無敵の呪術師。されど凡夫 作:実験者
俺はホテルのロビーから少し離れた、木陰のベンチに腰を下ろしていた。
夏の陽射しが木の葉を透かして、地面にまだらな光の模様を描いている。手にはコンビニのビニール袋がぶら下がっていて、中には冷えたジュースが何本も入っていた。
オレンジ、コーラ、レモンソーダ。
理子ちゃんと黒井さんに一本ずつ渡したあと、残りを夏油傑に差し出す。
「ジュースいっぱい買って来たけど、いります?」
夏油はベンチの端に座ったまま、少し驚いたように俺を見上げた。
それから柔らかく笑って、手を伸ばす。
「ああ、貰うよ。お金は」
「必要ない。俺は金持ちだから」
「そうか。なら別の形で返すとしよう」
「期待する」
俺は自分の分も取り出して、プシュッと缶を開けた。冷たい炭酸が喉を通る感触が、火照った体を少し冷やしてくれる。
五条悟は少し離れたところで電話を続けていて、苛立った声が断続的に聞こえてくる。
「だから言ったじゃん! 上層部のバカどもが勝手に……いや、聞いてる? 聞いてんの!?」
理子ちゃんは黒井さんの隣のベンチに座って、ジュースをちびちび飲んでいる。
さっきの爆発で気を失っていたはずなのに、もう目はぱっちり開いていて、好奇心と警戒心が入り混じった表情だ。
先ほど、俺の魔虚羅を見て「化け物!」と叫んでいたのが嘘みたいに、今は落ち着いている。俺は観測用の魔虚羅からリアルタイムの情報を流し込まれていた。
五条悟は呪詛師の集団を一瞬で片付け、夏油は理子ちゃんを無傷で救助完了。
魔虚羅軍団は自律で周囲を掃討しながら、二人の背後を固めている。脱兎の無限増殖と魔虚羅の適応能力を融合させた結果、数えきれないほどの魔虚羅が展開可能だ。
一匹でも国家レベルの脅威になり得る式神が、無限に湧き出る。これで特級認定されても文句は言われないはずだ。でも、俺はそんな戦場に近づきたくない。
戦うのは嫌いだ。痛いのも、苦しいのも、血の匂いがするのも、人が死ぬ瞬間を見るのも全部嫌い。
努力なんて面倒くさい。だから、魔虚羅軍団に「五条と夏油の支援を最優先。俺は後方で待機」と命令を出して、自分はここでジュースを飲んでいる。
夏油が缶を一口飲んで、静かに息を吐く。俺は自然に言葉を投げかけた。
「夏油さんは呪術師歴は長いんですか? かなり戦い慣れて見えますが」
「うーん、まだ数年だよ。私は一般人だったからね。強さの方は悟の相手としていたら自然にね」
「なるほど。確かにそうですよね。五条さんもハイレベルの術師です。その相棒である夏油さんの努力は想像できません。正直、すごいな、と思います」
夏油は少し照れたように目を細めて、木漏れ日を見上げた。
「ありがとう。そうかい? 君も強いだろう。資質も技量も高い。それこそ私たちに並ぶと思う。それに悟にはないものを君は備えている」
「なんです?」
「人に気を遣えるところさ。こうしてジュースを買ってきてくれたのもそうだし、理子ちゃんに対する配慮もできる。能力ではなく人格面が素晴らしい」
「……ありがとうございます」
俺はジュースの缶を握りしめた。
神様からチート級の術式を貰って、振りかざして自由気ままに生きてきた。
そんな俺が、人への配慮を褒められるなんて、予想外だった。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
少し恥ずかしくて、視線を地面に落とした。俺はもう一口ジュースを飲んでから、静かに続けた。
「夏油さん。呪術師辛くないですか?」
夏油は少し考えて、穏やかに答える。
「大変ではあるけど今はそんなに辛くないかな。どうしてそう思ったんだい?」
「呪霊を取り込む際の味はまずいと聞きます。しかも何度もやる上に、人の闇を直視し続ける職業です」
夏油の真面目で誠実な性格を思い浮かべながら、俺は言葉を紡いだ。
「辛くなったら、逃げても良いし、辞めるのも一つの選択肢です。あるいは休むのも良いし、相談するのも良いでしょう。呪術師がメンタルを病んで事故が起きたり、呪詛師になることは多いです」
夏油は俺をじっと見て、柔らかく微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。でも私は戦おうと思う。弱者生存。それがあるべき社会の形ならば、強者である私は戦わなくては」
「……わかりました。もし困ったことがあったり、辛いことがあったら連絡してください。魔虚羅が助けてくれます」
「それは心強い」
俺は空を見上げた。
青く澄んだ空に、白い雲がゆっくりと流れていく。どうせ、世界の修正力とか抑止力とか、そんなご都合主義的な力が働いて、運命はもう決まっている。
逆らっても無駄だし、これだけの力があるなら努力する価値もない。それでも、少しだけ思った。
夏油傑とは、友達になりたい。救うことや助けることは不可能かもしれない。運命は変えられないかもしれない。でも、話し相手くらいにはなれるんじないか。
ジュースを飲みながら、隣に座る夏油の横顔を見た。穏やかで、でもどこか強い意志を感じさせる表情。
五条の電話の声が遠くで響く中、俺たちはベンチに並んで座っていた。
夏の風が軽く髪を揺らし、木の葉がさわさわと音を立てる。
ジュースの缶が冷たくて、手のひらに心地いい。少しだけ、この時間が長く続けばいいと思った。