簒奪魔剣/Sickness. Sword. Successors.   作:龍川芥/タツガワアクタ

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ゆめのおわり/Discovery

 

 

 ―――悪夢(ユメ)を見ている。

 またあの夢だ。いつもの(ゆめ)だ。

 俺が右腕に囚われて。

 俺に成り代わった右腕が、爆炎みたいに夜を駆ける。

 

 今宵の獲物が怯える気配。

 ああ、どこかで見たような顔だ。

 コレは一体誰だったっけ。

 そんなこと右腕(オレ)には分からない。

 だって記憶があるのは脳だから。

 今の俺にソレは無く、あるのはただ身を内側から焦がすような。

 

“寄越せ―――!”

 

 欲望のままに、腕を突き出した。

 欲しくてホシクテ仕方なかった。

 またあのアカイロ。

 あの感触。

 俺の欲望が柔い肉に沈む。

 ああ堪らない。

 なんて素敵な、絶望の温度(おと)

 

 そうして、遥か夜空で月が嗤う。

 夜の王が惨劇を覗き込む。

 青白い視線が地上に届いて。

 赤い血に濡れたその顔を照らす。

 

 あ、れ。

 俺は、こいつを、知って、いる。

 瞬間、血の気が引いていく。

 赤い煉獄が青く凍り付く。

 今しがた殺した美しいヒト。

 俺が、コロシタ、女。

 その、名前は。

 

結生(ユウキ)、フェリ、ア――――――?”

 

 瞬間、世界が崩れ/

 

 

 

 

「―――ェリ、ア」

「……『りあ』?」

 

 悪夢から目を覚ましたのは、丁度シロネが部屋を訪れたときだった。

 はっ、はっ、と胸が軋むほどに上下している。

 大量の汗が体から熱を奪っていく。

 血液が逆流するような、骨の内と外が入れ替わるような感覚。

 いつものボロアパート、いつもの妹の顔を見て、なんとか意識は落ち着いていくが……瞬時に異常を隠せる程の余裕はなく。

 俺の顔色を見て、シロネは小さく眉を顰めた。

 

「まだ七時……お兄ちゃん、また魘されてたの?」

「……ああ、そうみたいだ」

「やっぱり。ずっと治らないよね、お兄ちゃんの悪夢(それ)。何が原因なんだろう。ストレスとか? やっぱ帰ってきた方がいいんじゃない?」

「……馬鹿、浜矢家(そっち)に住んでたときも同じだっただろ。何でもかんでも一人暮らしに結び付けるんじゃない。それに、おおかた原因は……」

 

 十年前の事故の心的外傷(トラウマ)、だろう。

 なんて言いかけて、慌てて俺は口を噤んだ。

 ……くそ、やはり寝覚めが悪い。まだ頭が回っていないみたいだ。

 

「……なんでもない。それより、朝飯だろ。俺にも何かさせてくれよ」

「え、いいよ別に。お兄ちゃんはもうひと眠りしてた方がいいんじゃない?」

「いや、もう目は冴えちまった。今は目を閉じてるより、ちょっとでも気を紛らわせたいってカンジなんだ」

「うーん、ならいいけどさー……」

 

 何となく心配げなシロネを押し切って、俺はベッドから脱出する。

 十二月に入り冬の冷気は強まるばかりだが、今はその鋭さがありがたい。

 

 そうして顔を洗う際……俺は手袋を外した右腕に、意識的に冬の冷水を浴びせた。

 切り付けるような白い水道水は、肉を震わせ骨まで染みる。

 なのに……何故だろう。

 右腕に残る灼熱の錯覚は、こびり付いたみたいに取れなかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 そんな朝でも時間の進みはいつもと同じ。

 普段通り、冬の通学路を往く。

 悪夢の残り火は頭に響くが、とはいえこんなことで学校を休むわけにもいかない。

 

 白い朝。

 馴染みの道。

 いつも通りの三辻坂(ミツジザカ)

 けれど……今日は何故だか落ち着かない、というか。

 電柱の影、路上駐車した車の裏、細い路地……そんな、些細な物陰がどうにも気になる。

 怯えている、と言ってもいい。

 だが、どれだけ物陰を注視しても、見覚えのある道を睨んでも、そこに俺が恐れる『色』はへばりついてはいなくて。

 そのことに安堵と不安を同時に抱きながら、十分程度の旅路は終了。

 見慣れた校門が見えてくる……。

 

 ―――風が吹いて、淡い黒が翼のように広がるのを見た。

 は、と呼吸が止まる。

 世界が褪せながら押し寄せてくる。

 見慣れた三辻高校の校門。

 その前に、俺が目覚めたときから恐れ続けた/探していた、その女、が。

 

「―――結生(ユウキ)、フェリア」

 

 そんな名前の、淡い黒髪の美しい/悍ましい少女は……誰かと待ち合わせでもしているみたいに、何でもないように校門の前に佇んでいた。

 佇まいはやはり花のように。

 冬景色にあってなお白い横顔は、絵画から飛び出してきたようだ。

 

 と、俺の視線に横のシロネも気付いたらしい。怪訝そうな声が隣からする。

 

「? あれって確か、噂の転校生だよね。あの(ひと)がどうかしたの? お兄ちゃん」

「……い、いや」

 

 頭を振って、衝撃から脱する。

 

 ……なんだよ、やっぱりただの悪夢(ユメ)じゃないか。

 だって、彼女は―――結生フェリアはこうして生きてるんだから。

 だから俺が見たあの光景は、幻以外の何物でもない。

 この右手()に残る感触も、脳が生み出した錯覚に過ぎない。

 だから、何も驚くようなことはないんだ。

 

 そうやって。

 俺は校門の前に立つ彼女の姿に、夢で見た傷が無い事を確認して―――。

 

 ―――目が、合った。

 

 違う。目が合ったんじゃなくて、彼女は最初から俺を探していた。

 それが分かった。

 でも……その理由はどうしてだ?

 ……分からない。

 ともかく、結生フェリアが動いた。

 彼女は俺を見つけると、その淡い黒髪を揺らしながら、一直線に俺のもとまでやってきて。

 

「―――失礼します」

「え」

 

 問答無用。

 距離がゼロになるや、結生フェリアは有無を言わさず俺の右手首をがしりと摑んだ。

 そうして止める間もなく乱暴に、彼女は俺の手袋(おまもり)を外す。

 

 ――――――白日の下に晒される、醜悪。

 

 それは、たまたま()の形で固まった溶岩のような。

 腐った奇形の根菜にも似た、五指が付いているだけの奇怪なオブジェ。

 十年の付き合いになる俺ですら、一瞬自分の(モノ)だと受け入れられない、異相。

 

 指先から肘まで続く、黒赤のマーブル状に爛れた皮膚。

 焦げたような、という比喩が真実である火傷痕は、十年前から微塵も変わっちゃいない。

 衝撃によって変形した爪は、枯れた木の枝を思わせる醜怪。

 所々に残る何針も縫った痕跡(ステッチ)は、不格好な継ぎ接ぎの人形のようだ。

 それは、指どころか人体機能が損なわれていないのは君の人生最大の奇跡だ、とまで医者に言わしめた、見るも無惨な腕の残骸。

 

 余りにも醜い、直視した者の目を穢すような、十年前の事故の証明。

 三度の皮膚移植も全てが無駄。術が成功しようとしまいと、この腕は一晩と経たず同じ傷痕(すがた)を取り戻して、俺と医者たちを絶望させた。

 曰く―――現代医学では解明できない、魂に負った(トラウマ)、だとか。

 

 悪魔に呪われたとしか思えない、この世で最も醜い(カタチ)

 あるいは御伽噺における悪竜の腕とは、このような外見をしていたのだろうか。

 

 ―――けれど。

 たとえ真実世界一醜い腕だろうとも、結生フェリアは()()()()では眉一つ動かさぬだろう。

 それが彼女の在り方。

 愛することしか知らない精神の異形。

 だから……彼女が深刻な表情を作ったのは、きっと全く別の理由だった。

 

「……そんな。『病巣』が、無い?」

「?」

「これは、()()()()()ではないですか。あの魔剣の性能は最低でもステージIVでないと有り得ない……ですがそれなら、病巣が表層に露出していないハズは……」

 

 ブツブツと、何事かを呟く結生フェリア。

 自問自答するような、殆ど聞き取れない小声。

 俺はそこに不穏の気配を感じ、思わず問い返そうとして―――。

 

「―――あんた、誰。わたしのお兄ちゃんに何してんの」

 

 隣から殺意さえ籠った低い声がして、閉口せざるを得なかった。

 

 声の主はシロネだ。

 彼女は俺の手首を掴んでいた結生の腕、その手首を更に掴んで捻り上げた。

 解放される俺の右腕。

 だが、俺は既にそれどころではない。

 ああ、十年一緒に過ごしたから分かる。

 シロネは今―――俺ですら慄くほどにブチギレている。

 

「! 貴女は、」

「いいから答えろ。どんな理由があってこんな事してんの。答えないってんなら別にいいよ。カラッポの脳ミソか役立たずの声帯、要らない方をわたしが貰ってあげるからさ―――」

 

 ……いや、ちょっとキレ過ぎじゃないですかシロネさん?

 傍から見ると怖過ぎですよあなた。

 

 そして何より怖いのが、声には因果応報の響きが乗っていること。

 あいつは俺の手袋を、俺にとっては思考や声に匹敵するレベルの貴重品であると認識しているらしい。

 ……まあ実際、こうして手を晒している状況は、俺にとって裸でいるのと同じくらい辛かったけど。

 それでもシロネの怒りようはちょっとやりすぎで、俺は慌ててふたりの間に割って入る。

 

「まあまあ、落ち着けってシロネ」

 

 出来るだけ軽く言って、シロネに掴んでいた手首を離させる。

 

 怒ってくれたこと自体はわりかし嬉しかったりするのだが、とはいえ暴力沙汰とかはやめて欲しい。

 なにせシロネは意外と喧嘩っ早いし。

 俺のせいで優等生(シロネ)の経歴に傷が付いたらとか考えると、想像しただけで恐ろしいし。

 

 どうどう、と怒髪天の妹を制止し、たぶん大丈夫と判断して俺は結生さんに向き直る。

 

「えっと、シロネがごめん。ただその、『コレ』は、俺にとってもあんま見られて気持ちのいいモンじゃないというか……そっちの事情は知らないけど、もうやらないでくれると助かる」

「……ええ、そうですね。私の勘違いだったようです。申し訳ありませんでした」

 

 素直に頭を下げてくれる結生さん。

 その態度からして、今回の件は何らかの行き違いによって起こってしまった不運な事故だろう。

 なので、彼女がそのまま去ってくれたことは、俺にとっては一安心だった。

 

「マジなんなのアイツ。そういえばさぁ、昨日お兄ちゃんが学校で吐いたのって、確かアイツのせいだったって噂で聞いたけど、本当?」

「いや、せいというか、俺が百パー悪いというか……」

 

 うん、だって今から、俺はこの荒ぶる妹を鎮めなければならないからね……。

 と、義憤にファイアーしていたシロネが、去っていく結生の背を見つめながら不気味なくらい静かに呟く。

 

「……ねえ。お兄ちゃん、あの女とどういう関係?」

「え? どういうったって……昨日初めて会った、隣の席の転校生だよ。それ以上でも以下でもないっつーか、お互いこれ以上仲良くなりようがないっつーか……」

 

 おや、思ったより冷静で居てくれたか? なんて思ったのも束の間。

 シロネは優等生にあるまじき昏い薄ら笑いで、一言。

 

「―――なら、いいよね」

 

 前言撤回、全然冷静じゃねえじゃんかおまえ。

 

「いや何がいいんだよ、顔怖いぞおまえ……! 手袋を取り返してくれたことには感謝するけど、妹が暴力沙汰とか、義兄(きょうだい)としてちょっと見過ごせないぞ……!?」

 

 ……やはりシロネは喧嘩っ早いというか、激情家の一面がある。

 何というか、自分の側に正義があると思うと暴走する傾向にあるのだ、こいつは。

 たぶん勢い任せで復讐とかしちゃうタイプ。確証はないけど。

 なんで、一応でも兄の身としてはちょっと気が気でないと言うか……。

 

 と、そんなシロネがこちらを凝視していることに気が付いた。

 

「? なんだよ」

 

 何か文句があるのか、と思ったら……彼女は呆然とした顔で、ぽつり。

 

「今、『妹』って」

「あ」

 

 慌てて口を押える俺。

 未だに「お兄ちゃん」呼びを誇示するシロネに対し……血縁もなく既に家も出た俺は、あんましシロネの事を「(きょうだい)」とは扱わないようにしていた。

 それがずっと不満だったのだろう……久しぶりの俺の失言に、シロネはにんまりと上機嫌に。

 その表情に満面の花を咲かせ、「妹って言ったー」などと歌いながら、にこにこふわふわと小躍りしている。

 

「……」

 

 ……ああ、だから普段は控えているのだ。

 こんなちょっとしたことで満面の笑顔になられても困るしさ、正直。

 

 

 とはいえ、そこでほのぼのして終わりではないのが浜矢シロネ。

 彼女は唐突にこちらを振り向き、白々しいほどのにっこり笑顔で首を傾げる。

 

「……ところで。何で『暴力沙汰』って決めつけたのかな、お兄ちゃん? わたしまだ何も言ってなかったよね?」

 

 おっと、俺も地雷を踏んでいましたか。

 とはいえ妹よ、これについてはおまえの自業自得と言いますか。

 

「いやその。だっておまえ前科あるじゃん」

「むぐ……っ! アレはその、わたし悪くないから! ああもうっ、絶許すまじ黒山(クロヤマ)ムシロ……!」

 

 俺が『三辻の黒蝮(くろまむし)・衝撃の三顧の礼事件』のことを言ってやると、当事者―――ある意味被害者であり絶対的加害者でもある―――のシロネは主張の正当性を失い閉口。

 そのまま行き場を失った怒りを込めて拳を握り締め、あの時のストレートを思わせる仕草(いきおい)で脳内のクロヤマをサンドバッグにしていた。

 うーん、何という八つ当たり。

 珍しく俺に言い負けたからといって暴力はどうかと思いますよシロネさん。

 

 いやまあ、何といいますか。

 これでは、俺がシロネ相手に珍しく勝利を収めた、というよりも……どちらかというと、この場に居ない悪友のひとり負け感が凄いのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 そんな訳で、その日の昼休み。

 俺の説得により辛うじて命拾いしたことも知らない不良の黒山(クロヤマ)ムシロくんは、いつも通りの呑気なニヤケ面で俺に話を振ってきた。

 

「なぁカイリ。オマエ、『マサキ』って知ってっか?」

「? ナニソレ」

 

 その時、俺はいよいよ来週に控えた期末テストのこともあり、弁当を食べながら英単語記憶用の音声などをイヤホンで聞いていたのだが……この悪友はそういうのをまるで気にしない。

 まあ、遠慮がない間柄なのはいつも通りだし、俺もイヤホンを外すが……今回は殊更に脈絡が無いというか。

 なるべく手短に頼むぞ、という俺の視線に気付いているのかいないのか、クロヤマはスマホを揺らしながら実に楽しそうに語り出した。

 

「ヤ、昨日あたりからネットで流行っててさー。

 何でも、夜道に『マサキ』と名乗る何者かが現れるんだとか。ただ、名乗る名前は一緒なんだが、ソイツの姿は毎回違うらしいワケ。見るヤツによって証言が変わって、『マサキ』はスーツ姿の若者だったとか、腰の曲がった老人とか、あるいは小学生くらいの子供だったー、なんてハナシもある」

「……? なんだそれ、新種の怪談か? 口裂け女みたいな。で、その『マサキ』クンがどうしたんだよ」

「まあ落ち着けって、こっからが肝心の部分でサ……つまり、その『マサキ』に会っちまった人間は、体を()()()()―――つまり乗っ取られちまうんだよ! だから『マサキくん』の外見は、証言が一致しなくなるほどに変幻自在ってワケさ―――!!」

 

 オーマイガー! なんて両手を広げ叫ぶクロヤマ。

 ……いや、あの。それで終わり?

 

「……あのさ、クロヤマ。その怪談? 都市伝説? が一体どうしたって言うんだよ」

 

 そう思わず口を挟めば……クロヤマはがっくりと肩を落として、そうしてようやく核心に入る。

 

「……バカだな兄弟。そしてノリもリアクションも悪いな兄弟。

 あのサ。つまり、『遂に辻斬り犯が馬脚を露した』ってハナシだぜ、コレ」

 

 ……また『辻斬り』か。

 どうやらかの事件は相変わらず、クロヤマのような趣味の人間にとって、日々の退屈を紛らわす最高の刺激(スパイス)のようだ。

 

 しかし……人の体を奪い取る怪人が犯人、ときたか。

 

「……呆れたよ。SNS上でのこととはいえ、実際に被害者が出てる事件を怪談として消費するなんて、不謹慎にも程がある。就職とかに響いても文句言えないぞ、それ」

 

 正直、真面目に付き合う価値もない。

 タイミングがタイミングだし、必然俺の「ノリ」とやらも悪くなる。

 

「そもそも、会うたびに姿が変わる人間、なんて信じられるもんか。どういう仕組みなんだよ、ソレ。人の皮を剥いで()()()()みたいにしてるとでも言いたいのか?」

 

 言えば、グロい想像するなー、なんてケラケラ笑ったあと、クロヤマは何でもないように言った。

 

「バカだなーカイリ。こういうのを信じるのは、そっちの方がオモロイから、ってだけで充分だろ?

 ただでさえ現実ってヤツはつまんねーコトばっかなんだし、残った余白も爆速で埋められていく時代なワケなんだしサ。そんな中でギリギリ残った空白くらい、面白い(こたえ)を採用するべきじゃん?」

 

 そうやって軽薄に笑うクロヤマの言葉は、けれど何となく、怪談ほど無碍には出来なかった。

 それは現代人特有の感覚、というか。

 

 現実は正直つまらない。

 なにせこの世は、とっくに終わりが見えている。

 止まらない不景気に少子化、顕在化しだしたインフラの劣化。

 ネットは悪事を暴けども正しはしないし、いくら検索せども幸せになる方法は出てこないし。

 国際情勢は悪化するばかりで、この調子だといつ地図が書き換わっても不思議じゃない。

 そもそも自爆スイッチ握った人間があと何年、星を滅ぼさずに居られるのか。

 そうでなくとも採れる資源に限界はあるし。

 太陽は50億年後に爆発して地球も粉々だし。

 何なら宇宙じたい、そのうち無くなってしまうらしいし。

 

 真面目に生きれば救われるとも限らないし、どんな成功したって百年後には墓の下だし、天国も転生も無いらしい。

 そんな風に、全てを(つまび)らかにネタバレされた俺たちは……あるいは、まだ残っている謎の中にこそ、退屈さの穴埋めを求めているのかもしれない。

 

 例えば、『都市伝説』。

 明らかに嘘っぽいけれど、「もしかしたら本当かもしれない」話。

 それはこの枯れきった現代に赦された、最後の幻想(ラストファンタジー)なのかもしれなかった……。

 とはいえ。

 

「……ま、何を信じるかは自由だけどさ。俺は今忙しいんだ。勉強の邪魔をするなら、それなりに価値のある話題にしてくれ。テストに出てこない都市伝説の話じゃなくて、教科書のここだけは押さえといた方がいいぞ、みたいな」

「……うわー、クソつまんねーの。ナニ、そんなに成績が欲しいのかよカイリ」

「当たり前だろ。いい加減、おまえやシロネに言い返せるだけの点を取らないといけないし」

 

 言って、英単語とその和訳を垂れ流すイヤホンを付け直す。

 そうだ。俺は都市伝説などに興味はない。

 だってそれは大抵が不謹慎というか、実在の事件を茶化す形で展開されるモノが多いからだ。

 なら、それに熱を上げるのは間違いだろう。

 猟奇事件は警察に任せておけばいい。

 

 俺たちが熱中するべきは、やはり目の前の学校生活。

 要するに……間近に控えた期末テストに、雑談すら身が入らない俺なのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ―――その日の夜。

 バイトも無かったので早めに帰り、いつにも増して必死の勉強をこなす。

 正直、俺は頭のデキが余りよくない。

 一度見聞きすれば覚えられるなんて夢のまた夢、というか。

 たぶん、記憶力というより集中力が低いんだろう。

 ぼーっとしている、というシロネの評価はやはり正しい。

 それは、残念ながら今日も同じ。

 いや、むしろ普段より少し酷かった気さえする。

 そんな自分の性質と喧嘩しながら、要領悪く課題を終え。

 余った時間で教科書の例題を解いたり赤シート式の暗記などをしているうち、瞬く間に一日の残り時間を使い切った。

 食事などの生活は合間に済ましている。

 時刻は二十三時。

 今寝れば、今日の勉強はそこそこ定着してくれるだろうか。

 祈るようにベッドに入る。

 そうして、脳の疲労もあってか。昨日見た悪夢などは殆ど忘れ、俺は至極素直に眠りの世界に墜ちていった……。

 

 それから数十分か、あるいは数時間か。

 ……喉の渇きで、目を覚ました。

 

「……、ァ」

 

 意識は暗闇の中で明瞭に。

 そのまま眠ろうと思ったけど、何となく眼が冴えている。

 いや……喉の渇きが辛くて、目を閉じても眠れないんだ。

 

 渇く。

 喉が渇く。

 それに空腹だ。

 満たされていない。

 カラカラで、息苦しい。

 カラダが燃えてるみたいだ。

 右手が叫んでいるような、錯覚。

 

「……っ、ぃ」

 

 ―――水が飲みたい。

 

 とても寝ていられなくて、茫洋としたまま体を起こす。

 ぱさり、布団が擦れる音。

 部屋は暗い。

 外は昏い。

 誰もが寝静まっている。

 世界が目を閉じている。

 くらいクライ夜の淵。

 窓の外には赤い月。

 

「……み、ず」

 

 ―――水が飲みたい。

 

 渇きに、そう思わされた。

 布団から出て歩き出す。

 ぺたん、ひたひた。

 夜は水底に似ている。

 冷たくて、寂しくて、静寂に圧し潰されそうだ。

 冬は凍り付いている。

 渇いて、つるりとして、鋭い夜気は痛いくらいだ。

 それでも、俺は歩いている。

 すぐに扉の前に辿り着く。

 ひんやりと。

 氷みたいに冷たくて硬いドアノブの感触。

 

「……、?」

 

 なにかが、へんだ。

 だってこれは蛇口じゃない。

 ここは扉で、流し台じゃない。

 がちゃがちゃと、どれだけ捻っても水は出ない。

 出るのは俺だ。

 このままだと外に出てしまう。

 ……うん、そうだ。忘れていた。

 外に出ないとだめだった。

 だって。

 

 ―――ダッテ、俺が欲シイのは水じゃナクテ。

 

 がちゃん。扉を開ける。 

 雪崩れ込んでくる冷たい風が心地いい。

 冬の夜は死体みたいだ。

 動かなくて、ひんやりしていて、いつまでだって触れてイタイ。

 ……でも、やっぱりヘンだな。

 昼間はあんなに寒かったのに。

 どうして夜の冷たさは、こんなにも気持ちいいんだろう。

 

「……ぁ」

 

 そうか。

 なんだ、簡単なことだ。

 俺のほうが燃えているんだ。

 右手(カラダ)が熱くて暑くて堪らない。

 だから、夏の氷が気持ちいいみたいに、こんなにも冬の夜風が心地いいんだ。

 

「―――ぁ、ハハ」

 

 ああ、燃えていく。

 全身の贅肉が蒸発し、炭化した筋肉が収縮する。

 喉は引き攣り枯れ木になる。

 瞼は焼失し目から火が出る。

 脳すらどろりと溶けて、融けて。

 解けた(ダレカ)は、そのまま右腕に呑み込まれる。

 渇く、渇くと声は言う。口だった右腕(モノ)がギチギチと喚く。

 ああ、そうだな。

 ()()()()()()()()()()()()()()()―――。

 

 

「―――止まってください」

 

 

 ばちん、と。

 火花みたいな眩暈がして、俺はようやく()()()()()()

 

 冷たい風が、身構えていなかった体を芯の芯まで凍えさせる。

 そこは布団の中じゃなくて。

 玄関前、安アパートの外廊下。

 

「……あれ。俺は、どうして……」

 

 どうして外に居るんだろうか。

 しかも寝間着ではない。

 いつの間にか、右手の手袋さえ外している。

 だが、その経緯がまるで分からない。

 まるで夢だ。

 さっきまで確かに何かをしていたハズなのに、どうにもソレが思い出せない……。

 

 どこか魘されるような頭痛に頭を押さえる。

 そんな俺を哀れむように、背後から女の声がした。

 

「やはり、貴方は『魔剣病』を発症していますね……草薙、カイリ」

 

 それは……俺を目覚めさせた、声。

 振り向く。

 とたん、冷たい風が一陣吹いて、俺の視界で黒金(かみ)が踊った。

 

 それは、俺の知らない黄金の美。

 夜をふたつに裂くように、結生(ユウキ)フェリアがそこに居た。

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