幸運を招く木   作:彼岸花ノ丘

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悪意ある幸運

「……………はぁ」

 

 放課後の教室で、由香はため息を吐いた。

 視線を向けるのは、友人である沙綾の席。今日一日、その席は空いていた。

 教師曰く、沙綾の家族が『事件』に巻き込まれたらしい。

 沙綾は警察に保護され、病院で診察を受けているため今日は休み。今のところ怪我はないが、ショックが大きいためしばらく学校を休むという。

 ぼかした説明だったが、現代は誰でも探偵ごっこが出来るネット社会。スマホであれこれ検索し、職員室での会話を盗み聞きすれば、朝のテレビニュースで報道されていた『一家惨殺事件』と紐付けるのは容易だった。

 後は沙綾の家に出向き、恐らく今も玄関前に貼られている黄色いテープ、或いは聞き込み中の警察官を目視確認すれば検証完了だ。真実を知りたいならその確認をすべきであるし、やらなければ今日一日の努力が豊かな想像力止まりになってしまう。

 それでも放課後の教室から何時までも出られないのは、沙綾がそんな事件に巻き込まれたと思いたくないから。

 ……担任教師が言っていた。沙綾に怪我はないが、精神的なショックはとても大きいと。

 無理もない。テレビ報道が正しければ、殺されたのは沙綾以外の三人全員。いきなり家族を皆殺しにされて、どうして平静でいられるのか。

 彼女ならいずれ回復する、と信じたいが、家族の死という衝撃を他人が『評価』するほど愚かしい事もない。仮に回復しても、両親が亡くなったから事件後の自宅で一人暮らし、なんて出来るものか。生活すら儘ならないし、まともな感性を持った親族が一人でもいたら放置などするまい。恐らく祖父母などの親戚に引き取られるだろう。近所の親戚ならばいいが、遠くなら……

 嫌な予感が現実になりそうで、だから確認しに行けない。思った以上に女々しい自分が腹立たしかった。

 

「沙綾ちゃん……」

 

 そんな由香以上に、千歳は落ち込んでいた。

 

「……無理だとは思うけど、あまり落ち込まない方が良いわ。私達でどうにか出来た話じゃない」

 

「それは、そうだけど……でも、なんであんな……」

 

 家族全員が殺されるなんて『不運』に見舞われなければならないのか。

 千歳は最後まで言わなかったが、心ではそう言っているだろう。由香も知りたい。大切な友達を苦しめた奴がなんなのか。

 だけど確証がない。

 証拠も何もない状態では、推論しか出来ない。

 

「……考えが、ない訳じゃない」

 

 それでも口に出したのは、怒りの感情があったから。親友をあんな目に遭わせた『輩』に、糾弾一つ出来ないなんて悔しくて堪らなかった。

 

「考えって、どういう、事」

 

「あくまでも憶測、いや、こんなのは妄想ね。オカルトとファンタジーのごった煮で、何一つ論理的なものがない」

 

「それでも聞かせて。沙綾ちゃんを苦しめたのが、なんなのか」

 

 千歳の真っ直ぐな眼差しを受けて、由香はしばし口を閉ざす。

 千歳も親友の身に起きた『不幸』を嘆き、憤っているのだろう。怒った者同士の戯言ならば良いかと思い、その感情(妄想)を吐き出すと由香は決めた。

 

「私の考える犯人は、幸運を呼ぶ木。つまり幸来神社の御神木」

 

 いきなりファンタジーを語ったが、千歳は眉一つ顰めない。むしろ身を乗り出し、話を聞こうとする。

 由香も冗談として言ったつもりはない。そのまま話を続ける。

 

「沙綾が御神木に触ってから、あの子の身の回りで不運が起きるようになった。ちょっとファンタジーな考えだけど……御神木に触った時、運を与えられたんじゃなくて、運を吸われたんじゃないかしら」

 

「運を、吸われた?」

 

「そう。まるでエネルギーとか、気力とか、なんかそんな感じのものみたいに」

 

 運なんてただの確率であり、『運勢』なんてものはない――――と由香は今でも思っている。

 しかし幸来神社の御神木は、そのオカルトな運勢を吸っているのではないか。吸われたらその分なくなるのが世の常。運をなくしたから、沙綾は不運になったのかも知れない。

 

「えっと、ちょっと疑問、なんだけど」

 

 由香の考えを述べると、千歳がおずおずと手を挙げる。

 意見があるらしい。勿論言ってくれて構わないと、由香は促す。

 

「その、弁護する訳じゃないんだけど……あの神社の御神木って、幸運を呼ぶ木、だよね? 不幸にしたら、話が違うってならない?」

 

「まぁ、パンフレットにまで書かれているご利益は完全な嘘っぱちという事になるわね」

 

「そんなの、普通すぐバレない? いくら嘘を吐いても、それこそネットで噂になりそうなんだけど」

 

 千歳の指摘は尤もだ。運が良くなると言われても、実際には不運になっている。だったら「あの御神木に触ると呪われる」という噂の方が立ちそうなものだ。

 そうならない理由も、由香はある程度考えている。

 

「考えられるロジックは三つ。一つは、吸われる運勢がほんのちょっとだから。そしてもう一つは人間が前向きであり、最後の一つは人間がアホだから」

 

「……一つ目は兎も角、二つ目と三つ目はどういう事?」

 

「全部説明するわ。まず一つ目の理由によって訪れる、不運の程度が小さくなる。沙綾だって、家族が殺される以外は大した不幸じゃなかったでしょ?」

 

「……凄い不幸だと思うけど。暴漢に襲われるとか」

 

「襲われたけど、すぐ離されたじゃない。実害として見れば大した事のないものばかりよ」

 

 暴漢に襲われた時も、コンビニ店員のお陰ですぐに離された。被害は精々恐怖心と、薄汚い手で触られた事ぐらい。

 命を脅かされるような事は、実のところ一度もない。それどころか沙綾は怪我すらしていないのだ。暴走車に轢かれそうだった、暴漢に殺されそうだった、と言えば如何にも危機的だが……被害だけなら大したものではない。

 

「流石に死んだら呪いだなんだと言われるでしょうよ。でも、そうでなければなんとでも言い訳が出来る」

 

「なんとでもって?」

 

「それこそが二つ目。人間ってのは案外ポジティブで、絶望の中に希望を見出す生き物なの」

 

 例えば飛行機が事故でバラバラになって、一人だけ助かった……幸来神社の御神木が有名になった、とあるインフルエンサーの出来事を考えてみる。

 冷静に考えれば、これは不運である。何もなければそのまま家に帰る事が出来たのに、事故で大変な目に遭った。怪我の所為で身体中が痛いだろうし、入院すればお金も掛かる。そして病院のベッドで一日中過ごす、退屈な日々を強いられるだろう。

 なのに「生きていた」という一点だけで、人はそれが幸運だと思おうとする。あまりにも不幸な時、人間は「良かった事」を探し、それを過大評価してしまうのだ。

 

「そして三つ目。私達人間はアホだから、そもそも幸運を上手く認識出来ない」

 

「えっ。そんな事、ないと思うけど」

 

「いいえ、認識出来ないわ。例えば今の私達は不運だと思う? それとも幸運?」

 

「……不運でしょ。親友がいなくなるかも知れないのに」

 

「ええ、私もそう思う。だけど、人類全体で見ればどうかしら? まだまだ幸運だと思わない?」

 

 由香の意見に、千歳は眉を顰めた。不謹慎、というより失礼な意見に聞こえたかも知れない。由香自身、ふざけるなと言いたくなる物言いだ。

 しかし事実でもある。

 明日にも飢え死ぬかも知れない人々、戦争で家をなくした人々、勉強を許されない人々、言葉一つで処刑されるかも知れない人々……世界にはいくらでも不運がある。それらと無縁の生活をしている時点で、とびきりの幸運と言わざるを得ない。

 ところが人間はこれを認識出来ない事が多い。

 

「人間はアホだから、幸せが身の回りにあるとそれが当然と思い込む。そして本当の幸運を認識出来ない」

 

「……本当の幸運?」

 

「何も起きない事。なんでもない事。何も変わらない事」

 

 毎日同じ日々が続く事が、どれほど幸福なのか。

 つまらない日常が、如何に幸運なのか。

 それらが人間には分からない。何時だって人間は『普段』が基準で、そこから起きた起伏しか認識出来ない。それどころか不運の中に小さな希望があると、それを幸運だと持て囃す。本当の幸運を蹴飛ばして、分かりやすい不運に縋ってしまう。

 

「これら三つの要素が絡み合って、あの御神木は『幸運を呼ぶ木』と呼ばれるようになった。恐らく大昔から、ずっと」

 

「……今になって思うと、口コミとかどれも不運なやつばかりだね。落とした財布が見付かったとか、盗難車が返ってきたとか」

 

「本来不要なコストを支払っているという意味では、全部不運ね。それを幸運だと思わされているのよ。全く、タネが分かれば近付かなかったのに……」

 

 後悔先立たず、とはこの事だろう。オカルトだからと流し見せず、口コミを吟味していれば違和感に気付けたのではないか……

 そこまで考えて、由香は首を横に振る。先程言ったように人間はアホだ。そして自分自身を例外にするつもりはない。どれだけ真面目に見たところで、きっと見落としただろう。

 この違和感に気付けるのは、御神木に触れた当事者の友人や親戚ぐらいか。あの時逸れなければ、自分達も御神木に触れて運を吸われていたのではないか。

 そういう意味では、やはり自分達は『幸運』なのだろうと由香は思う。

 

「……ねぇ、由香ちゃん。私達、これからどうしたらいいと思う?」

 

 しかし千歳は、この幸運に満足していないらしい。

 

「どうもこうも、出来ないわね」

 

「でも!」

 

「最初に言った筈よ。これは私の妄想。なんの証拠もないわ。そもそも、あの木に触ると運勢を吸い取られます、なんて、木に触れると幸運に恵まれるのとどっこいの胡散臭さじゃない。誰が信じるのよ、そんな話」

 

 どれだけ確信があっても、証拠がなければただの妄想だ。仮に統計的なデータを集めたところで、「運を吸われている」なんて非科学的要因を誰が信じるというのか。

 これからも人々はあの御神木に惑わされ、触りに行く。そして飛行機事故や一家惨殺という大惨事から生還し、その『幸運』を多くの人に伝え、また人が集まる。この流れはどうやっても止められない。

 ……それと、幸運に執着するような精神誘導も、御神木から仕掛けられているかも知れない。昨日の沙綾は様子がおかしかった。精神が狂わされていたなら、あの奇妙な反応も頷ける。

 なんにせよただの高校生である自分達には何も出来ない。そこまで言われて、千歳はすっかり意気消沈してしまう。悪いものだと分かっているのに、止められないのが悔しいのだろう。心優しい千歳らしいと由香は思う。

 由香も、この流れを止められないのは悔しい。しかしそれは優しさから来るものではなく、自己保身からであるが。

 

「(古代と今じゃ、状況が違う)」

 

 あの木を御神木と祭り上げた数百年前なら、移動手段も情報伝達手段も限定的だ。あまり遠くまで、正確に話が伝わる事はない。伝わったところで来れる者はごく僅かだろう。

 恐らく御神木に触れたのは、付近の村落に暮らす十数人〜百人程度。それも毎日ではなく、月一か年一程度の頻度と思われる。

 ところが現代の御神木はどうか。毎日何千人、いや、何万人もの人々が触っている。もし御神木がそれらの人々全員から運勢を吸い取っていたら? 数百年前と比べて、吸い込む運勢の量は何千倍、何万倍にも膨れ上がっているだろう。

 その膨大なエネルギーで、御神木は何をする?

 御神木を『生物』として考えれば、たくさんのエネルギーを集めてする事はやはり繁殖だろう。運をエネルギーに変換出来るかなんて分からないが、人の『運命』を左右する力だ。なんとなく、凄まじいエネルギーがあるように思える。

 ありがたい御神木の種子となれば、みんなこぞって買い漁る。それがただの木の種子なら良い。だが、御神木と同じ力を持っている可能性も否定出来ない。外国人が買って、国外に持ち出す事も考えられる。検疫で防げればいいが、もしも種子が()()に恵まれていたら……

 世界各地で芽吹いた御神木が、世界中の人々の運勢を吸い取る。不運を幸運と勘違いした人々が集まり、もっとたくさんの運勢が吸われていく。世界中の人々が、人類全体が、不幸と不運に見舞われてしまう。

 果たして、人類の殆どが『不運』になった時には何が起きるのか。これは考え過ぎなのか。

 

「由香ちゃん?」

 

 考え込んでいたら、千歳に呼び掛けられた。

 顔を上げ、由香は答える。

 

「……なんでもないわ」

 

 根拠のない不安を、今此処で語る必要はない。

 一介の高校生に過ぎない由香達には、今ある『幸運』を噛み締める事しか出来ないのだから。

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