「被害者は、イライアス・サグデン、46歳……というところから始めてみましょうか」
ということで、いかにもサスペンスのワンシーンっぽく、現場での調査が始まった。
「家族構成としては、両親は既に他界。3つ下の妹が一人おり、今は結婚して、エドウィナ・ハミルトンという名前らしいです」
すらすらと淀みなく、白崎は語った。
「よく、お知りですね」
「ええ。他愛のない取柄です」
「……つまり、何のですか?」
首を傾げるルンドを横目に、白崎は続ける。
「本人は独身であり、今まで婚姻した経歴はありませんが……まあ、ここら辺はあまり関係はないか」
ふと、白崎は話を切り上げた。
何かしら、とても小さなきっかけが、事件の真相に繋がる手掛かりになることはあるけれど、しかしまあ、今はそんな細かいことを気にする必要はないだろう。
まずは、彼自身の――つまり、目の前で眠ったまま息絶えているイライアス・サグデン について、色々と勘繰ってみるべきである。
「どうやら、この列車には、 ボリス・イワノフという名前で乗車していたみたいです」
理由は分かりませんが、と付け加えると、白崎は屈んで、事務的な手際で遺体の様子を探り始めた。
「ところで、なぜ、そのことに気付いたのです?」
「ボリス・イワノフというらしい彼の身辺を調査する際、すぐに名を騙っていることには気付きました。何せ、随分と杜撰な偽装でしたから」
「しかし、どうして本名がイライアス・サグデンだと?」
「別にそれは難しい話ではありませんよ。乗車の登録を行えば、自ずと足は付くものです。そこから遡っていけば、すぐに本名と、その個人情報に辿り着けました」
すると、ルンドは感心したかのように目を丸めて、
「……何かこう、初めて優秀な一面を見たような気がします」
「平然と失礼なことをおっしゃいますね」
視線を遺体から変えずに、白崎はにべもなく答えた。
「さて、硬直の具合から見れば、死後十時間程度、といったところでしょうか」
遺体の腕をもって、服の袖をまくると、
「スマートウォッチですね。随分と用意がいい」
その左手首に確認できた。
さて、と白崎は、そのスマートウォッチを操作し始めると、手際よくロックを解除した。
「心拍数を遡っていけば……」
心拍数を記録したアプリを開いて、履歴を現在から辿って行く。
すると、ずっとゼロを刻み見続ける心拍数の山が、ようやく急激に上昇する点を見つけた。まあ、実際は、急激に下降、なのだろうけれど。
「心肺停止は十時二十二分ごろ。僕の憶測とも、大体一致しますから、つまり、この時間に殺された、と考えて構わないかと」
つまり、死亡推定時刻が明確になったらしい。
「さて、傷の方は……」
間を開けない内にそう言うと、赤黒く凝固した血の塊が痛々しい、大きな傷跡へと、白崎は目を向けた。
鼻腔の奥を針で刺すような、硬質で重苦しい鉄錆に似た匂いが漂う。そのグロテスクさ故に、傍らのルンドは、思わずハンカチで口元を覆う一方で、白崎は表情を変えずに、淡々と調査を続ける。
「胸部に、刺し傷が一つ。具体的な凶器の形状はわかりませんが、まあ、ナイフと見て間違いありませんね。それに……」
すると、傷跡に顔を近づけて、じっくり観察したかと思うと、
「傷の形が、身体に対して垂直すぎる。利き腕が分からないよう、工夫されているようです」
「と、言いますと?」
「プロの犯行じゃないかと。まあ、殺人犯に対して、プロという言葉を使うのは、あらゆるプロフェッショナルへの冒涜のような気がしますけれども」
そのように、いつもの通りの無駄口を言っているけれど、しかし、調査中の真剣そうな表情は崩さない。
「それと……」
顎に手を添えて、白崎は続ける。
「睡眠中のところを刺殺されたみたいですけれど、しかし、ただの睡眠と言うには、随分と体勢がぐったりしすぎている」
そして、ゆっくりと立ち上がりながら、
「おそらく、睡眠薬でも盛られていたのでしょう。そのことは後の検死で明確になるはずです。まあ、薬そのものが見つかると楽なのですけれど」
伸びた背筋で、悠然と言った。
さて、と白崎は周囲を見回す。
部屋の調査は行ったが、しかし、直接犯人に繋がりそうなものや、証拠等は、一切見つからなかった。彼の荷物も勿論調査したけれど、必要最低限な服だとか、電子機器、貴重品があるのみだった。
「今現在分かるのは、こんなところでしょうか」
まあ、犯人をプロだと仮定するなら、当然のこと、と考えられるだろうか。
以外と厄介そうだ。
「……ところで、本当に警察ではないのですか?」
「滅相もない。他愛のない取柄にすぎませんよ」
謙遜に満ちた口調と仕草で、そのように答えたところで、
「さて、ルンドさん」
くるり、と後ろできょとん顔で佇むルンドの方へと向き直して、
「一級客室から、他の客室への移動経路を、封鎖するようお願いします。そして、この客室の乗客を全員、食堂車へと集合させてください」
極々真剣な表情で、白崎は言った。
「ええ、了解しました」
勿論、ルンドも同様に。
返事を聞くと、白崎は若干トーンを落として、
「これから、苦労を掛けますね」
「いいえ、お互いさまです。それと、
「しかし、それは気苦労というやつでしょう?」
「同じだと思いますけど……」
どこか惚けたように首を傾げる白崎に、ルンドは肩を落とした。
けれども、もうそろそろ彼の特異というか、この珍奇っぽい態度にも慣れなくては、となぜか反省してしまった。きっと、そんな必要はないのだろうけれど。
*
「どうして、食堂に集まらなくてはならないのですか?」
つい先ほどまで、列車の自室でくつろいでいたであろうオールバックの男は、顔を顰めて問う。
「私がこの列車の列車長ですから、全責任は私が取りますゆえ」
そう言うと、ルンドは深々と頭を下げる。
「しかし、もっと具体的な理由が無くては……」
判然としないけれども、目の前の紳士的な恰好の男性の真剣さに気圧されて、
「……分かりましたよ、分かりました。行きましょう」
どうやら、頷かざるを得なかったらしい。
助かります、と頭を上げた彼についていくと、食堂には、既にほとんどの客人が集まっていた。おそらく、ちょうど今席に着いた彼が一番最後だろう。
「いきなり、ここに集えだなんて、随分と突飛な要求だこと」
妙齢っぽい女性が、通路の奥側に堂々と――いや、ちょっとバツが悪そうに立つルンドに、皮肉っぽく言った。
「そこに関しましては、理由というか、皆様にお伝えしなくてはならないことがありまして……」
「しかし、一体全体、本当に何のためなのでしょうか?」
オールバックの男が、不思議そうな表情で問う。
「それは今から申しますから……」
ルンドは、申し訳なさそうな声色で、本題を濁しながら、ちらちらと、目線を奥に向ける。
それはつまり、彼から見て一番奥側の席に鷹揚と腰掛ける、一人の小柄な男性へと。
「――ところで、列車長さん」
まあしかし、本当に男性かどうかは疑わしい容姿の彼は、唐突に尋ねる。
「……はい?」
「ネクタイが曲がっています」
視線を下に向けると、規律正しさ溢れる車内には似合わない、縒れた自らのネクタイが発見できた。
おっと、とそれを急いで正したところで、
「さて、乗客の皆皆様、大変お待たせして申し訳ない」
白崎はこれまた鷹揚な立ち姿を表しながら、続ける。
「そして、心身を安らげる、貴重な静養の時間を犠牲にしてまで、この物騒な件にお付き合いして頂けること、感謝を申し上げます」
軽く頭を下げた後、
「国際警察から派遣されました、白崎と申します。まあしかし、実際に警察である、という訳ではございません。単なる日雇いのようなものだと思ってくれると、幸いです」
さあ、前置きは終わった、といったところで――
「――ところで、今日は実に良い天気ですね。僕自身、ヨーロッパを訪れることはあまりありませんから、この西洋独特の、気品あふれる空気というのは、非常に新鮮で、好ましいものです」
勿論のこと、いつも通りの、意味のない閑談が始まってしまったみたいだ。
「ぜひとも、日向の静かな窓辺で柔らかな陽射しに包まれながら、紅茶やらコーヒーやらを嗜んでみたいものです。特に、今日みたいな日には、実に様になるでしょうねえ」
何やら自ずと物思いに耽りそうな様子の白崎に、
「あの……」
ふと、ルンドから声を掛けられる。
「はて、何でしょう?」
「早く、本筋について話して頂けると、助かります」
何やら、恐れ入った様子で言われる。
周りを見回してみると、すぐに理由が分かった。
「……ああ、確かにそうですね」
各テーブルの人々は、呆気にとられた表情だったり、訝し気な表情であったり、多種多様ではあるけれども、共通して、非常に芳しくない様子だった。
痛々しい、非常に気まずい雰囲気が流れているけれど、しかしまあ、特に気にしていない声色で、続ける。
「申し訳ない。所謂癖というやつです。悪癖です。特に意味はありませんから、とっとと忘れちゃってください」
場の空気を茶化すかのように、言ってみるけれど、
「……そういえば、こんなことを、死んだ彼にも言ったような、言わなかったような」
まあしかし、これもまた、非常にくだらないことだろうから、続けるのは辞めた。
「さて、単刀直入に申し上げましょう」
今度こそようやく、といったところで――
「――今朝、本列車に宿泊していた、 イライアス・サグデンさんが、自室で刺殺された状態で発見されました」
途端、場の雰囲気が一気に引き締まる。
「刺殺、とは……つまり、殺人?」
「ええ、そのはずです」
白崎の淡白なその声が、また、一段と室温が下げたような気がした。
「つまるところ、ここにいる乗客全員が、容疑者、ということになります」
「し、しかし、下級客室にも大勢人がいるわけでしょう?僕たちのうちの誰かが、殺人犯だなんて……」
狼狽えた様子を見せる、オールバックの男性に、しかし白崎は相も変わらず悠然と、
「この列車、各客室層への出入りには、必ず承認が必要になります。即ち、履歴が簡単に残るわけですが、しかし、調べたところ、乗客、従業員両方に関して、一級客室への出入りの記録はありませんでした」
「ならば、従業員の誰かが犯人、という可能性もあるのでは?」
妙齢の女性は、怪訝な眼差しで白崎に尋ねる。
「ええ、勿論ありますが、まあ、そこら辺の心配は不要です。とりあえず、貴方たち全員にお話を伺いたい。ぜひともご協力を、お願いします」
そして、小さく頭を下げる。
全員の同意が取れている訳ではないだろうし、場の雰囲気から、あまり状況を掴めていない様子も伺えるが、まあ、別に問題はない。
こんな状況で、警察(っぽい何か)であるという白崎に、客人各々を従わせる、確かな強制力があることは明白なのだから、『ぜひともご協力を』だなんて遜る必要は、きっとなかったのだろう。
「……ところで、都合が良すぎないか?」
ふと、大柄の老紳士っぽい男性から、その威厳たっぷりの低い声で尋ねられる。
「何のです?」
首を傾げて、白崎は返す。
「君のような警察官がいる列車内で、偶然にも殺人が起きた、ということだよ」
うーん、と、少しの間逡巡を巡らせたかと思うと、
「それに関しては、全くもって同感です」
随分とあっさりと答えた。
「理由は分からない、と?」
依然、鋭く、見定められるような眼差しを向けられるが、
「ええ。一切」
全くの動揺を見せずに、白崎は端的に言い切った。
そして、間を開けず、若干砕けた口調で、
「あと、僕は厳密には警察ではありませんから、そこのところを留意していただけると」
手振りを加えて、場の雰囲気にそぐわない、冗談めいた様子を見せる。
「じゃあ、警察でないなら、どうして殺人の調査なんか、貴方がしなくてはならないの?」
純粋な疑問、といった感じの声色だった。
そんな、頬杖をつく若々しい女性に対して、白崎は、勿論、から始めて、
「仕事ですから」
堂々と、だけれども、非常に平然と答えた。