「ア・ナ・タのアイドル、サインはB!」
歌詞の終わりと共にポーズを決めると、会場は大きく沸き立った。
歌いながら、私は客席を見る。いつでも、どこでも、私は舞台の上から客席を見る。誰が自分を見ているか、誰が見ていないか、それを確かめながら歌うのが私の癖だ。照明が幾重にも交差し、サイリウムの赤と白が揺れている。今日は数百人以上いる。ステージの床に歓声の振動が伝わってきた。
この曲は旧B小町から引き継いだ曲だ。ジャパンアイドルフェスの新B小町のファーストステージ以来、既に数えきれないほど歌ってきた。あの時も発足したばかりの地下アイドルとしては破格の扱いを受けて出場したのだけれど、今回の卒業ライブのステージの大きさは当時とは比べ物にならない。
――これが私のやってきたことの成果なら、良かったのだけれど。
内心の自嘲を顔に出さないように心がける。
集まったファンたちは、私の卒業ライブだからと、白いサイリウムを振ってくれてはいるけれど、多くの目線は私ではなくルビーを向いている。母親から受け継いだ整った顔と天真爛漫なキャラクターに加え、いつの頃からか闇を孕んだ存在感を発揮するようになっていた。「15年の嘘」の撮影を通して何かを掴んだのか、眩しいほどの輝きの中にミステリアスな雰囲気まで宿している。天真爛漫なのに底が見えない、母親のキャラクターを継承しているように見えて何かが違う、常に目を離すことができない。スターとはこういう存在のことを呼ぶのだとドルオタではない私にも分かる。――それでも。
上等だ。
アイドルとしては私よりもルビーの方がずっと上だ。それを承知で私は叫ぶ――私を見ろ、と。
そう叫び続ければ、ルビーほどではなくとも私を見てくれる人もいる。そんな人をわずかでも増やすことを願って、全力で歌って踊る。私にできることはそれしかないのだから、ルビーに勝てずとも少しでも私を見させてみせる。
その気持ちが届いたのか、私が最後に掲げた手に、会場中の視線が集まった。その熱を、私は全身で受けた。ほんの一瞬だけ、それで十分だと思った。
――いや。
違和感に気付いたのは、その直後だった。何かがおかしい。客席のどこかに、何かがある。視線が自然に引き寄せられた。
前列から三番目。無地のパーカーにジーンズという洒落っ気のない恰好の30代くらいの女性。赤いサイリウムを手にしたままだらんと腕を下ろしていた。艶を失った黒髪を無造作に束ね、化粧気のない顔には深い隈が刻まれていた。服装の地味さとは裏腹に、その存在だけが異様に際立って見えた。
――新野冬子。
通称、ニノ。旧B小町の初期メンバー。私とも一度だけ話したことがあり、その際に未だに抱え続ける星野アイに対する妄執を見せていた。
彼女の様子がおかしいことに気付いたのは、多分、会場でも私だけだった。私を見ろと叫び続けていたからこそ、私のことを全く見ていない彼女が目に付いた。私の卒業ライブだというのに、センターの私が視界にすら入っておらず、ただひたすら、ルビーを見つめていた。
瞬きをしていなかった。どれだけの時間、あの目はルビーを見ていたのだろう。私がステージで叫んでいる間も、曲が終わってポーズを決めた後も、ずっと、一度も瞬きをしていなかった。そこに感情があるのかどうかも分からなかった。ただ、目だけが、ルビーを見ていた。
◇
「いやー、私とお泊まりしたいだなんて、やっぱり先輩は私が大好きなんだね」
ライブが終わり、事務所に帰る途中のことだ。ミヤコ社長の運転する社用車の中で、後部座席で私と並んだルビーは嬉しそうに抱き着いてきた。
私は小さく肩をすくめる。「アンタは脇が甘いからね。目を離したら不安なのよ」
「いやいや今更不安だなんて。私と一緒にいないと寂しいんでしょ?」
「はいはい、勝手に言ってなさい。こら、ちゃんとシートベルトは締めるの」
こんな風に懐いてくれるから、私はこの子を憎めないのだ。
憎めた方が楽だとも思わないが。
「うんうん、仲良しなのはいいことだよお」
じゃれ合う私たちをMEMちょも嬉しそうに眺めている。普段は飄々としていて本心が読めない彼女ではあるが、今回に関しては本当に嬉しいのだと思う。「15年の嘘」の撮影中、私とルビーの関係が険悪になっていた時期には彼女にも随分と気を揉ませた。こうして以前のように接しているのを見れば、安心できるのだろう。
別に今でも私のルビーに対する鬱屈がなくなったわけでもないし、ルビーだって私にあれこれ言われたことに対して何も思っていないわけでもないだろう。ただ、そういったわだかまりをお互いに認識した上でも、一緒にいることを選んだというだけだ。
これまでの人生では仕事上の付き合いばかりで、利害の絡まない「友人」というものをロクに作ってこなかった私ではあるが、友人関係というのはそういうものなのだと思う。B小町を抜けた後で、この繋がりが失われてしまったら、きっと、私は悲しい。
「じゃ、私はここでね」
マンションの前でMEMちょを下ろす。
「MEMちょもうちに泊まって行ってもいいんだよ?」
「いやあ、突然2人はお邪魔でしょう? 色々話もあるだろうし、かなちゃんと2人で仲良くね」
手を振ってMEMちょと別れ、車が再発進した後、社長が口を開いた。
「うちは泊まっても構わないけれど、でも、突然ね。有馬さん、何かあったの?」
「いえ、まあ、明日の振り付けに関しても確認したいので、レッスン場を使いたいのもあって」
「明日もあるから、あまり根を詰めないようにね」
この人は結構鋭いから、私の言葉に本当にごまかされたわけではないと思う。追及されたくない私の気持ちを汲んでくれただけだ。
窓の外を、街の灯りが流れていった。年末に近い夜の街は人が多く、どの顔も明るい方を向いていた。私はその光景をぼんやりと眺めながら、ライブ会場で感じた何かが、胸の底にまだ沈んでいることに気付いた。
私が今晩ルビーの部屋に泊まると言い出した理由は、単なる漠然とした不安だった。
――ライブ会場で見た、新野冬子の、あの目。
あんな目は見たことがない――おそらく一番近いのは、「15年の嘘」のフィルムに映っていた私自身の目だった。アイ役のルビーに対する嫉妬を拗らせて酷い言葉を投げかけていた私自身の目。
「15年の嘘」で演じた新野冬子の人間性に関してだけは、私は人よりも理解している。アイを愛したくて、でも憎らしくて、その愛と憎悪に板挟みになっていた。
でも、私に理解できるのはアイが生きていた当時の彼女の気持ちだけだ。アイの死後も15年に渡って愛憎を熟成し続けて来た今の新野冬子は、アイが生きていた時以上に妄執に囚われている。彼女はずっとアイを忘れていない。ルビーを通してアイの幻影を追い続けている。その気持ちは、想像はできても共感はできない。
――でも。
彼女は、アイを忘れようとはしなかったのだろうか。
死んでしまった人を、愛しても憎んでも空しくなるだけだとは、考えなかったのだろうか。
それが分からなかった。私の演じた新野冬子は、アイが死んでしまったら、己を守るために、むしろ必死にアイを心から追い出そうとする人だった。死後もアイを想い続けたら壊れてしまうと、彼女自身が分かっていた。
何が、彼女にアイの存在を忘れさせてくれなかったのだろうか。
分からなかったから――今はルビーから目を離したくなかった。
◇
夕食までご馳走になってしまった。和洋折衷の家庭料理で、見た目こそ素朴だが味付けは繊細だった。手際の良さがそのまま皿の上に表れていて、思わず箸が止まらなかった。作ったのはアクアらしい。腹立つぐらいに美味しかった。何だアイツ、中学時代からずっと一人暮らしをしている私よりもどうして料理が上手いのだ。
夕食後にルビーと一緒にレッスン場で明日の振り付けを確認し、寝る前にシャワーも借りてしまった。広すぎず狭すぎない三LDKの間取りだった。リビングの隅に折り畳まれた撮影用の照明機材があって、その真向かいの壁に、ルビーとアクアの幼い頃の写真が並んでいた。機材と写真が同じ壁に収まっているのが、この家らしいと思った。仕事と生活が、この家では最初から混ざっているのだ。
押し入れから布団を出して床に敷く。ルビーの部屋は整頓されているが、使い込まれた感じがある。机の上に楽譜と台本が重なっていて、壁には大きなポスターが一枚。窓のカーテンを閉めると外の街灯の光が遮られて、スタンドライトだけになった。ルビーがベッドの端に肘をついて、こちらを覗き込む格好で横になっている。
「先輩も明日でついに卒業かー」
ベッドの上からルビーが話す。
「まあ、アンタらに歌を任せるのは心配だけどね。それでも最近は多少は聞けるものにはなってきたでしょ」
「うんうん、安心して任せてよ。それに、自分で演技やってみて、改めて思ったもん、やっぱり、先輩の演技って凄いんだなって。役者やりたいっていうなら仕方ないよ」
私はルビーの言葉に頷きながらも、少し目を逸らした。
私が役者に専念したいからアイドルを辞めるというのは嘘ではないが、それだけでもないと、既にルビーも分かっている。アイドルであり続ける限りルビーに勝てないから辞めるのだ、と映画の撮影中にぶつけたことがあるから。
この業界は、人気の差が分かりやすく数字で表れてしまう。それは単純な能力の差が可視化されるというだけではない。「どれだけ自分たちが人に好かれているか」という、人としての価値が問われてしまうのである。自分の方が人として劣っているのだと、客観的に突き付けられ続ければ、劣等感を抱かずにはいられない。それは、この業界を選んだ時点で、当然呑み込まなければならない感情ではあったけれど――。
――私はルビーを妬み続けたくない。
ルビーのことは好きだ。好きだからこそ、ルビーに悪意を抱くのが、苦しい。
新野冬子も――そうだったのだと思う。
「卒業したら役者一本だよね。やりたいこととかあるの?」
「ん。前に出演した島監督の映画の役が結構評価されてるみたいでね。次の映画も起用してくれるかもって話が出てるみたいよ。後はララライの舞台にもまた出てみないかとはいわれてるわね。今度こそ黒川あかねをギャフンと言わせてやるわ」
「相変わらずあかねちゃんと仲いいね」
あれと仲がいい扱いをされるのは不本意極まるのだが、面白がるようなルビーの目を見て、水を差すこともあるまいと呑み込んだ。
「あとは――そうね。B小町を卒業したら、多分、告白する」
ルビーは首を傾げた。
「告白? 罪の?」
「何でそうなるのよ」
「先輩って罪状多そうだし……」
「失礼すぎるわよ。普通に男に告白すんの」
ルビーはベッドからがばりと上半身を起こして、「ええ!?」と隣の部屋にも聞こえそうな大声を上げた。
「先輩って好きな人いたの? というか恋愛って概念が先輩にあったの!?」
「何でないと思うのよ。私だって年頃の乙女よ」
「いや乙女というには口が悪い……」
口が悪い乙女だっているだろう。そもそもルビーも口の悪さは私と大差ない。
「全然気づかなかった……男っ気が皆無だと思ってた……というか相手誰?」
「ん――」
場の勢いで話してしまったが――どうしたものか。アクアと正式に付き合うことになった場合は、ルビーに隠し通すのは無理だろうから今のうちに伝えておいてもいい。ただここでアクアとのことを話して、交際を断られた場合が問題だ。アクアだけでなくルビーとの関係まで気まずくなる。ルビーもアクアとの接し方に困るかもしれない。
「――告白の返事がOKだったら、その後にあんたにも教えたげる。私がしばらく何も報告しなかったら、まあフラれたってことだから、あんたは私をせいぜい気遣いなさい」
「おおう……でも誰だろ……」
深く詮索される前に話を変える。
「ルビーはそういうのはないの? 友達は多いみたいだけど女友達ばっかりで、私以上にそんな気配が全然ないけど」
「まあアイドルやってるうちはね。好きな人は、いるけど」
「マジ?」
私が思わず確認すると、「えへへ」とルビーはにかみながら頭を掻く。どう見ても恋する少女の顔で、どうやら本気で惚れている男がいるらしい。
「うん。ずっと好きな人」
「――告白するつもりは?」
「どうしようかなあとは思ってるよ。今告白されても向こうも困るだけなんだろうけど、じゃあずっとこのままってのもなあ――ほっといたら確実に他に女作るし」
「モテる男なのね」
「うん。今はフリーみたいだけどちょっと前まで彼女いたし、女好きのタラシだし。私は、生きてて一緒にいられればそれだけで嬉しいし、私のこと大事にはしてくれてるけど、それ以上の関係になれるものならなりたいと思うよ。でもまだ告白してOKしてくれる算段が立ってないから、ひとまず様子見してる」
話を聞いて嫌な想像をしてしまったが――いや、まさかね、とは思う。さっき自分の話をしていたから、私の好きな男の顔が自然に頭に浮かんでしまっただけであって欲しい。確かにルビーは重度のブラコンではあるが、私の考えすぎであってくれ。さすがにリアルで近親愛は見たくない。
「何だかんだでB小町はみんな青春してんのね。MEMちょのそういう話は聞かないけど」
「でもMEMちょは男友達も多いよ。多分その気になれば簡単に彼氏作れるんじゃない? アイドルでいるうちは自粛しているだけで、引退したらすぐにいい男を捕まえてそうだよ」
「まあ引退する頃には、そろそろ結婚相手探さないといけない歳になってそうだしね」
「ねー」
顔を見合わせて笑い合う。
そんな話をしながら、夜は更けていった。
◇
ライブに備えてほどほどの時間で話を切り上げて眠りについたので、朝の目覚めは悪くなかった。二人で起きて身だしなみを整え、洗面所で互いに髪を整えながら鏡越しに軽口を交わす。ルビーが作った簡単な朝食を並べ、笑いながら食器を片付け終えてルビーの部屋に戻ってきた後、玄関の呼び鈴が鳴った。
「壱護さんかな?」ルビーは部屋の扉を開けてリビングの方を見る。「ミヤコさん、今電話で出られないから――ちょっと私が出てくるね。先輩は部屋で待ってて」
ここは私の家ではなく星野家なので、私が来客に対応するわけにはいかない。頷いて部屋でベッドの上に座り込みながら、ルビーが部屋から出ていくのを見ていた。パタパタというスリッパの足音を立てて玄関に向かっていく。
一人残された私は、ルビーの部屋を見渡すと、壁に大きく張られた星野アイのポスターが目に付いた。映画の中で私たちが着たのと同じアイドル衣装を着て、「B-KOMACHI」と大きくサインがされている。その底の知れない特徴的な目からは、今のルビーに勝るとも劣らない「スター」のオーラが溢れ出ている。
彼女の顔を見ていると、昨日のライブ会場で見た、新野冬子の目を思い出して、不安になってきた。
――いや。そもそも私は、どうしてここに来たのだ。ルビーから目を離さないため――ではなかったのか。私が来客に対応する理由はない。理由はないが――今のルビーを、一人にしておくのは――。
私は不安で居てもたってもいられず、深く考えずに部屋を飛び出していた。一歩踏み出したら、後は勝手に足が動いた。廊下に朝の光が差し込んでいて、白い壁が明るかった。それだけが見えた。
新野冬子。
ルビーが無防備に開けたらしい玄関の扉の向こうに彼女の顔が見えた直後――私は、考えるよりも早くルビーに後ろから飛びついて、彼女を横に突き飛ばし、強引に新野冬子との間に割り込んでいた。
異様に静かだった。玄関に朝の光が差し込んでいて、外の冷気が一気に流れ込んでいた。新野冬子の顔が目の前にあった。昨日ライブ会場で見たのと同じ目が、今度はすぐ近くにあった。
その目は、私を見ていなかった。
私の向こうにある、ルビーを見ていた。
脇腹に痛みが来て、初めて、私が刺されたことを理解した。