展開のために必要とはいえ少年の秘密を掠めたせいでちょっと雰囲気が重くなってしまったな、という反省。
ぐ、と身体を伸ばし目を閉じて自分の調子を確認する。
大阪の空気も嫌いではなかったが、やはり慣れ親しんだ空気のほうが呼吸がしやすい…気がする。
「いや別に変わんないな…?」
思い返せば東京の空気を吸ったのって2年前だったし、その前は実験所に閉じ込められていたわけで。
慣れ親しむほど東京の空気を知ってるというのはさすがに過言だった。
「…さて、久しぶりに街のパトロールもひとしきりやって、準備運動はできたかなー。うんうん、米花町の平和は今日もスパイダーマンによって守られたのだった!」
反省反省、と笑う少年の後ろにはもはやおなじみのクモ糸の繭が出来上がっており、少年がほんの数日いないだけでイキイキと街を荒らしていた小悪党たちの末路だった。
「おい降ろせよこのクソガキがぁ!」
「くそ、大阪に行ってただろお前!二度と帰ってこなきゃよかったのに!」
「うるさいなぁ、君たちってなんでそんな一辺倒なわけ?実はコピー&ペーストされてたりする?」
「このガキャ!」
「スッゾコラ〜!」
「それとも小悪党用のマニュアルがあったりするのかな…」
「んんんんんん!」
プシュ、と気の抜けるような音ともに銀行強盗をしようとしていた小悪党たちの口は塞がれる。
ぼろぼろになったスーツは補修を諦めて予備の物を引っ張り出してきた。
少年は、スーツのフードの形を整えて、人気のないところまで飛んで一気に私服へと着替える。
用意していた自転車の鍵を回して、少年の準備は整った。
向かう先は横須賀。
一足先に船から抜け出して、一度家に寄った少年の気合は十分。
失いすぎた血を補充するべく肉もたらふく食べた。
それはもう食べまくった。
隣で見ていた魔女がドン引きするくらいには食べた。
あとはただ、蠍と決着をつけるだけ。
「…あとなんかパワーアップした気がするんだよね。死にかけたからかな」
少年は明らかにキレと力の出力が上がった自分の身体にくびをかしげながら、まぁそういうこともある身体だよなと普通にスルーするのだった。
●
横須賀のお城。
そこに眠るもう一つの秘宝…にはもちろん興味はない。
なんだかロマンのある話に冒険心が刺激されなくもないけれど、少年はお宝より魚図鑑とかのほうが好きなタイプだった。
「───!?」
そして、少年はサプライズも嫌いではない。
秘密の通路みたいなところから飛び出してきたその女の人を少年は容赦なくフルパワーで殴り飛ばした。
「…げほ、ごほ……!誰!?」
「地獄からの“死者”スパイダーマン。…やぁ、スコーピオン。また会ったね。蠍星人だから知らないのかもだけど、最近日本じゃ『ながら逃亡』って罰則厳しくなったんだよ。ながらスマホと一緒に」
「スパイダー…マン…!」
「なんでかって?こういう出会い頭の事故が危ないからさ」
蹲り、むせ込むただの女性に擬態した蠍の腰辺りから黒い鋼鉄の尾が持ち上がり、ヘッドギアにボディアーマーが飛び出して覆っていく。
「……ええ、気をつけるわ。日本じゃ、不意の事故で気色の悪い蜘蛛を踏みつぶしちゃうかもしれないってこと」
「出来もしないこと言うとあとで恥かくよ?予告状で呼び出して思いっきり返り討ちに会うとか超恥ずかしいんだから!!」
今の不意打ちで、あの最低なキスの借りは返したということにしておいてやろう。
少年はそんなことを考えながら、思いっきり踏み込む。
それはこないだまでの素早さと比較して段違いのキレとスピードが乗った一撃で、反応が遅れたスコーピオンの尾がひしゃげて、威力を逃がしきれずに大きく吹き飛ぶ。
「…おかしいわね、あなた本当に私の知ってるスパイダーキッズ?」
「男子3日会わざればってやつさ。…敗北からの復活でパワーアップするなんて僕ってば超ヒーロー」
銃弾が放たれ、少年はそれを避ける。
壁を背に再び立ち上がるスコーピオンに向かって少年はVサインをして見せた。
「あのキスのお陰でいい夢を見れたよ」
「あら、そんなに気に入ったんなら何度だってしてあげる。今度こそ絶頂するくらいのキスを貰う覚悟はいい?」
「いらないよ。僕からのお礼参りだけ受け取っていってね!最後は地面とキスさ!」
自切された毒針が少年の背後から襲いかかり、少年はそれを一歩横にずれるだけで回避する。
それを読んでいたスコーピオンは先のない鋼鉄の尾を横薙ぎに振り払って、思いっきりスパイダーマンを打ち据える。
───蠍と蜘蛛の三度目の正直が始まった。
●
秘密の入り口から誰かが出てきたら困るし、とスパイダーマンが糸で塞いでしまったことで、全員が遠回りすることになった、という話は置いておこう。
地上に戻ったコナンが見たのは、スコーピオンを圧倒するスパイダーマンの姿。
運動神経は抜群でも、別にバトルをするわけでもないコナンから見ても異次元の成長速度だった。
「おいおい…なんだあれ…」
「…彼本来の力はあれくらいだった、というだけのことよ」
「なに?どういうことだよ?」
「彼、無意識に人を傷つけるのを怖がってたんじゃないかしら。それが死にかけて、そのリミッターが一時的でも外れていたとしたら…今の動きも不思議じゃないわね」
「それは…」
蠍の尾が壁を引き裂き、スパイダーマンがそれを軽々超えて懐に入り込み、拳を振るう。
たったそれだけでまるで金属と金属がぶつかり合ったような音が響き渡り、スコーピオンのボディアーマーにヒビが入る。
強くなった。
それはきっと、喜ばしいことだ。
たとえその結果が、少年がより激しい戦いに巻き込まれることを意味していても、だ。
「…優しすぎたのよ」
「それは…それが、悪いってことは…」
「そうね、私もそう思う。そもそも彼が強くなって困る人なんて、犯罪者だけで…」
分裂した尾が複雑な軌道を描いてスパイダーマンに襲いかかり、それら全てを回避したところを銃弾に撃ち抜かれる。
毒が仕込まれた鉛玉を食らった少年の動きは…鈍らない。
むしろ加速する。
ぐ、と大きく足を踏み込んで少年は駆けていく。
「僕のスーツが赤くなっちゃったじゃんやめてよ!赤色のスーツを着ていいのは本物のスーパーヒーローだけって知らないのかな、これだからにわかは困る!」
「…このまま嫐り殺してあげる!その血化粧をより厚塗りにして、ね!」
血が流れるのも厭わずに、果敢にヴィランに向かって行くスパイダーマンを見て、灰原哀は悲しい顔をする。
「あんなに優しい子が、戦わなくちゃいけない世界なんて…」
飛び込んでくる敵を迎撃するべく再連結した尾がしなり、しかしそれをスパイダーマンが引き寄せた展示品の鎧の騎士盾が弾き返した。
お返しとばかりに術理もへったくれもない力任せに振るわれた剣がスコーピオンの尾を地面へと無理矢理縫い付ける。
「実は僕アーサー王なんだよね!そんでもってこれはエクスカリバー!つまり、君には抜けないってことさ!」
「お遊戯会なら学校でやることね!ここにはあなたのママもパパも来てくれないわよ?」
盾を投げ捨て彼我の差を一歩で詰めるスパイダーマンから身を守るように、剣で縫い付けられていない残りのパーツを引き寄せようとしたスコーピオンが目を見開く。
「クソ!!この…蜘蛛野郎が!こそこそと巣を張って…気持ち悪いのよ!」
「みんな僕のこと蜘蛛って言うけどさ、人間なの忘れてない?学習するさ、失敗を通してね」
見れば、尾の関節一つ一つに糸が貼り付けられて連結が阻害されており、さらには部屋のあちこちに磁石が糸でぶら下げられていて、そのせいで連結の要である磁力がうまく伝わらず乱れている。
少年は、きちんと対策をしてきていた。
スコーピオンの磁力を使って自切と再連結を繰り返す鋼鉄の尾も、スコーピオンの殺人的な毒すらも。
解毒剤は足の裏に仕込んだ。
踏み込むことで針が少年の足を突き刺し、そこから解毒剤が血液に流し込まれるという、捨て身の作戦。
「僕はスパイダーマン。こんなのへっちゃらさ!誰かが傷つくのに比べたらこんなの全然痛くない!」
毒も尻尾も奪われ、無防備になったスコーピオンの顔に拳が突き刺さり、浮き上がった身体に蹴りが叩き込まれる。
ヘッドギアも鎧も、尻尾の付け根も全てが砕けて吹き飛ぶスコーピオンは、天井へと突き刺さった。
「仲直りのキスでもしとく?…おっと、地面じゃなくて天井とキスしてるから聞こえないか。おやすみスコーピオン。もう二度と会いたくないから、ちゃんと反省してね」
不敵に笑う少年を見ながらコナンは俯く灰原の肩を叩く。
「…バーロー」
「え?」
「あいつはスパイダーマン。親愛なる隣人だぜ?」
コナンだって、子どもが体を張ることへの忌避感はある。
意識不明の重体になった彼を見た時、後悔だってした。
それでも。
彼は何度だって立ち上がる。
「同情するくらいなら、手を貸してやれよ」
「私は…」
ならするべきはきっと、心配と後悔じゃない。
何かを言おうとして、また口をつぐんでしまった灰原の隣で、歩美が大きな瞳を潤ませて声を上げた。
「ねえ、スパイダーマン!」
スパイダーマンは大いなる力を持ち、大いなる責任を果たす。
でも、その責任を一人で背負う必要だってきっと、ない。
「助けてくれてありがとう!」
横須賀の城に静寂が訪れる。
多くの秘密を内包したその城が、物語の舞台になることはもうない。
役割を終えた舞台から演者は去る。
蠍と
互いの正体を知らぬまま、名探偵とスーパーヒーローは仲を深めていく。
周りのために正体を隠す二人の少年の物語は、まだまだ続いていきそうだった。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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