」

「賛成でござる」

 

 吹き出していた汗を拭い、服の土埃を払う。

 特に家元は、意図的に服の糸を解いたこともあり、見た目がぼろぼろだ。名古屋へ着く前に、どこかで整えねばなるまい。

 

「肩と腕の感覚がないでござる」

「家元さんはもっと持久力つけたほうが良いですよ」

「芽々殿は煙草を止めれば良いと思うでござるよ」

 

 

 ふらつきながら、迷いながら。

 

 ──生きる。


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