奈落から来た男   作:akin

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1話の入学試験試験の会場は全国各地にあるという設定で行きます。
原作の高育で受験生が来るようなシーンはありませんでしたしね。


入学初日①

入学試験が終わり、二人は帰路につこうとしていた。

 

筆記、面接、体力測定。

どれも平凡な試験ではなかったが、メメント・コルにとっては、奈落での生存に比べればまだ温い部類だった。

 

問われれば答える。

走れと言われれば走る。

視線を向けられれば、仮面の奥で息を潜める。

それで十分だった。

 

「……終わったね」

 

試験会場を出たルルナーデが、肩をわずかに回しながら言った。

 

「そうだな。試験という割には易しかった」

 

短く答えながら、メメント・コルは周囲を見渡した。

 

この敷地内では、試験を終えた受験生たちが、ひとつの流れを作るように出口へ向かっていた。

整った石畳、無駄のない建物の配置、静かに誘導する係員たち。

すべてがきちんと整備されていて、かえって落ち着かない。

 

だが、今はそれ以上に、身体の感覚が重かった。

 

「……少し、きついな」

 

「珍しいね」

 

ルルナーデがちらりとこちらを見る。

 

「まあ、あれだけ走ったり測られたりすれば当然か。きみでも疲れることはあるんだ」

 

「……」

 

形容しがたい違和感に、メメント・コルは口をつぐんだ。

 

試験を終えた受験生たちは皆、どこかほっとした顔をしている。

緊張から解放された者もいれば、結果への不安を抱えたまま黙っている者もいた。

メメント・コルもまた、その列の中に紛れて歩いていたが――

 

 

 

 

 

ふいに、視界が揺れた。

 

「……っ」

 

足元が、わずかに遠のく。

 

疲労だけではない。

妙な圧迫感が、頭の内側を締めつけるようだった。

 

「メメント・コル?」

 

ルルナーデの声が、やけに遠い。

 

「どうかし……」

 

返事をしようとした瞬間、膝から力が抜けた。

 

地面に倒れ込む――その感覚だけが、ぼんやりと残る。

次の瞬間には、もう意識が沈んでいた。

 

――――――――――

 

「……起きなよ」

 

乾いた声が、耳元で響いた。

 

「…………」

 

重い瞼を持ち上げる。

 

視界に映ったのは、見慣れぬ車内だった。

 

木でも石でもない。

滑らかで、均一で、どこか無機質な内装。

狭い通路。

並んだ座席。

左右には、すでに多くの人間が座っている。

 

「……ここは」

 

「“バス”の中」

 

ルルナーデが、呆れたように腕を組んでいた。

 

「きみが倒れた後、私も意識を失ったんだ。目が覚めたら、この動く鉄の箱の中というわけだ」

 

「……バス?」

 

メメント・コルは、ようやく意識がはっきりしてきた。

 

その言葉に、ルルナーデがわずかに片眉を上げる。

 

「そう。これが“バス”だよ。まあ、この箱を動かしている人間がそう言っていただけだけどね」

 

彼は、ゆっくりと周囲を見た。

 

長い箱のような車内。

窓の外には、見慣れぬ建物だらけの見知らぬ景色が流れている。

先ほどまでいたはずの校門前ではない。

車内には皆同じ恰好をした若者がぎっしりと座っており、立っている者もいる。

ぎりぎり、空席はない。

自分は一人分の座席に座っている。

 

「……こんな乗り物、見たことがない」

 

ルルナーデは、少しだけ肩をすくめた。

 

「私たちの世界にはなかった」

 

メメント・コルは黙って窓の外を見た。

車体は、整えられた道を進んでいる。

外の景色は速く流れているが、車内には奇妙なほど秩序があった。

 

そして何より――

 

「……いつの間に、ここに?」

 

「さあ? きみが倒れたあと、気づいたら乗っていた」

 

「乗せられて?」

 

「そう。私も最初は少し驚いたよ。こんな大きな、動く箱みたいなものがあるなんてね」

 

ルルナーデは、どこか面白がるように言った。

 

メメント・コルは低く唸る。

 

奈落にも、転移門にも、見覚えのない仕掛けはあった。

だが、これはそれらとも違う。

人を大勢運ぶためだけに作られた、妙に整った閉じた乗り物。

しかも、ほとんどの席が埋まるほど人が詰め込まれている。

 

「……おかしなものだ」

 

「そう怖がることもない。移動速度も速いし、一度に大勢を運べる。実に画期的だ」

 

ルルナーデは窓の外を見やった。

 

「どうやらこれで、高度育成高等学校とやらの中へ向かうらしい」

 

ふと自分の服を見ると、周りの若者と全く同じものだということに気づいた。

 

「気づいたようだね……服と言い、この動く箱と言い、知らないものだらけだ」

 

ルルナーデは笑った。

 

「日の向きから考えるに、少なくとも一日は経っているようだ」

 

確かに、自分が眠っていた間隔は数十分や数時間ではないことが、直感でわかる。

その事実が示す真実を考えようとしたとき、前方からやや張った声が聞こえた。

 

 

「席を譲ってあげようって思わないの?」

 

 

静かな車内に響いたその声で、空気がわずかに緊張する。

 

どうやら、前の方に座っていた男が注意されたらしい。

優先席にどっかりと腰を下ろしている、同じ制服の金髪の男。

その横には年老いた老婆が立っており、さらにその隣には、周りとは違う服装の女が立っていた。

 

メメント・コルは、車内の空気の変化を感じ取る。

だが、何が問題になっているのかは、まだ完全には分かっていなかった。

 

「……ルルナーデ」

 

小声で呼ぶ。

 

「何か揉めている」

 

「見れば分かるよ」

 

ルルナーデは、すぐに事情を察したらしい。

 

「なるほど。あれは席を譲れ、という話か」

 

「席を譲る?」

 

「そういう風習なんだろう。年長者や体の弱い人を敬え、ということさ」

 

メメント・コルは、老婆の顔を見た。

しんどそうではあるが、今にも倒れそうというほどではない。

それでも、立ったまま揺られるのは楽ではないだろう。

 

一方で、金髪の男は涼しい顔をしていた。

悪びれた様子もなく、むしろ面白がっているようにすら見える。

 

先ほどからの会話を聞く限り、相手の言葉を巧みにいなしている。

だが、メメント・コルには、そのやり取りが妙に引っかかった。

 

言葉を交わしているのに、互いの立場を理解しようとしていない。

ただ、自分の正しさだけを押し通そうとしている。

そんな空気は、奈落で何度も見てきた。

 

弱い者を見た途端に豹変する者。

親切そうな顔をして、内側では別の獣を飼っている者。

そういう人間は、決して少なくなかった。

 

「……ああいうのは、好かないな」

 

ぽつりと漏れる。

 

ルルナーデがちらりとこちらを見る。

 

「誰のことだい」

 

「どちらもだ。自分の正しさしか見ていない」

 

「ふうん」

 

ルルナーデは少しだけ目を細めた。

 

「で、どうするの?」

 

メメント・コルは答えない。

 

まだこの世界の流儀は分からない。

だが、あの老婆を立たせたままにする理由は、彼にも見当たらなかった。

 

「……譲る」

 

ルルナーデが目を瞬いた。

 

「席だ。あの老婆に」

 

「へえ」

 

「右も左もわからない今の状況で目立つ真似は避けるべきだが、まぁいいだろう」

 

仮面の下で、メメント・コルは静かに言った。

 

「善意を示すのは、少なくとも今は不自然じゃない」

 

その言葉に、ルルナーデは一拍おいてから、ふっと息を漏らした。

 

「いい心がけだ」

 

低く、しかし確かにそう褒める。

 

メメント・コルは立ち上がった。

そして、金髪の男の方ではなく、立っている老婆の方へ静かに歩み寄る。

 

「使ってくれ」

 

短く告げる。

 

老婆が驚いたように目を見開いた。

 

「まあ……いいんですか?」

 

「問題ない」

 

それだけ言う。

 

老婆は遠慮がちに座り、深く頭を下げた。

 

そのときだった。

 

「ほう?」

 

高円寺が、わずかにこちらへ視線を向けた。

 

「なるほど。実にスマートだねぇ」

 

手をたたきながら、愉快そうに口元を歪める。

 

「自らの席を譲ることで、場を収めるつもりか。自己犠牲的だが、合理的でもある。悪くない選択だ、何もしない有象無象よりはね」

 

軽く肩をすくめる。

 

「もっとも、それは“私が譲らなかった”という事実を変えるものではないが」

 

その言葉に、メメント・コルは一瞥だけ返した。

 

「変える必要はない」

 

「くくっ……なるほど」

 

高円寺は満足そうに笑い、再び前を向いた。

 

「存外退屈しないね、この空間は」

 

そう言うと男は腕を組み目を閉じてやり取りを終わらせた。

 

そのやり取りの裏で、もう一つの視線が動いていた。

 

老婆の前に立っていた女子――同じ制服の女子が、わずかに腰を浮かせかけていたのだ。

だが、メメント・コルの行動で、その動きは止まった。

 

ほんの一瞬。

 

女子の表情が、一瞬だけ強張ったのを、彼は見逃さなかった。

 

まるで、誰かに手柄を先に取られたとでも言いたげな、不快そうな色。

すぐに隠されたため、表に出ることはなかったが、メメント・コルの目には残った。

 

「……なるほど」

 

小さく呟く。

 

「何が分かったの」

 

町の景色に夢中になっていたルルナーデが、尋ねる。

 

「分かったわけではない。ただ、少し嫌な匂いがする」

 

「きみらしい感想だね」

 

老婆が、ためらいながら座席に腰を下ろす。

その様子を見届けてから、メメント・コルは元の場所へ戻ろうとした。

 

その背に、ルルナーデが静かに言う。

 

「だから言っただろう。きみは、そういう善性を捨てきれない」

 

「……捨てる理由がない」

 

「うん、悪くない」

 

車内の空気は、なおも張り詰めていた。

だが、メメント・コルにはもう一つ、別の感覚があった。

 

この場には、まだ見えていない何かがある。

あの金髪の男も、立っていた女も、表面だけでは測れない。

そして――この世界の人間は、思った以上に面倒そうだ。

 

 

 

 

 

しばらくのあいだ、メメント・コルはルルナーデと、この世界について断片的に言葉を交わしていた。

 

道行く者たちの衣服。

馬車ではない車輪付きの箱のような乗り物。

整えられすぎた石畳の道。

空を裂くように並ぶ高い建造物。

どれを取っても、二人が知る世界の常識とはかけ離れている。

 

「つまり、ここは王城でも、修道院でも、学び舎でもない、と」

 

ルルナーデが窓の外を眺めたまま言った。

 

「少なくとも、私の知る“学校”とは違うね。あれほど大きな土地や建物を、若者の教育のためだけに使うなんて」

 

メメント・コルは黙って頷いた。

彼にとっても、この世界は理解の及ばぬものばかりだった。

 

奈落にも、都市にも、ここまで整いすぎた建物群はなかった。

石と木で組まれた堅牢な建造物ではない。

滑らかな壁、均一な窓、用途不明の照明。

それらはすべて、まるで最初から完成されたものとしてそこにあった。

 

やがてバスは速度を落とし、目的地へと到着した。

 

「……高度育成高等学校」

 

そう告げたのは、車内の放送だったのか、それとも周囲の誰かだったのか、メメント・コルには判然としなかった。

だが、停車した先に広がる光景を見た瞬間、その名がこの場所を指しているのだと理解した。

 

先日の入試会場でも十分に驚かされた。

だが、ここはそれ以上だった。

 

目の前にそびえるのは、もはや学び舎というより、一つの巨大な城砦に近い。

だが、城とも違う。

防壁の威圧感ではなく、計算し尽くされた秩序と機能美が、そのまま形になっている。

 

「……これが、学校?」

 

ルルナーデが思わず呟く。

 

「少なくとも、ただの建物ではないな」

 

メメント・コルも、仮面の下でわずかに目を細めた。

 

正門をくぐると、そこにはさらに奇妙な光景が広がっていた。

人の流れがあり、誰もが迷いなく一定の方向へ進んでいる。

その先には、見たこともない大きな板が掲げられていた。

 

黒い板面に、光る文字が浮かんでは消える。

そこへ、見知らぬ名が次々と映し出されている。

 

「……何だ、あれは」

 

「さあね。板なのに文字が動いている。妙だね」

 

ルルナーデが、珍しく少しだけ興味を示した。

 

メメント・コルは、自分の名を探す。

やがて視線の先に、それを見つけた。

 

Dクラス。

 

その文字を見たところで、意味は分からない。

だが、周囲の空気からして、どうやら重要なものなのだろうということだけは察せられた。

 

「……クラス、か」

 

「分かるの?」

 

「いや、分からん」

 

「素直でよろしい」

 

ルルナーデは肩をすくめたが、すぐに彼と同じように周囲を観察し始めた。

 

校内に足を踏み入れるたび、二人の知らぬものが増えていく。

壁に掲げられた掲示物。

行き交う生徒たちの同じ制服。

整然とした動線。

そして、人の流れに沿って進むだけで迷わぬように作られた構造。

 

何もかもが、彼らの知る学び舎とは違っていた。

 

やがて一行は、体育館と呼ばれる場所へ案内された。

 

その名からして、何か大きな広間のようなものだとは思えたが、実際に目の当たりにすると、その規模に再び驚かされる。

広く、天井が高く、収容されている人数も桁違いだった。

 

「……随分と広いな」

 

「礼拝堂より大きいかもしれないね」

 

ルルナーデが、少し感心したように言う。

 

そこでは、校長と呼ばれる人物が話をしていた。

その隣には、在校生代表だという堀北学という青年が立っている。

さらに、よく分からない肩書きを持つ者たちが順番に壇上へ上がり、何やら説明めいたことを口にしていた。

 

だが、メメント・コルには、その多くがうまく頭に入ってこなかった。

 

「……何を言っているんだ」

 

小声で漏らす。

 

「重要そうなことを言っているのは分かるけど、半分以上は意味が取れないね」

 

ルルナーデも同意するように目を細めた。

 

“自由”

“実力”

“評価”

“将来”

“特別な学校”

 

それらしい単語だけが耳に残る。

だが、その実態はまだ掴めない。

 

彼らにとっては、今まさに目の前で語られていることよりも、この場そのものの異常さの方が大きかった。

若者たちの整った服装。

広大な空間。

見知らぬ設備。

まるで王国の祝典にでも迷い込んだような、あるいは、それ以上に作為的な雰囲気。

 

「……やっぱり、ここは普通じゃない」

 

ルルナーデが、半ば独り言のように言った。

 

「同感だ」

 

メメント・コルはそう答えながらも、壇上を見つめた。

話している者たちの表情は真剣で、そして自信に満ちている。

何も知らぬまま流されているだけの自分たちとは、対照的だった。

 

やがて入学式とやらは終わりを迎えた。

 

長く感じた式も、終わってしまえばあっけない。

だが、何も終わってはいない。

むしろ、ようやく何かが始まるのだという気配だけが、場内に濃く残っている。

 

「これで終わりらしいよ」

 

ルルナーデが、会場のざわめきを聞きながら言った。

 

「終わり、というより始まりだな」

 

メメント・コルは低く返す。

 

校長や在校生代表の話が、結局どこまで重要だったのかは分からない。

だが、少なくとも一つだけは確かだった。

 

この学校は、ただの学び舎ではない。

そして、ここで始まる日々は、彼らの知るどんな日常とも異なる。

 

やがて生徒たちは再び動き出し、それぞれのクラスへと向かい始めた。

自分たちが学ぶ教室へ行くのだと、誰かが言っていた。

 

メメント・コルとルルナーデも、その流れに従って歩き出す。

 

まだ何も知らない。

だが、知らぬまま足を踏み入れたこの場所で、何かが確実に変わっていく。

 

二人は無言で顔を見合わせた。

そして、これから向かう“教室”というものに、静かに足を向けた。

 

 

 

教室に入って最初に目に入ったのは、黒板だった。

 

そこには、すでに席順が記されている。

名前が整然と並び、まるで最初から、この場の序列まで決められているかのようだった。

 

メメント・コルは、その中から自分の名を探す。

 

芽門心。

 

「……俺の席は、ここか」

 

「みたいだね」

 

耳元で返るルルナーデの声は、当然ながら他の誰にも聞こえない。

彼女の姿もまた、この教室には存在していないのと同じだった。

 

メメント・コルの席は、教室の左奥から一つ前。

つまり、最後列のすぐ前。

窓際の、やや目立たぬ位置だった。

 

その机の上には、奇妙なものが置かれている。

 

手のひらほどの大きさの、平たい板状の器具。

金属とも木とも違う、滑らかな質感。

表面は黒く、ガラスのようにも見える。

 

「……何だ、これは」

 

メメント・コルはそれを手に取る。

軽い。

だが、見たことのない作りだった。

 

「本か何かの板? いや、違うね」

 

ルルナーデも、彼の視線の先を見ているつもりなのだろうが、当然それは誰にも分からない。

 

「触ってみても、文字を写す板には見えない。……便利そうではあるけど」

 

「用途が分からん」

 

「私も同じだ」

 

二人がそんなやり取りをしているあいだにも、教室の中は少しずつざわめきを増していた。

 

周囲の生徒たちは、自分の席を確認しながら座り、あるいは隣の者に小声で話しかけている。

誰もが、互いの顔色をうかがっていた。

 

右後ろの席には、堀北と呼ばれていた女子生徒がいる。

真っ直ぐな姿勢のまま、ほとんど無駄なく椅子に座っていた。

視線は鋭いが、周囲に対して関心を向けている様子はない。

ただ、何かを見極めようとするような冷たさがあった。

 

そのさらに少し右。

教室の右後方寄りに、高円寺という金髪の少年がいる。

先ほどのバスで見せた通り、やけに落ち着き払っている。

足を組み、椅子に深く腰を預け、すでにこの場所を退屈の対象と見なしているような態度だった。

 

「……あいつだな」

 

メメント・コルが小さく呟く。

 

「さっきの男だね」

 

ルルナーデも、彼の視線の先を見ているつもりで続ける。

 

高円寺の隣や周囲には、特に目立つ者はいない。

だが、そのあたりの数名は、彼と話すことを少し躊躇っているようにも見えた。

あの男が、そういう空気を自然と作ってしまうのかもしれない。

 

一方、教室の右前側には、櫛田と呼ばれていた女子生徒がいた。

明るい雰囲気をまとい、周囲にも柔らかく接しているように見える。

だが、その立ち居振る舞いには、どこか整いすぎた印象もある。

笑顔はきれいだが、きれいすぎるものは、ときに何かを隠している。

 

メメント・コルは、教室を静かに見回した。

 

前にいる者はまだ、顔つきに余裕を残している。

中央の席に座る者たちは、早くも周囲との距離を測っている。

後ろの席にいる者ほど、他人を観察する時間が長い。

どこにいても、誰もが誰かを見ていた。

 

奈落でも似たようなものだ。

初対面の相手ほど、まず相手の価値を測る。

戦えるか。

信用できるか。

自分に害をなすか。

ここでも、その本質は変わらないように見えた。

 

「……どこか嫌な感じじゃないか」

 

「そうかな」

 

ルルナーデの声は、どこか面白がっている。

 

「私はむしろ、分かりやすくて助かるよ。隠しているようで、みんな結局は自分を見せている」

 

「そうかもしれん」

 

メメント・コルは自席に腰を下ろした。

机の上の奇妙な板をもう一度見やる。

何の道具かは分からない。

だが、この教室の者たちが皆これを当然のように受け取っている以上、何かしらの意味はあるのだろう。

 

後ろの方から、視線が一つ、静かにこちらへ向く。

綾小路という名の少年だった。

 

目立つわけではない。

声を上げたわけでもない。

だが、妙に存在感を感じる。

まるで、最初から周囲に溶け込むことを前提にそこへいるような、薄いのに消えない気配だった。

 

「……あいつも、少し変だな」

 

メメント・コルが呟く。

 

「きみもそう思うんだ」

 

ルルナーデは、彼の反応に満足したように小さく笑った。

 

「そもそもここにいる人達は、みなこの世界の人間なのだろうか」

 

「……」

 

教室はまだ騒がしい。

だが、その騒がしさの奥では、すでに何かが始まりつつある。

誰が前に出るのか。

誰が沈黙を守るのか。

誰がこの教室の空気を動かすのか。

 

メメント・コルは、椅子に座ったまま、周囲の生徒たちを一人ずつ見た。

この世界の人間は、まだよく分からない。

分からないからこそ、よく見なければならない。

 

 

 

教室の空気が変わった。

 

男ーー平田洋介が、ホームルームが始まるまでのあいだに自己紹介をしようと提案したのだ。

人当たりのよさそうな顔立ちと落ち着いた口調は、場をまとめるのに慣れている者のそれにも見えたが、

メメント・コルは何か言葉にできない違和感を覚えた。

 

どうやら周りの人間はそうでも無いようで、

その呼びかけに、すぐ女子たちが反応する。

軽井沢と呼ばれていた、少しトゲのある、いかにも華やかな印象の少女。若干の怯えの色もあってプルグリット女王のようだと思った。

また、櫛田桔梗という柔らかく明るい雰囲気をまとった少女。

彼女たちの周囲にいる数人も、楽しげにうなずいていた。

 

メメント・コルは、ただ静かにそれを見ていた。

 

自己紹介が始まる。

ひとりひとり、名前と何かしらの自分語りを並べていく。

その内容は、彼の知る常識とは少し違っていたが、流れさえ掴めば理解は難しくない。

 

平田洋介。

サッカー部に入るつもりらしい。

穏やかな印象の、いわゆる“人当たりのいい男”というやつだ。

こういう人間は、どこにでもいる。

だが、この教室ではそれだけで一定の信用を得られるのだろう。

 

池寛治。

彼女を募集中だとかで、やけに軽い。

場を和ませる意図があるのか、それとも本気なのか、メメント・コルには判別がつかない。

だが、少なくとも空気を動かす力はある。

 

山内春樹。

自己紹介の中身はやけに大きい。

卓球全国大会、野球エース、陸上ではインターハイ出場、さらに怪我で今はリハビリ中。

言っていることはよくわからなかったが、妙に歯切れが悪い。

何かを盛っている匂いがした。

奈落でも、こういう虚勢を張る者は少なくなかった。

大きく見せたい者ほど、足元が脆い。

 

井頭心。

ひどく緊張していて、まともに言葉を紡ぐことすら苦労していた。

その分だけ不器用さは本物に見える。

裁縫が得意だという話も、飾り気がなく、かえって印象に残った。

 

櫛田桔梗。

明るい。

親しみやすい。

誰とでも仲良くなりたいという空気を、惜しげもなく前に出している。

連絡先を交換したいと言っていたが、どういう意味だろうか。

表情も態度も整っている。

笑顔の裏に何があるのか、直感が小さく警鐘を鳴らす。

奈落で見た、善意を装う者たちに似た匂いがした。

 

高円寺六助。

その名前が出た瞬間、空気が少しだけ引き締まった気がした。

高円寺コンツェルン。

日本社会を背負う男。

醜いものは制裁する。

レディーには優しい。

大仰で、堂々としていて、妙に自信だけが先走っている。

だが、こういう男は嫌いではない。

少なくとも、自分を偽っていないように見えるからだ。

 

そして、綾小路清隆。

 

彼はしばらく立ち上がらなかった。

教室の視線が集まってもなお、焦る様子がない。

ようやく立ち上がっても、返ってきたのは短い、何もない自己紹介だけだった。

名前を述べて終わり。

それ以上も、それ以下もない。

 

拍手が起きた。

だが、あれは歓迎の拍手というより、場の空白を埋めるための音に近かったが。

 

メメント・コルは、その少年を見たまま、わずかに目を細める。

目立たない。

だが、消えているわけでもない。

ただ空気に溶け込み、必要以上の何かを一切見せない。

その在り方は、むしろ異質だった。

 

何も語らぬ者ほど、何かを隠している。

綾小路という少年も、その類に見えた。

 

心の中で、そう結論づける。

 

この教室には、表に出る者と、裏に潜む者がいる。

そして、そのどちらでもない者もいる。

ここから先、このクラスがどう動くのか――まだ見えないが、少なくとも退屈ではなさそうだった。

 

どうやら自分の順番が回ってきたようだ。

 

「キミの自己紹介か、奈落で初めて会ったときからどれだけマシになったのか見ものだね」

 

煽るルルナーデを無視して立ち上がったーー




小説とアニメで描写が違うのやめてください
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