簒奪魔剣/Sickness. Sword. Successors.   作:龍川芥/タツガワアクタ

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なんて、最悪な出逢い/Encounter ①

 

 

 その日の始まりはわりかし平凡だった。

 

「おーい、お兄ちゃーん。起きてー」

 

 いつものように俺の部屋に侵入してきたシロネに、いつものように起こされる。

 とはいえ今日は七時半(いつものじかん)ではなく、それより十分早い七時ニ十分。

 目覚まし時計を確認し、十分の前倒しに悲鳴を上げる頭を庇う。

 

「……なんだよ、シロネ」

「ねえお兄ちゃん、そこの棚に入ってた包丁知らない? トーストとフルーツを切るのに使いたかったんだけど、見つかんなくて。この家、包丁はアレひとつしかないでしょ?」

「……ああ、包丁、ね」

 

 成程、用事はソレだったか。

 俺は重い頭を振って上体を起こし、なるべく自然体を装って言った。

 

「それなら昨日、茶色い翅の昆虫をぶった切るのに使っちゃってさ。流石に汚いってことで棄てちまったよ」

「……ナニソレ。虫を思わずぶった切るなんて、お兄ちゃんは名うての剣豪だったの?」

「いや、マジパニックになっちゃって。咄嗟に、といいますか……」

「うーん。そもそもお兄ちゃんって虫系平気な人だったよね? よくお母さんに頼られてたじゃん。それがパニックって……なーんかヘンだなー」

「な、何が変なんだよ。それより、そんなに包丁が必要な料理なのか? 今日の献立は」

 

 鋭いシロネにこれ以上考察させるものかと話題を逸らす。

 と、目論見は成功したようで、シロネは安アパートのボロキッチンに似つかわしくない高貴な料理を指し示した。

 

「ううん、御覧の通り、普通のフレンチトーストだけど……トーストもイチゴも切っておいた方が、盛り付けるときに見栄えがいいじゃない?」

「……なんだよ、なら別に要らないじゃんか、包丁。別に見栄えなんかどうだっていいだろ。そもそも料理して貰ってる以上、出来の良し悪しで文句なんか言わないよ」

「えー、なにそれ。なーんか頑張りがいがないっていうかさ。お兄ちゃんは相変わらず乙女心が分かってない! 具体的には妹をもっと褒めるコト! その為に良し悪しを気にするのです!」

「……でも、文句言ったら怒るだろ、おまえ」

「そこはそれ。改善点を言ってくれるのはありがたいけど、心は理屈とは関係ナシに傷付いちゃうモノなのです。そういうワガママなトコロも広い心で受け入れてよね、お兄ちゃん♡」

 

 ……おまえね。ちょっと可愛いからって何でも許すと思うなよ。許すけど。

 相変わらず無敵の我が義妹(いもうと)に、今日もまた諸手を上げて降参する駄目兄貴。

 とまあそんな風に、その一日はわりかしいつも通りに始まった。

 

 でも、嵐の前が静かなのは当然の事で。

 その日が決して忘れられない日になることを、この時はまだ知る由もない俺なのだった―――。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ―――俺含む三辻高校の生徒にとって。

 その出来事は青天の霹靂ならぬ、真冬に見る花吹雪そのものだった。

 

刀塚(カタナヅカ)から転校してきた、結生(ユウキ)フェリアです。短いお付き合いになるかもしれませんが、今日から宜しくお願いします」

 

 そんな風に丁寧な挨拶を済ませ、彼女はぺこりと腰を折る。

 カーテシーでこそなかったものの、クラスの全員が中世のお城のお姫様を想起(イメージ)したに違いない、正に完璧なお辞儀だった。

 教壇の横、黒板を背に淡い黒髪が踊る。

 白墨(チョーク)で書かれた『結生フェリア』なんてふざけた文字列は、けれど教科書よりも真面目な筆跡(カオ)で、胸を張って教室全てと向き合っていた。

 それは、日常に放り込まれた異常。空気(いろ)の決まり切っていた教室に不意に飛び込んできた、全く別の雰囲気(いろ)を持つ一滴(だれか)

 

 ―――要するに、彼女は『転校生』だった。

 

 その日。

 十二月になったばかりの教室は、余りに季節外れの春の乱入(におい)に、いっそう凍り付いてしまっていた。

 彼女の横の教壇で、若い担任教師も困った表情(カオ)

 とはいえ、それも無理なからぬことだろう。

 普段は持て余し気味なほどに元気な一年三組の教室が、今は水を打ったように沈黙して、そのまま時間を停止させてしまったのだから。

 

「……えー、っと。刀塚からの転校という話ですけれどもね、結生(ユウキ)さん本人は海外の生まれでねえ。事情があって、こんな時期での転入になったらしいんです。この通り日本語は完璧だから、みんな、あまり構えず気軽に話しかけてあげてほしいんですがね、どうでしょうか……」

 

 取り繕うように付け加えられた補足説明も見事に空回って。それでやっと、教師(カレ)もこの異常事態が自分の手に負えるものではないと気付いたらしい。

 

 それ程までに、転校生の登場は一年三組にとって大問題だった。

 あるいは。

 問題は転校生の登場そのものではなく、転校生が『彼女』だったことに起因するのかもしれない。

 

 俺は―――否、教室じゅうの誰もが、彼女を見る。

 

 背まで伸びた長い黒髪は一抹の乱れもなく。

 それは陽光(ひかり)を透かす黒でありながら、どうしようもなく天使の(はね)休憩(やす)んでいる様を幻視させる。

 瞳は金に近い飴茶色。

 艶やかな睫毛に飾られた宝石は凪いだ湖面のように穏やかで、永い年月(じかん)、人智及ばぬ叡智を閉じ込めた大きな琥珀を彷彿とさせた。

 容姿はもはや言わずもがな。

 男女ともに見惚れるしかできない面貌は、彫刻のような造形美と血の通った親しみやすさという、決して同居しないはずの二種の魅力を、当然のように両立させてしまっており。

 体躯は、それこそ芸術品だった。

 成熟した麗しさではなく、未だ可能性を残した乙女の可憐さがその題名(タイトル)

 肌は白く、手足は均整と完成の()()()で固定され、首胸腰は虫を誘う蜜ではなく虫すら触れられない蕾の様相。けれどその花は蕾の時点で完璧で、見慣れた東高の制服さえ、彼女が着るためにデザインされたものだったのでは……なんて奇跡的な調和を見せている。

 

 そんな淑女(しょうじょ)は、担任の捕捉を受けて、既に微笑んでいた顔を桜の枝のように静かに揺らした。

 

「はい。旧土(フルツチ)先生のおっしゃった通りです。私はこの国に産まれた人間ではありませんが、この通り、意思疎通(コミュニケーション)に問題はないと自負しています。ですから、どうぞ気軽に、気儘にお声がけくださいね」

 

 その控えめな『お願い』に、教室じゅうが聞き惚れる。

 声は清流のせせらぎのように透き通り、(はす)に降るひだまりのように(あたた)かい。

 言葉選びの品の良さは一流の伝統工芸(アンティーク)を思わせる。

 そうやって紡がれる一言一言は、まるで天上の楽器の音色のようだ。

 

 それは、美しかった。

 美しい乙女、美しいひとの理想形(カタチ)だった。

 目も眩まんばかりの華美ではなく、目を慰撫するような優美の結晶(すがた)の自己紹介に、教室はたっぷり十秒間は沈黙(フリーズ)した。

 

 それでも沈黙は十秒だけ。

 否、もとよりその少女は、周囲を圧し潰すような迫力の類は微塵たりとも有していない。

 だから必然的に、驚愕から脱した教室にはまばらながら喧騒が戻る。

 とはいえ、声の殆どは囁くような、転校生に向けてではなく身内に向けて放たれる感動の言葉の類だ。

 彼女に直接声をかけるような勇者は、今のところたったひとりだけ。

 

 そんな、「どうしてこんな時期に転校を?」という掠れ切った勇者(だんし)の問いに―――クラス全員の総意を代弁するような質問に、転校生はただ一言、「家庭の事情です」、とだけ返した。

 その一言でクラス全員が納得させられてしまうほど、彼女の振る舞いは完璧だった。

 

 品のいい、というよりは、楚々としながらも品格の隠しきれない仕草。

 静かに咲く花のような、決して風景以上に主張しない微笑み。

 空間の端まで行き渡るギリギリの声量に抑えられた美声は、復活した教室の喧騒に押され、粉雪のように痕跡を残さず溶けてしまう。

 

 教室でいちばん美しいのに、教室内の空気をちっとも荒立てない矛盾。

 まるで本当に花のようだ。

 美しく凛と立っているけれど、他者を傷付ける要素がどこにも見当たらない―――という意味での完璧。

 

 万人に受け入れられるための理想の姿(カタチ)は、そうやって、我らが一年三組の教室に姿を現した―――。

 

「えーと、それじゃあ……結生さんの席は、今空いてるそこでいいかな。いいよな、草薙(クサナギ)?」

「え?」

 

 急に名前を呼ばれ、間抜けな声が漏れる。

 主役を見つめる観客気分だった俺に不意打ちで向いて来た話題の矛先(スポットライト)

 それは俺に原因があるのではなく、俺の座っている席に起因するものだと、弛み切った意識がなんとか理解する。

 

 俺の席は教室の一番端、教壇から最も遠い窓際の席。

 一年三組において、机は縦六列・横六列になっており、横最後列である六列目には窓側・廊下側ひとつづつの計ふたつしか机がない。

 そんな最後列の窓側が俺・草薙カイリに与えられた席。

 だがそれは昨日までの話で。

 今日は登校したときから、その情報に更新があった。

 そうだ。主観では百年前くらいの出来事だが……確かに数分前まで、どうして昨日までなかった机と椅子が俺の席の隣に現れたのか、なんて、不思議に思っていたっけか。

 

 そんな疑問の解答は、花吹雪みたいに現れて。

 今、俺の隣に腰を下ろした。

 そして、彼女はそれが当然とでも言うように、唯一の隣席である俺に向かって座ったまま小さく会釈する。

 

「これから、よろしくお願いしますね」

「え、あ、ああ……よろし、く?」

 

 未だ空白の理性に代わり、培った反射が勝手に返事。

 それを揺るがぬ微笑みで受け止めて、転校生は周囲を見渡すように、自分に注目する他の生徒たちに視線を使って挨拶を返した。

 

 やはり、横顔は風にそよぐ花のように。

 誰も傷付けぬよう、誰も悲しませぬよう、やわらかにやわらかに笑っている。

 

「……」

 

 思わず、口元を歪める。

 言葉にならぬ思考未満の感情のうねりを、恥じるように、間違えて刻んだ解答を消しゴムで消すように、じっと奥歯で噛み殺す。

 それでも死に切らなかった感情の残滓が、俺の舌に苦味となってへばりついた。

 

 

 ……ああ、何故だろう。

 こんなにも完璧なのに。

 こんなにも完全なのに。

 こんなにも、目を奪われるのに。

 

 野花のような彼女の在り方は、どうしてか、俺の目には酷く痛ましく映った。

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