簒奪魔剣/Sickness. Sword. Successors. 作:龍川芥/タツガワアクタ
車に乗るのが嫌いだった。
一トン超の鉄の
対向車線とすれ違うたび、自分の心胆は静かに凍る。
日本の自動車事故の発生確率は、約〇・四パーセント。
更に死者が出る確率はその百分の一程度。
皆が安心する統計は、けれど自分にとって、何の意味も持たないおまじないだった。
だって、それは可能性を排除できてはいない。
ゼロじゃないということは存在するということ。
ホラ、次の瞬間にも、横腹に暴走車が突っ込んでくる―――。
本当に、この世には「死」が溢れている。
通学・通勤路―――自動車事故、電車事故、通り魔、落下物、転落、落雷。
学校や職場―――いじめ、暴力、病気感染、プール、屋上、首切り、人間関係。
自宅―――家庭内暴力、不慮の事故、強盗、火災、倒壊、首吊り、一家心中。
そして、どこに逃げても追って来る―――病、老い、天災。
死なない、と保障されている時間は一秒だってない。
次に踏み出した床が抜けない確証はどこにもない。
それが死だ。
それがこの世界に生きる上で、決して拭えない恐怖と苦痛だ。
いつ死ぬかは死ぬまで分からない。
/安心できない。
みんなは気にもせずに笑っている。
/理解できない。
一秒後、心臓が発作を起こさない保証もないのに。
/それが怖くて、眠れもしない。
自分には、人というものは余りにも脆く感じられて。
いいや、あるいは。
世界それ自体が、自分にとって、耐え難いほど脆かったのだ。
たった数ミリパーセントの可能性すら、自分は受け入れられなかった。
だって、万が一、億が一死んでしまったら……それは取り返しがつかないのだ。
死者は蘇らない。
何をやっても、絶対に。
なら、何をやってでも―――あるいは何を棄ててでも死を回避したいと思うのは、生物として当然のことだろう。
外には危険がいっぱいで。
だから部屋から出られなくなって。
でも、この世は死神で溢れていて。
どこに籠城したって、奴が入り込めない場所はない。
だって、運動不足も日光を浴びないのも寝不足も生活習慣の乱れもストレスも、どれもこれも死のリスクを増やすものらしくて。
八方塞がりのどん詰まり。
いや、どん詰まりというよりは、ゴールが決まってしまっている。
どんな
努力したって結果は同じなら、頑張りも怠惰も等しく無意味だ。
ああ、本当に―――なんて救いのない生物だろう。
だって、人間ほど『死』を理解できる生物は居ない。
人は積み上げる生き物だ。
道具、知識、物資―――言うなれば『文明』を、世代を超えて連綿と受け継ぎ、高く高く増築していく、命のリレーを行う唯一の種。
それは、全員でひとつの塔を育てていく果ての無い旅。
要するに、霊長とその他を分けたのは『スタートラインの差』。
他の生物が地べたにぽんと放り出される中、人間だけは生誕時点で塔の一番上に居る―――つまり、先代までの積み重ねを引き継いだ『強くてニューゲーム』状態。
そうやって次代のスタートラインを更新させられる以上、人と獣では、手の届く範囲が違って当然である。
人はそれを希望の物語だと言うだろう。
だが、それは逆だ。
こんな絶望の物語はない。
だって……死がある以上、積み重ねなど逆効果でしかない。
彼方の星すら目指せる文明の高台に生きるが故に、人間にとって死への落差は、ただ生き死ぬ獣の比ではなくなってしまうのだから。
野を駆けるだけの獣たちは、死と平行線に生きているに違いない。
彼等にとっての終わりは躓きと同じで、それは痛いし苦しいけど、最初と同じになるだけだ。
けれど、人間の場合は違う。
文明を積み重ね、知識を積み上げ、彼方の星に届けとばかりに塔を築き上げてきた最先端の
そして何より、そんな末路さえ人は容易に想像できてしまう。
本当に、こんな酷い話があるか。
賢くなれば賢くなるほど、詳しくなれば詳しくなるほど、積み上げれば積み上げるほど……抗うほど、拒むほど、死に対する恐怖は絶望的に増していって。
なのに、決して覆すことは出来ない、なんて―――。
ならば、知性とは拷問だ。
生きている限り逃れられない上、死という
あらゆる
あらゆる
ああ、なんという不均衡か。
必ず死亡する不出来な肉体と、死に恐怖するよく出来た精神。
どちらかひとつでも今と違えば、こんな苦しみはなかっただろうに―――。
以上をもって、自分はその日確信した。
―――命とは、間違いそのものである。
絶望した。
絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した。
絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した絶望した。
これ以上ないほど絶望した。
生という苦しみに絶望した。
それでも自死は選べなかった。
やっぱり死ぬのが怖かった。
―――嗚呼、本当に。
こんな絶望を味わうなら、生まれてきたのは間違いだった。
あるいは、
自分が自分でなかったなら、こんな苦しみもなかったのか。
なら、今からでも自分でなくなってしまいたい……。
……いや。
駄目だ。嫌だ。
既に完成した
知性が自己を認識する以上、それは死と何も変わらない。
だから、この
絶対に死なない生物へ、この意識ごと
……待て。
どうして今まで気付かなかった。
だって、それなら可能だ。
生物の寿命は細胞分裂の回数に限界があるせいだ。
だから誰もが死の運命から逃れられない。
でも、
蝶が蛹に戻ってやり直すように―――精神だけをそのままに、『若い体』にいつでも乗り換えられたなら。
寿命はおろか、病気も、怪我も、何一つ恐れる必要がない……!
無論、それは有り得ない仮定だ。
決して実現しない
だけど、自分は狂喜した。
死を恐れ無様に逃げ隠れるだけだった命が、漸く
「死を克服する」。
その為に生きよう。
そうやって、自分は初めて生きる意味を見つけて。
そうして、自分は。
――――――ある日、黒い蝶のユメを見た。
そうして、自分は『この自分』に成った。
魔剣発症者と人は言う。
「怪物」と、襲われた誰かが泣き喚く。
どれも違うと月夜に
妬み僻む凡愚共を嘲弄する。
今の自分は
人喰いの魔にして、人に紛れた常夜の王。
名を、
人類史上唯一『永遠の命』に辿り着いた、生命悲観の魔剣使いだ―――。