戦闘シーンと言われたらどんなものを連想するだろうか。
一番王道なのは間違いなく一対一の決闘方式だ。例えば物語のクライマックスに相応しい場で繰り広げられる戦いは基本的、クライマックスまでに主人公と敵の間で積み上げられた因縁を精算するかのように、外部の存在がノイズとなってしまうので取り除かれる。因縁との決着、それにはシンプルでスンと読者に飲み込める決闘方式が展開として相応しいとなるのも頷ける。
「だけどさぁ、それだけじゃないよね。戦いってさぁ」
その女神は飽きていた。
戦いに、蔓延る戦いの様式にウンザリしていた。
言葉を飾らずにいえばマンネリである。
神々がもたらす恩恵によって、下界における戦いは様変わりした。
数でなく質。圧倒的なまでの質。たった一人の上位レベルの眷属が、低レベルの眷属で構成された万の軍勢を蹂躙する。一切のチャンスすらなく、一方的に万軍をプチプチと潰すだけの作業。そして最終的には、両軍の上位レベルの眷属がぶつかり、それがそのまま戦いの勝敗に直結する。
一対一それは戦場における花場だ。蹂躙劇それもまた戦場が魅せる貌だ。
ただ人類同士の戦い、限られた資源でやり繰りする組織同士の闘争。そこにはもっとあるのだ。あるべきなのだ。同等の戦力を誇る陣営同士の三つ巴に、四つ巴。両軍が入り乱れる乱戦を越えた、それぞれの陣営が抱える事情で動くからこそ生じる混沌とした戦場が。
下界が孕む可能性が未知であるならば。
こんな一辺倒に偏っているのは、あまりにもつまらなくないか。
「ならいっその事、自分でやるか」
人の想像力から生み出される物語にすら、流行に乗っ取られる有様ならば。
その女神は自分で自分の需要を満たすことにした。
他の神々と同じように。つまらない天界から下界へと、自らの権能を封じて不便さで満ちた生活に身を落として。波乱と混沌への期待を胸に彼女が目指したのは勿論、英雄の都オラリオ。
人材も、物も、神すらも。あらゆるモノが怒涛の勢いで流れ込んでいく救世の最前線。
「なんせ争いごとに事欠かない」
争いの種が迷宮の地下世界は勿論のこと、地上の都市にも散りばめられている。そんな場所に住みつけば自然と戦う力が求められる場面と出くわす。
つまり、高水準な戦闘力の必要性。平穏無事に、何事にも邪魔されない自分の生活を過ごすならば自然と誰もが力が要ると理解する。
そういった環境に続々と人が流れ込んでいるのだ。下地は整っている。ならば問題は、目指すべきファミリアの形がどうあるべきか。
「育成機関、演習場。戦いに必要な技術を身に付けられる養成所、なんてところが良さそうか」
ファミリアの運営方針は
強者。
人種は関係ない。
思想は必要ない。
経歴は問わない。
目的が共有できているのであれば、仲間内での対立すら歓迎しよう。
戦う力を渇望する者に、適切な技術を。求めるのは闘争に身を置き続ける意志があるか、それだけ。
救世なんてものはやりたい奴が目指せばよく。
救世でこそ苛烈な闘争が巡り会うならば目指すのもよく。
ただただ、
「さあ、あなたが為したい戦いに身を投じなさい」
それが今から約800年は昔の話である。