「貴方がシラサキさん……でいいんですよね?」
厳粛な面持ちの男性が、しかし、どこか不思議そうに、彼に問う。
「ええ。間違いなく、ココの本社から派遣された白崎ですが……何か?」
彼こと、白崎は首を傾げながら、次の言葉を待つ。
すると、目の前の中年に差し掛かった、フォーマルなスーツを着た男性は、少しの間言い淀んだ後、
「……随分と、お若いんですね」
「だいぶ端折りましたね」
男性は、バツが悪そうに、頬を掻いた。
「しかし、とにかく心配なんです。列車長になって間もない」
「……まあ、ルンドさんの言いたいことは十二分に分かります」
白崎は片手を顎に添えると、続ける。
「僕自身、有体に言えば非正規雇用ですし、見てくれは、大分女性寄りです。体格も、見てもらえば分かるように、どちらかと言えば華奢で、背丈もありませんから」
内容に反して、しかし、白崎の態度は妙に堂々としていた。
ルンドはため息を一つ吐く。そして、悩まし気に俯く。
「……本当に、大丈夫なんですか?何かこう……悪寒がしてならない」
目を合わせないまま、若干声を震わせて、彼は言った。
「まあしかし、僕には縛りがあります」
「……縛り、とは?」
一切の見当も付いていない様子の彼に、白崎は今までの見事な鉄面ぶりを少し崩して、
「金ですよ。それも結構な額の」
切り札を繰り出したかのように、胸を張りながら言った。
しかし、ルンドはその言葉を咀嚼しきれないのか、ゆっくりと腕を組んで、いまだに怪訝そうな顔つきだった。
「……感情論やきれいごとを言いたいわけではありませんが、しかし、それだけでは信頼に足りません」
「では何か、より具体的なものを提示した方が?」
「いえ、そういう訳ではありませんが……」
兎に角、ルンドは釈然としていないようだった。
「……まあ、何かしらを語ったところで、十分な説得力は伴いませんよ」
眉間に皺が寄り続ける彼を、諭すように白崎は言った。
そして、光沢のある、高級そうな革のソファーから立ち上がり、
「まあ、大船にでも乗った気でいてください。実際に乗るのは列車ですけれども」
若干口角を上げながら、いたずらっぽく言った。
「……ええ。分かりました」
そう言うと、ルンドは意を決したかのように、一息に立ち上がった。
二人して、壁に掛けられている時計を見やり、もう時間か、と顔を見合わせる。
「行きましょうか」
「ええ」
短く確認をとって、二人は歩き出した。
――ところで、二人がどこか真意を隠したまま、言葉を交わしていたこの場所。それは、この国で一番大きなな駅――その小さな事務室の一角だった。どうやら、待合室として、二人はここを利用していたらしい。
周りの事務員に軽く会釈をしながら、二人は事務室を後にした。
扉を開けると、閉塞的な空間からガラッと様子が変わり、広大なレンガ造りの駅内が視界に写る。
周りには大勢の人々が行き交い、その様子は、この街の活発さを表しているようだった。
二人は、通りすがる人にぶつからないよう気を付けながら、ゆっくりと歩いて行く。エスカレーターで階下へ下り、数多に枝分かれする迷路のような道を、しかし迷いなく進む。
「それで、目途は付いているんですか?」
途中、前を行くルンドは、振り返らないまま、白崎に尋ねた。
「何のです?」
「ですから、貴方は列車内で秘密裏に行われているらしい、密輸の調査のために、派遣されて来た訳でしょう?その目途ですよ」
少し間を開けて、
「いえ、全く」
「……本当に大丈夫ですか?」
その肩を落とした様子のため、後姿からでも、不安そうだとわかるルンドに対し、白崎は飄々とした態度で、
「外部の情報を集めるだけで、ある程度の目途がつくような要件に、まさか、あんな大金は積まれませんよ」
「貴方が今回いくら儲けるのか、私は知りませんので……」
相も変わらず、ルンドは納得がいっていない様子だった。
「では、最後だけ改めましょう」
しかしまあ、白崎も変わらず淀みなく、
「まさか、わざわざ僕が駆り出されません」
自信ありあり、といった感じだった。
さて、十分ほど進んだ後、ようやくこのエスカレーターを上がれば、といったところで――
――列車の走行音が、彼らの鼓膜を震わせるよう、響く。
上がりきると、初めに目に映ったのは、プラットフォームに真っすぐに伸びる点字ブロックや、剝き出しの屋根を支える、錆びた鉄筋――ではなく、目の前の、大きな列車であった。
漆黒の装甲に包まれた車体は、まるで深海に潜む古の巨大魚を思わせる。全長三百メートルにまで及ぶ、その鋼鉄の連なりは、最新鋭の磁気浮上システムを搭載しながらも、しかし、外観は時代に逆行するかのような重厚さを湛えている。
大陸を横断する、この巨大な寝台特急は、圧倒的な存在感を持って、荒い鼻息のようなブレーキ音を響かせるとともに、プラットフォームに停車した。
「荷物、預かりましょうか?」
「お願いします」
今、唐突に思い出したかのように尋ねるルンドに、白崎は、右手に持っていたビジネスバッグを躊躇なく渡した。
そして、重厚な排気音とともに、車両の重厚な扉が一斉に開く。
さて、乗り込もう、と、二人は目的の車両へ向かうところで、白崎の右肩に、軽い衝撃が走った。
元を辿るよう視線を移すと、白いコートを着た、長い髪の靡く少女が、申し訳なさそうな顔で、
「ご、ごめんなさい」
と、前方から振り返り、そして早足に去っていった。
ふと下を見やると、磨り減って光沢を帯びた、御影石のそのタイルに、ぽつんと一つ、赤い髪留めが落ちていた。先程までは確認できなかったため、どうやら、あの少女の物であるらしい。
近づき、しゃがんでそれを拾い上げる。花の柄が特徴的な、髪留めとしては上等な物だった。
「お嬢さーん。落としましたよー」
前方で背を向けながら、小走りしている少女に向けて、白崎は声を張る。
それに気付いたのか、少女は立ち止まり、自らの前髪を右手で触れて確認した後、早足でこちらに向かってくる。
若干息を切らして、白崎の正面に駆け寄ってきた少女に、彼はゆっくりと髪留めを差し出した。
すると、少女は両手で大事そうに受け取って、
「……ありがとう」
と、どこか面映ゆい表情で、また早足で前方に去っていった。
「……若いですねえ」
「貴方もでしょう?」
「彼女と比べれば、全然ですよ」
「では、私はどうなるのです?」
「……まあ、乗りましょうか」
「ええ」
さて、数分歩いた後、二人はようやく目的の号車へと到着した。
扉をくぐると、きらびやかな装飾が、まず目についた。照明に照らされ、ガラス細工や宝石が輝きを放ち、車両全体を豪華絢爛に仕立て上げている。
左右には、汚れ一つ見えない、清潔なクロスが掛けられているテーブルと椅子が、規則正しく配置されている。奥にはバーカウンターが、ガラス張りの大きな扉越しにぼんやりと見えた。どうやら、この号車は食堂であるらしい。
「お部屋は、後ろの車両です」
ルンドがそう言うと、白崎は後ろに向きを変え、列車の結合部を経て、後ろの車両へと移った。
客室が備わったこの号車には、ちょうど人二人分の幅のある廊下が左側に伸びており、右に八つ、客室への木製の扉が、等間隔に並んでいた。
廊下を進んでいくと、一番向こうの客室から、上質そうな黒のワンピースを身に纏う、カールのかかった長い茶髪が印象的な、妙齢の女性が出てくるのが見えた。
正面から歩いてくる彼女に、ぶつからないように、と、二人は右の壁に身を寄せるが、
「あら、申し訳ありません」
白崎の肩に、彼女の肩がぶつかってしまった。
二人は顔を見合わせると、軽く頭を下げ、そして女性は何事もなかったかのように、二人の背後の方へと進んでいった。
「……最近は通りすがる人に肩をぶつけるのが流行なんですか?」
「いえ、聞きませんが」
さて、二人はこの車両の左側、手前から三番目の扉の前で立ち止まった。どうやら、ここが白崎の部屋であるらしい。
「こちらがお部屋になります。それと、荷物」
ルンドは、預かっていた、白崎のビジネスバッグを差し出す。
「有難うございます」
それを受け取ると、白崎は予め渡されていたカギを取り出し、正面の扉を開ける。
部屋の中は、思った以上に広かった。左端には、皺の見えない、丁寧に仕立てられたベッドがあり、右端には木製の机と椅子。また、手前の左側にはトイレとシャワールーム、そして洗面台が備わっており、正しく、ホテルの一室のような作りになっている。
正面の壁にある窓からは、向かいのプラットフォームが見え、椅子に両足を広げて脱力感たっぷりに座る人や、立ちながら手袋で包んだ手をすり合わせて列車を待つ人、キオスクで急いで何かを買っている人など、様々であった。
白崎は、自らのバッグを机の上に置く。そしてトレンチコートを脱ぐと、黒いスラックスと糊のきいたワイシャツ、そして青を基調としたネクタイにきらりと光る銀色のネクタイピンの、その典型的なビジネスマンのような恰好が露になる。
トレンチコートを丁寧にハンガーに掛け、ゆっくりと振り返って、
「さて、参りましょうか」
姿勢良く、後ろで待っていたルンドに、自らの仕事の開始の合図を示した。
「……ところで、サングラスは、外されないのですか?」
「ええ。こちらの方が慣れているので」