残り火の軌跡と、天秤を支える者たち   作:弾暴

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第九章:泥だらけの拳と、退けられた瓦礫

「消え失せろォォッ!!」

秤の絶望と重力を纏った拳が、出久の頬を容赦なく殴り飛ばす。

「が、はッ……!」

冷たいアスファルトを激しく転がりながらも、出久は即座に立ち上がり、5%の残り火を込めた拳を秤の胴体へ泥臭く叩き込んだ。

「ぐふッ……! 貴様らヒーローが守ろうとしているのは、人を殺した加害者が『更生』という名で守られる、腐りきった社会だろうが!!」

黒い重力の衝撃波と、淡い緑の放電を纏った打撃。

二人はもはや防御すら捨て、顔を腫らし、互いの血と泥に塗れながら、己の魂をぶつけるように真正面から殴り合っていた。

その血みどろの死闘は、広場を飛ぶドローンのカメラを通じて、深夜の全国のスクリーンへと生中継されていた。

避難所のテレビの前で。再建中の街のモニターの下で。固唾を飲んで画面を見つめる市民たちの間には、ひどく重く、複雑な沈黙が落ちていた。

『あの日、私の家族を奪ったクズは「パニックによる暴走」で罪を免れた!! 奪った側がのうのうと笑って生きる事など、絶対に許さない!!』

画面越しに響く、秤の血を吐くような叫び。

「……裁定者の言うことも、わかるよ」

モニターを見上げていた一人の市民が、震える声でポツリと呟いた。

「俺たちだって、理不尽に家族や家を奪われた。必死に悲しみを飲み込んで、平和になったんだって前を向こうとしてきたけど……心の奥底じゃ、やっぱりヴィランを許せちゃいないんだ」

「どっちが、正しいんだろうな……。このまま殴り合って……勝って立っていた方が『正解』になるのか……?」

見守る人々は、日常の中で無理やり蓋をしていた、自分たちの「癒えない傷」を突きつけられていた。

裁定者の行き場のない憎しみもわかる。ヒーローがこれ以上の暴走を止めようとするのもわかる。どちらの言い分にも痛いほど頷けてしまうからこそ、ただ力で敵をねじ伏せることが本当の「救い」になるのかと、祈るように画面を見つめていた。

ドゴォォンッ! 秤の重い一撃が出久の肋骨を軋ませる。

「私はすべてのヴィランを根絶やしにする! 法が裁かないのなら、私が消す! それ以外に、私の家族が報われる道などないッ!!」

「……違うッ!!」

出久は口から血を吐き出しながら、秤のローブの胸ぐらを掴み、頭突きにも似た勢いで距離を詰めた。

「僕は、あなたに勝ちたいわけじゃない! 暴力で言い負かして、あなたの正義を否定したいわけでもないんだ!!」

「ならばなぜ邪魔をする!!」

「知りたいんだ……!!」

出久の、涙と血に塗れた切実な瞳が、秤の濁った両目を真っ直ぐに射抜いた。

「あなたがどれだけ苦しかったか……! どんな思いで、この理不尽な重さを一人で背負ってきたか! 僕はただ、あなたの悲しみを知りたい!!」

「偽善者が……! ならば、貴様が庇うヴィランどもの悲しみも知りたいとでも言うのか!? 奴らがただの身勝手な快楽で命を奪ったとしてもか!!」

「……そうだ!!」

出久は、顔を腫らしながらも、絶対に目を逸らさなかった。胸の奥で、残り火が激しく明滅する。

「法で裁かなきゃいけない罪は、確実にある! 許されないことだって、絶対にある! だけど……彼らがどうしてそんな事をしてしまったのか、その背景にどんな苦しみがあったのか……僕はもう、絶対に『見なかったこと』にはしたくないんだ!!」

出久の叫びが、広場に、そして中継を見守る全国の市民の心に響き渡る。

「怪物をただの『怪物』として目を背けていたら、そこからまた、あなたのような新しい悲しみが生まれてしまう!! だから僕は……全部知りたい! あなたの怒りも、悲しみも、全部!!」

「知ったふうな口を叩くなァッ!!」

出久の痛いほどの寄り添いを前に、秤は激昂し、己の残存体力のすべてを両腕に凝縮させた。

空間がメキメキと悲鳴を上げるほどの、超高密度の重力球。これが直撃すれば、出久のボロボロの体ではひとたまりもない。

「死ねェッ!!」

秤が、出久を完全に粉砕すべく、渾身の力を込めてその両腕を振り下ろした。

出久は5%の力でそれを真っ向から受け止めようと踏み込む。

しかし、その瞬間。

限界を超えて個性を暴走させ、出久との感情のぶつかり合いで心身ともに摩耗しきっていた秤の足が、ガクン、と力なく崩れた。

「な……ッ!?」

極度の疲労による、一瞬のよろけ。

振り下ろされた必殺の重力の一撃は、出久の体を大きく逸れ、すぐ背後にあった廃ビルの太い支柱へと激突した。

ズガァァァァァァァァンッ!!!!

すさまじい轟音と共に、ビルの支柱が粉々に吹き飛ぶ。

嫌な音がした。土台を失ったビルの外壁が、メリメリと崩壊を始める。数百トンものコンクリートの塊が、冬の夜空から雨のように降り注ぐ。

そして、その崩れ落ちる瓦礫の真下には。

「……え?」

騒ぎから逃げ遅れ、ビルの陰でガタガタと震えながらうずくまっていた、小さな子どもの姿があった。

「あ……」

秤の呼吸が、完全に止まった。

ガラガラと崩れ落ちる巨大な瓦礫。その下で泣き叫ぶ子ども。

あの日、自分のすべてを奪った地獄の光景が、フラッシュバックする。

しかし今、その「理不尽な瓦礫」を生み出し、罪なき子どもの命を奪おうとしているのは、憎きヴィランではなく、紛れもない『自分自身』だった。

(私は、なんてことを……!)

頭が真っ白になり、体が1ミリも動かない。重圧をかけることしかできない自分の個性では、あの子どもを押し潰すことしかできない。あの日と、同じだ。

「危ないッ!!!」

秤の横を、緑色の疾風が通り抜けた。

出久には、躊躇いなど一切なかった。

己の胸の奥で、チカチカと消えかかっていた『残り火』。

その最後の一滴にまで、100%の出力を強引に叩き込む。筋肉の繊維が千切れんばかりに膨張し、まるで太陽のような眩い光が、闇夜を切り裂いて空を舞う瓦礫へと一直線に突っ込んだ。

「スマァァァァァァッシュ!!!!」

ドゴォォォォォンッ!!!

凄まじい風圧と共に、子どもの頭上に落ちてこようとしていた絶望のコンクリートの塊が、出久の渾身の拳によって、空中で完全に粉々に打ち砕かれた。

細かな石の雨が降る中。

出久は子どもの前に着地し、その小さな体を瓦礫の破片から庇うように、しっかりと抱きしめていた。

「もう……大丈夫だよ」

出久が、泥と血にまみれた顔で、子どもに優しく微笑みかける。

その光景は、中継のカメラを通して、見守っていたすべての市民の目に焼き付けられた。

出久の背中を見た瞬間、秤は膝から崩れ落ちた。

あの日、彼がどれだけ叫んでも、血を流しても、決して退けられなかった絶望の瓦礫。

それを、彼が憎んだヒーローは、言い負かすでもなく、裁くでもなく、己の命を燃やし尽くして粉々に打ち砕いてみせたのだ。

一方で自分は、悪を憎むあまり、あわや罪なき子どもの上に理不尽な瓦礫を降らせるところだった。

「私は……ヴィランを憎むあまり、自分自身が……新たなヴィランに成り果てていたのか……」

自分の震える両手を見つめ、秤の口からポツリと乾いた声が漏れた。

「悲しみが憎しみを生み……その憎しみが、また新たな怪物(ヴィラン)を生む……。私が憎んだ理不尽の正体は、私自身だったというのか……」

その残酷な真実に気づき、秤は深くうなだれた。

警察のバッジを捨て、正義を名乗って手を血に染めてきた己の罪の重さに顔を覆い、子どものように声を上げて泣き崩れる。

出久は、そんな秤の姿を静かに見つめていた。

しばらくして。泥と血にまみれた顔を上げ、秤はすがりつくように、掠れた声で紡いだ。

「……聞いて、くれるか。どうしようもない……私の話を」

出久は、ゆっくりと頷いた。

ボロボロに腫れ上がった顔で、それでも真っ直ぐに秤を見つめ返し、優しく、温かく微笑む。

「はい。……聞かせてください」

その真っ直ぐな受容の言葉が響いた、直後だった。

ふっと。

出久の体から放たれていた眩い光が、線香花火が最期の火花を落とすように、静かに、完全に消え去った。

(……これで、本当に……おしまいだ)

歴代から受け継いだ力で「命」を救い、そして対話の始まりによって「心」を救い出す。

ヒーローとしての最後の役目を終え、空っぽになった出久の体。

ピンと張っていた糸が切れたように傾き、冷たいアスファルトへ倒れ込もうとした、その時。

「デクくんッ!!」

すかさず飛び込んできた麗日お茶子が、出久の体に触れ、優しく無重力(ゼログラビティ)を付与した。

ふわりと体が浮き上がり、倒れ込む衝撃が完全に消え去る。そして彼女は、アスファルトの上で出久の体をしっかりと、力強く抱きとめた。

「麗日、さん……」

出久が掠れた声で呟く。お茶子はその腕の中で、出久の胸に宿っていた炎の鼓動が、静かに役割を終えて完全に消え去ったことを、誰よりも早く悟った。

大粒の涙が、彼女の大きな瞳からポロポロと溢れ落ちる。けれど、その顔に悲壮感はなかった。

彼女は泥だらけの出久を見つめ、あの日、雄英高校の校門前で初めて出会った時と全く同じ、優しくて温かい、満開の笑顔を向けた。

「ここで転んじゃったら、縁起悪いもんね」

かつて、不安に押し潰されそうだった無個性の少年を救った、始まりの言葉。

理不尽な負の連鎖を己の身を呈して食い止め、皆を救い続け、そして今、再び無個性に戻った最高のヒーローに、お茶子は労うようにそっと額を合わせた。

「……もう、大丈夫やよ。お疲れ様、デクくん」

その温かな包容に、出久は静かに目を閉じ、安心したように気を失った。

月明かりに照らされた広場で。

その場にへたり込んだ秤が、出久の言葉に救われ、自らの罪の意識に泣きじゃくる声だけが、冬の夜空に響き渡っていた。

 

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