死に損ないの星の子たちに   作:丸山迷

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3-1 理解

  白を基調にした二階建ての一軒家は、住宅街の中でもどこか静かに浮き立って見えた。整えられた外構と過不足のない佇まいは、内側にどれほどのものを抱えていても、この家がきちんと家として機能し続けてきたことを静かに示していた。

 私がこの家を訪れるのは何度目だろうか。おそらく片手で数えられる程度の回数しかない。かつては彼の恋人だったというのに、多分MEMちょやかなちゃんの方が私よりも家に訪れた回数は多いと思う。いや、彼女たちはアクアくんではなくルビーちゃんに会いに訪れていたのだろうけれど、それでも、恋人だった頃ですら彼女たちの方が私よりも彼に近い存在だったということは感じていた。

 

 私たちは普通の恋人ではなかった。

 普通の恋人になろうとして、普通の恋人の振りをしていた。始まりが恋でなくとも、演じて続けていれば、いつかそうなれると信じていた。

 今でも、その考えは間違っていなかったと思う。

 

 玄関のインターホンのチャイムを押す。少ししてから『はい』と二日ぶりの彼の声が聞こえてきた。想像していたほどは鬱屈とした声ではない。

 

「アクアくん? 私だよ」

『――あかね?』

「カミキヒカルと壱護さんのことで、話をしよう。アクアくんだって、私に言いたいことも、私から聞きたいことも、たくさんあるでしょう? 私も同じだよ」

 

 十数秒ほどの間があってから、躊躇いがちに返答があった。

 

『――今、家には俺一人だぞ』

「知ってるよ。私を襲いたければ襲ってくれてもいいよ」

『そういうことは言うな』

 

 溜息と共にインターホンを落とす音がする。少し待つと玄関の扉が開き、芸能界でも滅多に見ないほどに整った顔の男が見えた。目元に少しだけ隈があるが、それ以外は特別窶れている様子もない。まともに食事も睡眠もできない精神状態かもしれなかったので、もっとボロボロになっていることも覚悟していたのだが、思ったより健康的な様子だ。それどころか、どこか——腑に落ちた人間の顔をしている。壱護さんを失って、カミキヒカルと対峙して、それだけのことがあってこの顔は、おかしい。私の知らない何かが、この数日の間にあったのだろうか。

 

「――まあ、とりあえず上がれよ」

「ありがと。お邪魔しまーす」

 

 わざと明るい声をあげ、玄関で靴を揃えて家に上がる。彼に導かれるままにリビングに入って行った。アクアくんは無言のまま私を来客用の椅子に示し、自分は台所に向かう。その背中は、ここに来る前に想像していたよりずっと普通だった。あの夜から何日も経っていないのに、この家はもうこんなに静かなのか、と私は思った。コーヒーでいいか、と台所から声がかかったので私は頷いた。

 少しして、アクアくんがコーヒーを持って戻ってきた。私の分をテーブルに置いてから、向かいの椅子を引いて座る。背もたれには寄りかからず、両肘をテーブルに乗せて、まっすぐこちらを見た。話を聞く気はある、ということだろう。ただ、その目はまだどこか遠かった。

 

「警察での事情聴取は大丈夫だったか?」

「アクアくんと口裏を合わせた通りに話したよ。どちらかというとうちに帰ってからの方が大変だったなあ、お父さんを誤魔化すのがね」

 

 警察に解放され、家に帰ってからも事情聴取第二弾が待っていた。執拗に詳しい事情を尋ねてきた警視の父には、私が嘘をついているとバレているかもしれない。ただここまで背後の事情が入り組んでいるとは想像するのは難しいだろうから、具体的に何か分かっているわけではなく、私が何か隠し事をしていると気付いている程度だろう。

 

「アクアくんは、大丈夫だった?」

「--まあ、傍から見てもまともな状態じゃなかったからな。警察もあまり長く拘束するわけにはいかなかったみたいだ。多分まだ監視はついているし、おいおい追加で聴取されるんじゃないかとは思う」

 

 あれほど弱っていたアクアくんが壱護さんのことで上手く口裏を合わせられるかは心配だったのだが、むしろ誰が見ても疲弊している状態だったのが都合が良かったようだ。そんな状態でも事前に打ち合わせた通りの作り話を矛盾なく話すことだけはできる辺り、この人はやはり筋金入りの嘘つきだと思う。

 ストーリーとしては、かなちゃんが刺されたことに耐えられなくなって病院を飛び出したアクアくんが、海岸で偶然カミキヒカルと出会ったという所までは事実に即した通りの設定で行くことにした。そこで映画の脚本の内容に激怒したカミキヒカルと揉めている所を、アクアくんを探しにきた壱護さんが見つけ、壱護さんにも激怒したカミキヒカルが彼を刺し、そのままもつれ合って海に転落した、という方向で打ち合わせた。私は実際に起こったことと同じく、壱護さんと同様にアクアくんを探しに出て、全部が終わった後で呆然とするアクアくんの元に辿り着いた、ということにした。その他、ある程度細かい所まで設定を練り込んだ上で警察に通報したが、実際に何があったのかをお互いに詳しく話し合う時間はなかった。

 

「かなちゃん、面会できるようになったって」

 

 彼が用意してくれたコーヒーを手に取り、私は話を切り出した。彼は所在無さげに目を伏せる。

 

「――ああ」

「ルビーちゃんとミヤコさんが家にいないのは、かなちゃんと会いに行っているから?」

「そうだ」

「何でアクアくんは行かないの?」

 

 しばらく待っても返事がなかった。アクアくんは私と目を合わせようとしない。テーブルの端に置いたままの自分の手を、私はわざと視界に入れるようにして「アクアくん?」と呼んだ。彼は小さく舌打ちをしてから、渋々と答えた。

 

「合わせる顔がない」

 

 ……本当にこの人は。

 

「それは、あくまでアクアくんの事情でしょ? かなちゃんはアクアくんに会いたいと思っているよ。アクアくんはかなちゃんの気持ちよりも自分の気持ちを優先するの?」

 

 少し苛立たしかったので、刺々しい言葉になっていたと自分でも思う。

 この人は、自分が弱っている所をかなちゃんにだけは死んでも見せたくないらしい。わざわざ問い詰めようとしないだけで彼女も既に色々察しているだろうことも、弱い部分を見せた程度で彼女に幻滅されるわけがないことも、理解はしているだろうに。

 とはいえ、かなちゃんには強がった顔しか見せようとしないのに、こんな風に弱った所を全面的に曝け出してくれる相手も私だけなのだから、私は私でかなちゃんとは逆方向に彼から特別扱いされているのだとも思うけれど。

 はあ、と私はわざとらしく肩を落とす。

 

「アクアくんのスマホ、貸して」

 

 首を傾げる彼に向けて、早くしろと目線で伝えると、疑問符を顔に浮かべたままジーンズのポケットからスマートフォンを取り出して私に手渡してきた。受け取った後で8桁のロックを私が簡単に解除した時点で彼の顔が引き攣ったが、普段から観察していれば指の動きからパスコードを推察するくらいは難しくない。

 

「映画の撮影中に私がスマホをスっていたこと、気付かなかった?」

「は?」

 

 ぽかんとするアクアくんに向けて、画面を見せながら説明する。

 

「アクアくんも自分の撮影中はスマホを手放していたからね。壱護さんたちも協力してくれたから、他の人に気付かれずに荷物から持ち出す隙はあったんだよ」

 

 設定からアプリを立ち上げる。

 

「で、こうしてGPSアプリをこっそり仕込んでいたわけ」

「なっ!?」

 

 身を乗り出してきたアクアくんに淡々と説明を続ける。

 

「ホーム画面に出ないように設定していたけど、それでも中身をちゃんと調べればアクアくんも気付いたと思うよ。映画と受験とで手一杯だったからそんな余裕もなかったみたいだね」

「あかね、お前……」

「私もいつだったかのアクアくんを見習ったんだよ。大事な人が危ない目に遭わないようにするためには、こうして24時間監視しておけばいいんだってね。――何か言いたいことはある?」

 

 ぐ、と言葉に詰まった彼を見て、多少は溜飲が下がった。まあ私も自分のしたことが大概だという自覚はあるが、かつて私にしたことを思えばアクアくんの自業自得だと思う。

 

「カミキヒカルも亡くなったことだし、もうアクアくんも死ぬ心配はなさそうだからこうして削除しておくよ」

 

 言いながら画面を操作してアプリをデリートする。操作が終わってスマートフォンから顔を上げるとアクアくんは頭を抱えていた。

 

「――あかねは最初から、それが目的で映画に参加したのか?」

「うーん、そんな単純な話でもないんだけど」

 

 アプリの削除が終わったので、はい、と言ってスマートフォンを返した。私はコーヒーカップを両手で包むようにして持った。これから少し長い話になる。

 

「私がアクアくんと別れてから少ししてから、二人がアイさんの子供だってことを公表された時点で、アクアくんの計画は大体想像がついていたの。カミキヒカルを告発する映画を撮って、その脚本に逆上したカミキヒカルに襲われて相討ったというシナリオで死ぬつもりだって。私としてはアクアくんを死なせるわけにはいかなかったんだけど、アクアくんはカミキヒカルを許さないのはどうしようもないから、とにかく実力行使に至らないように間近で見張っておこうと思っていたの。最後の一線を超えることがなくとも、映画で告発するだけで社会的にダメージを与えることはできるしね」

「それで、GPSか」

「まあ、最初からそう考えていたわけじゃないんだけど、壱護さんと五反田監督の協力が得られたから、行けるかなと思って」

「――監督も?」

 

 アクアくんは驚いた顔をする。

 

「アクアくんを助けるために協力を得られそうな人は、片っ端から声をかけたんだよ。ルビーちゃんに、かなちゃんに、鏑木さんに、五反田監督に、ミヤコさんに、壱護さん。姫川さんと金田一さんにもララライで話を聞いたよ。全員に探りを入れた感じだと、既に深い所までアクアくんの事情を知っていそうだったのが五反田監督と壱護さんだったから、その二人には私の目的と知っていることも明かして味方に引き込んだの。まあ監督は映画を撮ること自体はやめるつもりはなさそうだったけど、映画を妨害したとしてもアクアくんは他の方法を考えるだけだから別に意味ないし、映画は成功させた上で最後の心中だけは止める形を目指している私は監督とも利害が一致していたんだよね」

「気付かなかった」

「あの人は普段からアクアくんのことを気遣っていた人だから。アクアくんがカミキヒカルとの心中を目論んでいると知って気遣うようになっても、アクアくんから見れば元とあんまり態度は変わらなかったんじゃないかな」

 

 複雑そうな顔をする彼を見ながら私はコーヒーに口を付ける。アクアくんはまだ「気付かなかった」の余韻の中にいるらしく、視線が宙に浮いていた。こういう顔は、あまり見たことがない。計算でも演技でもない、ただ傷ついている顔だ。ミルクを多めに入れたおかげか、思ったよりも飲みやすかった。

 

「まあ監督はちょっと協力してもらっただけだったんだけど、壱護さんの方は本格的に情報交換もしたんだよ。あの人はアクアくんと同じくらい長く仇のことを追って来たから、私も調べられていなかったことも色々知っていたよ」

「俺もあの人から話は聞いていたんだが」

「映画の脚本ために、アイさんの過去の話を聞いただけでしょ。この10年の間に調べたあれこれは伝えてないよ。あの人、アクアくんの精神状態がまともじゃないってことは私が接触する前から知っていたんだから。上原清十郎の話をした時に取り乱したアクアくんの姿を見ているでしょ」

 

 精神状態がまともじゃない、と口にした時には微妙そうな顔をした。アクアくんも自分が通院した方がいい状態であることは自覚しているだろうが、さすがに面と向かって言われるとまで思っていなかったのだろうか。

 

「あの人、そんなに色々調べていたのか?」

「B小町が初期から不仲だったことを知っていたから、そっちの線を中心に探っていたみたいだね。まあ初期メンバーとは仲が悪すぎてアイさんが住所を教える可能性が低いって考え方もあったから、苺プロの社員なんかも容疑者だったらしいよ。父親一本に絞って調べていたアクアくんよりは色々な可能性を考えていたね。まあアクアくんだって別に父親が犯人だという証拠を持っていたわけじゃないし」

「ぐ」

「自分の手でアイさんの仇を討つつもりだったから、苺プロのメンバーを巻き込まないために距離を置いていたみたいなんだけど、どのみちミヤコさんと籍を抜いていない以上は、社長の配偶者である壱護さんが殺人者になったら苺プロもダメージを受けることになる。そこら辺を足掛かりに説得して、カミキヒカルのことを教えるのと引き換えに私の側に引き込んだんだ。アクアくんがカミキヒカルとの心中を狙っているからそれを阻止したい、って話したら、色々と腑に落ちたみたいな顔をしてたよ」

「それは――あかねは、その」

 

 話の内容から私の真意に気付いたのか、アクアくんが言いづらそうに言葉を濁すのを無視して先を続けた。

 

「壱護さんの10年の調査における最大の成果は、アイさんを直接殺した犯人であるリョースケさんと、新野冬子さんが交際していたって情報だった」

「それ、あの人は警察には伝えなかったのか?」

「壱護さんが伝えるまでもなく、警察は元から知ってたよ。公表はされなかったからアクアくんたちは知らなかっただろうけど、そもそもリョースケさんの死体を見つけて通報したのは新野さんなんだから。警察にコネクションがあったわけでもない壱護さんが突き止められたのは、まあ執念だね。当然新野さんはリョースケさんが死んだときに警察に一通りの事情聴取は受けていて、それでも捕まることはなかったわけだから、新野さんとリョースケさんの繋がりを見つけた後でも犯人と断ずるのは憚られてはいたみたい。とはいえ、自分の交際相手すらアイさんに首ったけになっていたというのは、アイさんに殺意を抱く十分な動機になりうるし、あの二人のB小町時代の確執も壱護さんは知っていた。もともとは仲が良かったことも知っていたから、仲直りしたいと新野さんにいわれてアイさんが住所を教えた可能性もあると考えたみたい」

「あかねもアイがニノに住所を教える可能性はあったと思うのか?」

「それは、私よりもルビーちゃんに聞いた方がいいかも。アイさんが新野さんとの友情にどれだけの重みを感じていたのかは、全てを懸けてアイさんを演じた彼女が一番分かっていると思う」

 

 今のルビーちゃんが、かなちゃんを刺した新野さんのことをどう思っているのかは分からないけれど。

 

「まあそんなわけで壱護さんの情報をもらって、私も新野さんに目を付けることができたわけ。しかも私がカミキヒカルの名前を出したら壱護さんも知っててさ」

「何?」

「新野さんの古い友人だったらしくて、新野さんの関係者を調べている段階で名前だけは出てきていたんだって。友人の一人にすぎないと思って重要視はしていなかったみたいなんだけど、写真も見せれば本人に会ったことがあるって話でね。浮浪者同然の生活を送っていた時にカミキヒカルの方から壱護さんに接触してきたことがあったんだよ。壱護さんが新野さんを探っていることを知っていて様子を見に来たんだろうね。多分それで、壱護さんを警戒して最近ではカミキヒカルも新野さんとの接触は控えていたみたいだったんだけど、新野さんを調べていた壱護さんと、カミキヒカルを調べていた私の情報を照らし合わせると、1年前くらいに二人が同時に姿を消していた時期があってさ」

「――それは」

「それが、女優の片寄ゆらさんが失踪した時期と一致していた」

「片寄ゆら――か」

 

 アクアくんは首を傾げる。

 ――少し、遅い。

 

 名前を聞いてから傾げるまでの間が、ほんの一拍だけ長かった。知らない名前を聞いた時の反応ではなく、知っている名前を知らないふりをする時の間だ。役者として場数を踏んでいれば、その差は分かる。今日のアクアくんは壱護さんとカミキヒカルの件で相当消耗しているはずで、そういう状態の人間が咄嗟に取り繕えるほど、この人は器用ではない——はずだった。なのにこの一瞬だけ、整っていた。

 片寄ゆらについて、何か知っている。

 私が不審に思っているのに気付いたのか、「続きは?」と先を促してきた。問い詰めるにしても後にしようと、ひとまずは先を続ける。

 

「片寄ゆらさんはカミキヒカルの友人だったの。彼女が失踪したタイミングで、カミキヒカルと新野冬子も一時的に姿を消していた。何か妙な符号を感じたのに加えて、他にもカミキヒカルの周辺では芸能人の死が妙に多かったことには私も元から気になっていたんだよね。と言っても事件は警察が解決していたし、そもそもカミキヒカルに彼女たちを殺す動機も見当たらなかったからスルーしていたんだけど、新野さんと片寄ゆらの件も重なるとね。何かあるんじゃないか、と壱護さんとも相談した結果、荒唐無稽な説が浮かび上がってきた。アイさんを殺して以降、ずっと周囲を扇動して芸能人を殺し続けているんじゃないか、とね。そして新野さんをけしかけて片寄ゆらを殺したのが直近の一件なんじゃないかと」

「そこまで分かっていて、何もしなかったのか?」

「そこも壱護さんと話し合ったよ。そもそも本当にそんなことが可能なのか、ってことには私も壱護さんも懐疑的だったし、芸能人を殺す動機もない。仮にこの説が当たっていたとしても、カミキヒカルは直接手を下していない以上、司法に訴えても意味はない。公的機関が何かできるとすれば新野さんの方だけど、その場合でも片寄ゆらの行方を突き止める必要がある。もし山の中に死体を埋められたりしていたら一人二人がいくら頑張っても見つけるのは無理。現状では有効な方策を取れない以上、二人の動向に注意しつつ、さしあたりはアクアくんの計画に乗っかって映画でカミキヒカルを社会的に追い詰める方向に進もう、ということになった」

「――俺には」

「言うわけないでしょ。私はずっとアクアくんを止めるために動いていたんだよ? こんなこと話せば、アクアくんの心中に『カミキヒカルのせいで死ぬ人間をなくすため』っていう大義名分を与えることになっちゃうよ」

「危ないことはするな、とあかねには言っていたと思うんだがな……」

「私一人じゃ危険だから壱護さんを巻き込んだんだよ」

「いや、それはそうなんだろうけど」

 

 何か言いたげな顔をするアクアくんを無視して話を続ける。

 

「ただ、映画でルビーちゃんがカミキヒカルを許したことで、アクアくんは復讐をやめることになった。私としてはその時点で目的は達成したも同然だったし、自分以上にカミキヒカルを憎んでいるはずのルビーちゃんが彼を赦したことは、壱護さんも結構堪えたみたいでね。ルビーちゃんを差し置いて復讐のために動いてもいいのか、というのに加えて、ルビーちゃんの才能を見てアイさんを超える可能性を感じたのもある。もちろん、復讐のことは抜きにしても、カミキヒカルが本当に芸能人を殺しているならどうにか止めなきゃならないのは変わらない。ただ映画が公表されれば動きにくくはなるはずだし、それに何より、この事実はアクアくんにだけは知られてはいけないんだよ。私たちがまだ動いているとアクアくんに不審に思われることは避けたかった。カミキヒカルの周囲で死人が出るのはせいぜい数年に一人くらいだったから、数か月待ったくらいでは新たな犠牲者が出ることもないだろうと、ひとまず映画が公表されるあたりまでは様子を見よう、ってことになったんだけど」

「――ルビーが狙われたな」

「片寄ゆらさんが失踪したのが大体一年前だから、今回だけは予想外にサイクルが早かった。映画を見て何か刺激されたのが原因かな。しかもよりによって自分の娘を狙うとは思ってなかった。私の失策だよ」

 

 アクアくんの場合と違い、GPSを付けているわけではないから生身で監視するしかない。人手が2人しかないのに、アクアくんにも悟られることなく2人を24時間監視を続けるのは不可能だった。それでもルビーちゃんが狙われると分かっていればそちらの身辺警護を強化するという手もあったが、芸能人を狙うにしてもまさか実の娘を標的にすることなど想像できなかったのだ。

 

「あかねのせいじゃ」

「いや、私の責任だよ。少なくともアクアくんの責任じゃない」

 

 申し訳なさそうなアクアくんの言葉を食い気味に遮った。

 

「かなちゃんがルビーちゃんを庇って刺されたという情報は、壱護さんから伝わってきた。しかもアクアくんは病院を抜け出したって話だった。私は慌ててアクアくんの居所をGPSで確認して、壱護さんのその場に向かうように伝えたの」

「――――」

「新野さんがルビーちゃんを襲ったのがカミキヒカルの差し金だったとすれば、失敗したカミキヒカルはまた別の刺客をルビーちゃんに差し向ける可能性がある。かなちゃんが刺されたことを知ったアクアくんは、物凄く操りやすい状態にある。カミキヒカルはアクアくんに接触する可能性があると思った。もしアクアくんを操ることに失敗したとしても、カミキヒカルが自分を操ろうとしていたことに気付いた場合、アクアくんはルビーちゃんを守るために心中計画を実行に移す危険もあった」

「――だから壱護さんを向かわせて、俺を助けようと?」

「まあ、カミキヒカルとは関係なく、どのみちアクアくんにはかなちゃんが一命を取り留めたことを伝えて連れ戻さなければいけなかったしね。それ自体は当たり前の行動ではあるんだけど」

 

 私が言葉を選びかねて沈黙したその隙を、アクアくんが静かに突いてきた。

 

「あかねが壱護さんに期待したのは――俺を止めることだけ、か?」

「――ううん、それだけじゃないね」

 

 私は首を振る。

 一瞬だけ、視線が手元のコーヒーカップに落ちた。もう中身はほとんど残っていない。それでも私はカップから目を離さないまま、胸の奥に浮かんだものを確かめるように、一呼吸だけ置いた。

 覚悟、とは少し違う。これは、ずっと前から決まっていたことだ。

 

「もし、本当にカミキヒカルが新野さんたちを扇動して芸能人を殺し続けてきたのなら、壱護さんには、アクアくんの代わりにカミキヒカルと心中してもらうことを、私は期待していた」

 

 アクアくんは悲しそうに頷いた。その横顔には納得と諦念が入り混じり、否定したいのに否定できない痛みが静かに滲んでいた。

 

「やっぱり、そうか」

「アクアくんが死ぬよりも、壱護さんが死ぬ方が、私にとっては良かった。アクアくんの立てた計画を、アクアくんの代わりに壱護さんに実行してほしかった。私がそういう魂胆で情報を明かしたんだということは、あの人も最初から分かっていたと思う。だからカミキヒカルに殺される動機を作るために、映画の脚本に関わるように話してきた。もちろん最後の手段だったし、カミキヒカルが本当に芸能人を殺しているのでなければお蔵入りにするつもりだった。それでも、最期に壱護さんをアクアくんの元に向かわせる時には、そうなることを期待していたのは間違いない」

 

 言い切った後で、喉の奥に何かが残った。飲み込んでも、消えなかった。

 自分の目的のために他者を操り、その手で人を死なせたという点において、私はカミキヒカルと何も変わらない。もちろん殺した人数も動機も状況も何もかもが違うが、そんなことは本質的な部分には関係がないのだ。

 壱護さんは、分かっていた人だった。私の意図も、自分の末路も、全部。それ以上考えると、声が変わる気がしたから、私は次の言葉を急いだ。

 

「――だからね。かなちゃんが刺されたのも、壱護さんが死んだのも、アクアくんのせいじゃないの。私が計画を立てて、私の計画通りにことが進んだ。全部、アクアくんのせいじゃなくて、私のせいなんだから――アクアくんが、二人のことを気にする必要なんか、ないんだよ」

 

 アクアくんは、返事をすることなく顔を伏せた。

 私がこんなことを話しても、アクアくんの罪悪感が薄れることはきっとないのだろう。むしろ、私にそんなことをさせてしまった自分は何と罪深い存在なのだ、などといって自分を責める方に向かってしまうのが星野アクアという男なのだ。

 客観的に見て誰に一番責任が大きいのかと言えばカミキヒカルであって、私たちが責任を引き受け合うのもズレているのだろう。それでも客観的であるかどうかはどうでもよいのだ。私は、アクアくんの主観的な罪悪感を少しでも和らげたいだけだ。

 私はカップを両手から離し、背筋を伸ばした。俯いたままのアクアくんの頭のてっぺんを、少しの間だけ見る。

 

「アクアくんは」

 

 私は考えをまとめながらいう。

 

「カミキヒカルを殺そうと、思った?」

 

 アクアくんはのろのろと頭を上げた。

 

「――ああ」

「カミキヒカルが憎かった?」

「憎かった――んだろうな、多分」

「それは、アイさんを死なせて、ルビーちゃんを殺そうとしたから?」

「そうだ――いや、違うのかもしれない」

 

 カウンセリングの基本は、相手に自分の気持ちを言葉にさせることだ。原義でいうところのトラウマというものは、言葉にすることも、思い出すことすらできないのだ。心のうちにしまい込んでなかったことにしてしまう方がよほど危険で、こうして言葉にして認識することで、その気持ちと向き合うことができる状態ならば、時間と共にわずかずつでも癒されていく。

 

「俺はさ。アイが死んだ時に、悲しくて悲しくて、死んでしまいたいと思ったんだ。それでも俺には、復讐相手としての父親が残っていた。だから悲しみを全てあいつへの憎しみに転嫁した。カミキには復讐相手がいなかった。なのに俺と同じように悲しみを背負っていて、憎しみをぶつける相手が自分自身しかいなかったから、自分自身の心を壊したんだ。だからむちゃくちゃな理屈で芸能人を殺すようになった。俺もあいつも変わらないんだ。憎かったのは、父親でもアイを超える芸能人でもなく、自分自身だ」

 

 映画でカミキヒカルの役を演じたことで、何か掴んだのだろうか。それとも、死ぬ前の彼と、何か話したのだろうか。思った以上にカミキヒカルの心情に寄り添っている。

 

「カミキヒカルは、アイさんを超える可能性のある芸能人を殺していたの?」

「あいつはとっくに壊れていた。アイの幻影を追うためにアイになりうる芸能人を探して、アイとの繋がりを感じるために彼女たちを殺していた。アイに対する罪悪感を転嫁してあいつに復讐しようとしていた俺と変わらない。あいつは死ななければいけない存在だったけど、それは俺も同じだし、あいつと一緒に死んでやれるのは俺だけのはずだったんだ」

 

 話を聞いても、カミキヒカルのどこにアクアくんがそれほど肩入れしているのか、よく分からない。私からすれば彼はアクアくんを不幸にしたすべての元凶で、憎らしいとは思っても同情できる要素はない。

 それでも、私の正しさを押し付けることは人に寄り添うことではないのだと、私は知っている。それは、私が憧れの人と初めて共演した時に、拒絶の言葉と共に教えられたことだ。

 

 ――そうだな、と私は内心でため息をついた。『共感』をするのは私の領分ではない。私は自分自身を消すことで役を演じる。私には人の真似しかできない。自分を消すことなく、自分のままに役に重ね合わせるのは、『彼女』の演じ方だ。

 

「壱護さんは、私があの人にアクアくんの代わりをさせようとしていると、最初から知っていた」

 

 アクアくんは縋るように私を見る。

 

「だから当たり前だけど、あの人はアクアくんを恨んではいない。アクアくんが死ぬよりは壱護さんが死んだ方が良い、という私の考えに同意していた。ルビーちゃんにはまだアクアくんが必要だから。でも、アクアくんにとっては、壱護さんがどう思っていたかは重要じゃないんだよね?」

「そう――かな」

「罪というのは自然界にあるものじゃない。私たちが勝手に作り出しているもの。だから周りがどう思おうと、アクアくんが自分のしたことを罪だと思うのなら、それは罪なんだと思う。そして、罪と向き合うということは、被害者と向き合うということだよ。アクアくんは、映画の撮影を通して、アイさんとカミキヒカルとは向き合ってきた。あの二人のことを可能な限り理解しようとしてきた。だから、今回のこともアクアくんの罪なんだとすれば、アクアくんは、自分を責めるよりも先に、今回の被害者の人たちにも向き合わないといけないんじゃないかな」

「今回の被害者――」

「壱護さんが死んでしまったから、残されたミヤコさんは今後大変なことになる。苺プロの経営だけやマネジメントについても、彼が戻ってきてから色々うまく回り始めていた分を再びミヤコさんが背負わなければならなくなった。それだけじゃない、配偶者を亡くしてしまったということは精神的な支えも失ってしまったということだよ。ルビーちゃんたちも今は自分のことでいっぱいっぱいで、ミヤコさんを助けられる余裕はないだろうから、壱護さんの責任を負うというのなら、ミヤコさんはアクアくんが支えなきゃいけない。死んでいる暇なんかないでしょ?」

 

 アクアくんは私の言葉に、今日初めて、ふ、と少しだけ口元をほころばせ、笑顔を浮かべた。

 

「そうだな」

「でしょ? そして、ミヤコさんと同じように、向き合わなければいけない人が、もう一人いるよね?」

 

 またすぐに真顔に戻った。

 

「何でそこまで嫌がるかなあ……」

 

 恋敵に会いに行くことを勧めているこっちも結構複雑な気分だというのに、この煮え切らない態度だ。全部終わって立ち直ってくれたら、その後で私はこの人を一発くらいは殴っても許されると思う。

 

「――何を話せばいいんだよ」

 

 また随分と情けないことを言い出した。

 

「壱護さんのこと以外は全部話せばいいんだよ。アクアくんのしてきたこと、かなちゃんに知られたって別に何か不都合があるわけじゃないでしょ。というか話さなくても、ルビーちゃんとミヤコさんとかなちゃんは、既に大体の事情を察していると思うよ」

「話してどうなる」

「どうなるかを決めるのはかなちゃんだよ。刺されたのがアクアくんのせいだとするなら、彼女にはアクアくんから話を聞く権利がある」

 

 私としては、かなちゃんが刺されたことにアクアくんに責任はないと思うし、権利という言葉を我ながら都合よく使っているが、彼を言いくるめられるならこの際どうでもいい。アクアくんは一旦うなだれた後、不貞腐れたように「行けばいいんだろ」と呟いてからコーヒーを一気に飲んで立ち上がった。

 

「会うだけだからな」

 

 叱られた子供のようなことをいう彼に、私も立ち上がりながら少し笑ってしまった。普段はもっと恰好つけたがる人なのに、どうやら今はそんな余裕もないらしく、これはこれで可愛げがあって楽しい。

 

「ん。よろしい」

 

 かなちゃんに塩を送るのはこれで最後にする。どうにかしてアクアくんの心中を止めなければならなかった時は、アクアくんが好意を持っているかなちゃんとの交際を後押ししていたが、今ではカミキヒカルが死んだ以上、アクアくんも死ぬ理由はない。

 アクアくんが立ち直るためには、一度は色々なものと向き合わなければならないからかなちゃんとも話してもらうが、その後で二人がどうなるかは分からない。もう、アクアくんは誰と付き合ってもいいのだし、その相手がかなちゃんである必要も、私であってはいけない理由もない。

 

 そう思う。そう思っているはずだ。

 玄関に向かいながら、私は自分の足元を一度だけ見た。

 

「まあ、かなちゃんにあんまり酷いことを言われたら、私が慰めてあげるから」

 

 二人で一緒に玄関に向かいながら、私が笑いかけると、アクアくんはもの言いたげに小さく肩を落とした。

 

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