ちなみに円舞曲はワルツと読んでください。
[黄昏の大蟹から暁の獅子へ]
秒針の無い時計が、12番目の文字を刻む時、光天の楼閣から、メモリーズエッグを頂きに参上する。怪盗キッド。
追伸
蠍座は季節外れ。クモが最強。なんならクモ座にするべき
●
スパイダーマンに姉を殺されたから見つけて欲しい、そう告げる少女をコナンは信用した訳ではなかった。
たった数度言葉を交わして、一度だけ戦闘に巻き込まれただけ。
短い邂逅ではあったけれど、あの子どものヒーローが人を殺す姿はコナンには想像できなかった。
…姉が死んだのは間違いないのだろう。
その瞳に宿った哀しみが偽物だとは思えなかったから。
ただ、探し求める理由にコナンには話していない訳がある気がして、それを見極めるためにも、消極的な形で協力していた。
だから、大阪でまるで怪盗キッドが来るのを分かっていたかのように街で人を助けるスパイダーマンを見た時に、チャンスだと思ったのだ。
元々、あの予告状を見て推理とも呼べない漠然とした予感があったとはいえ、嬉しい誤算。
混乱が落ち着いた時に、話を聞いてみようと、そう思っていたのに。
「くそっ、何が起こってるんだ!?」
暗闇でも、その白い姿はよく見える。
夜の街で自分の存在を見せつけるヒーローの白と、それを汚す致命的なまでの赤。
服が汚れるのも構わず、キッドが糸の切れた人形のような状態のスパイダーマンを抱えていることに目を見張る。
「キッド───!?」
必死でスケボーを加速させるコナンの胸には嫌の予感が広まっていく。
少なくとも、発電所の爆破といい、普段のキッドとは何か違うと思っていたが、自分の知らないところで、何か恐ろしいことが起こっているのは確かだった。
そして、必死に飛ぶ怪盗キッドが続けざまに落ち始めたことでいよいよコナンの血の気が引く。
「クソ、間に合え…!」
大阪湾にたどり着いたコナンが見たのは、傷ついた鳩と力なく崩れ落ち血を流し続けるスパイダーキッズ。
見れば、鳩の傷は落下の衝撃によるものだけで、唯一力が入っていた拳には一発の銃弾が握りしめられていた。
…彼は気絶していながら、人を助けたのだ。
その執念にコナンは思わず息を呑む。
「息は…ある。脈は消えかけ…くそ!」
腕に肩、太ももに破った布を巻き付けて止血するが、子どもの力では腹部の出血が止まらない。
今、コナンの前には2つの選択肢があった。
───彼を病院に連れて行くか、見捨てるか。
病院に連れて行けば、スパイダーキッズの正体は明るみに出ることになるだろう。
どれだけ口止めしても人の口に戸は立てられないのだから。
そうなってしまった時、命が助かっても彼の人生の平穏は奪われてしまうことになるということを、正体を隠して生活しているコナンはしっかりと分かっていた。
ずっと戦い続けている少年を、ヴィランたちが許すはずもない。
…命懸けで人助けをする彼の正体が明るみに出る、なんてことはあってほしくないとコナンは思っている。
子どもが世間から好奇の目に曝され、無遠慮に好き勝手に傷つけられるなんていう未来が許されていいわけがない。
束の間の休息すら奪うことを、正義だとは思えない。
…だが、命には変えられないのもまた真実だった。
「……あり…がと…」
「スパイダーキッズ!!意識が…!」
「迷ってくれ、て…」
「……!」
「僕は、大丈夫だから……まだ、蠍がいる……逃げ……て」
この期に及んで人の心配をするヒーローの言葉に迷いを捨て、コナンは血まみれの手で携帯を取り出す。
そして。
●
目の前で、小さな子どもが穏やかな寝息を立てている。
場所は大阪から東京へとエッグを運ぶ船の一室。
…園子の伝手で用意してもらった、一部の人間以外は知らないその部屋で、スパイダーキッズは眠らされていた。
「ようやく一段落ってところかしら…」
「……ああ…峠は越えたって」
「強い子じゃ…強すぎる。悲しいくらいに…」
予告状の追伸を見て、スパイダーマンが来ると踏んで大阪に来ていた灰原哀と、コナンの呼びかけに応じて車を走らせてくれた博士。
その3人の目線の先で眠る少年の手はあまりにも小さい。
子どもだ。
子どもなのだ。
命懸けで、コナンたちの日常を守っているのはただの子ども。
何度も思い、その度に胸に鋭い痛みが走るその真実は、現実となってそこに横たわっている。
治療の際、顕になった身体には新しい傷以外も多数刻まれていた。
たった一年で、この少年はどれほどの数の犯罪者たちと戦ってきたのだろうか。
『僕の……せぃ…ごめんなさい…ぜンブ…僕……のせいで…』
毒に魘され、震えた声で懺悔する少年。
その華奢な両肩にかけられる責任の重さは、計り知れない。
「……戻って…くるわよね」
「ああ…」
ぽつり、と呟かれた灰原の言葉には憂うような響きがあった。
…博士の車のなかで、彼女が施した応急処置は完璧で、だからこそコナンは余計に彼女のことがわからなくなる。
だが、祈るようにスパイダーマンの手を握りしめる灰原は、どう見ても彼を恨んでるようには見えなくて、コナンはそっと胸をなで下ろした。
スパイダーマンの状態は、少なくとも、血が止まらず魘され続け、全員がその命の終わりを予感し必死になっていた数時間前よりは格段に良くなっていた。
毒も抜け、呼吸も安定している。
血の凝固を阻害する毒に麻痺毒、神経毒。
生物由来の毒を複数混ぜ合わせたその凶悪な殺意は、普通なら人間どころか大型動物すら余裕で命を奪っていたことだろう。
だが、少年の身体はそれでも死神の鎌から逃げ出してみせた。
あるいはもしかしたら、スーパーヒーローらしく死神に立ち向かったりしていたかもしれない。
───実際にはそんな毒を滴らせる尾に2度刺され、さらには注射器1本ぶち込まれたことを考えるなら、死神に嫌われすぎているとすら言えた。
「…スパイダーマン…」
日本警察の救世主と持て囃され、ただ謎を解けばいいと思っていた未熟な探偵はもういない。
月光事件を通して後悔を抱え、傷付きながら戦うヒーローと知り合った。
だから、コナンは決断する。
「灰原」
「なに?」
「絶対に、秘密を暴かないって約束してくれ」
目の前の少女を、信じることを。
●
───しゃり、と。
リンゴを剥く、懐かしい音がした。
まだ少年が自分の力を持て余していて、大怪我をしたり、熱を出したりと今よりもさらに未熟なヒーロー見習いだった頃。
少年を家に迎え入れてくれたその人は、いつもリンゴを剥いてくれた。
うさぎの形に剥かれたリンゴと、蜂蜜の溶けたレモンティー。
それを差し出してくれる彼女の微笑みは、少年の心の芯まで温めてくれる幸せの魔法だった。
メイおばさんは、優しい人だった。
自分のせいで甥のピーター・パーカーが死んだと無様に泣く、怯えて蹲るしか能のない役立たずにも、優しくしてくれたから。
彼女には何もかもをもらってばかりで、結局最後まで何かを返すことはできなかった。
彼女を思い出して、胸が苦しくなった少年の目には涙が浮かぶ。
そんな弱い自分を隠したくて、少年は顔を手で覆う。
「………」
リンゴを剥く音が止んで、少年の額に手が当てられる。
優しく、労わるように動くその手が誰かの温もりと重なって。
「ぉ…かぁ…さ───」
「……ごめんなさい。…私はあなたに、何も返せないのに…」
思い出とは違う少女の声に、少年の意識はようやく輪郭を取り戻した。
瞳をゆっくりと開いて、光に馴れるまでしばし待つ。
自分の目尻に浮かんだ涙を拭ってくれた誰かの手が、少年の覚醒に気がつき逃げようとするのを捕まえて、そのまま身体を起こす。
服は着替えさせられているが、マスクは口元以外つけたままにしていてくれたらしい。
…命を失いかけて、意識のなかった少年の正体を暴こうとしなかった、その優しさに嬉しくなった。
「───」
鼻と鼻がくっつきそうなほどの距離で視線が絡む。
「はじめまして。とりあえず…命を助けてくれてありがとう」
その罪の意識に揺れる大きな瞳を安心させたくて、少年はマスクを取って笑顔を見せる。
「…ねぇ、きっと君には笑顔が似合うと思うんだ」
───その瞳にずっと映っていたくて、彼女の甘い香りに身を委ねたくて、彼女の声に脳が甘い痺れを起こす。
全細胞が、彼女に服従したいと告げていた。
これが恋かと聞かれたら、きっと違う。
あるのはただ、罪深い運命だけだ。
それでも、出会えてよかったと少年は笑ってみせた。
この少年はなぜか哀ちゃんの声に逆らえないし、哀ちゃんに見つめられると金縛りなるし、哀ちゃんの匂いを嗅ぐと脳内がそれ一色になります。
犬みたいで可愛いね。
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