パトカーの先導によって到着した先は、暗闇に重厚な威容を誇る巨大な庁舎――県警察本部だった。
深夜の県警本部、その一室に設けられた急ごしらえの取調室、見方を変えれば、あるいは応接室とも言える。
パイプ椅子に腰掛けるジェンティルドンナの向かいには、夜間当直の責任者である恰幅の良い警視・堂島が座っていた。背後には先ほどの佐藤巡査と、数名の屈強な当直の刑事たちが険しい顔で控えている。
「……つまり、君は異世界から来た『ウマ娘』であり、この世界には存在しないはずの存在だと。そう主張するわけだな」
堂島は、机の上に置かれた調書をペンでトントンと叩きながら、深く息を吐いた。
「佐藤から報告は受けたし、君が普通の少女でないことはその……見事な耳と尻尾を見ればわかる。だがね、我々警察は『超常現象』をそのまま信じるわけにはいかないんだよ」
堂島たちの反応は、至極真っ当だった。
ジェンティルドンナ自身、自分がかつていた世界とこの世界の物理法則や常識が異なっていることは、ここまでの道程で十分に理解していた。ウマ娘が存在しない世界で、急に自分を信じろと言う方が無理な話だ。
だからこそ、彼女は呆れることも怒ることもなく、優雅に微笑んだ。
「ええ、無論、理解しております。未知なるものを前にして警戒するのは、管理を司る者の正しい素質です。ですから、私が『人間の仮装』ではないことを、物理的に証明して差し上げます」
そう言うと、彼女は静かに立ち上がり、堂島の目の前まで歩み寄った。そして、美しい栗色の髪を、両手でスッと掻き上げた。
「私の耳と尻尾が本物であることは、先ほどそちらの巡査が確認済みです。ですが、決定的な違いがもう一つありますわ」
堂島が目を細め、彼女の側頭部を凝視する。そして、息を呑んだ。
「……ッ!?」
ない。人間の頭部にあるはずの、側頭部の耳が。
滑らかな肌と、美しい髪の生え際があるだけで、そこには「あるべき器官」が完全に欠落していた。骨格そのものが、人間とは決定的に異なっているのだ。
「これで、私があなた方『ヒト』とは異なる生態系に属する存在だと、ご理解いただけましたかしら」
「……信じられん。だが、これは……」
堂島は額に冷や汗を滲ませた。だが、長年警察組織に身を置く彼の理性が、まだ完全に白旗を揚げることを拒んでいた。
「……生態が違うことは、わかった。だが、佐藤が言っていた『車を凌駕する脚力』や、人間離れした身体能力についてはどうだ? もし君が本当にその『ウマ娘』だというなら、我々にとって君は、歩く兵器にも等しい存在ということになる」
「ふふっ。百聞は一見に如かず、ですわね。ならば、場所を移しましょうか」
■
数分後。一行は、県警庁舎内にある柔剣道場に移動していた。
広々とした畳の上。ジェンティルドンナの目の前には、柔道着に身を包んだ、県警の猛者である機動隊員が三人、油断なく構えていた。いずれも体重100キロ近い巨漢である。
「手加減は無用ですわ。あなた方が持てる最高の技術と力で、私をこの畳に組み伏せてごらんなさい」
ジェンティルドンナはジャージのまま、スッと自然体で立った。構えすらとらない。
「……怪我しても恨むなよ!」
先鋒の隊員が、鋭い踏み込みで彼女のジャージの襟と袖を掴んだ。そのまま巨体を沈み込ませ、一気に背負い投げの体勢に入る。人間であれば、間違いなく宙を舞っている完璧なタイミングと力。
しかし。
「……なっ!?」
隊員の顔が驚愕に歪んだ。引いても、腰に乗せようとしても、目の前の少女の身体はビクともしない。まるで、大地に深く根を張った大樹を無理やり引っこ抜こうとしているかのようだった。
「どうしました? 力が足りませんわよ」
「うおおおおッ!!」
さらに二人の隊員が加勢に入り、三人がかりで彼女の身体を倒そうと試みる。大の男三人のフルパワー。しかし、ジェンティルドンナは涼しい顔で立っていた。
「……この程度ですか。では、今度は私の番ですわね」
ジェンティルドンナは、右腕を軽く前に出した。そして、自分に組み付いている隊員の一人の道着を軽く掴むと、そのまま「スッ」と持ち上げた。
「えっ――」
「うわあっ!?」
まるでクレーン車にでも吊り上げられたかのように、100キロの巨体がフワリと宙に浮く。ジェンティルドンナは足腰を踏ん張るそぶりすら見せず、ただ腕一本の力で屈強な男を軽々と持ち上げてみせたのだ。
そして、彼女はそれをゆっくりと、しかし抗うことの許されない絶対的な力で、男たちを一人ずつ、静かに畳の上へと沈めていった。
ドスン、ドスンと、三人の巨漢が仰向けに転がされる。抗う間もなく、「物理的に絶対に勝てない圧倒的な力」によって、強制的に床に寝かされたのだ。
道場に、静寂が落ちた。
「……ご納得いただけましたかしら。私はこれでも、手加減をしたつもりですのよ」
乱れ一つない髪を払いながら、ジェンティルドンナは堂島を振り返った。
■
堂島は口を半開きにしたまま、ただ震える手でハンカチを取り出し、滝のように流れる冷や汗を拭った。疑う余地など、もうどこにもなかった。目の前にいるのは、完全に人間の常識を超越した「人外」の存在である。
「……降参だ。君が何者であろうと、我々の手に負える存在ではないことだけは、骨の髄まで理解した」
堂島の声には、先ほどまでの威圧感は欠片もなくなっていた。あるのは、畏敬と、国家の根幹を揺るがしかねない事態に直面したという強烈な焦燥感だけだった。
「……おい、佐藤」
「は、はいッ!」
「すぐに、県内で最もセキュリティが高く、設備の整ったホテルのスイートルームを手配しろ。VIP待遇だ。彼女には、そこで今後の対応が決まるまで休んでいただく」
「お気遣い感謝しますわ。では、良いお返事をお待ちしております」
ジェンティルドンナは優雅に一礼すると、案内役の警官を促し、堂々と道場を後にした。
彼女の足音が完全に消えた後、堂島は膝から崩れ落ちそうになるのを必死で堪えながら、傍らの部下に怒鳴るように指示を出した。
「……すぐに本庁(警察庁)に連絡を入れろ! いや、内閣危機管理監にもだ! とんでもない『爆弾』が降ってきたぞ……!!」
夜明け前の空に、国家を巻き込む巨大な歯車が、音を立てて回り始めていた。