「まずは状況の確認だ。ほら、突っ立っていないで、きみも歩く」
ルルナーデに促され、メメント・コルは無言のまま足を踏み出した。
何も知らない土地で、いつまでも門の近くに立ち尽くしているのは得策ではない。
目立てば、余計な注目を集める。余計な注目は、余計な危険を呼ぶ。
それは奈落で嫌というほど学んできたことだった。
言われるがまま、人の流れに身を任せる。
周囲を見れば、若者たちが次々と歩いていた。
談笑する者、緊張した面持ちで前だけを見据える者、腕を組んで周囲を値踏みする者。
そのどれもが、これから始まる何かを前にした人間の顔をしている。
それにしても、とメメント・コルは内心で眉を寄せた。
自分の装備は、いったいどこへ消えたのか。
幾多の死地を共にしてきた名剣も、盾も、鎧も、兜も、小手も、鉄靴も、何ひとつ身につけていない。
代わりに纏っているのは、見知らぬ薄手の布の服と歩きにくい革靴だけだ。
頼りなく、心許なく、戦場にはあまりにも不向きな衣服だった。
「……見た目だけみたら、随分と無防備だね」
ルルナーデが、どこか呆れたように言う。
彼女には触れられる物はないが、言葉だけはいつも通り鋭い。
「だが、今はこれで歩くしかない」
メメント・コルは短く答えた。
状況を把握するまでは、余計なことをしても仕方がない。
まずは観察し、次に判断する。
それが彼のやり方だった。
彼の仮面ゆえか、多少は奇異の目で見られていたが、彼は気にしない。
「どうやら、ここの人たちはあの建物が目的みたいだ」
ルルナーデが、前方を見やって目を細める。
その先には、巨大な建造物がそびえ立っていた。
遠くからでも圧倒されるほどの規模で、規則正しく並んだ壁面と、整えられた外観は、遺跡でも王城でもない。
機能性と威圧感を両立させたような、奇妙な存在感を放っている。
そして何より、そこに集う者たちの雰囲気が違った。
剣を携える者もいなければ、革鎧に身を包む者もいない。
迷宮を探る者の目でもない。
異形を狩る者の気配でもない。
装備や会話の端々から見ても、ここで行われるのは迷宮探索でも異形退治でもないらしい。
少なくとも、彼らが命を賭して地下へ潜るような集団ではないことだけは分かった。
歩くこと数分。
やがて二人の視界の先に、巨大な校舎の正門がはっきりと姿を現した。
目の前には、見たこともない建造物が堂々とそびえている。
その入口には看板が掲げられ、厳粛そうな大人がひとり、門のそばに立っていた。
整えられた身なりと、感情をあまり表に出さない表情。
この場所が、ただの建物ではないことを静かに示していた。
そしてその男は、集まってきた受験者たちに向けて、淡々と告げた。
「東京都高度育成高等学校受験者の皆さん、おはようございます。事前にお配りした受験票に書かれた階の教室の席に着いてください。定刻まで、あと四十分ほどあります。お手洗いは校内マップを参照してください」
その告知を聞いたメメント・コルは、しばし無言のまま立ち尽くした。
彼は古びたバッグを静かに開き、中を探る。
その鞄だけは、不思議と失われていなかった。
奈落を巡る旅のあいだ、幾度となく肩に掛けてきた、くたびれた革製の鞄。
彼にとっては、装備のひとつと言ってよいものだった。
最も、元々の中身は何一つ残っていなかったが。
指先が紙の感触を捉える。
引き抜かれたのは、一枚の受験票だった。
彼はそれを目の前に掲げ、静かに目を通す。
そこには、自分の顔の絵があった。
仮面を外した、見知らぬほど生気の薄い顔。
そして、その下に記された名前は――
芽門心。
「……なるほど」
メメント・コルは、そこでようやく状況を飲み込んだ。
自分は、ここで“受験者”として扱われているらしい。
どうやら、門をくぐった先は単なる移動先ではなく、何らかの選別の場であるらしかった。
「名前まで変えてあるのか」
ルルナーデが、肩のあたりで小さく呟く。
「……そういうことだろう」
メメント・コルは受験票から目を離さないまま答えた。
記された名前は、彼が名乗っていたものとは違う。
だが、顔は確かに自分自身のものだった。
この世界では、彼は別の名を与えられ、別の立場でここに立たされている。
そう考えたとき、彼の脳裏にふと、別の記憶がよぎった。
――冒険者ギルドで受ける、等級昇格試験。
あれと似ているのではないか。
実力を測られ、振るい分けられ、適した場所に配置される。
試験内容は違っても、根底にある理屈は近い。
ならばこれは、この学園における“冒険者の査定”のようなものなのかもしれない。
「……冒険者の昇格試験みたいなものか」
そう口にすると、ルルナーデがわずかに笑った。
メメント・コルは受験票を折りたたみ、静かに鞄へ戻した。
芽門心。
それが、この場所で与えられた名。
ならば今は、その名を受け入れるしかない。
どのような世界であれ、まずは己の立ち位置を知ることから始まる。
自分が奈落から這い出たときもそうだった。
彼は受験票に書かれた階を確認し、歩き始めた。
試験会場は、異様なまでに静かだった。
整然と並べられた机。
張り詰めた空気。
そして、見知らぬ番号札を胸元につけた受験者たちの、どこか殺気じみた緊張。
試験開始前、配布された注意事項の紙を眺めながら、ルルナーデが小さく首を傾げた。
「……筆記試験、ね」
「問題があるのか」
「いや?」と彼女は軽く肩をすくめる。
「ただ、きみには少し不運だと思ってね」
「なぜだ」
「だって普通、こういう選別試験って、算術と神学が主軸でしょう?」
あまりにも当然のように言う。
「数の扱いと、世界の理の理解。この二つがあれば、知の基礎は十分に測れる」
メメント・コルは黙って聞いている。
「でもきみ、神学なんてまともに身につけてないじゃない」
「……必要がなかった」
「うん、知ってる。奈落で生き延びるのに、魔法神学ならまだしも啓示神学なんて役に立たないもの」
皮肉とも取れる口調だったが、事実でもあった。
「だから、もし神学中心の試験だったら、きみはかなり苦戦すると思ったんだけど――」
そこで、試験用紙が配られる。
紙が机の上に置かれる音が、教室に一斉に響いた。
メメント・コルはそれを手に取り、ゆっくりと目を落とす。
一枚目。
二枚目。
そして――
「……ないな」
小さく呟く。
「何が?」
「神学だ」
ルルナーデが、わずかに目を見開いた。
「……本当に?」
彼女も覗き込むようにして問題用紙を見る。
そこに並んでいるのは、国語、英語、数学、理科、社会。
どれも体系としては理解できる。
だが――
「神学が……ない?」
彼女の声には、明確な困惑が混じっていた。
「どういうこと? 素養を確認するのに、世界の理を問わない筆記試験なんて聞いたことがないんだけど」
「代わりに、別のものを見ているのだろう」
メメント・コルは淡々と答える。
「言語、数理、自然現象、社会構造……」
彼は問題を眺めながら続けた。
「神の代わりに、“世界そのもの”を直接扱っている」
「……なるほど」
ルルナーデは、納得したように小さく息を吐いた。
「神学を排して、その他を細分化したということか。確かに、これはこれで合理的だ」
そして、くすりと笑う。
「でも、その代わり――」
「分野が増えたな」
「そういうこと。きみにとっては、結局あまり楽にはならなさそうだね」
メメント・コルは答えず、問題用紙に視線を落としたままペンを取る。
不運かどうかは、やってみなければ分からない。
ただ一つ言えるのは――
ここが、彼らの知る“試験”とはまったく異なる原理で作られているということだった。
耳元で、ルルナーデが呟く。
しかし、その声が届くのは彼だけだ。
周囲の受験者には、彼がただ沈黙しているようにしか見えない。
試験開始の合図が鳴る。
一枚目の問題用紙をめくった瞬間、メメント・コルはわずかに眉を寄せた。
国語、数学、理科、社会、英語。
どれも見慣れない形式ではない。
だが、問題文の前提となる知識が、彼の中にほとんどない。
特に社会科目と英語は厳しかった。
地理や歴史の設問は、知っていればすぐ解けるはずのものばかりだったが、彼にとっては初めて見る土地と、初めて見る時代の話に等しい。
英語に至っては、単語の意味を拾うことすらままならない。とりあえず英語の紙はクシャクシャに丸めた。
試験用紙の中ほど、英語の問題を目にした瞬間、ルルナーデはわずかに沈黙した。
最初は、ただ珍しい綴りに目を留めただけのようだった。
だが次第に、その静けさには、明らかな困惑が滲み始める。
「……おかしいな」
小さく呟いた声には、先ほどまでの軽口とは違う硬さがあった。
「どうした」
メメント・コルが視線だけを向ける。
ルルナーデは問題用紙を見たまま、少し考えるように間を置いた。
「この“英語”って、見覚えがないの」
「見覚えがない?」
「ええ」
彼女はためらいなく言い切った。
「私は、人語、亜人語、半人語、獣人語、魔人語、精霊語……それに近縁の方言や古語まで、かなりの数を知っている。少なくとも、言葉として成立しているものなら、そう簡単に取り違えたりはしない」
その口調には、単なる自慢ではない確信がある。
彼女が自分の知識に自信を持っているのは、実際に積み上げてきたものがあるからだ。
「けれど、これは違う」
ルルナーデは紙面を指先でなぞるように見つめた。
もちろん、実体のない彼女に紙を触れることはできない。
だが、それでもなお、内容を追う目は鋭い。
「少なくとも、私の知るどの言語体系にも属していない。発音規則も、語の並びも、文の作り方も、どこか妙に整いすぎている。しかも――」
彼女は、周囲の受験者たちに目をやった。
「みんな、これを当たり前みたいに読み書きしている」
そこが、最も奇妙だった。
ただ見知らぬ文字があるだけなら、まだ珍しいで済む。
だが、周囲の人間たちは、まるで生まれたときから知っていたかのように、迷いなく解いている。
問題を前にして立ち止まる者もいなければ、文字を見て戸惑う者も少ない。
「……これは、私の知らないだけの古語ではないね」
ルルナーデの声が、少し低くなる。
「もしそうなら、ここまで一般的に使われているはずがない。これほど広く教育されている言語だというなら、私が一度も触れたことがないのは不自然だ」
メメント・コルは黙って聞いていた。
ルルナーデは思案を続ける。
彼女の瞳には、ただの疑問ではなく、仮説を組み立てる時の冷静さが宿っていた。
「考えられるのは二つ。ひとつは、ここが私たちのいた世界とは別の世界だということ」
彼女は指を一本立てる。
「もうひとつは、時間がずっと先へ進んだ未来だということ。言語が変質し、教育体系も、文化も、私たちの知るものとは別物になっている可能性がある」
「……未来」
メメント・コルが、短く繰り返す。
「ええ。今のこの建物、受験制度、服装、そしてこの言語。どれも、私たちの世界の延長線上にあるとは考えにくい」
ルルナーデは少しだけ目を細めた。
「それに、これだけ整った施設で、見たこともない言語が“普通の教養”として使われているなら、かなり後の時代か、あるいは最初から別文明か……」
そこで彼女は、ようやくメメント・コルの方を見た。
「どちらにせよ、ここは私たちの知っている世界じゃない可能性が高い」
「……そうか」
ルルナーデの声にはわずかな興奮が混じっていた。
未知は、彼女にとって恐怖ではない。
知識人としての探究心を刺激する、格好の対象でもあった。
社会科目の問題用紙を開いたとき、メメント・コルの手はわずかに止まった。
並んでいるのは、地図、年表、制度の説明文。
どれも「知っていれば解ける」類の問題だ。
だが――
「……分からんな」
率直に呟く。
「でしょうね」
ルルナーデは、あっさりと頷いた。
「これは完全に知識前提。きみの経験則でどうにかなる領域じゃない」
「地名も、時代も、聞いたことがない」
「そもそも世界が違うんだから当然よ。むしろ分かったら怖いわ」
軽く言いながらも、ルルナーデの視線は問題文を丁寧に追っていた。
「……でも、全部が無理ってわけじゃない」
「どういうことだ」
「この手の問題、前提知識がなくても“構造”は読める」
彼女は設問の一つに意識を向ける。
「例えばこれ。政策の説明と、その結果を問う問題」
「因果関係か」
「そう。具体的な歴史を知らなくても、“この政策をやればどうなるか”は推測できる」
メメント・コルは問題文を読み返す。
税を課す。
交易を制限する。
資源を集中させる。
それらの結果が、どう社会に影響するか。
「……反発が起きるな」
「ええ。少なくとも安定はしない」
二人は、ほぼ同時に同じ選択肢に目を止める。
「これだ」
「同意」
短いやり取りで、答えが定まる。
だが、すべてがそう簡単ではない。
「これは?」
「無理。前提の出来事が分からない」
「捨てるか」
「ええ。時間の無駄ね」
迷いはない。
分からない問題は切り捨てる。
解ける問題だけを確実に取る。
その判断の速さは、むしろ他の受験者より洗練されていた。
「……面白いわね」
ルルナーデが、小さく笑う。
「きみ、歴史は何も知らないのに、“人間がどう動くか”は分かってる」
「奈落でも同じだ」
メメント・コルは淡々と答えた。
「集団は崩れる。資源は奪い合う。強い者が上に立つ」
「……ずいぶんと救いのない社会観だね」
「事実だ」
ルルナーデは一瞬だけ黙り、すぐに肩をすくめた。
「まあ、少なくともこの試験では役に立ってるみたいだけど」
社会の知識はない。
だが、人間の行動原理は理解している。
その歪なバランスが、彼の答案にもそのまま現れていた。
更なる知識問題の欄を前にして、メメント・コルは静かに手を止めた。
並んでいるのは、知っている者だけが解ける類の設問。
推測ではどうにもならないものが多い。
「……厳しいわね」
ルルナーデが、あっさりと言った。
「分かるだろう。これは知識の勝負だ」
一拍置いて、彼女は続ける。
「やりようはあるよ」
「……どうする」
「簡単なことだ」
ルルナーデは、さも当然のように言った。
「私が見てくる」
その一言で、意味は十分だった。
幽体である彼女なら、席を離れて他の受験者の答案を覗くことなど造作もない。
視線も遮られず、気配もない。
この場において、それはあまりにも都合のいい“手段”だった。
「いくつか拾ってくれば、傾向は分かる。あとはきみが整えればいい」
メメント・コルは、わずかに沈黙した。
そして、静かに首を振る。
「やめておく」
ルルナーデが、少しだけ眉を上げる。
「……珍しいこと言うじゃない」
「俺たちの身の丈に合わない試験を、そうやって通るのは気が進まない」
「……等級昇格試験、か」
「ああ」
それ以上の説明は不要だった。
あの世界で、分不相応な試験に手を出した者がどうなるか。
二人とも、何度も見てきた。
実力に見合わぬまま進めば、帰ってこれない。
それが当たり前の場所だった。
「……なるほどね」
ルルナーデは小さく息を吐く。
「“できること”と“やるべきこと”は違う、ってわけか」
「そういうことだ」
短い返答。
しばらくの沈黙のあと、彼女は肩をすくめた。
「分かった。じゃあ、答えそのものは持ってこない」
「助かる」
「でも――」
ルルナーデは、わずかに口元を歪める。
「考え方くらいなら、いいでしょ?」
メメント・コルは一瞬だけ考え、
「……それなら構わない」
とだけ答えた。
その返事を聞くなり、ルルナーデの気配がふっと薄れる。
次の瞬間には、すでに彼女は教室の中を滑るように移動していた。
机と机の間をすり抜け、受験者の背後へと回り込み、答案を覗き込む。
やがて戻ってきた彼女は、小さく囁く。
「この問題、みんな割れてる。でも、一人だけ筋の通った解き方をしてる子がいる」
「どんなだ」
「前提の解釈が違うの。そこを変えれば、答えは一つに絞れる」
メメント・コルは、問題文を見直す。
「……なるほど」
「でしょ?」
「使わせてもらう」
「どうぞ」
短いやり取り。
他人の答えをなぞるのではない。
だが、他人の思考の断片を手がかりに、自分の答えを組み立てる。
それは、彼にとって許容できる範囲だった。
ルルナーデは、そんな彼を見て小さく笑う。
ただ、静かにペンを走らせた。
「面白いね、メメント・コル」
彼女は静かに言った。
「この試験、ただの学力測定じゃない。少なくとも、私たちにとっては“世界そのものの違和感”を突きつけてくる場になってる」
そして、少しだけ声を落とす。
「……つまり、きみが今立っている場所は、私たちの世界のどこかではなく、本当に別の世界かもしれないってことよ」
メメント・コルは、問題用紙のを見たまま、しばし沈黙した。
その沈黙は、驚きというより、状況を静かに受け止めているようだった。
やがて彼は、短く言う。
「なら、なおさら確かめるしかない」
ルルナーデは、その返答に小さく笑った。
「うん。そういうところは変わらないね」
短く返しながら、メメント・コルは鉛筆を走らせた。
分からないものは分からない。
だが、彼はそこで手を止めない。
文章の構造。
設問の意図。
選択肢の不自然さ。
記述問題に隠された論理。
知識がなくとも、考え方そのものを読み解けば、答えに近づける問題はある。
彼はそういう問題に強かった。
前提知識を必要としない設問では、驚くほど正確だった。
短い条件文から矛盾を見抜き、会話文の流れから出題者の狙いを読み、記述では要点を外さず答えをまとめる。
一方で、知識を問う問題は極端に弱い。
知っているはずの常識が抜け落ちているかのように、基礎問題で誤答が目立つ。
だが高難度の記述問題になると、彼は別人のように正答率を上げた。
部分点を積み重ねるその様子は、まるで点ではなく線で答えを探しているようでもあった。
こうして二人の筆記試験は終った。
面接室は、試験会場よりもさらに静かだった。
机を挟んで向かい合う数名の面接官。
その中央に、メメント・コルは座らされている。
仮面は外していない。
だが、その下の顔立ちは、やはり生者らしさに乏しかった。
「では、まず志望動機を聞かせてください」
最初の質問に対し、彼は一拍だけ置いて答えた。
「必要だと思ったからだ」
「……本校を志望した理由、という意味ですが」
「ここに来れば、状況が分かると思った」
面接官は、書類から目を上げることなくうなずく。
淡々としている。
簡潔すぎる。
だが、嘘をついているようにも見えない。
次の質問。
「将来、何を目指していますか」
「まだ分からない」
「本校で学びたいことは?」
「生き残る方法だ」
その答えに、面接室の空気がわずかに変わる。
別に挑発しているわけではない。
ただ、彼は本音をそのまま言っているだけだった。
だが、面接官たちにとっては、それが逆に扱いにくい。
自己アピールは薄い。
志望動機も抽象的。
将来像も曖昧。
にもかかわらず、視線だけは妙に鋭い。
質問の意図を読み取る速さは速く、答えを返すまでの間も短い。
話を盛ることも、取り繕うこともしない。
そのぶん、言葉数の少なさが際立っていた。
「入学後は、どのような活動に積極的に取り組みたいですか」
「必要ならやる」
「必要なら、とは」
「集団で動くなら、俺が前に出る必要はない。だが、やるべきことがあるならやる」
協調性がないわけではない。
ただ、積極的に場を回そうとする気は薄い。
言われれば動く。
必要なら合わせる。
しかし、自分から輪の中心に入っていくタイプではなかった。
それでも、完全に不愛想というわけでもない。
質問にはきちんと答える。
視線も逸らさない。
声も小さすぎない。
「口調は少し砕けていますね」
「……そうか」
「普段からそうなのですか」
「相手による」
その返答に、面接官の一人が小さく息をついた。
礼儀を欠いているというほどではない。
だが、堅い場に慣れていない印象は確かにある。
あるいは、あえて崩しているのかもしれない。
最後に、面接官の一人が書類を見下ろし、低く尋ねる。
「あなたは、どうして本校に受かる必要があると思いますか」
メメント・コルは少しだけ黙った。
そして、静かに答えた。
「分からないことを、分からないままにしておきたくない」
それは、彼にしては珍しく、少しだけ長い言葉だった。
面接官たちは、その返答をすぐには否定しなかった。
だが、誰も笑いもしない。
結局のところ、彼の人物像は最後まで掴みきれなかったのである。
身体能力測定の時間になると、受験者たちは次々と指定された種目へと振り分けられた。
握力、反復横跳び、上体起こし、立ち幅跳び、持久走。
いずれも、単純なようでいてごまかしの利かない種目ばかりだった。
メメント・コルは、並んだ受験者たちの中でも、ひときわ静かに待機していた。
だが、その沈黙の奥には、じっとりとした緊張ではなく、獲物を測る狩人のような落ち着きがある。
「……これは面白いね」
ルルナーデが、彼の肩口あたりから覗き込むように呟く。
もちろん、周囲には彼女の姿も声も届かない。
「何がだ」
「ここでは魔術じゃなくて、身体そのものを見られる。きみみたいなのは、かなり分かりやすい試験でしょ?」
メメント・コルは仮面の下で小さく息を吐いた。
その通りだった。
彼は机上の知識に乏しい。だが、身体を動かすことに関しては話が別だ。
順番が来る。
最初の握力測定では、彼は装置を前にして、無駄なく力を込めた。
ぎり、と金具が軋み、表示が跳ね上がる。
測定員が、思わず記録用紙を見返すほどの数値だった。
「……ふむ」
ルルナーデが満足げに頷く。
「力任せってわけでもないね。指先から肘まで、力が綺麗に通ってる」
「無駄がないだけだ」
次の反復横跳びでも、彼の動きは際立っていた。
踏み出しが速い。
切り返しが鋭い。
何より、体重移動が滑らかだった。
一歩ごとに地面を強く蹴るのではなく、最小限の接地で加速していく。
「もっと左。次は半歩早い」
ルルナーデの声も、寸分の狂いもなく飛ぶ。
彼女には肉体がない。
だからこそ、動く本人より先に全体を見渡せた。
メメント・コルはその指示に従い、わずかに重心をずらす。
すると、それだけで記録が変わる。
無駄のない助言と、無駄のない反応。
二人の連携は、長く組んだ戦友のように噛み合っていた。
立ち幅跳びでは、踏み切りの瞬間にルルナーデが言う。
「今。力を抜かず、でも力みすぎないで」
メメント・コルはその一言だけで十分だった。
脚にこもった力が、ためらいなく前へ解き放たれる。
宙に浮いた身体は、受験者たちの予想を軽々と越えて着地した。
「……おお」
近くで見ていた受験者の一人が、素直に息を漏らす。
「いいね。今のはかなりきれいだった」
ルルナーデの声は、どこか楽しげだった。
彼女にとっても、この場は退屈しのぎではなく、ひとつの見世物らしい。
だが、最も目を引いたのは持久走だった。
走り出してすぐの段階で、彼は他の受験者と違った。
序盤から飛ばしすぎない。
かといって、抑えすぎてもいない。
呼吸、歩幅、腕の振り、視線の置き方。
すべてが一定で、乱れがない。
「まだ少し上げられる」
「焦る必要はない。最後まで落とさないで」
「分かっている」
短いやり取りだけで、彼のペースはさらに整った。
ルルナーデは風向きや走路の癖を見抜き、メメント・コルはその助言をそのまま身体に落とし込む。
疲労が溜まり始める頃には、逆に彼の動きは安定していた。
無理に力を出すのではなく、消耗を最小限に抑えながら前へ進む。
それは、単に体力があるというだけではなかった。
状況を読む力。
自分の限界を測る冷静さ。
そして、見えない相棒との連携。
「……ふうん」
ルルナーデが、少しだけ声を落とす。
「きみ、こういう場面だと本当に強いのね」
「戦う相手が見えているからな」
「なるほど。知識は抜けていても、身体は裏切らない、と」
最後の種目を終えたとき、周囲の空気はすでに変わっていた。
最初は変な仮面の不気味な受験者だと思われていたはずが、いつの間にか、誰もがその動きに目を奪われている。
だがメメント・コル自身は、派手な反応を見せなかった。
記録がどうであれ、やるべきことをやっただけだ。
ルルナーデは、そんな彼を見上げるようにして、ふっと笑った。
「いいじゃない。これなら、少なくとも身体能力で見下されることはなさそうだね」
「最初から、そんなつもりはない」
「でも、今のきみなら言えるでしょ。少なくとも、あの連中の何人かよりはずっと上だって」
メメント・コルは何も答えない。
ただ、仮面の奥で静かに息を整えた。
身体を使う場では、彼は決して鈍くない。
むしろ、極限の状況ほど冴え渡る。
そしてその傍らには、実体を持たぬまま、最も的確に彼を導く亡霊がいる。
それが、メメント・コルとルルナーデの戦い方だった。
筆記、面接、体力測定……
かくして二人の入学試験は終わりを迎えたのだった。
ちなみに、メメント・コルがルルナーデに対してかける声の声量はものすごく小さくしているので、多くの受験生には聞こえていません。