無敵の呪術師。されど凡夫   作:実験者

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5話:無敵の勝利とは生存である

 俺はベンチに座ったまま、ジュースの缶を片手に持っていた。

 夏油傑が隣で静かに飲んでいる。

 十種影法術の式神は本来、十種類それぞれに特色がある。しかし、八握剣異戒神将魔虚羅という最強の手札がある以上、他の式神はリソースの無駄にしか感じられなくなっていた。

 

 だから俺は決断した。無限増殖できる『脱兎』、回復と簡易展開で味方を守れる『円鹿』、そして魔虚羅だけを残し、他の式神はすべて破棄した。

 

 増えたリソースはすべて魔虚羅の拡張に注ぎ込んだ。

 今、俺が使えるのは役割を特化させた四種類の魔虚羅だ。

 

・逃走型:光学迷彩、消音、シールドを搭載。俺を連れて即座に逃げるための機動特化型。

 

・守護型:俺と同化し、痛みやダメージをすべて引き受けて適応を発動させ、他の魔虚羅に共有する大盾。

 

・強襲型:適応と再生力を意図的に下げ、代わりに火力・速度・正のエネルギーを極限まで高めた特大剣。

 

・通常型:バランスの取れた性能で、十種影法術で制式採用された傑作量産型。取り回しが良く、他の式神との融合も容易な直剣役。

 

 己の能力を縛り、ガンガン引き算していく。

 

 魔虚羅を主体とした先鋭的な使い方こそ、俺の性分に合っていた。そもそも俺は痛いのも苦しいのも嫌いだ。近接戦闘など絶対にしない。

 

 戦闘が起こり、俺が戦うことになりそうならすぐに逃げる。そのとき、隣に座っていた夏油傑が急に立ち上がった。

 表情が一瞬で真剣になる。

 

「敵だ。監視用の呪霊が祓われた」

 

 五条悟が電話を切りながら、こちらに歩いてくる。

 

「だからさっさと高専に戻れば良かったってのに」

 

 夏油が俺の方を向く。

 

「私達は彼女を助けに行く。禪院さん、貴方はどうします?」

 

 俺はベンチから動かず、静かに答えた。

 

「俺はここで式神を操作して援護します。二人は直接行ってください」

 

 五条がサングラス越しに俺を睨む。

 

「安楽椅子探偵かよ」

 

 俺は軽く手を振った。

 

 「二人とも、ご武運を」

 

 五条と夏油は即座に動き出した。

 二人の背中が学校の方へ向かって走り去るのを、俺は座ったまま見送った。俺は目を閉じて、通常型の魔虚羅たちと視界を共有した。

 

 何十体もの魔虚羅が学校の敷地内を高速で移動し、呪詛師や暗殺者の気配を探っていく。影から影へ滑るように展開する。

 

 瞬間――ドンッ! 予期せぬ爆発がすぐ近くで起きた。地面が揺れ、熱風が俺の顔を叩く。

 

 どうかしていた守護型の魔虚羅がすべてのダメージと痛みを引き受けてくれた。フィジカルギフテッド並みの肉体強度もあって、俺の体は無傷だった。しかし、突然の衝撃に心臓が跳ね上がる。

 

「何が起こった……?」

 

 黒髪に鋭い目つき。

 禪院家を出奔して伏黒を名乗っている術師殺しの男だ。

 

 完全なフィジカルギフテッドの第一号。

 肉体性能、戦闘技能、戦闘装備――すべてが極まった存在。

 甚爾は無表情で俺を見て、銃を構えた。

 

 バン! バン! バン! 

 三発の銃声が響く。

 守護型が痛みを肩代わりしてくれたおかげで、俺は無傷。しかし、突然の攻撃に声が裏返る。

 

「ッ、う。うぉ……」

 

 甚爾が舌打ちする。

 

「チッ、効かねえか。爆弾も銃も駄目と。反転術式じゃねぇな。呪力でのガードでもない。純粋な肉体性能が高いタイプか。俺と同じなら、厄介だが……あの式神は面倒だ。ここで死ね」

 

 俺は慌てて手を上げた。

 

「痛くて苦しいのは嫌なので、戦いたくないです。話し合いで解決しませんか?」

 

 甚爾は笑いもせずに答える。

 

「わりぃな、無理な相談だ」

 

 次の瞬間、甚爾が一気に距離を詰めてきた。魔虚羅の軍勢が次々と立ちはだかるが、彼はそれを軽々と蹴散らしながら突き進む。

 魔虚羅の弱点は短期決戦だ。事象への適応が発動する前に即死攻撃を食らえば終わり。しかも使用者である俺を直接狙われると、一気に劣勢に陥る。

 

 甚爾の拳と蹴りが、俺の周囲を埋め尽くす魔虚羅を次々と吹き飛ばすことで、物理的な距離を稼ぐことで、戦闘に参戦できないよう無力化させられていく。

 

「あ、頭が回る!」

 

 俺は防戦一方だった。逃走型の魔虚羅を展開しようとするが、甚爾の動きが速すぎて隙がない。

 守護型が痛みを吸収し続けているおかげで、俺の体はまだ無傷。しかし、心臓は早鐘のように鳴り、冷や汗が背中を伝う。

 

「くそ……本当に戦いたくないのに……」

 

 甚爾の目が、獲物を狙う獣のように輝いていた。魔虚羅の群れが悲鳴のような音を上げながら、次々と空に持っていく。

 

 怖い……怖い怖い怖い……! 死にたくない……絶対に死にたくない……! 面倒臭い……こんなの凄く嫌だ……!

 

 半泣きで視界が涙で滲む中、影を操って魔虚羅を次々と展開した。

 甚爾が地面を蹴り、獣のような速さで迫ってくる。俺の周りに通常型と強襲型の魔虚羅を数十体並べて壁を作ったが、彼のフィジカルはそれを簡単にぶち破る。

 

 ドゴッ! ガシャッ!

 

 通常型の直剣のような斬撃が甚爾の腕に当たる瞬間、奇跡的に黒閃が発動した。

黒い火花が稲妻のように舞い散り、空間がわずかに歪む。通常の2.5乗の威力で魔虚羅の攻撃が炸裂し、甚爾の体が一瞬よろめく。でも、それもほんの一瞬だった。

 

「くっ……!」

 

 俺は半泣きでさらに魔虚羅を操作する。強襲型が特大剣を振り下ろし、また黒閃が発生。

 

 黒い火花が何度も何度も飛び散り、数百回に及ぶ黒閃の連続で魔虚羅たちの攻撃力が一時的に跳ね上がる。

 ゾーンに入ったような感覚で、呪力の操作が呼吸のように滑らかになる。でも、甚爾はそれをものともせず、拳と蹴りで魔虚羅を次々と宇宙まで飛ばしていく。

 

「うわっ……! バケモンだ!」

 

 俺は後ずさりしながら、逃走型の魔虚羅を二体召喚した。光学迷彩と消音を最大にし、シールドを展開して俺の体を抱きかかえるように高速で逃げようとする。

 影から影へ跳び移り、ホテルの裏路地へ滑り込もうとした。しかし甚爾は的確すぎる。まるで俺の逃げ道をすべて読んでいるように動く。

 

「逃さねぇよ」

 

 低い声とともに蹴りが飛んでくる。逃走型のシールドに直撃し、黒閃を発動させたはずの強化攻撃すら、甚爾の圧倒的なフィジカルで弾き飛ばされる。

 光学迷彩が乱れ、俺の姿が露わになった。

 

 ヤバいよ、ヤバいよ、ヤバいよ。

 ヤバい!! ヤバいって!!

 本当にやばいよ……これはヤバい。

 死にたくないってば……! 面倒臭い……逃げたい……!

 

 涙が頰を伝う中、俺はもう一体の逃走型を展開して左右に分かれ、必死に逃げルートを作ろうとする。

 

 強襲型と通常型が黒閃を連発しながら甚爾を牽制する。黒い火花が周囲に激しく舞い散り、空間が何度も歪む。数百、数千回にわたる黒閃のおかげで、魔虚羅たち動きは更に滑らかになっていく。でも甚爾はそれをすべて読み、拳で薙ぎ払い、蹴りで叩き潰す。

 

 逃走型の脚部が掴まれ、地面に叩きつけられる。俺も一緒に転がり、膝を擦りながら這うように距離を取ろうとした。

 

「ひっ……うわああ……!」

 

 声が完全に裏返る。守護型が必死にダメージを吸収し続け、黒閃を決め続ける魔虚羅たちが反撃を試みるが、甚爾の近接戦闘は圧倒的すぎる。

 

 俺は防戦一方で、逃げることしか考えられない。

 

 怖い……怖すぎる……死にたくない……こんな戦い絶対嫌だ……!

 

 半泣きのまま、俺は震える手でさらに逃走型を展開し、黒閃を狙って強襲型に攻撃を命じる。

 

 黒い火花がまた激しく舞い散るが、甚爾の拳がそれを上回る速度で迫ってくる。

 

 俺は後ずさりしながら、涙を拭うこともできずにただ逃げ続けていた。

 

「……助けて……誰か……」

 

 俺は地面に這いつくばり、両手でコンクリートを掴んだまま、涙で視界がぐちゃぐちゃになっていた。

 

 もう……もう無理……怖い……怖すぎる……死にたくない……絶対に死にたくない……!

面倒臭い……こんなの凄く嫌だ……痛いのも苦しいのも全部嫌なのに……! 

 

 甚爾の影がすぐ目の前まで迫り、殺気が肌を刺すように感じる。周囲に展開していた通常型の魔虚羅は地球外へ放逐され、逃走型の最後の一体も先ほどの蹴りで戦域外へ飛ばされてしまった。

 

 守護型が俺と同化して痛みと衝撃をすべて受け止めてくれているおかげで、体はまだ無傷だった。でも、心臓は早鐘のように鳴り続け、息が上手くできない。

 これ以上、逃げられない。

 魔虚羅は全然出現可能だが、出現させる速度が間に合わない。その間に俺は殺される。

 

「……もう、嫌だ……」

 

 震える声で小さく呟き、俺は最後の手段に賭けるしかなくなった。呪術師にとって、最後にして最終の切り札――領域。

 

 俺は地面に祈るよう手を叩いて、喉が裂けそうなほど声を振り絞った。

 

「領域展開……『阿片人類愛』!!」

 

 瞬間、世界が音を失った。周囲の光が一瞬で吸い込まれ、すべてが深い黒に塗りつぶされる。

 俺が、十種影法術の根源である「影」の暗黒空間へと引きずり込まれた。

 

 ここは世界中のありとあらゆる影に繋がる、無限の暗黒世界。

 暗黒物質がゆっくりと渦を巻き、俺の体を包み込んでいく。冷たくて、どこか柔らかい闇が全身を覆う。

 この領域『阿片人類愛』は、普通の領域展開とは大きく違う。必中効果も、必殺効果も存在しない。ただ、俺の十種影法術を極限までスケールアップさせるためだけに存在する領域だ。

 

 この黒い世界の中で、発動者である俺のみを対象者として、影へ沈める。その暗黒世界を経由して、好きな場所へ強制的に転移させることができる。

 

 さっきは自分自身を転移させるために、莫大な呪力を注ぎ込んだ。黒い空間が俺の体を優しく、しかし確実に飲み込んでいく。

 甚爾の拳が迫ってくる寸前、俺の姿が影の中に溶けるように消えた。

 

「――っ!?」

 

 甚爾の驚いた低い唸り声が、遠くでかすかに聞こえた気がした。

 次の瞬間、俺は北極にいた

 ――かなり離れた場所だ。

 足元がふらつき、膝から崩れ落ちてしまう。

 

「はあ……はあ……はあ……はあ……」

 

 荒い息が止まらない。俺は屋上の床に座り込み、両手で自分の胸を抱きしめた。守護型がまだ同化状態のまま、残った衝撃をゆっくりと吸収してくれている。

 

「……逃げられた……」

 

 震える声で、ようやく言葉が出た。

 命からがら、逃走に成功した。

 領域を展開したおかげで、甚爾の攻撃圏外まで一気に飛ばされたのだ。

 

 俺はゆっくりと顔を上げ、周りを見回した。風が俺の髪を乱し、涙で濡れた頰を冷たく撫でる。

 

「怖かった……本当に怖かった……」

 

 半泣きのまま、俺は膝を抱えて小さくなった。

 

 目からまた一筋、涙がこぼれ落ちる。

でも、生きている。

 痛くも苦しくもなく、死なずに済んだ。俺は影に意識を集中させ、残った魔虚羅たちに指示を出し続けた。

 

 通常型と守護型を少しずつ回復させながら、甚爾の気配を遠くから探る。

 

 もう二度と、あの男に近づかれたくない。

 

 俺は屋上の隅に身を寄せ、ただ静かに息を整え続けた。

 

「……もう、戦いたくない……」

 

 心の中で何度も、何度も繰り返しながら、俺は目を閉じた。冷たい風が少しずつ穏やかになり、遠くでペンギンが歩く音が小さく響いていた。

 ようやく、胸の鼓動が少しずつ落ち着き始めた。

 

 

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