残り火の軌跡と、天秤を支える者たち   作:弾暴

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第四章:見捨てられた灰と、握り潰された声

オールマイト像の広場を占拠し、全世界への配信準備が進む、数分前のこと。

骨の髄まで凍てつくような冬のビル風が吹きすさぶ中、見上げるほど巨大なブロンズ像の足元で、裁定者・秤誠一の傍らに二人の男が静かに佇んでいた。

「……まもなく、法という綺麗事に縛られたヒーローどもが這い出てくる頃合いだな」

灰色のローブの首元を掻きむしりながら、左腕を担う男——灰燼炉(かいじん いろり)が、低く嗄れた声で呟いた。

彼の指先からは、パラパラと乾いた黒い『煤(すす)』が、汚れた雪のようにこぼれ落ちている。

灰燼は、自らの指先から際限なく落ちるその惨めな黒い粉を、どこか使命感を帯びた目で見つめた。

彼の父親は、万年Cランクのしがないプロヒーローだった。トップヒーローに異常なまでのコンプレックスを抱いていた父は、自らの叶わなかった夢を息子に託し、幼い灰燼に「訓練」という名の凄惨な虐待を強いた。

しかし、灰燼に発現した個性は、親の期待を無残に裏切るものだった。炎でも熱でもなく、ただ周囲を真っ黒に汚すだけの『死灰(アッシュ)』。

『なんだそのゴミみたいな個性は! 物を燃やすことも、人を温めることもできない! そんな燃えカスで、どうやってヴィランと戦うって言うんだ!!』

冷たい雨が打ち付ける夜。酒に酔った父に胸ぐらを掴まれ、ゴミ袋と一緒に家の外へ放り出された日の記憶。

『失敗作』の烙印を押され、家族ごと捨てられた灰燼は、それからずっと路地裏の泥水をすすって生きてきた。

だからこそ彼は、強大で美しい「炎」を持ちながらも、それを身勝手な破壊(ヴィラン)に用いる者たちを心の底から憎悪していた。人を温めることもできるはずの力を持ちながら、命を奪う側に回った悪魔たち。

「俺のこのみすぼらしい煤は……恵まれたエリートを妬むためのものじゃない」

灰燼は、奥歯をギリッと噛み締めた。

「ヒーローが『更生』などと甘やかし、生かしておいた『悪の残り火』を……息の根が止まるまで、真っ黒に覆い尽くして窒息させるためのものだ」

「ああ。奪った側が守られる社会など、間違っている」

灰燼の言葉に同意するように、右腕を担う男——無良縁(むら えにし)が、手元にあったひび割れたスマートフォンの画面を見つめながら静かに吐き捨てた。

画面に映っているのは、車椅子に乗り、力なく笑う少年の写真。無良のたった一人の、大切な弟だった。

無良の弟は、無個性に近い微弱な個性しか持たなかったが、誰よりもヒーローを夢見る心優しい少年だった。しかし、彼が通う中学校には、強大で派手な個性を持った「不良のいじめっ子」がいた。

毎日、その暴力的な個性でなぶられ、笑われ、尊厳を踏み躙られ続けた弟は、ある日ついに心を壊し、校舎の屋上から身を投げた。一命は取り留めたものの、脊髄を損傷し、二度と自力で歩くことはできなくなった。

無良は怒り狂い、学校と警察に泣きながら訴え出た。しかし、大人たちから返ってきたのは、あまりにも絶望的で残酷な言葉だった。

『相手の生徒は、将来有望な個性を持っています。ここで前科がつけば、彼の未来が閉ざされてしまう。どうか、彼の将来のために穏便に……』

学校も、警察も、加害者を裁かなかった。

才能ある加害者の未来を守るため、弱者である弟の血の滲むような悲鳴は、大人たちの冷たい手によって無残に握り潰されたのだ。

そして数年後、弟を車椅子送りにしたその男は、軽犯罪を繰り返すヴィランになりながらも、法の抜け穴を潜り抜け、今もどこかでのうのうと笑って生きている。

「才能さえあれば、過去の悪逆は『若気の至り』で許される。反省したフリをして法に従えば、何度でも社会に保護される……。ふざけるな」

無良は、怒りで震える右腕をミシミシと強く握りしめた。自身の個性が発動し、赤黒い衝撃波のオーラが腕の筋肉を異常に膨張させる。

「俺たちの目的は、ヒーローへの八つ当たりじゃない。法が裁かない『悪』を、俺たちがこの手で物理的に粉砕する。それこそが真の正義だ」

二人の悲痛で純粋な決意を静かに聞いていた裁定者(秤誠一)が、ゆっくりと振り返った。

「奪われた者は見捨てられ、奪った者は『更生』の名のもとに保護される。……それが、法という天秤が完全に壊れ、機能しなくなったこの社会の腐敗した正体だ」

秤は、かつて誇り高き警察バッジをつけていた左胸をそっと押さえた。

「我々は、平和の象徴を引きずり下ろしたいわけではない。彼らが救えなかった命の代わりに、彼らが法を盾にして見逃してきた『悪』を、根絶やしにするだけだ」

無良がひび割れたスマートフォンを大切に懐にしまい、灰燼が指先の惨めな煤を夜風に振り払う。

「さあ、始めよう。我々の手で、理不尽に傾いた天秤を……正しく水平に戻すのだ」

秤の静かな、しかし強烈な使命感に満ちた号令と共に。

オールマイト像を照らす強烈な投光器が、一斉に点灯した。

法が見捨てた悪を自ら裁く。暗闇に沈んでいた彼らの『正義の執行』が、今、白日の下に晒されようとしていた。

 

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