簒奪魔剣/Sickness. Sword. Successors. 作:龍川芥/タツガワアクタ
―――そうして話は、
昼休み、いつもの屋上で。
俺はいつも通りにありがたいシロネの手作り弁当を黙々とつまみながら、その人物が戻ってくるのを待っていた。
もう、殆ど弁当の中身が底をついたころ。
がちゃん、と。屋上の鉄扉が開いて、待ちわびた英雄が帰還する。
現れた黒い長身に、俺は出来るだけ軽口を意識して声をかけた。
「どうだった?」
「……」
「おい、クロヤマ。そんなに手酷くフラれたのか?」
それが「オレ、ちょっと転校生口説いてくるわ」―――なんて真剣な面持ちで呟いて旅立った、愛の勇者様のご勇名である。
時間にして約二十分の死闘。その結果を問えば、彼はあまり見せたことがない、初めて見せるくらい弱弱しい態度で自嘲的に笑った。
「……ハ、まさか。蝶よりも優しく袖にしてもらったよ、実際」
「……そりゃあ、また。ご愁傷様?」
クロヤマのそんな表情が珍しくて、俺の返事も歯切れが悪い。
黒山ムシロと云う男は、周りが言うようなクズではない。
特に、失敗を引き摺らない所が常人にない美点だと俺は思っている。
俺はクロヤマほど潔い男を知らない。
なにせ彼は入れ込んだ女にフラれようが、三秒後にはケロリとして新しい恋を探しに行く男だ……まあ場合によってはただの気の多いクズなのだが、そこはそれ。
ともかく切り替えが早いというか、友人にするには気持ちのいい性格をしている。
だが……今日の黒山ムシロの表情には、そういうスッキリとした部分が無かったというか。
がしゃん、と乱暴にフェンスを揺らして俺の隣に座るまで、彼らしい軽口のひとつもなかったのは、もう前代未聞の異常事態だった。
横目でクロヤマの顔を見る。
彼の視線は、十二月の曇り空、鉛色の天蓋に固定されていた。
そのまま、彼は本当にらしくなく。
顔も向けないままにぽつり、呟く。
「……。ナァ、カイリ。ちょっと愚痴ったりしてイイか?」
「……なんだよ、いつになく女々しいな。というか、そりゃあダメだろう。ここに居ない人間へ不評を漏らすなんて、そんなのはフェアじゃない」
答えれば、彼は「ふはっ」と、空気が抜けるみたいに笑った。
俺の他人事な声色―――つまりいつも通りの調子が、彼の調子を少しだけ復活させたらしい。
なので彼もいつも通り、俺の意見なんて気にしなかった。
「フェア、ね……安心しろよ兄弟。そういう意味じゃ、あの転校生は間違いなく
珍しく、本当に珍しく女性の側から離れた
黒山ムシロ。
俺とは高校入学を機に知り合った悪友にして、現代日本では絶滅危惧種となった、何の躊躇いもなくナンパに興じるレベルの女好き。
アレは本当に衝撃だった……それも物理的に校舎が揺れる系の衝撃だった。
いやホント、もし当たり所が悪ければ、事件の呼称が『浜矢シロネ・仏の顔も三度まで殺人事件』に改められていたに違いない、見事な
とまあ、この先はシロネの名誉のために伏せるが……ともかく、クロヤマは恐れ知らずな程に男らしい。具体的に言えば、例の事件から二日後にはシロネをすっぱり諦め別の彼女を作っていたくらいには男らしい。
とはいえ、それは女子からすれば「軽薄」と蔑まれるタイプの男らしさで。彼が特定の女性と長続きした例など、俺どころか東高の生徒全員が知らなかった。
それは、クロヤマが新しい女と付き合えば密かに賭けが行われるほどで……今回は何か月持つか、いや二週間も持たないのでは、なんて面白がるのは、今や三辻高の名物行事だ。
ちなみに前回の記録は五日と十二時間。ホント、
とまあ、そんな女の敵にして最大の味方たる我が悪友は……今はそんな遍歴を信じさせないくらいに弱弱しく、煙草を吹かす敗北者のように鈍色の曇天を見上げていた。
その口から出る語りが、まるで似合わない懺悔のように屋上に響く。
「……別に、いきなり釣れるとは思ってなかったワケよ。客観的にもトンデモナイ上玉だったし、サ。それこそフェアに、何か月かけても口説き落とすつもりだったんだぜ。だから最初は無視される覚悟、当たって砕けろの精神で突っ込んだのさ」
「……それで、見事に無視された? それとも罵倒されたとか?」
「そうだったらまだよかったよ、マジで。残念ながらその真逆。彼女はさ……まるで十年来の友人の冗談に対応するみたいに、オレのナンパに対応して下さったのサ」
ふぅ、と吐く溜息は、本当に紫煙を燻らせるよう。
ひとつふたつ世代が違えば間違いなく学生喫煙していただろう不良児は、俺の隣で過去の自分を嘲り嗤う。
「それこそ、最初は有頂天だったのよ。脈アリに違いないと押しまくったワケ。んで、ようやく
「……クロヤマ、それじゃ話が飛び過ぎだ。もっと分かるように言ってくれ」
「ン、ああ、そうだな……
「?」
眉根を寄せて記憶の
「態度だよ。あの転校生はサ、オレが何を言おうが、どんだけしつこく口説こうが、最初の挨拶から微塵も態度を変えなかったのさ。ずっと、あの旧友に接するような穏やかな態度で、微笑みで、オレの誘いを何でもないように躱し続けたんだ」
「? それが、どうして逃げ出すような事になるんだ。一か月は粘るんじゃなかったのか?」
「そうじゃねえよカイリ。分かるか? オレが自分でもどうかと思うくらい必死に喰らいついてるあいだ……彼女の態度は、好意の側は勿論、嫌悪の側にも一ミリたりとも揺れなかったんだぜ……?」
ときに勇者とも囃し立てられる彼の声は、今や、明確な
故にこそ籠った言葉の真実味は、刃物のような鋭さで、俺にことの真実を理解させた。
―――昼休みの最中。
クロヤマは真正面から結生フィリアに会いに行き、真っ向から彼女を口説き始めた。
ほぼ初対面での愛の告白。
甘い言葉に心の底からの美辞麗句。
あるいは下品ともとれる飢えた世辞の数々。
それを受けて……けれど相手方は、微塵も態度を変えなかった。
反応が無かった、とは違う。
会話は成立していた。
告白とお誘いにはやんわりとした断りが、賛美と世辞にはやわらかな謙遜が帰って来た。
二十分に及ぶ攻防は、けれど、最初から最後までずっと同じ調子で……否、焦るクロヤマはともかく、結生さんの側は徹頭徹尾同じ調子を貫き通した。
それが異常であることは、もはや説明の必要もない。
だって、普通
それは恋愛経験の深いクロヤマ本人が一番分かっているだろう。
だが……彼女にそれは無かった。
どんな会心の口説き文句も、どんなに無様な追い縋りも、その微笑みは受け入れた。
受け入れた上で、感情のメーターをぴくりとも左右させなかった。
好かれもしなかった、ならまだいい。
いや、最初から好かれてはいた―――恋愛に発展しない程度に、ではあるが。
だから勝算ありと色男は踏み込んで……二十分の死闘を終えても、最初より一目盛りぶん好かれるどころか、
暖簾に腕押しどころじゃない、なんて、珍しく詞的な表現でクロヤマは語る。
「あれじゃ銅像にデートを申し込んでるみたいなモンだ。なんてーか、たぶんオレが何やったって、あの態度を変えられる気がしねーんだよな。殴ろうが抱こうが醜態晒そうが、あの目は波一つ立たない穏やかさのまま、オレに微笑み続けるんだろうと分かっちまったのサ。いや、真っ当な非難くらいはするんだろうなァ……あの、十年来の友人に向けるみたいな親しい声色で。
正直なハナシ……オレはもう、彼女に言い寄る気は完璧に失せたぜ。浜矢サンどころか、夜空の月を口説いた方が万倍はマシだっての、アレじゃあ」
恨み言のような声に、俺の中であの美しい転校生の姿が歪曲していく。
野に咲く花は美しいけれど、人の睦言に
ソレはただそこに在るだけの自然現象。
風に揺れているから動いているに過ぎない、ただそれだけの無意味な風景。
それが
……納得する。
確かに、それでは口説きようがない。というか話すだけでも嫌になりそうだ。
だって、何をやったって相手からの評価が変わらないなら、その為の行為には意味がない。
何をしても、あるいは何もしなくても、結生フェリアからの評価は変わらないのなら。
そんな人間の為に何かをするなんて、無意味だ。
どれだけ労力を掛けようが結果が
―――誰にでも優しいそのひとは。
けれど、優しくする、という行為から、全ての価値を奪ってしまう―――。
「……それは、
「本当だよ。あんなに美人だってのにサ、ありゃないぜ、マジで」
「―――そうじゃない」
「? ヤ、何が『そうじゃない』んだよ、カイリ?」
問い返されて、ハッとする。
……今のは完全に無意識の言葉だった。
反射的に数秒前の自分を思い出そうとするが……掴まえようと伸ばした腕の間を、するりとすり抜けられてしまって。
「……あれ。どうして、俺はそんなことを思ったんだろう」
そう呆然と呟く俺を見て、クロヤマはようやっと本来の調子を取り戻したようだった。
口調が彼本来の
「……ハ、なんだそりゃ。
マ、とにかくオレは懲りたぜー。気になったならオマエも話しかけてみなカイリ。すぐにオレが言ったことがマジだったって分かるだろうサ」
とはいえ、それは一年足らずの付き合いでも、傷心が見て取れるレベルの虚勢で。
なんか可哀想になった俺は、手元に最後まで残しておいた
「なあ、クロヤマ。シロネの唐揚げ、一個あげようか?」
純粋な善意での問いかけに。
クロヤマは目を見開いて―――というより目を剥いて、数秒の開口の後に、がっくりと肩を落とした。
「―――勘弁してくれ、カイリ。オマエのブッ飛んだ
「……俺がぶっ飛んでるとか、人聞きが悪いな。一応俺なりに気を使ったんだけど」
ほら、オマエは昔シロネの事が好きだったんだし、なんて不平のままに口走れば。
地元で恐れられる三辻の黒蝮は、今度こそ傷心を隠さない
「……あのサ、カイリ。浜矢サンを魅力的な女性だと思ってたのは、黒山ムシロ一生の不覚にして、人生最大の黒歴史なワケ。傷心の今、そこを
その言葉のあまりの神妙さに、俺は慌てて「ごめん」と唐揚げを引っ込める。
どうやら女好きである我が悪友は……今この瞬間、この街で一番可哀想な人であるらしかった。