翌朝、サスケは早くに目を覚ました。台所の方から物音が聞こえてくる。洗面台で顔を洗い、目をこすりながら台所を覗き見るとミコトが朝食を作っていた。
「あら、おはよう。早いのね」
ミコトはこの男所帯の中で抜きに出て朝が早い。早朝から家事を片づけていた。今は朝食と弁当を作っている。サスケは踏み台を持って、スッとミコトの隣に並んだ。そして手慣れた様子で握り飯とおかずを作っていく。ミコトはその様子をなにも言わずにしげしげと眺めていた。
やがて出来上がったのは二つの弁当。一つはいつものサスケの弁当箱だが、もう一つは残り物を入れて保存するようなプラスチック製の容器だ。
「お弁当の量が足りなかったかしら?」
「こっちはナルトの分。あいつ、家でもろくなもん食ってないから」
ナルトはアカデミーの頃も、ヒナタと結婚し家庭を持っても、その食生活は破壊的なものだった。そんな彼の昼食はおそらく持ってきていないか、パン一個というのが相場だ。サスケは至極真剣な表情でそう宣った。
ーーカラン
ミコトは手に持っていたお玉を落とした。サスケはそんな彼女の心境など知る由もない。
(サスケったら、いつの間に料理を覚えたのかしら……)
そんなミコトをよそに、サスケはあっという間に朝食を平らげると、荷物をひっ掴み家を飛び出した。
「行ってきます」
時計の針はようやく六時を回ったところで、サスケが家を出たのとすれ違いで、イタチとフガクが自室から起きてきた。
「母さん、おはよう」
「おはよう、今日も早いな」
それぞれ朝食を食べ始めると、フガクはサスケの姿がないことに気がついた。
「サスケはどうした?」
「それがあなた……もう出ていったんです。しかも自分でお弁当まで作って。それも自分のだけじゃなくてナルトくんの分まで持っていったの。……私もう、何がなんだか。料理だって教えたことないのにこんなことって……」
フガクとイタチは箸を止めミコトの顔を見た。何を言ってるんだといった表情だ。
「本当なのよ」
つい最近まで可愛く後ろを追いかけてきていたサスケが懐かしい。愛娘を嫁に出す父親の心境とはこのようなものだろうかと、イタチは変わらない表情の下にそんなことを考えていた。
その頃二人は早朝の演習場を独占し、互いの力を確かめるために組手をしていた。リーチや打撃力の確認はしておいた方が良いというナルトの提案だった。
「やっぱ弱いな……」
「ああ、想像以上だ……」
小一時間ほどの手合いの末その場に仰向けに倒れ、早朝から二人は砂埃にまみれてしまった。
アカデミー着いたのは、始業のチャイムの鳴るギリギリ数分前。まだ担任のイルカは来ていない。
「間に合ったってばよー!」
「声がデカい。……はやく席に着くぞ、ドベ」
アカデミーレベルの授業を受けるのは退屈で、座学は真面目に受けなくても良いと考えていたサスケは少し不機嫌だ。ナルトの首根っこを掴み、仕方なく一列とも全て空いている前列の席に着いた。
ナルトとサスケという組合せは、このクラスの生徒達にとってかなり珍しいものだった。今まで彼らが言葉を交わしたことなど両手で数えられる程度で、それもナルトが一方的にサスケに突っかかっていく構図だった。それが今や自ら二人並んで席に着いており、二人の間に何かがあったことは明白だ。サスケに恋するくノ一達はナルトに離れろと叫ばんばかりだ。
始業のチャイムが鳴ると同時にイルカが教壇に現れ、名簿で点呼をとり始める。
「うずまきナルト」
「ハイってばよ!」
ナルトは懐かしい儀式に興奮していつになくハイテンションでピシッと手を上げていた。ギョッとしたイルカは名簿から目を離し、声のした方を見た。そしてその違和感に絶句する。その隣には頬杖ついたサスケが座っていた。その上、彼はいつも小綺麗に身形を整えていた印象であったが、何があったのか今日はナルトと共々少し汚れている。
「えー、うちはサスケ」
「はい」
ナルトとは対照的に、サスケは至極普通に返事をした。そして、もれなく「キャー」という黄色い効果音がついてくる。朝のホームルームが終わると、五分程度の空き時間がある。本来は一限目の授業の準備をする時間なのだろうが、生徒達にとっては貴重な自由時間だ。
「おいナルト。お前ら、なんかあったのか?」
「お前らそんなに仲良くなかったろ」
「ヘンだよね」
この頃にナルトとよくつるんでいたのは、キバ、シカマル、チョウジの三人だった。しょうもないイタズラをしたり、遊んだりしていた記憶がある。その記憶の中にサスケはいない。サスケはずっと一人でいた。
「んー。実はさ、サスケにいちいちツッかかってくのもなんかダセーなと思ってさ。和解ってやつ。オレたちかなりの友達だってばよ。な、サスケ」
そう言いながらナルトはガシッとサスケの肩を抱くと、サスケはいつものスンとした表情でその調子に付き合う。
「ああ」
キバ、シカマル、チョウジの三人は、予想しなかった二人の関係性の変化に頭を殴られたような衝撃を受けた。
「……サスケってさ、スカした奴かと思ってたけどよ。案外話せるじゃん」
キバは誤魔化すように鼻を掻いた。
もうすぐ授業が始まる時間だ。シカマルはメンドクセーと言いながら彼らを引き連れて席へ戻る。
一限目の授業が終わると、イルカは眼帯を付けてきたサスケを心配し声をかけてきた。
「サスケ、その目、ケガしたのか?」
「ああ。問題ない」
変に心配されて医務室に連れていかれるのだけは避けたい。
「そ、そうか。それにしてもナルトとサスケは仲が良かったんだな。先生は知らなかったぞー」
イルカは良かったなと言わんばかりにナルトの頭を撫で回して教室を出ていった。イルカは一人で居ることの多いナルトとサスケのことを密かに心配していた。
「なあサスケ、この頃のオレたちってアカデミーで何してたんだっけな」
「ああ…おまえは火影岩に落書きしたり、他にもくだらないことをしていた」
「あっ、そうだったっけなー?」
「オイ」
人は自分にとって都合の悪い事は忘れる生き物らしい。
今、二人が過ごしているのはいつかと同じ日常。この頃はまだ周囲で何も起こっておらず、この里の事はもちろん、その他の里や国の事など何も知らなかったこと思い出す。けれど今は知っている。少なくともあの頃よりも視野は拡がっている。これから起こる出来事が、今までに経験してきたものと同じである可能性は低いかもしれないが、今なら悲しい未来も少しは良い方向に変えていける気がしていた。
そして昼休み、各々が仲の良い者同士で集まり弁当を食べ始めている。
「腹へったー」
そう言いながらナルトが取り出したものは、サスケの予想を裏切らなかった。それは一つの小さなメロンパン。
「ほら、昼くらいちゃんとしたものを食べろ。だからこの頃のお前は小さいんだ。……今日だけだからな」
サスケはずいとタッパーを突きつけた。
「お、おう。サンキュってばよ」
この人生初めての手作り弁当にナルトは目を輝かせる。俵型のお結びと、卵焼きとタコさんウィンナーとゆで玉子とミートボールとミニトマト。手作り弁当の定番がぎっしりと詰まっていた。
以前の人生初の手作り弁当は、たしかサクラの弁当だったはずだ。七班のみんなで食べた思い出が蘇る。
「うまいってばよ」
「そうか」
サスケはフッと微笑んだ。その微笑みを渇望する女子たちが、それを見逃すはずがない。そして、サスケとナルトの会話の中に聞こえた手作り弁当という言葉が聞こえないはずがない。サスケがナルトに弁当らしきタッパーを渡しているのを見逃すはずがない。そしてその光景には、密かにナルトに想いを寄せるヒナタも釘付けだった。ナルトもサスケも他人からの好意には疎い。殺気には敏感だが、プライベートな事に関しては鈍感だ。その視線に気づくことはなかった。
「ただいま。……兄さん、父さん、何?」
その日玄関でサスケを出迎えたのはフガクとイタチだった。今までにこのようなことがあったためしはない。クーデターの件で何か事が動いたのかと、真剣な表情の二人を前にサスケは口を引き結ぶ。
「「サスケ、兄さんも(父さんも)サスケの手作り弁当が食べたい」」
「……父さんや兄さんには、母さんがいるだろ」
二人がそろって何を言い出すかと構えただけにサスケは二人を軽くあしらった。この塩対応、数日前まで可愛く二人の跡を追いかけいたサスケとは明らかに違う。
「俺の可愛いサスケが……」
イタチは絶望した。
「ミコト!!来週の授業参観には俺もいくぞ!」
「俺も行きます」
「お前、任務だと言ってなかったか?」
「全力で片づけます」
「無茶はするな」
サスケが可愛くなくなった原因はナルトにあるというのが父子共通の見解だった。初めはサスケに友人ができたことを喜んだ二人であったが、今や喜べない状況にある。
「もう。父さんもイタチも大人げないんだから……」
サスケが手作り弁当をナルトに渡していた。そして以前よりも仲が良さそうな雰囲気。女子であるヒナタから見ても、サスケは可愛い。白い肌に黒目がちの大きな瞳が栄える美少年だ。ナルトとサスケの間に何があったのかはわからないが、ヒナタはこの状況に危機感をおぼえていた。
「わたしも負けてられない」
ヒナタは自分を鼓舞するようにそう言うと、帰宅するとすぐに屋敷の厨房へ向かった。すると日向家の使用人たちはどうしたのかと驚いた顔でヒナタを見た。
「すみません、明日は自分でお弁当を作りたいんです。い、一緒に作ってもらえますか?頑張って早起きしますから」
いつになく真剣な表情のヒナタの様子に、使用人たちはただ事ではないことを察した。
「わかりましたヒナタ様。朝稽古が終わりましたら来てください。短時間で作れる簡単なメニューを考えておきますから」
ヒナタは日向家の嫡子である。早朝の稽古は毎日の日課だった。
「ありがとうございます!お弁当は二人分作る予定だけど、……いいですか?」
「ええ、作る手間は同じですから。準備しておきますよ」
その使用人は幼い頃からヒナタの成長を見守ってきた。このように生き生きとした様子のヒナタを見ることは珍しい。協力せずにはいられないだろう。
「明日はよろしくお願いします!」
ヒナタはこれから夕方の稽古がある。知らぬ間に足が駆け足になっていた。もっと力をつけたい。ナルトと仲の良いサスケはクラスの首席だ。もっと力をつけたらナルトも自分のことに気を向けるかもしれない。そう思うと修行もナルトに近づくために必要なものに思えてきた。その修行に対する向き合い方の変化は、修行を通して父・ヒアシにも伝わっていた。一手一手の踏み込みが深く、そして次の攻撃までの時間が短くなっている。そして何よりその目。
「そうだ。ヒナタ、それが白眼だ」
ヒアシの口角が僅かに上がる。しかしその攻めは止まらない。ヒナタは修行の続行を望んだ。この時期での開眼は、日向一族の中でも早いうちに入る。天才と言われるネジと比較すると遅いが、それでもヒアシにとっては十分。その日の日向家の夕飯は、急遽赤飯が炊かれた。
その翌朝、ヒナタは予定通りに二人分の弁当を作って家を出た。その後ろ姿からも足取りが軽いことがわかる。そしてその顔は正に恋する乙女。まとう雰囲気は恋を知った少女のそれだった。
「それはもう一生懸命にお料理なさっておりました」
いつもと違うヒナタの行動が気がかりで、ヒアシは屋敷の厨房を訪れていた。使用人から話を聞くと、昨日の事といい、今朝の事といい合点がいった。
「男か」
額に青筋が浮かんでいた。そんな父親の心境など知る由もなく、ヒナタは来るべく昼休みに向けて、朝から何度もナルトに弁当を渡すシュミレーションを重ねていた。目が合うだけで気を失うほどに嬉しくてそれだけで満足していた今までの自分とは、もうさよならしたい。
昼休み、弁当を片手に、ナルトとサスケの座る窓側最前列の席に真剣な面持ちで歩いていくヒナタを、クラスメイトたちは興味津々といった様子で見ていた。サスケに恋する女子たちは、ヒナタが抜け駆けするのではないかと気が気でない。
教室がシンと静まり返っていた。話に夢中になっていたナルトとサスケも、ヒナタの行動に気がつき振り向いた。
ナルトとヒナタの目が合う。みるみるうちにヒナタの白い頬が桃色に染まっていく。
「ナルトくんっ!よ、よかったらこれ食べて。お弁当、作ってきたの。昨日、サスケくんがお弁当渡してるのを見て、考えてみたらナルト君って一人で暮らしてるんだよね。お弁当作るのも大変だろうなと思って。って……迷惑だよね、ごめんね」
ナルトは咄嗟に自己完結して踵を返そうとするヒナタの肩を掴んだ。
「いいのか?!」
「へ……?」
「ありがとうってばよ!ヒナタ。やっぱ優しいってばよ。オレの未来のよ……。ヒナタも一緒に食おうぜ。いつも一人じゃん」
「……い、いいの?」
ナルトはにかっと笑っている。サスケの方をうかがうと、特にこれといった反応はない。
「一人より皆で食べた方が美味しいってばよ。悪かったな。オレってばヒナタが一人っての知ってたのに声かけねーでさ」
ヒナタは日向一族の嫡子だ。特徴的な目もあって、一目で一族の者と分かってしまう。それに元来内気な性格も相俟って、アカデミーに入学しても同性の友人さえできていなかった。むしろナルトがそこまで考えてくれていたのかと胸が高鳴る。これまで認識されていないだろうと思っていたのだ。
「ううん。……ありがとう、ナルトくん」
話してみれば意外と簡単だ。ヒナタは勇気を出して行動して良かったと、心からそう思った。
この三人の組合せ。奇妙で凸凹だ。ナルトはの九尾の忌子。サスケは九尾事件の件で迫害されているうちは一族当主の次男坊。ヒナタは日向一族の嫡子。彼らに共通しているのは一人ぼっちであること。それぞれの背後に恐怖、畏怖の対象があり敬遠されていた。
ヒナタはサスケやナルトと違い、未来のことを知っていたり二度目の人生を送っているわけではない。元よりヒナタの口数は少なく、サスケは他の女子とは違って面倒臭くない女として認識している。この日を境に、ナルトとサスケとヒナタは、アカデミーで行動を共にすることが多くなった。
その日の帰り道、ナルトは思いきって気になっていたことをサスケに聞いた。
「なーなー。おまえ、サクラちゃんに声かけなくていいのか?」
「サクラはヒナタと違って女子同士の付き合いがあるだろ。……わからないか?オレがサクラに声をかけたらどうなるか」
おそらく、くノ一の間で戦争が勃発するだろう。
「あー……。なるほど」
愚問だった。