さて、二人は足並みを揃えて、食堂のある方の車両へと向かった。
「そういえば、後ろの下級客室のある号車の方へ、調査を行う予定は?」
「勿論ありますが、しかし今日は、我々の居る一級客室車両の方のみ、調査しましょう」
「と、言うと?」
「管理室や運転席など、列車にとって重要であるがゆえに、逆に利用されやすい区画がありますから、まずはそこから」
「しかし、それでは時間が足りないのでは?今日のうちに調査できる部分は、やり尽くしたい気もしますが……」
「ですが、闇雲に探したところで効果は薄いかと」
それに、と置いて、
「一泊二日です。そう慌てる必要はない」
あくまで、悠然とした態度を崩さない。
「……本当ですか?」
「ええ。まあ、僕自身も今回の件について、少々引っかかるところがありまして……」
「引っかかる、とは?」
白崎は、少し悩む素振りを見せるが、結局明朗に、
「……ま、ただの考え過ぎだと良いのですが」
そんな会話を交わしながら、二人は従業員たちで忙しい食堂車を横切り、次の号車へと足を踏み入れた。
「ここが、管理室になります」
車内の手前には化粧室があり、そして少し先に行くと、場所を隔てる壁と、通行の為のスライド式のドアがあった。
「厳密に言えば、ここから先が管理室になります。扉には4桁の簡単なパスワードが掛けられています」
ルンドは、扉の横に取り付けられている、小さなタッチパネルを指す。『0』から『9』までの数字と、『OK』、『C』というアルファベットが表示されている、一般家庭でも用いられているような代物だった。
「しかし、これだけでは簡単に侵入されてしまいそうなものですが」
そう尋ねながら、白崎は少し屈んでタッチパネルをじっと見る。
「まあ、管理室から先に、特に重要なものがある、という訳ではありませんから。念のため、一般客の安全を確保する、というのが一番の目的です」
「成程ねえ」
白崎は姿勢を戻し、横目でルンドを見ながら、
「じゃ、開けてください」
了承すると、ルンドはタッチパネルに、慣れた手つきで数字を入力した。
ピピッ、と鳴った直後に、ロックが解除される音がした。扉を開くと、部屋には積み上げられた段ボールや、電気管理のための大きなブレーカー、小物が並んだ棚などがまず目についた。
しかし、不自然な箇所や怪しげな小包なんかは、辺りを軽く調べてみたところでは、見つからなかった。
「あれは何です?」
そう言うと、白崎は部屋の隅の上部を指さす。
「それは非常口ですね。この車両には直接外部に通じる扉や窓がありませんから、念のため取り付けなくてはならないんです」
ルンドは、指さした上部にある取っ手を下に引っ張った。すると、梯子が勢いよく、音を立てて降りてきた。
「この梯子を登れば、屋根から外界へと通じる、というわけですね」
「ええ、そうです」
それを聞くと、白崎は迷いなくその梯子に手と足をかけた。上っていくと、確かに、また開くことができそうなハッチが確認できた。
それを上に少し押し上げると、隙間から、外部の冷たい空気が、際限なく注ぎ込んできた。問題は無さそうであったし、何より寒かったので、ゆっくりとハッチを閉め、下に降りた。
「何か、他に気にかかる個所は?」
「うーん……」
悩みながら、再度辺りを見渡す。うわべの観察だけでは、特におかしな個所は見受けられ無かった。
白崎は顎に手を添えて、考え込むようなポーズを取ったが、しかし、すぐにそれを解いて、
「ま、もうちょっと探してみましょうか」
そう言うと、辺りの機械や隙間を調査し始めた。
そして十数分、事細かに辺りを捜索したが、しかし、一切手掛かりになるようなものは見当たらなかった。
その先にある、運転席にも、勿論調査を行ったが、同じく、無駄足に終わってしまい、列車の出発時刻が来たということで、パスワード付きの扉から先の車両の調査は、ひとまず終了、ということになった。
「申し訳ありません。列車長として、今日は、これから先の調査には、あまり協力できないかもしれない」
ルンドは、列車に揺られながら、軽く頭を下げる。
「いえ、問題ありません」
「これからは、どうするつもりですか?何か、お助け出来ることがあれば」
「そうですねえ……」
白崎は腕を組み、頭を僅かに傾げる。
そして、少々の間を開けて、
「夕食は、何時からでしたっけ?」
「十九時からですから、二時間ほど先ですが」
すると、白崎は口角を若干上げて、
「じゃ、僕は一旦部屋に戻ります」
「……部屋に戻るとは、つまり、調査は一旦辞めると?」
「ええ」
明朗快活な白崎の返答とは対照的に、ルンドは、少しばかり顔を顰める。
「……本当に、大丈夫なんですね?」
「勿論。任せてもらって、構いませんよ」
礼儀正しいような、しかし、どこか妖し気な、彼のその立ち姿を眺める。どうやら、自信の揺らぎは、微塵も見受けられない。
「……私の気持ちが分かりますか?」
ルンドは肩を落とすと、少し俯きがちに、続ける。
「自らが大勢の責任を受け持つ列車の、その命運とも呼べるかもしれないものを、よく知らない人間に託さなくてはならないという、その気持ちが、分かりますか?」
思案に暮れるような、苦渋の色を浮かべているルンドに対し、白崎はある種淡白に、
「理解はできますね。同情はしませんが」
「……それで結構です」
その回答が気に入ったわけではないけれども、ルンドは一つ息を吐くと、姿勢を正して、ぎゅっとネクタイを締めた。
「まあ、部屋に戻ったからと言って、何もしない、という訳ではありません」
「休んでくれていても良いのですよ。苦労あってのことでしょうし」
「それは投げやりすぎです」
「それはまあ……そうですね」
「別に、あれやこれやを命令してくれたって、構わないんですよ。いかにも心配そうですし」
若干砕けた口調で、白崎は言った。
しかし、ルンドは揺ぎ無く、
「……いいえ。貴方に任せます」
はっきりと、そう言った。
「それはそれは。助かります」
白崎は軽く頭を下げる。
「では、お願いしますね」
そう言うと、この豪華な車内に似合う、紳士のようなスーツ姿の彼は、頭を下げて、自らの品格ある仕事へと戻っていった。
「……まあ、俺も戻るか」
白崎は、ポツリと呟いた。
ふと、流れゆく窓の外の景色を見やる。純白に覆われた、天高く聳える山々が、威厳たっぷりに佇んでいる。こういうものを、所謂『絶景』というらしいけれども、しかしまあ、そんなことに気を取られる程に、能天気ではない自分の性格を、白崎は少し呪った。