簒奪魔剣/Sickness. Sword. Successors.   作:龍川芥/タツガワアクタ

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草薙戒理/Present-day ③

 

 

 世界三位の経済大国の首都……1400万人が住む東京とはいえ、どこもかしこも軒並み大都会全開、というワケでもない。

 特に都心から外れたここ鶴木(ツルギ)市は、ちょっと豪華な地方都市、くらいの立ち位置に収まっていると思う。

 そりゃあ見上げるほど高い建物はビル・マンション問わず幾つもあるが、それらはしょせん単発の豪華さというか、都心のようにビルの集団背比べなんてとても真似できないというか。

 三辻坂(ミツジザカ)はパッとしない庶民向けの住宅地だし、賑わっている駅前だって、観光客を喜ばせるシンボルみたいな建物はパチモン臭い電波塔(タワー)くらいだ。

 とはいえ、ならば下町情緒で勝負、というような潔い風情があるでもなく……小奇麗に纏められてはいるもののそれ以上の美点はない、という意味で、実に退屈な街がここ鶴木市なのである。

 

 そんな鶴木市の駅前通り。

 商店街と言うにも微妙、繫華街と呼ぶにも微妙だが、ともかく道の両脇に多種多様な店が立ち並んでいる事だけは保証されている……そんな店先看板の大行列の中で、居心地悪そうに縮こまった三階建てオフィスビルの二階が、俺、草薙カイリのバイト先のひとつだった。

 

 

 チクタクチクタク、壁掛け時計は六時前。

 預かっていた猫の世話と引き渡しを終え、やることもないので箒を手に取ったのが十分前。

 狭い事務所の掃除はすぐに終了までの目途が立って。

 俺は箒の柄に凭れるようにして、思ったままを口にした。

 

「……来ませんね、お客さん」

 

 割と失礼な従業員のぼやきに、けれど、窓際の雇用主は平然と頷く。

 

「来ないわねー。迷い猫の受け渡しを除けば、昨日のお昼のが最後かしら。ま、いっぱい来られても困るけどサ……やっぱ立地悪いのかなーウチ。それとも看板? もっとド派手にピカらせるとか?」

 

 名案、と眼鏡を光らせる大人のおねーさん(自称)に、俺はちょっとだけ完成図を想像してから溜息を吐いた。

 

「やめてくださいよ店長。ソレ、なんかいかがわしい店みたいになりません? ただでさえ何やってるか分かりづらい店名なのに、変な客がまた増えますよ」

「それは確かにー……って、ちょっと失礼じゃないかしら草薙(クサナギ)くん? いちおうウチの看板(なまえ)って、私が精一杯頭を捻ったオシャレネームなんですケド?」

「いや、にしたってちょっと捻り過ぎというか、店名から業務内容が微塵も伝わってこないというか。ホラ、この前だって居たじゃないですか、イメクラと勘違いして入って来たオッサン。あんなのばっか来ても困るでしょ? どうです、このさい分かりやすく看板変更(かいめい)とか」

 

 何の気なしの言葉だったが、わりかしクリティカルヒットだったらしく。

 どことなく()()()()()気がしなくもないセーター姿の美人店長は、椅子に座ったまま殴られたみたいに仰け反った。

 

「むぐぅ……ううん、それだけはイヤですー。私はこの店名(なまえ)を看板に掲げて生きていくと決めたのよぅ。そしてこのセンスが分からない従業員は減給対象ですよーだ」

「―――いやあ店長ってばホント凄いなあー。普通なら折れるべきところを突き通すとか、なんてズ抜けたプライドだっ。よっ、ミス常人離れ。従業員の負担を減らす経営者の鏡! 是非俺が卒業するまでそのままの、残念美人で居てください」

「うんうん、そうでしょうそうでしょう……うん? これ私褒められてるのよね?」

 

 あれえ? と顎に指を添え首を傾げる成人女性。

 実に子供っぽい仕草だが、辛うじて色気が勝っているのは恵まれた容姿の賜物だろう。

 

 金に近い明るめの茶髪に翡翠の瞳、両耳には月の意匠のピアス。

 大人のお姉さんと呼ぶに相応しい、大輪の花のような美貌……そこに高級感溢れる銀縁の眼鏡が、知性の輝きをプラスしている。

 モデルとグラドルのいいとこ取りみたいなプロポーションは、セーターとカーディガンなどではとても隠し切れるモンじゃないというか、寧ろ破壊力を増しているというか。

 それこそ鶴木の夜にシャンパンタワーならぬシャンパンマウンテンでも打ち立てられそうな美女っぷりだが……残念ながらこの店は全年齢対象、未成年(おれ)でも働けてしまう怪しいお店なのだった。

 

 鑑定・失せ物探し屋『ムーンドロップ』。

 請け負う業務は美術品の鑑定から猫探し、あるいは浮気調査などに代表される探偵の真似事まで幅広く。

 いわば個人規模の興信所みたいな会社(みせ)なのだが、顧客満足度の高さゆえか界隈では割と有名らしく、『魔眼屋』なんて渾名で言われていたりもするらしい。

 「私、目が良いのが取り得なのよね」……なんて決め顔の店長が思いっきり眼鏡をかけているというのは、ひょっとしてギャグのつもりなのだろうか。

 うん、だとしたら芸人でも食っていけると思う。それが閑古鳥御用達の鑑定士とは、実に才能の無駄遣いだ。

 

 そんな何でも鑑定屋の店長は、多分俺の極めて失礼な内心など微塵も見抜けず、なんとも気儘に微笑んだ。

 

「ま、いいわ。今日は閑古鳥だし、ペットの行方不明も品切れだし。六時半になったら上がっちゃって。ここのところ物騒だから、学生は早めに帰さないとねー」

「……了解です。あ、こっちの机の上にあったお茶菓子、賞味期限切れてたんで捨てときますよ?」

「え、ウソ、そのフィナンシェ? 結構いいとこのなのに……何日?」

「きっちり一週間オーバーです……あ、もしかしてその昨日の客にも出したヤツですか? コレ」

「……よろしい。今すぐ証拠隠滅、もとい、責任を持って店長の私が処理します。草薙くん、パス」

「……いや、いいですけど、偶には自分で取ってくださいよ。俺、店長が椅子から立ち上がった姿を久しく見てない気がするんですが……」

「それはそうでしょう。その為にキミを雇ったんだもの、しっかり雑用してくれなきゃ困っちゃう。あ、フィナンシェ一個食べる? 自己責任だけど」

「……いただきます」

「よろしい。じゃ、その前にお茶入れて来てねー。折角だしお紅茶で」

 

 GO! と犬でも(けしか)けるみたいに、お茶菓子の箱を持ってきた俺に(年齢も考えず)可愛らしく命令する店長。

 なんとも不服な扱いだが、実際雇用契約という首輪を嵌められてる身としては断ることなど出来ず、俺は事務所の端っこにある電気ポッドまで足を延ばすのだった。

 

(……何というか。この一年ですっかり飼いならされた気がする……)

 

 カップにインスタントの粉末を入れ、ダバダバとお湯を注いでティースプーンで混ぜる。

 完成したらお盆も使わず、自分のぶんと一つずつ両手に持って店長へ献上。

 何ともご親切な、小学生でも出来る作業である。

 個人規模の小さな店だし雑用(バイト)なんて要らないんじゃないか、と思うこともあるのだが、なにぶん店長がズボラというかダメ大人なので、安い給料で働く丁稚が手放せないらしい。

 まあ、俺にしても文句はない。

 いくら給料が安いったって、仕事の方も易いワケで……業務内容と東京の最低賃金とを比べると、実のところ、明らかにコスパは破格なのだ。

 ちなみに比較対象は掛け持ち中の全国チェーン店。飲食ってときに戦争です。

 

“ホント、店長(このひと)と知り合えてよかった―――”

 

 お茶を差し出すさい、つい漏れてしまった生暖かい視線には珍しく気付かれたようで。

 妙齢の美女―――否、残念美人属性のお姉さんは、賞味期限切れのお茶菓子をぱくりと上品に摘まみながらも、頭上に「?」マークを浮かべた。

 

 月宮(ツキミヤ)店長。

 月の瞳を持つ名探偵……という称号が欲しいらしいペット探しの達人さん。

 そんな我が雇用主は、どうやら洋菓子だけではお茶請けには足りなかったらしく。

 指で丸メガネの位置を調整しながら、茶飲み話がてらお気楽に話しかけて来た。

 

「そうだ、草薙(クサナギ)くん。キミさ、勉強はいいの? 期末試験、近いんじゃない?」

 

 ぴたり。

 のんびりとした雇い主の質問に、危険物(フィナンシェ)処理の手が止まる。

 ……全く、今日何度目だこの話題。

 会話の糸口として使いやすいとはいえ、誰も彼も余計なお世話である。

 

「……お構いなく。試験も試験勉強も、時給を出してはくれませんから」

「いやー、学生時代の勉強なんて、それこそ値千金だとお姉さん思うけどなー。教養は芸の肥やしって言うけど、それは結局どんな仕事にも言えるワケだし。もっと真面目に勉強してればー、って思うことはあっても、勉強しなきゃよかった、なんてコトはないんだぞー?」

「……でも、英語とかはともかく。数学の証明に千年前の外国の歴史とか……あんなのが将来仕事の役に立つとは、とても」

「ま、確かに、学んだ全てが活きるワケじゃないんだけどねー。でも勿体ないわよ? 文字と言葉で知識を自分に取り込めるなんて、今のところは人間だけの特権なんだから。うまく使ってあげないと、野山の獣に恨まれちゃうゾ?」

 

 なら、お金を稼ぐのも現代人の特権だろう、なんて言葉は呑み込んだ。

 なにせ本当にお金を稼ぎたいなら、今は勉強するべきだ。

 要するに生涯年収とかの話。

 店長は意外と口が回る……そうやって反論されるのが分かっている以上、この話題はうまくない。

 なので、俺は紅茶をグイッと呷って話題変更。うん、いける。

 

「普段は夢のない時代だーなんて言ってるくせに、意外と現実主義ですよね、店長」

「そう? 夢想家であれ現実主義者であれ、勉強しなくていいぞ、なんて若人に言う大人は居ないと思うわよ? というか、そんなひと居たらヤじゃない?」

「……それは、確かに」

 

 話題逸らしはあえなく失敗。

 後からやってきた紅茶の苦味に顔を顰めるみたいに、思わずしみじみと頷く。

 

 正しく店長の言う通り。

 もしそんなことを言う大人が居たら、それは単に思慮が常識レベルに達していないか、あるいは悪い道に引きずり込もうとしているかの二択だ。

 それなら、まだ「勉強しろ」と言ってくれる大人の方が、傍に居ると嬉しい先達かもしれない。

 とはいえ……口煩いのや説教臭いのも、同じくらいどうかと思う俺である。

 

「というか、草薙くんはやりたいコトとかないの? それさえあれば勉学にも身が入ると思うケド……ま、あったら苦労しないか、そんなの。

 そう考えるとちょっと倒錯してるわよね、学校教育って。なりたいものがあるからその分野を勉強するんじゃなく、きっちり全教科勉強してからなりたいものを決める、なんて。なぁんか順序が逆さまというか……前提崩壊? 草薙くんみたいな子がちょっと可哀想かも、なんて」

「……」

 

 思わず言い返そうとして口を開いたが、結局言葉は出せないままに口を閉じた。

 だって、俺に(やりたいこと)がないのは本当だったから。

 浜矢(ハマヤ)家への恩を返すため客室を飛び出したはいいものの、未来への展望などまるでない。

 そういう「やりたいことがない」奴こそ広く知識を蓄えておいた方がいいのだと、頭では分かっているけれど……具体的な目標がないというのは、ゴールがどこにあるか分からないマラソンと同じだ。

 自分が今どこを走っているのかも、方角が合っているのかも不明のままに走り続ける、なんて、そんなの身が入るワケがない。

 あるいは。

 やりたいことではないけれど、今の俺に最も知りたいことがあるとすれば……。

 

「――――――『魔剣病』」

 

 思わず漏れた言葉が、事務所の空気を体感で数度は冷やした。

 しまった、なんて後悔するも、今更吐いた唾は呑めない。

 ……仕方ない。思いっきり話題をぶった切ることになってしまうが、良い機会だ。

 どうせなら(一応)頼れる大人に一度訊いてみたかったし。

 

「って、本当にあると思います? 店長は」

 

 そういう風に、俺は続く言葉を繰り出した。

 

 三辻坂を騒がす通り魔事件。

 止まぬ凶行に関連すると噂の精神病。

 そんな病魔について問えば、店長はぎしり、と椅子を軋ませて。

 

「なに? お医者さんになりたいの? 草薙くん」

 

 なんて、ガキでも見るように微笑んだ。

 

「そうじゃなくて……単に雑談ですよ。客が来なくて暇なので」

 

 必然、つい口調は荒くなる。

 俺はこれでも真剣なのだ。

 というよりこの件に関しては余裕がないというか、人一倍危機感を覚えているというか。

 ともかく、まずはスタンスから。

 

「例えば、そうですね。ネットの情報ですけど、『魔剣病』は精神病の一種って言うじゃないですか。心を病んだ人間の体に刃が生えて、それを使って暴れ出す、とか。そういうの、店長的には有り得ると思います?」

 

 普段とは違い、わりかし真面目な声音で尋ねたつもりだったのだが……あんまり伝わっていないのか、店長はやはり紅茶タイム満喫中の菩薩顔。

 

「そうねぇ。草薙くんはどう思うの?」

「……そりゃあ現実的に考えて。精神が病んだら肉体が変形する、なんてのは、ちょっと信じられないというか。どう考えたってナシでしょう。『健全な精神は健全な身体に宿る』、なんて聞きますけど……なら精神が異常になれば身体も異常になるのか、なんて話の()は成り立たないと思います」

「そうね。でもそこは()じゃなくて()()が正解よ、草薙くん。字面だけ見ればそうだけど、『健全な身体だから健全な精神が宿るよ』っていうのがその言葉の本意だから」

「……細かいですね。数学教師ですか店長」

「ごめんごめん、つい。それで『魔剣病』のことだったわね」

 

 おほん、と店長が咳払い。

 やっと『名探偵モード』……もとい美術品鑑定のときの薀蓄垂れ流しモードになってくれたらしい。

 普段より二割増しでデキる女感を増した店長は、指先で空中に図形を描きながら、

 

「それにも通ずる話なんだけど……今草薙くんが言った格言って、実は何も言ってないのと同じなの。だって、精神と肉体って同じ(イコール)なんだから」

 

 なんて、それこそ教師のように語り始めた。

 

「鬱病、統合失調症、双極性障害……ひとくくりに『精神病』なんて言うけれど。それらの病は、別に『精神』という無形のモノが傷付いているワケじゃないの。勿論、よくある『甘え』『根性がないだけ』みたいな意見も大間違い。

 例えば鬱病の場合。まだ原因はハッキリとしていないらしいけれど、可能性としては……ウイルスによる脳の細胞死、ストレス等の要因による神経伝達物質の低下及び脳神経損傷、あるいは遺伝的理由による脳内物質欠乏まで……ともかく事実として、脳という臓器に何かしらの問題が発生している事だけは確かだってハナシ。

 つまり『精神病』というのは、脳の物理的な異常が引き起こす病なのよ」

 

 とんとん、と自身の蟀谷(こめかみ)を指で示す店長。

 その顔はどこか真剣、というか、実在の病気を茶化さないちゃんとした大人のソレだ。

 

「要するに、精神という見えないモノが傷付いているんじゃなくて、脳という有形のモノがダメージを受けて、結果的に動作不良を起こしてるってコト。

 近年の科学に信用を置くなら。人間の精神活動というのは、魂に代表される形而上学的な存在の投射ではなく、寧ろ極めて物理的な……脳内でやりとりされる物質と電気信号とに由来するモノ。つまり、精神(こころ)イコール肉体(のうみそ)、なの。

 だから、『健全な肉体に健全な精神が宿る』んじゃなくて……肉体が完璧に健全なら、その時点で精神も健全なのよ」

 

 ……成程。

 それでは正に、例の格言は意味が無い……ん?

 

「いや、むしろ説得力のほうは上がってませんか? ソレ。だって、精神を健康にしたかったら、やっぱり肉体を健康にしろって意味なんですよね?」

「え。それはー……ウン、そうかも」

 

 歯切れ悪く認めて、こほん、と店長は咳払いをひとつ。

 

「……ともかく。そう考えると、『精神病』なんて括りは本当は無いのかもね。『精神』なんて言っても、結局は脳、肉体の問題なんだから。怪我や病気と何が違うのってハナシでしょう?」

 

 多少強引な着地だったが……ここまでの前置きから、店長の言わんとすることは何となく見えてきた、気がする。

 

「……精神の異常は肉体の異常。なら、『魔剣病』も成立しうると?」

 

 精神と肉体が同じモノなら……精神の異常とは、俺が思うよりもずっと強くに肉体に影響するのかもしれない。

 そう言えば、ストレスで頭髪が禿げる、みたいな話も聞いたことがあるし……それをもっと突き詰めれば、更なる肉体の異常を引き起こす可能性も否定はできない。

 あるいは、順番が逆という考え方もある。

 つまり精神異常の果てに『魔剣病』を発症するのではなく……『魔剣病』という新病を発病したから精神異常になる、という説。

 

 それならば『魔剣病』に説明がつくかもしれない……そう、これまでの説明で思ったけれど。

 だが予想に反し、店長は首を横に振った。

 

「うーん、それはどうかしら。だって精神病は脳が()()しているのであって、何かが()()されてるワケじゃないでしょう? 同じ様に、『減る』のはあっても『増える』のは相当難しいというか、異常の『質』が違うんじゃないかしら。

 例えば精神病の結果、現実を正しく認識できなくなっちゃった人が居たとして。その逆……精神に異常をきたした結果『現実をより精緻に認識できるようになった』、なんて、ちょっと有り得そうにないと思わない?」

「……確かに」

 

 頷けば、でしょう、なんて店長は得意顔。

 そのまま机の上にあった万年筆を手に取り、くるくると指先で弄び始める。

 

「そもそもの話。人間はね、機能を『増やす』必要なんて無いの。だって足りない機能は外付けすればいい……要するに道具で補えばいいんだから。ナイフ一本手に取るのと、体からナイフ状の刃物を生やすのとじゃあ、ちょっと難易度が違い過ぎるでしょう?」

 

 ぴ、と万年筆の切っ先を俺に向けてくる店長。

 その鋭さは正しく、犯人を言い当てるクライマックスの名探偵めいて。

 

「だからこう考えるべきじゃない? 『魔剣病』は体から刃物が生えてくる病気じゃなくて……近くにある刃物を手に取って振り回したくなっちゃう病気だ、って」

 

 そんな論理的推測は、実にそれらしい真実味を以て、俺の心へ確信を刻んだ。

 

 何となく思いだす、朝シロネが握っていた出刃包丁。

 確かにアレを振り回す方が、体から刃物が生えてくるよりはいくらか現実的だろう……。

 

「……何というか。それなら有り得そうですね」

「でしょう?」

 

 にこり、と微笑んで紅茶の残りを呷る店長。

 悔しいが……こうやって何かを説明しているときの店長は、ちょっと名探偵っぽい。

 きらり、銀に光る眼鏡が月みたいだ。

 どんな夜闇(ミステリ)だろうと隠せない唯一無二の真実(ひかり)めいて、その美女は悠然と事務所の窓際に佇んでいた。

 

 そんな店長が、ティーカップから唇を離してふと溢した。

 

「でも、どっちにしろ可哀想よね。病気(そう)まで苦しんで得られる(モノ)が『暴力』だなんて。そんなの何の解決にもならないどころか、むしろ状況を悪化させるだけでしょうに」

 

 言葉は憐憫によるものだ。

 それこそ探偵小説なら、〆の文に使えるだろう台詞だったけれど……個人的に納得いかなくて、俺はつい唇を尖らせていた。

 

「……そうですか? 例えば虐められて鬱病レベルにまで追い込まれた人なら、『魔剣病』を反撃のために使えたりするんじゃ……」

 

 と、我ながら暴力的な意見に流石の店長も呆れ顔。

 

「……あのね草薙くん。そんな環境の人間が刃物なんて持ち出してみなさい。間違いなくお互いにとって碌なコトにならないわよ。傷害、恐喝、殺人未遂……そもそも被害者側だったのに、加害者になってどうするの。自分の方に非が無いなら、胸を張って司法の力を借りないと。そういう正常な判断を失っちゃうのは可哀想よね、ってハナシよ? これ」

 

 いや、店長の言わんとすることは分かる。

 分かるのだが、けれど……。

 

「でも、こう……ああ、こんなになるまで追い詰められてたんだな、ってのは周囲に伝わるじゃないですか。

 精神と肉体は同位って話でしたけど。少なくとも肉体と違って、精神の傷は分かり難い。だから、当人がどれだけ辛かったか、なんて、その人の行動からしか推し量れない。

  なら……俺は、反撃は悪い事じゃないと思いますけど」

 

 そうだ。

 正常な判断、なんて言うけれど、それでは俯瞰し過ぎている。

 人間はそんな視座では生きていない。

 恐怖。萎縮。動揺。心痛。被虐。逃避。

 他者に攻撃された人間の心はどうやったって波立つし、正常な判断力だって失うだろう。

 それに、もしかしたら……このままだと殺される、なんて状況もあるかもしれない。

 ならば、そういう意味でも反撃は重要だ。

 それは自分の()を守る行為であると同時、自分の()を守る行為でもある。

 その為に傷付くモノについては……被害者をそこまで追い詰めたモノが、その責任を負うべきだろう。

 

 店長は、正しく救われないことが可哀想……と言うけれど。それはあくまで部外者の感想というか。

 追い詰められた者達はきっと、どんな形であれ救いが欲しいに違いない。

 そうやって短絡的な道に走ることを、俺たち部外者がどうして誹れようか。

 当たり前の話。

 人に可哀想と思われるのだって、多分それなりに大変なのだ。

 

 そんな俺の憤りをどこまで見抜いていたのか。

 店長は呆れたように苦笑して、ぎしりと背もたれに身を預けた。

 

「もう、どうしてキミはそう好戦的かなぁ。確かにそうかもしれないし、私も河川敷の殴り合いとかわりかし肯定派だけれど……それでも凶器は駄目でしょう。

 だって、ソレは容易く両者の―――加害者と被害者の立場を固定してしまうわ。刃物でも銃でも、凶器を持ち出してしまえば、素手の相手は反撃という選択肢を失くしてしまうと思わない? そうやって被害者側が不利になると、加害者側もよりエスカレートしてしまう。『自分は何をやってもいいんだ』って勘違いしちゃうの。

 傷付ける側と傷付けられる側。その差が明確なほど、凶行は終着点を見失い、引き返せない段階まで簡単に転がり落ちてしまう……行くところまで行っちゃう、ってヤツね。それが不幸なコトだって、草薙くんには分かるでしょう?

 たとえどういう理由があれ……人殺しなんて、誰も幸せにしないんだから」

 

 最後の一節。

 黄昏を帯びて紡がれた韻律に、どきりとした。

 

「……それは、そうかもしれませんけど」

 

 不承不承ながら頷く。

 すると店長は普段のゆるい空気を取り戻し、まるで俺が拗ねてるみたいに優しい声をかけてくる。

 

「別に、何も『戦うな』って言ってるんじゃないのよ? こと法治国家において、暴力っていう戦い方は下の下だぞーってだけ。正義感が強いのはいいけれど、もうちょっとだけクールにね? 草薙くん」

 

 ……ああ、やっぱり、店長は名探偵なんかじゃない。

 だって、俺は『正義』なんて考えてなどいないのだから。

 ただ、俺は……ときたま見る悪夢(ユメ)を忘れられないだけ。

 

 俺が生み出した幻影に過ぎない、怪物を見上げる怯えた表情(カオ)に。

 せめて反撃してくれれば、なんて―――そんな身勝手な妄想(いのり)を上塗りしているだけなのだから。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そうやって、本日のバイトを終えての帰り道。

 

 六時半といえども、冬場なら既に夕陽も(かす)か。

 街を呑み込み始めた夜気は既に体の末端を切り付けるようで、俺は唯一の防寒装備であるダウンジャケットの小さな襟に、無理矢理首を埋めるようにして帰路を行く。

 戯れに吐いてみた白い息が、赤茶けた薄闇に溶けて消える。

 クロヤマ辺りなら歩きスマホなどしていたかもしれないが、俺はそういう行儀の悪さは嫌いだし、何より今ダウンのポケットから手を出すなんて真っ平だ。

 そうやって暗闇を避けるように街灯の下を選んで歩いていると……ふと、三辻坂に戻った辺りで声を掛けられた。

 

「すいませーん。ちょっといいですか?」

 

 時間帯もあり多くの車が往来する交差点で信号待ちをしていた俺に話しかけてきたのは、見知らぬ男二人組。

 とはいえ警戒する理由も、まして怪しむ理由もない。

 

 なにせ二人組の服装は、この時間帯でも一目でその立場を示すモノだったのだから。

 長袖の白シャツに濃紺のベスト。

 頭にはベストと同色の帽子、ズボンも全く同じ色で、トランシーバーやら何やらを装備しているのが分かる。

 そしてトドメに、ベストの胸・背中と帽子にはハッキリと『警視庁』の文字。

 

 要するに、これは。

 

「……聞き込み、って奴ですか」

「おお、学生くんキミ話が早いね。その通り、昨日この辺で起きた事件について、何か知ってる事ありませんか……ってのを、クソ寒い中こうして聞いて回ってるワケっス」

 

 二人組の『警察官』のうち、俺に話しかけてきたほうの警官が白い歯を見せて笑う。

 それ自体は妙に愛嬌のある仕草だが……この警官、随分と若い、気がする。

 下手すると二十歳(ハタチ)前なんじゃなかろうかってくらいの雰囲気。

 少なくともウチの店長よりは年下だろう、笑顔もどことなく軽薄というか、警官にあるべき誠実さが欠けていた。

 

 ただ、そんな彼の後ろで控えるもう一人は別。

 こっちはちゃんとした警官というか、巌のように貫禄がある中年さん……正に警察官のステレオタイプ、現場叩き上げってカンジだ。

 そんな真っ当な方の警官さんが、(恐らく)新人警官の兄ちゃんに太い声を飛ばす。

 

「……おい、ユミハラ。何度も言わせんなや」

「ああそうだったっスわ。ハイ学生くん、コレ僕の警察手帳ね。最近何かとアレですから、一応ね~」

 

 ぱぱっと提示された警察手帳には当人の顔写真と名前など。

 成程、この新人警官は巡査の弓原(ユミハラ)さんと言うのか。

 まあ別に興味もないというか、憶えていてもテストの点は微塵も上がらない名前なので、数分後には忘れているだろうが。

 と、そんな事よりも本題は。

 

「昨日の事件って……例の通り魔事件ですか」

「そうそう、三辻坂の『猟奇! 連続辻斬り事件』。これがもう全然手掛かりなくってさー。こうして僕等三下が、探偵モノのモブ警官ムーヴさせられてるワケで……」

「―――ユミハラ。学生とはいえ部外者だぞ」

「うっす、すいませんタナベさん。謝るんで体罰は辞めてくださいっス!」

 

 ……何というか、大丈夫なのだろうかこの人。

 どうやって面接とか潜り抜けられたのかまるで分からない。それとも警視庁はこんなのまで採用しちゃうほど人手不足だったのだろうか。

 だとしたらすんごい不安である。なにせ現在進行形で三辻坂の治安は悪化中な訳ですし……。

 

 今度警察官の知り合いに訊いてみるか、なんて失礼なことを考えながら質問に答えていると……自分でも気付かないうちに、俺はダウンのポケットからかじかむ両手を出していた。

 

「そっかー、三辻高校ねー。僕の知り合いの娘さんも通ってるよミツコー。キミ彼女いる? いない? そっかー……ん? あれ。学生くん、キミ、なんで片方だけ手袋してんの?」

「あー、これは、えーと……」

 

 目ざとく俺のコンプレックスを見逃さなかった若い巡査さんと、事情が事情なのでちょっとだけ言い淀む俺。

 と、そんな俺を見て、ユミハラ巡査はわりかし意地悪く目を細めた。

 

「あ、ピーンと来ちゃったわ僕。それってさ、もしかしてぇ、手の怪我を隠してる、とか―――」

「いや、まあ、その通りっちゃその通りなんですけども」

「ほほう。ほほーう―――?」

 

 何だろう、こんな人どっかで見たことある気がする。

 ……ああ、そうだ。探偵モノでよくある、間違った推理を自信満々で披露する当て馬探偵にそっくりなのだ。間抜けっぽい言い回しが特に。

 

 と、俺に詰め寄っていた巡査の肩を掴む上司の腕。

 

「……オイ、探偵気取りもいいが、あんまり虐めてやるなユミハラ。ほら、なんだ。年頃はそういうのもあるだろ」

「あの。僕マジメに仕事してんスよ、ちょっと黙っててもらっていいスかタナベさん。んで学生くん、ちょっとソレ取ってもらっていい?」

 

 ユミハラ巡査は顔に似合わず意外と押しが強いというか、上司にも歯向かうガッツ持ちらしい。

 言葉では確認を取っているが、態度のほうは既に有無を言わさずの構えだ。

 彼は何とも楽しそうに、降って湧いた重要参考人を追い詰めてくる。

 

「怪我はいつしたんだい? 昨日の夜? どうして怪我なんかしたんだい? 誰かと取っ組み合いにでもなったりした?

 ああ、それとは全然関係ないんだけど、今の技術って凄くてさあ。ひっかき傷ひとつ、噛み跡ひとつでガイシャの抵抗した痕跡だって照合できんだよね。なんで、ここはひとつ、大人しく怪我を見せてもらえると―――」

「……了解です。はい、どうぞ」

 

 ただまあ、俺としては特に拒む理由もなく。

 要請に従い、素直に手袋を外し素肌を晒した。

 瞬間……期待にキラキラと輝いていた若き巡査の量の瞳が見開かれ、楽しげだった表情は一転真っ青に。

 余りにも予想外のモノが出てきた驚愕と困惑に、その口元が大きく歪む。

 

「うげ、ンだこりゃあ……!?」

「見ての通り、怪我です。まあ十年前の火傷痕ですけど」

「火傷って、コレ何がどうなって……うげ、何でソレで指動かせてんの!?」

 

 正直、俺自身もこの醜い痕を見るのは辛いのだが……今はこう、何というか、「意趣返しをしてやりたい」という気持ちの方が勝っていた。

 ので、右手を更に巡査さんへと近付けてみる。

 

「どうぞ、じっくりご確認ください。この手にひっかき傷とか嚙み跡とかがあるかどうかを。そんで出来ればその最新技術とやらで、俺の腕をこうしてくれやがった犯人を、今度こそ見つけてくれると嬉しいんですが……」

 

 ぐいぐいと、押されていた分だけ押し返す俺。

 腕を細目で確認する視線が持ったのは十秒弱。

 それで限界を迎えたのか、ユミハラ巡査は諸手を上げて降参した。

 

「イヤ、ウン、オッケー了解。お時間取らせてすいませんでした、もう大丈夫ですんでホント! 最近物騒なんで気を付けてお帰りくださいね、ハイ解散!」

 

 勝った。

 でもあんまし嬉しくない。警察を追い払えるほどの醜悪(モノ)が体についてて取れないって、ソレどういう拷問?

 

 と、複雑な心境の俺に対し、逃げ出したダメ巡査と対称的にこちらを慰めてくれるザ・警官さん。

 

「……悪かったな、坊主。あいつ、本当は探偵になりたかったとかでなぁ……」

「いえ、こちらこそマジ生意気言ってすいませんでした。お仕事、頑張ってください。応援してます。

 ……あと探偵って、なろうと思えばなれるのでは?」

 

 実質探偵みたいな某店長の姿を思い浮かべながら疑問符ひとつ。

 ……まあ、職業に就けるのと食っていけるかは別か。

 そういう意味じゃ警察みたいな公務員なんてまるっきり探偵の真逆、一番安定した職業とも言えるワケだし。

 あれで意外と現実思考なのかもしれない、なんて思いながら、俺は去っていくユミハラ巡査とそれを追う上司警官さんの背中を見送った。

 

「……イヤ、マジやべーっすアレ。人間の腕じゃねっす。チックショー、遂にお手柄、俺の時代到来だと思ったんだけどなぁ……うぷ」

「馬鹿野郎。毎度毎度、現実と推理ドラマを一緒にしてんじゃねえぞユミハラ。そもそもあんなナヨい学生が連続通り魔なんぞ出来るもんかよ、ったく……」

 

 ……うん、やっぱり勝ったのに嬉しくない。

 さながら試合に勝って勝負に負けたというか、最初から俺のひとり負けは確定していたというか、でも一応お仕事お疲れ様ですというか。

 俺たちの街を守る警官がアレだと思うとわりかし気が沈むけれど、まあそれもケースバイケースだろう。

 だって……。

 

「……なんていうか。あの二人が主役の刑事ドラマがあれば、ちょっとだけ見てみたいかもしれない」

 

 だってその時のドラマのジャンルは、間違いなくコメディだろうからね。

 

 

 

 世は押しなべてこともなく。

 銃撃戦に発展する凶悪犯罪とか、戦闘機飛び交う紛争内戦とか、そんなのは遠い国だけのハナシ。

 通り魔が半年で十人ほど襲えばビッグニュースになってしまう程度には、今日もこの国は平和であった。

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