仲間の二人が、敵の凄惨な過去と憎悪を自らの泥と温もりで真っ向から受け止めていた、その頃。
広場の中央では、死の恐怖に駆られたヴィランたちからの容赦ない打撃を受け、緑谷出久が冷たいアスファルトに血を流して倒れ伏していた。
「見ろ! 画面の向こうの市民たちよ! これがお前たちの信じる『ヒーロー』が守ろうとしているものの正体だ!!」
その無惨な姿を見下ろし、裁定者(秤誠一)は配信用のカメラドローンに向かって、血を吐くような大音声で叫んだ。
「自らを庇って重圧に苦しむ恩人を、己が助かるためなら平気で撲殺する! 善意に唾を吐き捨て、他者を踏み躙って生き延びようとするのが『悪』だ! ヒーローの掲げる綺麗事では、この悪意は決して消えない! 法が『更生』という名でこの怪物どもを野放しにし続けるなら、我々が根絶やしにするしかないのだ!!」
彼を突き動かしているのは、ヒーローへの私怨などではない。己の家族を理不尽に奪い、社会の影でのうのうと生き延びる『ヴィラン』という存在そのものに対する、底知れぬ憎悪だった。
秤は出久を折ろうとしているのではなく、全世界に向けて「悪を根絶する己の正義」の正当性を証明しようとしていたのだ。
しかし。
ゴォォンッ! と鉄パイプが肩を砕くような音を立てた直後。
出久はゆっくりと、血に塗れた顔を上げた。その真っ直ぐな瞳の光は、一ミリたりとも揺らいではいなかった。
「……救う価値なんて……関係ない……」
出久の口から、血の塊と共に掠れた声が響く。
秤の訴えに対する、静かで確かな否定。その異様な気迫に、彼を狂ったように殴りつけていたヴィランたちの動きが、ピタリと止まった。
「あなたたちが……過去にどんな許されない罪を犯したとしても。ここで、理不尽な暴力によって殺されていい理由には、絶対にならない……! だから僕が、必ずあなたたちを救け出す……!!」
己の命が削られているというのに、自分たち「悪」を庇い、血を流し、本気で生かそうとしている少年の姿。
その狂気的なまでに純粋な『救済の眼差し』を真っ向から浴び、ヴィランたちの手から、カラン……と力なく鉄パイプが滑り落ちた。
動揺は、連鎖する。
自らの首に刃を突き立て、人質となって盾を作っていた被害者遺族(市民)たちの目にも、激しい動揺が走った。
彼らが憎悪してきたヴィランを、命懸けで庇うヒーロー。その底知れぬ自己犠牲を前に、張り詰めていた彼らの殺意が鈍り、首元に押し当てられていた刃が、ほんの数センチ、無意識のうちに下がった。
「今だァァッ!!」
市民の心に生まれた、ほんの一瞬の隙。
無良を血と泥に塗れながらねじ伏せていた爆豪勝己が、夜空の冷気を切り裂くような凄まじい咆哮を上げた。
それを完璧な合図として、地獄を潜り抜けてきた雄英高校A組による、神業のような連携救出劇が幕を開けた。
「行け、黒影(ダークシャドウ)!!」
常闇踏陰の放った黒影が、闇夜に溶け込むようにして市民たちの背後へと回り込む。それと同時、葉隠透の『光の屈折』による強烈なフラッシュが、黒影の闇と対比するように、広場全体を真っ白に染め上げた。
「目が……ッ!?」
唐突な閃光に市民たちが思わず目を瞑り、手元の刃やライターから意識が逸れた、その一瞬。
心操人使のペルソナコードを通した『洗脳』の波長が広場中に響き渡り、反射的に声を漏らした市民たちの動きを完全に縫い止めた。
「タイトにキメよう。『ファイバー・バインド』!!」
ベストジーニストが冷たい夜風の中で指先を優雅に振るうと、彼の操る強靭なカーボン繊維が、洗脳で硬直した市民たちの手首を正確かつ優しく絡め取り、危険な刃物や引火物だけを空高く弾き飛ばした。
すかさず、飯田天哉が発動させた『レシプロバースト』の疾風と、蛙吹梅雨の正確無比な舌が飛び込み、市民たちを次々と安全な後方へと抱え出していく。
「おのれ……おのれぇぇッ!!」
ヴィランを処刑するための盾であった同胞たちを優しく引き剥がされ、裁定者(秤誠一)は、激昂と共に自らの個性を限界まで暴走させた。
オールマイト像の足元に、周囲の空間ごと押し潰すような超重力の靄が、どす黒く渦巻く。あの日、愛する家族を押し潰した『瓦礫の重圧』が、物理的な破壊力となって周囲の空間をミシミシと軋ませた。
ミシッ……!! メリメリメリッ!!
その時だった。
秤が放つ怒りと悲しみの無差別な重力暴走に耐えきれず、彼の背後にそびえ立っていた巨大なブロンズ像の台座に、致命的な亀裂が走った。
「倒れるぞ!! 下がれ!!」
機動隊やプロヒーローたちの切羽詰まった叫び声と共に、数百トンの質量を持つ『オールマイト像』が、腹の底に響く轟音を立てて広場の後方へと崩れ落ちた。
もうもうと舞い上がる土煙の中で。
秤は、血走った憎悪の目を、緑谷出久一人に向けた。
「なぜだ……!! なぜ貴様らヒーローは、いつもいつも、悪魔(ヴィラン)どもを庇って私の前に立ち塞がる!! 悪を根絶やしにしなければ、悲劇は終わらないというのに!!」
秤の周囲を無差別に渦巻いていた重圧が、今度はすべて秤自身の両腕へと凝縮されていく。
空間すら歪めるほどの、真っ黒で超高密度の重力球。あの日彼が持ち上げられなかった絶望の質量。
だが、出久は逃げなかった。
口元から流れる血を拭い、己の胸の奥でチカチカと、最期の時を告げるように明滅する『残り火』の熱を確かに感じながら。静かに、だが決して引かない決意で両足を踏ん張る。
「邪魔をするな、緑谷出久ァッ!!」
砕け散った巨大な像の残骸を背に、秤がアスファルトを砕いて大地を蹴り、砲弾のような速度で出久へと肉薄した。