時刻は午後七時を目前に控えた、薄暮の時間
この一等客室の食堂車には、様々な客人が集っていた。
小皺が若干伺える、瘦せ型の中年の男性。
強面で大柄な、白髪を蓄えた威厳ある老紳士。
カールのかかった長い茶髪が印象的な、気品溢れる妙齢の女性。
背が高く、野心を湛えた眼差しを持つ、オールバックの男性。
二十歳を超えたばかりのように思われる、その釣り目が特徴的に映る、中背の女性。
整った顔の、スーツが似合う、身なりの良い三十代ぐらいの男性と、その向かいの席に座る、前髪を赤い髪留めで飾る、長髪の少女。
それぞれのテーブルに座る彼ら彼女らは、夕食までの僅かな時間を、静かに過ごしていた。
「……最近は、どう?」
反対側のテーブルに座る、痩せ型の中年の男性が、少女を連れているらしい男性に声を掛けた。
「ええ。順調そのものです」
もう一方の男性は笑顔で返す。
「いや、その……」
しかし、どこか中年の男性の方は、釈然としていないらしく、伏し目がちになる。
そして、行儀よく座る少女の方を、ふと見やった。
「ああ。元気ですよ」
どうやら、意図が理解できたらしく、納得した表情を浮かべて、男性は返し直した。
「そう、それなら……」
そう言うと、中年の男性は晴れた表情で、自らの席に座り直した。
さて、時刻はようやく午後七時となり、車両の向こうから、ウエイターたちがやってきて、次々と料理が運ばれてくる。
ちょうどそのタイミングで、白崎も空いているテーブルへと腰掛けた。
若干遅れているような気もするけれど、しかしまあ、彼の元にもしっかりと料理が運ばれてきたのだから、別に何も問題はないだろう。
「このワインは当列車からの物です。いかがです?」
そんな声が、グラスへと注がれる音と共に、繰り返し聞こえてくる。
どうやら、列車長であるルンドが各テーブルへと向かい、無料でワインを提供しているらしい。
「いかがですか?」
勿論、ルンドは白崎のテーブルの横に立ち止まると、同じく提案してくる。
「いえ、結構。アルコールは嗜みませんので」
やんわりと、白崎は断った。
そうですか、と、ルンドはワインボトルを持ち直して、
「……何か、掴めました?」
若干、声を潜めて尋ねた。
「特に、これと言って」
「……大丈夫でしょうか?」
やはり、ルンドは悩まし気に顔を顰めた。
「まあ、今はその話はよしましょうよ。貴方もここには長居出来ないでしょうに」
対照的に、白崎は屈託なく提案した。
「……そうですね」
納得したように、ルンドは背筋を伸ばすと、
「いかがでしょうか、旅路の方は?」
小さく笑みを浮かべ、白崎に尋ねた。
白崎はテーブルにある高級そうな(実際に相当高級な)料理を、一口含み、飲み込むと、
「……何だか慣れませんね」
「お気に召しません?」
「いえ、そういう訳ではありませんが、どうも煌びやかすぎて……」
そう言い、眉間に少し皺を寄せる。
「しかし、寝台特急というのは、なかなか良いものではありませんか?」
「まあ、乗る機会もありませんしね。俗にいう“乙なもの”、があるのかも」
「そう言ってもらえると、冥利に尽きますね」
すると、「では、ごゆっくり」と頭を軽く下げて、ルンドはテーブルから去ろうとする。やはり、長話している暇は無いらしい。
「ああ、そうだ。ルンドさん」
後姿の彼に、唐突に思い出したかのように、問いかける。
「何でしょう?」
「若干、不躾な質問になってしまうかもしれないのだけれど」
どこか、バツが悪そうな。しかし、いたずらっぽく、
「喫煙室、ありますか?」
因みに、自室でタバコは吸え、とのことだった。
*
「しかし、不思議なものですね」
一つ。静かだった食堂の空気に水を差すかのような、そんな声色が聞こえた。
時刻は午後八時半を回り、すべてのテーブルからは、食器が片付けられ、食堂車の食事席のスペースには、二人の客のみが残っていた。
一人は、 小皺が若干伺える、瘦せ型の中年の男性。
そしてもう一人は、もう夜だし、室内だというのに、サングラスを掛けた、小柄で、長い髪を一本に後ろで束ねた――つまり、お馴染みである白崎である。
「……何ですか?」
男性は、今にも向かいの席に、無遠慮に座ろうとしている白崎に対し、訝し気な眼差しを向ける。
「ところで、鉄道の旅の醍醐味、とは何処にあると思いますか?」
自然な着席を見事に(?)成功させた白崎は、これまた唐突に、向かいの男性に対して問いかける。
しかし、一切応答を待たないまま、彼は続ける。
「それは、儚さにあります。見知らぬ者同士が、一期一会で何日かを共にした後、それぞれの目的地へと向かい、それ以降、二度と会うことは無い、という儚さ……みたいなことを、どこかで聞いた覚えがありまして」
「はあ……」
「貴方もそう思いませんか?イライアス・サグデンさん」
にやり、と口角を上げながら、白崎は言った。
「何故、私の名前を……」
驚嘆したようで、サグデンは目を丸める。
「さあ。どうしてでしょうね」
言葉では惚けているようだけれども、しかしまあ、怪しげな笑みは崩しはしない。
そんな表情の彼に、猜疑心を取り戻したサグデンは、腕を組みながら、
「……何やら列車内を調査しているようですけど」
「あら、バレてました?」
「乗客のほとんどは気付いているかと」
「それはそれは。名を馳せてしまいました」
白崎はそう言いながら、片手を扇子のように見立て、自らを尊大っぽく扇ぐ。
「その関係ですか?」
「何がです?」
「私に話しかけた理由ですよ」
「旅の目的は?」
とんちんかんな返答に、思わず面食らうが、しかし、サグデンは一息飲み込んだ後、
「……質問に対して質問で投げ返さないでいただきたい」
「いやいや。実はね、返答も含めているんですよ」
「……どういうことです?」
首を傾げるサグデンに、白崎は堂々と、自信に満ちたような様子で、
「旅の理由を尋ねる為に、貴方に話しかけた、ということです」
「……どうだか」
まあやはり、納得は得られていないようだった。
「しかし、本当なんですよ?一介の旅人として、見知らぬ人と交流するというのは、これまた旅の醍醐味でして」
なんとか目の前の彼を頷かせんと、そんなことを言ってみるけれども、
「……私の名前、分かっているのでしょう?」
「……ま、そっか」
まあ、テキトウな嘘は、あっさりと看破されてしまったらしかった。
一つ、息を吐くが、表情は変えず、若干ニヤリとした笑いを口角に表しながら、
「ええ。貴方に話しかけたのは、紛れもなく調査によるものです」
「やけに遠回りでしたね」
「申し訳ない。単なる癖です。辞めようと努めても、どうやら切り離せないらしい、悪癖、というやつです。貴方にもあるのではないでしょうか?そういう“癖”が」
「いえ、全く心当たりがありません」
サグデンは、再度発現したらしい、彼の“悪癖”とやらに、結構呆れながらも、返答はしてあげた。
「本当ですか?意外と思い返してみると当てはまるものですけれども」
そう言うと、白崎は考えるような間を少しだけ開けて、
「例えば、お店で商品棚にある小物をつい盗んでしまったりだとか、鍵のかかっていない自転車を、ついつい家に持って帰ってしまったりだとか」
「あまりにも例えが大げさすぎますが……」
もうそろそろ付き合いきれなくなってきたな、とサグデンは話を切り上げようと席を立とうとしたその瞬間、
「例えば、大金につられて、危ない橋を渡ることを、生業にしたり、だとか」
今までとは違う、じっとりとした声色で、白崎は言った。
額から頬にかかて数滴、汗が垂れたような気がした。
「……それで、私に何を聞きたいのですか?」
椅子に座りなおして、サグデンは尋ねざるを得なかった。
一方の白崎は、やはり表情を変えないまま、
「ですから、旅の目的ですよ。パスポートを提示する窓口なんかで聞かれるやつです。それを答えてくれれば満足なのですが」
「……観光のためです」
若干、目を逸らしながら言った。
「何処を訪れる予定ですか?」
「有名な教会とか、美術館とか、世界遺産とかです」
「抽象的ですね。固有名詞を出していただけると」
「……大雑把に決めているんです。訪れた土地で、行き当たりばったりに観光を楽しむのが、私にとっての醍醐味ですから」
そうですか、と言うと、そのまま間を開けないで、
「大雑把であるならば、何故わざわざ一級客室に?」
「……いけないことだと?」
「いや?しかし、“行き当たりばったり”を理念としているのなら、格式ばった高級客室を高い料金を払って利用する、というのは、どこか心情が一致していない気がします。例えば、環境保全を金科玉条として掲げる人が、ガソリン車を使っているような。レジでビニール袋を貰っているような。そういう違和感があります」
「……別に、行き当たりばったりになるのは、現地に着いてからの話です。何も矛盾はありませんよ」
腕を組み、平然を心がけているようだが、依然、目は合わないままだ。
そうですか、と小さく返答すると、再び、間を開けないで、
「ところで、最近、お仕事の調子はいかがでしょう」
「何ですか急に……いや、ぼちぼちですが……」
急な話題転換ではあったが、若干白崎に慣れたためか、毒気を抜かれる様子は見せないまま、そのように返答した。
「それはそれは。とても素晴らしいことですね」
しかし、に続けて
「つい一週間程前、貴方が主導した大きなプロジェクトが、それはそれは見事に頓挫してしまったらしいじゃないですか」
「何処でそれを!」
大きな声が響いた。いやはや、こちらは余程の想定外であったらしい。
「異国の遠く離れた地で観光なんて、している場合でしょうかねえ?」
「で、ですから、傷心旅行ですよ。プロジェクトが無くなった今だからこそ、やりたいことをやるべきでしょう?」
その声色は僅かに上ずっており、隠しきれない焦燥の色がにじんでいた。額には、冷汗が薄く膜を張っている
「そうですかねえ……」
対照的に、一切の動揺がないような、随分と悠然とした白崎の姿に、ある種の諦観を覚えた。
正しく、目の前の男の手のひらの上で、転がされているような、そんな気がしたから、
「……確かに、私が以前、そういう組織に与していたことは認めますが、しかし、それはもうとっくに過去の話だ」
観念したかのように、口を開いた。つまり、ある程度話せることは正直に話さなくてはと、サグデンは
……くだらないな。
「“そういう”、とは?」
いたずらっぽくというか、皮肉っぽく、白崎は尋ねた。
「分かっているでしょう?貴方の属している組織に敵対しているような、そういう組織ですよ」
「属してはいませんが……しかしまあ、そんなことはどうでもよくって。認めてもらえるのなら、話は早いですね」
そう言うと、白崎は若干前のめりになっていた姿勢を正して、
「どうやら、密輸がこの列車で行われているらしいのですが」
「……さあ。密輸だなんて、一切聞き覚えがない」
「ま、知っていようといまいと、そう言う他ありませんよね」
平然と反論じみた返答をする白崎に対して、
「私は科学者です。そんなアナログが極まったようなこと、関わる機会がありませんし、もう一度言いますが、そもそも私はそういった業界からは、足を洗っている」
そのように、サグデンは力強く言い切った。
今度は、ようやく目線が合う。
どうやら、本当に関りはなさそうだ、となんとなく感づいた。まあ、彼が分かりやすすぎる、というのはあるのだが。
「確かにそうですしねえ……」
すると、白崎は首を傾げて、少しの間逡巡した後、
「では、最後に」
そのように始めて、
「何故、一級客室に?」
怪しげな笑みは伏せて、今までよりは真剣っぽく、問うた。
「……おそらく、懸賞です」
若干、歯切れ悪いような返答であった。
「“おそらく”、とは?」
「ある日、ポストに一級客室のチケットが届いていたんです。普通の封筒に入っていましたから、そのように判断しています」
「懸賞は、よくやられているのですか?」
「時々やってはいますが、しかし、当たることはあまりありませんので、内容に関して全く気に留めません。ですから、“おそらく”なんです」
念を入れて、サグデンの様子を再度伺ってみる。
目線は合うし、冷汗はもう垂れていない。そして、笑顔では断じてないけれども、どこか緊張から弛緩したような、柔らかな表情のように思われた。
「成程ねえ」
まだ引っかかる部分は、十二分にあるわけではあるが、
「……もう、十分でしょうか?」
「ええ。失礼しました」
まあ、今回の件に関係ないのであれば、かなりどうでもいい、気に留めないことだから、
「では、快い旅路を、心より祈っております」
皮肉っぽく聞こえるけれども、まあしかし、見知らぬ旅人へと送る言葉としては、十分そうな言葉を送った。