ようこそモブが逝く、未知なる世界の教室へ 作:雲ひとつない青空
真の富とは道徳に基づくものでなければ決して永くは続かない
───渋沢栄一
水泳の授業の日以来、俺はよく櫛田さんから遊びに誘われることが多くなった。カラオケやカフェ、映画やショッピングなど。もちろん
まあ、今世の俺、そこそこ顔がいいから? とも思わなくもないが、櫛田さんが皆の前で俺を遊びに誘う理由は恐らく別にある。
何度か一緒に遊んだことで気付いたのだが、櫛田さんは人一倍承認欲求が強く、どことなく他人を見下しているらしい。俺を皆の前で遊びに誘うのも、そのことで誰かに
それが誰なのかは分からない……わけではないが、これは部外者がおいそれと首を突っ込んでいい問題ではないと俺の直感が告げているので、一旦棚に上げておく。
一応、一度だけ休日にわざわざ俺の部屋まで来て遊びに誘ってくれたこともあったが、その日は既に予定が入っていたため、泣く泣くお断りした。本当はそっちに行きたかったのだが、そうすると森下さんに何をされるのか分かったものではないからだ。
断った時の櫛田さんの表情は、ちょっぴり残念そうな笑顔を見せていたが、その裏では恐らく苛立ちや怒りに苛まれていたはずだ。内心、舌打ちやら罵倒やらしていたと思うと、申し訳なさと同時にどこか微笑ましさも感じる。それに、断られても嫌そうな顔や態度を一切表に出さないところには尊敬の念さえ抱く。
いつか腹を割って話せるような関係になれたら……なんていうのは、俺の
それはそれとして、男子たちからの嫉妬や殺意の籠った視線が痛いので、誘うならこっそり誘ってほしいです……。
櫛田さんといえば、綾小路くんが櫛田さん主催の『堀北さんと仲良くなろう大作戦』───勝手に命名───に参加、というか巻き込まれていた。
表の櫛田さんが、いつも独りぼっちでいる堀北さんを見かねて、少しでもクラスの皆と仲良くなってもらいたいからと企画したらしい。
昔の堀北さんならともかく、今の堀北さんのツンツン具合からして、そんなことをしても余計嫌われてしまうことは目に見えている。にも関わらず、綾小路くんは櫛田さんの可愛い上目遣いに撃沈し、協力を約束してしまった……と。
チョロい。チョロ過ぎるよ、綾小路くん。
一応俺にもお誘いはかかったのだが、丁重にお断りさせてもらった。
俺は未だ、堀北さんと友達と呼べるほどの関係には至れていない。なんだかんだ世間話を少しするくらいにはなれたのだが、それも友達というより、ちょっとした知り合い程度の関係値。それでも、世間話ができるくらいの関係にはなれたというのに、ここで余計なことをして堀北さんに嫌われてしまったら……というのが、俺が櫛田さんと綾小路くんの誘いを断った理由だ。
ちなみに結果は、結論からいうと失敗だった。
『堀北さんと仲良くなろう大作戦』の概要は、まず綾小路くんが放課後に堀北さんをパレット───学校内でも一、二を争う人気のカフェ───へと誘い、そこで偶然にも櫛田さんが鉢合わせする、というものだった。
途中、櫛田さんがパレットで合流するまでは何とか上手くいっていたようなのだが、そこで堀北さんに作戦の内容が暴かれてしまい、結局櫛田さんが正面から友達になってほしいと切り込んだものの、堀北さんはすげなく拒絶。あえなく作戦は失敗してしまったらしい。
俺も堀北さんには友達、とまでは言わずとも、少しは気を許せるような
とまあ文句の一つでも言ってやりたいところではあるが、学くんもこの学校に通っているということは、堀北さんとは最低でも二年は会っていないということ。それなのに責任を追求するというのはお門違いというものか。まあ、どの時点で堀北さんが
そんなこんなで、櫛田さんと綾小路くんの『堀北さんと仲良くなろう大作戦』は失敗に終わったのだった。
そして、早いもので、4月の最終日を迎えた。
その間、前々から画策していた授業態度の注意喚起などを、平田くんや櫛田さんにそれとなくお願いして注意してもらっていたのだが、結果はご覧の通り───
「きゃははははは! お前それ面白すぎだって!」
「だろだろ〜?」
全く
現在、二時間目の数学の授業中。今日も今日とて池くんと山内くんが大声で談笑している。
入学して三週間、池くんと山内くん、そして未だ登校していない須藤くんを合わせて、陰で三バカトリオなんて呼ばれ方をしていた。
三もトリオも、ほとんど同じ意味なのが如何にもバカっぽいと、自クラスだけでなく、他のクラスの生徒にまで嘲笑とともに噂される始末だ。
一方、女子はというと───
「ねえねえ、放課後カラオケ行かない?」
「行く行く〜」
「私も〜」
男子とさして変わらず、無意味だった。
まだ二時間目の授業中だというのに、授業も聞かず、もう放課後の話で盛り上がっていた。
この光景には流石の俺も、思わず頭を抱えそうになる。
高校1年生にもなって真面目に授業も受けられないのか、とか、平田くんと櫛田さんに再三にわたって注意されたにも関わらず全く聞いていなかったのか、とか、とにかく言い出したらキリがない。
これがこの世界の常識なのかと疑ったこともあるが、森下さんに聞いたところ、Aクラスは皆真面目に授業を受けていると言っていたので、恐らくこのDクラスが取り分け不真面目なのだろう。
中にはちゃんと真面目に授業を受けている生徒もいるが、授業態度が最悪な生徒たちのせいで来月地獄を見ることになると思うと……同情の念を禁じ得ない。
いくら実力至上主義の学校とはいえ、学校、ひいては教師の役目は生徒たちを教え導くことだ。例え小学校、中学校で習うような当たり前のことができていなかったとしても、それを注意し、正すことが学校の、教師の本分。それができていないのに高度育成を語るなんて、言語道断と言わざるを得ない。
それはそれとして、そんな当たり前のことができていない方が大問題ではあるんだけど。皆俺みたいに転生した方がいいんじゃないかな……は、流石に言い過ぎかな? まあ、それだけ授業態度が悪かったと思ってもらえればいいさ。
とはいえ、俺は所詮何の権力も持たない一生徒に過ぎず、具体的にどうすればいい、みたいな案もなければ、現状を打破できるほどの実力も人望もない。俺が注意したところで、女子はともかく、男子、特に問題児である池くんや山内くんは、聞く耳すら持ってはくれないだろう。それに、注意して聞いてくれるような人たちなら、
まあ、4月の最終日になってこんなことを考えても意味がない……か。俺には注意する以上の案を思いつけなかった。これは俺の落ち度と言えるだろう。これまで注意してくれた平田くんと櫛田さんには感謝しておこう。
「うーっす」
授業も後半に差しかかろうという頃、ようやく須藤くんが登校してきた。授業中ということを気にもせず、眠たそうに大きな
「おせーよ須藤。昼飯食いに行くだろ?」
池くんが離れた所から須藤くんに声をかける。
先生はそれを注意するどころか、須藤くんには目もくれず黙々と授業を進めている。
不思議なことに、いや必然なのかもしれないが、どの教科の先生も、私語も遅刻も居眠りも、全て黙認している。そんな先生たちに味を占めたのか、最初は遠慮がちだったクラスメイトたちも、今ではやりたい放題したい放題で手の付けようがなくなってしまっている。
はあ、どうしてこんなことになってしまったのやら……。
俺は脳裏にチラつくどこかの誰かさんを頭の片隅へと追いやりながら、心の中で深い深い溜息を吐くのだった。
□■□■□
三時間目、社会の時間。
授業開始のチャイムが鳴り、未だ騒ぎ声がうるさい教室に茶柱先生が入ってくる。それでも、生徒たちは一向に静かにしようとはせず、近くの席の生徒たちと駄弁っていた。
「ちょっと静かにしろ。今日はちょっとだけ真面目に授業を受けてもらうぞ」
「どういうことっすかー、
茶柱先生の言葉に、池くんがそう尋ねる。
どうやら茶柱先生は、既に一部の生徒たちからはそのような愛称で呼ばれているらしい。安直だが、普段クールな印象を受ける茶柱先生とのギャップがあって、とても良い愛称だと思う。
だが、俺はそんなの知らない。知らないぞ、何でだ。
「月末だから小テストを行うことになった。前から順に後ろに配ってくれ」
そう言って、茶柱先生は一番前の席の生徒たちにテスト用紙を配っていく。ほどなくして、前から二枚のテスト用紙が回ってきたので、その内の一枚を後ろの綾小路くんに回す。
テスト用紙を確認すると、主要五科目の問題がそれぞれ数問ずつまとめて載った、まさに小テストだった。
「ええ〜、聞いてないよ〜」
「そうだそうだー」
抜き打ちでの小テストとあり、生徒たちからの不満の嵐が茶柱先生を襲う。
「そう言ってくれるな。今回の小テストはあくまでも今後の参考用だ。成績表には反映されることはない。ノーリスクだから安心して取り組め。ただし、カンニングは当然厳禁だからな」
成績表には……か。
相変わらず妙に含みのある言い方が引っかかる。入学案内といい今日といい、この学校はこういう
というか、成績表に反映されないテストなんて、何の意味があるのだろうか。皆のテストの点数だけを知ったところで、勉強ができるかできないかくらいしか分かることはないのだから、何の意味もないはず。
……いや、勉強ができるかできないかを知るのは、とても重要なことじゃないか。
ここは実力至上主義の学校。
そして、高校からは赤点がある。
となると、この学校において赤点を取るというのは、何らかの意味がある可能性が高い。まあ、赤点を取らなければいいだけの話なのだが。
開始の合図と同時に、各々が問題を解き始める。
俺はテスト用紙に目を通す。内容は、一教科4問の全20問で、一問あたり5点配当の100点満点といった、非常に簡単なものだった。それも、受験時の筆記試験で出題された問題よりも数段階は
そう思いながら最後までテスト用紙に目を通していくと、最後の3問だけは桁違いに
まあ、俺はモブだから解かないけど。
80点くらいを取って、そこそこ勉強ができるモブキャラ程度の立ち位置を確立しよう。流石にこの簡単な小テストで赤点を取る生徒はいないはずだから、そのくらいなら目立つこともないだろう。……赤点を取りそうな生徒には何人か心当たりがあるが。
そんなことを考えながら、俺は授業終了のチャイムが鳴るまで、テスト用紙との睨めっこを続けるのだった。
□■□■□
昼休み。
俺は森下さんとのお昼ご飯を食べ終え、他愛もない雑談に興じていた。話題はやはり、小テストのことだ。
「小テストはどうでしたか?」
「多分、80点くらいかな。森下さんは?」
「ふふん、私は当然100点満点ですね。自己採点だけは完璧なので」
「おっけー、テストは完璧じゃないってことね」
ドヤ顔で胸を張ってそう言う森下さんに、俺はテキトーにツッコむ。
だが、森下さんの実力ならば、あの
まあ、多分、凡ミスで1問くらいは落としてると思うんだけど。そういうところはポンコツだからね、森下さんは。
「そんなことより、最後の3問だけやけに難しくありませんでしたか?」
「だよね。俺は1問も解けなかったよ。高校1年生が解けるレベルじゃなかった」
「……そうですね。杠詩音の言う通り、高校1年生レベルの問題ではありませんでした。学校は何の意図を持ってあの問題を出したのでしょうか? 意地悪?」
「そんなわけ……と言えないのが、この学校なんだよね」
そう、ただの意地悪を否定できないのが、この高度育成高等学校という学校なのだ。実力至上主義を謳っているだけあって、理不尽を撥ね除けるのも実力のうち、なんて理不尽を言われる可能性がないこともない。こちらとしてはあってたまるか、といった感じなのだが。
だが実際、社会にでればこういった理不尽に見舞われることもしばしばあるだろう。ので、少し早めの社会経験と考えれば、こういった理不尽はある意味、学校からの優しさとも言えなくもない。
「はい。事前にそのテスト範囲を勉強していた生徒ならともかく、していない生徒であれば予め問題を知っていなければ到底解けるような問題ではありません。ただの意地悪か、はたまた何らかの意図を持って出題していなければ、出題されたこと自体がミスだったのではないかと思えるほどです」
「まあ、わざわざ高難易度の問題を出すくらいだから、何らかの意図を持って、って感じだとは思うけど、中間でも期末でもないただの小テストに、そんな深い意味を持たせるかな?」
「それこそ、そんなわけ……とは言えない、というやつではありませんか? この学校だからこそ、本来何の変哲もないはずの小テストに意味を持たせ、それを生徒たちに解明させることで能力の向上を図る……なんてことがあるかもしれません。私の考え過ぎかもしれませんが」
普段頭を空っぽにしてわけの分からないことを言ってくる森下さんから、考え過ぎ、なんて言葉が出てくるとは。俺はほんのちょっぴり驚いた。
「いや、でも、案外森下さんの言う通りかもしれない。それに、何も考えないよりは考え過ぎの方がいい。一つ一つ可能性を列挙していけば、それらを組み合わせて答えに辿り着けるかもしれないし、自分が何を知っていて何を知らないかを自覚できる。時には考えない方がいい時もあるけど」
「そうですね。〝知らざるを知らずと為す。是知るなり〟と言いますし、知らないを知ることも大切なことです」
その後も俺と森下さんは、くだらない雑談で花を咲かせていく。こうして俺たちの昼休み、そして4月最後の日は過ぎ去っていくのだった。
□■□■□
5月1日。
学校開始の始業を告げるチャイムが鳴った。
ほどなくして、手にポスターの筒を持った茶柱先生が教室に入ってくる。普段から仏頂面である茶柱先生だが、今日はいつになく険しい顔をしていた。
「センセー、ひょっとして生理でも止まりましたかー?」
茶柱先生の様子に気付いた池くんから、まさかの最低発言が飛び出てきた。その失言のせいで、女子たちは汚物を見るような目で池くんを睨んでいる。
自己紹介の時に、女子にモテたいなんて言っていた割に、人に気を遣えないのはどうかと思う。
「これより朝のホームルームを始める。が、その前に何か質問はあるか? 気になることがあれば今のうちに聞いておいた方がいいぞ?」
茶柱先生は池くんのセクハラ発言を一切無視して、どこか嘲笑を含んだ声色でそんなことを言った。まるで、生徒たちから質問があることを確信しているかのような口ぶりだ。
実際、数人の生徒がすぐさま手を挙げた。
「あの、今朝確認したらポイントが振り込まれてなかったんですけど、毎月1日に10万ポイントが支給されるんじゃなかったんですか? そのせいで今朝ジュース買えなくて焦りましたよ」
「
「いや、でも……振り込まれてなかった、よな?」
本堂くんは、池くんや山内くんたちと顔を見合わせた。
池くんは気付いていなかったらしく、今慌ててポイントを確認している。
確かに、今朝ポイントを確認したところ、俺の端末には昨日までと全く同じ数字が表示されていた。森下さんの端末も確認させてもらったところ、俺とは違い9万4000ものポイントが振り込まれていた。
登校中も他のクラスの生徒たちが、振り込まれたポイントが少ないなどと言っていたのが聞こえてきたので、不具合でポイントが振り込まれていないという可能性は低い。
つまり俺たちDクラスは、入学直後に与えられた10万ポイントを全て吐き出し、見事
どうやら、入学初日に俺が懸念していた通りの結果になってしまったみたいだ。
「……お前たちは本当に愚かな生徒だな」
どこか不気味な気配をまとい、怒り、呆れ、悦び、あるいはその全てを孕んだ声色でそう呟く茶柱先生。
「愚か? っすか?」
間の抜けた顔でそう問い返す本堂くんに、茶柱先生は鋭く冷ややかな眼光を向ける。
「座れ、本堂。二度は言わん」
「さ、佐枝ちゃんセンセー?」
茶柱先生の厳しい口調に、ようやく何かがおかしいと気が付いた本堂くんは、腰を引きながらゆっくりと席に収まる。
「ポイントは問題なく振り込まれた。これは間違いない。このクラスだけ忘れられた、などという幻想、可能性もない。分かったか?」
「い、いや、分かったかって言われても、なあ? 実際振り込まれてないわけだし……」
本堂くんは戸惑いながらも、納得がいかないとばかりに不満気な様子を見せる。他の生徒たちも本堂くん同様、皆不満気な様子で近くの生徒たちと顔を見合せていた。
「ハハハ、なるほど。そういうことだねティーチャー。理解できたよ」
高円寺くんは何かに気付いた様子で声高らかに笑うと、机に足を乗せ、偉そうな態度で本堂くんを指差した。
「簡単なことさ。私たちDクラスには1ポイントも支給されなかった、ということだよ」
「はあ? なんでだよ。毎月10万ポイント振り込まれるって言ってただろ?」
そう言って、同意を得るように辺りを見回す本堂くん。
「私はそう聞いた覚えはないねぇ。そうだろう?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、偉そうな態度のまま今度は茶柱先生を指差した。
「態度には問題ありだが、高円寺の言う通りだ。全く、これだけヒントをやったのに、自分で気付いたのが数人だけとはな。嘆かわしいことだ」
教室内は突然の出来事、報告に騒然とし始める。
その光景を見た茶柱先生は、呆れたように肩を竦め、わざとらしく溜息を吐いた。
「……茶柱先生、質問いいですか? 腑に落ちないことがあります」
生徒たちが不安に駆られる中、平田くんが手を挙げた。
不安に包まれるクラスメイトを心配してか、率先してこういう行動が取れる平田くんは流石、このクラスのリーダー兼主人公の親友ポジ(暫定)だ。
「振り込まれなかった理由を教えてください。でなければ僕たちは納得できません」
平田くんはそう質問したが、その表情から察するに、ポイントが振り込まれなかった理由については、薄々気が付いているのだろう。
「遅刻欠席、合わせて98回。授業中の私語や携帯を触った回数391回。ひと月で随分とやらかしたものだな。この学校ではクラスの成績がそのままポイントに反映される。その結果、お前たちは振り込まれるはずだった10万ポイントを全て吐き出した、それだけのことだ。入学式の日に説明したはずだ。この学校は実力で生徒を測る、と。平田や櫛田が再三注意喚起したにも関わらず、お前たちは聞く耳を持たず遅刻や欠席をしたい放題。授業態度も改善はされず、結果、お前たちは0という評価を受けた、ということだ」
茶柱先生は呆れながらも、ニヤけた表情を浮かべ、機械的にDクラスの現状を説明してくれた。
ありがたいことに、この学校に来てからの疑問や謎が次々に解決していく。最悪の形で、だが。
毎月支給されるポイントは授業態度や生活態度の善し悪しで変わる、というのは俺の予想通りだった。一応だが、
日常生活で善い行いをしても、
そんなことを考えていると、後ろからカリカリと何かを書くような物音が聞こえてきた。気になってチラリと視線をやると、どうやら堀北さんが、何やらメモを書いているようだった。恐らく、茶柱先生の発言を事細かにメモしているのだろう。
その表情は真剣で、どこか焦っているようにも感じだ。
「茶柱先生、僕らはそんな話、説明を受けた覚えはありません……」
「なんだ平田、お前たちは一々説明されなければ理解できないのか?」
茶柱先生は、嘲笑混じりにそう問いかける。それは平田くんだけではなく、俺たちDクラス全体に問いかけているようでもあった。
「当たり前です。振り込まれるポイントが減るなんて話は聞かされてなんていませんでした。説明さえしてもらえていたら、皆遅刻や欠席、私語なんてしなかったはずです」
平田くんは茶柱先生からの問いかけに、反論するように、言い訳するようにそう答えた。他の生徒たちも、平田くんの言い分に同意するように頷いている。
「それは不思議な話だな、平田。確かに、私は振り込まれるポイントがどのようなルールで決められているかを説明した覚えはない。しかし、お前たちは学校に遅刻するな、授業中に私語をするなと小学校、中学校で教わらなかったのか?」
「そ、れは……」
「身に覚えがあるだろう? そう、義務教育の九年間、嫌という程聞かされてきたはずだ。私語や遅刻は悪だと。そのお前たちが、言うに事欠いて説明されなかったから納得できない、だと? 通らないな、その理屈は。当たり前のことを当たり前のようにしていたなら、少なくともポイントが0になることはなかった。全てはお前たちが招いたこと。つまり、自己責任ということだ」
反論などしようもない、絶対的な正論。
誰もが知っている、一番簡単な善悪論。
しかし、理解することと納得することは別だ。恐らく皆、茶柱先生の説明を聞いても、内心では納得していないに違いない。事実、一部の生徒たちは露骨に不満気な表情を浮かべている。
「高校生になったばかりのお前たちが、何の制約もなく毎月10万も使わせてもらえると本気で思っていたのか? 日本政府が作った、優秀な人材を作り上げることを目的としたこの学校で? ありえないだろう、常識で考えて。何故、疑問を疑問のままにしておく?」
茶柱先生の正論に、平田くんは悔しそうな表情を見せる。
常識が通用しない学校が常識を語るのはどこか可笑しな話だが、今の発言には同意できる。世の中、そんなオイシイ話があるわけがないのだ。例えあったとしても、そこには必ず裏がある。今回のように。
「では、せめてポイント増減の詳細を教えてください」
「それはできない相談だ。人事考課、つまり詳細な査定の内容は、この学校の決まりで教えられないことになっている。それは社会に出ても同じだ。しかし……そうだな。私もお前たちが憎くて冷たく接しているわけじゃない。あまりに悲惨な状況だ、一つだけいいことを教えてやろう」
そう言って、薄ら笑いを浮かべる茶柱先生。
「仮に今月、遅刻や欠席を改めマイナスを0に抑えたとしても、ポイントは減らないが増えることもない。つまり、来月も振り込まれるポイントは0、ということだ。裏を返せば、どれだけ遅刻をしようと私語をしようと関係ない、という話でもある。どうだ、覚えておいて損はないぞ?」
「っ……」
平田くんの表情が、より一層暗くなる。
一部の生徒には理解できなかったようだが、その説明は逆効果と言ってもいい。
これから遅刻や欠席、私語を改めようという生徒もいただろうに、茶柱先生の説明によってその意識が雲散霧消していくのが感じ取れた。どれだけ授業態度を改めようが、生活態度を改めようが、ポイントが増えることはないのだから。
入学説明の時にも感じてはいたが、茶柱先生はどこか俺たち生徒に冷たいように感じる。生徒を突き放すような挑発的な物言いといい、生徒には興味がないといった態度といい、どこか諦めたような在り方をしている。
では何故、茶柱先生は、その諦念の中、ほんの僅かな期待や希望を孕んだ視線で、俺たち、いや、
そんな疑問を抱くと同時に、ホームルームの終了を告げるチャイムが鳴り響き、無情にも実力至上主義の教室の始まりを告げたのだった。
□■□■□
SS:泥棒猫と一触即発
4月のとある土曜日、午前10時頃。
今朝見た天気予報で、今日は少しだけ暑くなると言っていたので、程よい露出の薄手のオープンショルダートップスに身を包み、入念な支度を終えた私はとある男子生徒の部屋の前に来ていた。
携帯の内カメラで改めて自分の身だしなみを整え、深呼吸を一つ。いつものように笑顔を貼り付けると、準備が完了したので玄関のチャイムを押す。
少しすると、扉の向こうから微かにバタバタと慌ただしい足音が近づいてくるのが分かった。ガチャリ、と扉が開かれ出てきたのは、この部屋の主である杠詩音くんだ。
「はーい……って、櫛田さん。おはよう」
「おはよう、杠くんっ」
突然の来訪にも関わらず、嫌な顔を一切せずにおはようと微笑みかけてくれた杠くんに、私もおはようと微笑み返す。
出てきた杠くんはまだ着替えの途中だったのか、服装は若干乱れており、シャツの
「どうしたの? こんな朝早くに」
「こんな朝早くって、もう10時だよ?」
「……10時って、まだ朝早いでしょ⋯⋯?」
「え?」
「え?」
至って真剣な顔でそんなことを抜かす杠くんに、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
10時なんて朝よりももう昼に近い時間帯だというのに、杠くんはさも当たり前のことを言ったような顔で頭に疑問符を浮かべ、私を見ていた。
もしかして、杠くんって……天然?
前々から朝に弱いとは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。平日は遅刻せずに登校しているところを見ると、普段は頑張って起きているということが窺える。
数瞬、呆けた顔で見つめ合っていると、杠くんは話題を変えるように口を開く。
「えっと……俺に何か用かな?」
「あ、う、うんっ。もしよかったら、今から私と二人きりで遊びに行かないかな? って」
私はもじもじと恥じらう様子を見せて、上目遣いで『二人きり』を強調するように杠くんにそう言った。
そう。これが今日、私がわざわざ杠くんの部屋までやって来た理由の一つ。
遊びに誘うくらいならメールで済ませてもよかったが、私の真の目的は、杠くんと遊ぶことではない。
杠くんは池や山内、本堂たち男子に比べたら数千、数万倍はマシ、いや、池たちと比べることすら
まあ、それも当然。杠くんは、1年生どころかこの学校の中でもトップクラスの容姿を誇っており、細やかな気遣いもできて、そういった視線を向けてくることもない。それに、女子の間で話題のイケメンランキングでは、1位に位置するほどの……って、話が逸れちゃったね。閑話休題。
私の本当の目的は、杠くんを利用し、お高く留まった堀北のヤツに嫌がらせをすることだ。
堀北鈴音。
あの女がいる限り、私に本当の平和は訪れない。
そんな時、私は綾小路くんから有益な情報を手に入れた。
それは、杠くんと堀北は、幼馴染の関係だという情報だ。
私は元々、あの二人には何かあるとは思っていた。堀北の杠くんに向ける視線、堀北の杠くんを避ける態度、本人は滑稽にも隠しているつもりなんだろうが、ちょっと勘のいい人なら直ぐに気が付く。恐らく、軽井沢あたりも薄々勘づいているはずだ。
確信を得たのは、水泳の授業の時だ。
本当は、軽く躓いたふりをして、杠くんに抱きつくことで堀北の反応を見ようと思っていたのだが、思っていた以上にプールサイドが濡れていたせいで、本気で転びそうになったところを意図せず杠くんに抱き留められた。
その時の堀北の表情といったら、まるで、ポッと出のヒロインに好きな男を
だから、二人の関係を本格的に探ろうと、杠くんと堀北と仲のいい綾小路くんに近づいて、少し胸を寄せながら上目遣いでお願いしたら、案の定一瞬で話してくれた。男って本当に馬鹿。
それからの私は早かった。
わざと堀北の近くで杠くんに話しかけたり、わざと堀北の近くで杠くんを遊びに誘ったり、嫌でも堀北の視界に入るような位置で杠くんにボディタッチしたりと、堀北に対して嫌がらせの限りを尽くした。
途中、何故かAクラスの森下さんが釣れたりもしたが、私の嫌がらせは概ね成功と言ってもいい。その証拠に、堀北の私を見る目が、態度が、日に日に鋭くなっていっているのが分かる。
私への当たりが強くなればなるほど、堀北はクラスから孤立していき、あわよくばいじめの標的になる。そしてそんな堀北をそれとなく擁護しつつ、毎日しつこく
ふふっ。永久機関が完成しちゃったねっ。これでノーベル平和賞間違いなしっ。
今日も
私と杠くんが二人きりで出かけた、という噂を堀北に聞かせることで、堀北を精神的に攻撃する。そのために、既に何人かのオトモダチには、今日私が杠くんを
そうなった時堀北は、私にいったいどんな顔を見せてくれるかな? 嫉妬かな? 憎悪かな? それとも後悔? 楽しみで楽しみで仕方がないなっ。
だから杠くん、早く私と
「誘ってくれてありがとう、櫛田さん。でもごめんね。今日はもう予定が入っちゃってるんだ」
「……え? あ、あぁ、うん、そっか。そうだよね。杠くんにも予定があるよね……」
しまった。私としたことが、堀北に嫌がらせすることに重きを置きすぎて、その可能性を全く考えていなかった。既成事実を作るために前日に連絡を入れず、わざわざ当日に誘う演出にしたことが裏目に出てしまった。
これじゃあまるで、私が杠くんにアプローチして振られたみたいになってしまう。それはちょっと、ふざけないでほしい。
私は精一杯笑みを崩さないように、杠くんに今日の予定を聞いてみる。
「……今日は誰と遊ぶ予定だったの?」
「ん? ああ、森下さんだよ。何でも蟻の巣を見つけたらしくて、その観察に付き合わされることになったんだ」
「へ、へぇ……そう、なんだ……」
蟻の巣? 観察? 何それ、意味わかんない! ってか、それが私よりも大事な予定って何!? 私より
私は顔には出さないように、考え得る限りの罵詈雑言を心の中で杠くんに投げ続ける。振られたことももちろんだが、何より、私とのデートより蟻の巣なんかの観察の方が大事ということが許せない。蟻>私、なんて断じて許せるものではない。先にしていた約束を重んじるところは評価できるが、それとこれとは話が別だ。
だって蟻だよ!? 蟻! そんなものに私は負けたの!?
私が心の中で苛立ちを
「……杠詩音。まさか、私との予定をすっぽかして、他の女との逢瀬ですか……?」
「げ」
「げとはなんですか、げとは。集合時間になっても現れないので、この藍ちゃんがわざわざ部屋まで迎えに来てあげたというのに」
小さい胸を張って偉そうな態度でそう言ったのは、先ほど話にも上がった
Aクラスにいるオトモダチから聞いた話では、森下は変人ではあるけれど、頭が悪いわけではないとのこと。実際、私も一度だけこいつと話したことがあるが、その時危うく私の裏の顔が暴かれそうになったのは記憶に新しい。
確かに、あの時は池たち男どものせいでだいぶストレスが溜まっていたが、
認めるのは癪だが、こいつの観察眼は侮れない。
私は二人に気付かれないように、奥歯を噛み締める。
とっくに私の苛立ちはピークに達していたが、ここで爆発させるわけにもいかず、小さく深呼吸を繰り返し、冷静さを保ちながら杠くんを見送ろうと声をかけようとしたその時、突如
「それでは、櫛田桔梗。杠詩音は今日、私と二人っきりで、
「あ、え、えと、そういうわけだから、今日はわざわざありがとう。次は俺から誘うよ、櫛田さん。また月曜日にね」
「───」
そう言い残して、二人は仲睦まじく去っていく。
森下さんはいつから私たちの会話を聞いていたのかという疑問や、あからさまな挑発と
私は、両手でペタペタと自分の顔を触る。
それでもなお、分からない。
私は今、いったいどんな表情であの二人の後ろ姿を眺めているのだろうか……?
おまけ解説:
詩音くんがイケメンランキング3位である理由は、森下さんがいるからです。1年生女子の間では、詩音くんと森下さんが付き合っている派といない派に分かれ、日々ランキングが変動しています。ちなみに、詩音くんは他にも雰囲気がえろい男子ランキング1位を獲得しています(誰得?)
今更ながら、銀魂に憧れてヘンテコなサブタイにしたことを後悔してる今日この頃です。空知先生って凄い(小並感)。よう実には合ってなさそうだし、次回からは普通のに変えようかな……。ご意見下さると助かります。
よければ感想や評価など、よろしくお願いします!