────なんで?
脳を過ぎったのは、そんな素っ頓狂な疑問だった。
辺り一帯が瓦礫の山と化して、脳を焼くような閃光が今もまだ目蓋の裏に刻み込まれている。閃光と爆炎、そして爆風の後のそこには何も残っていなかった。
銀色の流星が空を切り裂いた瞬間、彼は目を見開くと直ぐに○○○を抱いて建物の影に飛び込んだ。
その刹那、耳を聾する轟音が響き渡り、嵐さえも矮小に感じるほどの爆風が建物を薙ぎ払い、全てを灰に変える。彼は必死に○○○を抱き締めた。
天高くに昇るキノコ雲。それはまさに、絶望と混沌を降ろす帳のようで。一秒すらも永遠に感じるほどの絶望が過ぎ去った後に残ったのは、驚くほどの静寂と
「こーいち?」
強く抱き締められていたFUSHIの身体が、胸元から膝の上にゆっくりと落ちていく。パラパラと砂が落ちて、FUSHIの視界を覆う。顔を振って、蹲る彼を見上げる──そして、目を見開いた。
光の失った瞳、焼け爛れた皮膚に、額から滴り落ちる鮮血がFUSHIのいる彼の膝下を蚕食する。虚ろな瞳と生気の消えた顔は、彼の命が一瞬で終わりを告げたことをFUSHIの脳に刻み込んだ。
「え……こーいち、うそ……うそうそ……」
息が荒くなる。呼吸なんてとうの昔に忘れたのに、鼓動すらも置いていったはずだったのに、喉を焼くような錯覚を覚えるほどの呼吸音が虚しく、ひゅーと鳴る。胃が拗れるような吐き気が上るが、吐き出すような器官も物もない。ただ胸の内側に募るドス黒い何かが、ただただ渦巻いていた。
「待って待って待って! うそらこーいち起きて……! ダメ! ダメ! 典子に会うんでしょ!? お願いだから起きて!」
────なんで?
そこで、あの素っ頓狂な疑問が過ぎる。それもそのはずだった。戦や争いごとは何度もこの目で見てきた。誰かの命が終わる瞬間も見てきた。
だがこれは、これはあまりにも────。
────あの時代は、何もなかったじゃん。
────そんなこと、そんな話聞いてない。
────なんで、人間はこんなことができるの?
────同じ人間なのに、どうしてこうまで違うの?
過呼吸のように呼吸が小刻みに刻まれていく。目も当てられないほどの現実に理解が追いつかない。嗚咽を溢しながら、
喉と呼べる器官があるのか分からないが、それでもかぐやはただ叫んだ。滂沱と流れる涙を拭う力すらもなく、灰と化した地面を握り締める。暗雲が天を覆い尽くして、放射性や煤を含んだ黒く淀んだ雨が振り始めた。
「こーいち……うっ、ごめんね、ごめんね……かぐやを守ってくれたんだよね……?」
FUSHIの身体でありながらも、かぐやはまるで人の形があった頃のように、ゆっくりとその手を伸ばす。未だ蹲ったまま倒れようとしない彼の頬に手を添えた。彼の姿に、とてつもない覚悟を感じた。
────大丈夫、大丈夫だかぐや。
────君の願いは、必ず叶えるから。
あの爆発の中で、彼はそう言い続けた。
彼にも出会いたい人はいるのに。それでも彼は、顔も知らない
もし、私が出会わなかったら──そんな後悔が思考を包み込む。絶望が心を蝕み、かぐやはただただその場で泣き崩れていた。
顔が汚れるのすらも気に止めず、黒い雨がFUSHIの辺りに水溜りを描いていく。かぐやの叫びは虚しく篠突く雨の音に掻き消されていた。
瓦礫の下から伸びる腕、蚕食していく鮮血、崩壊する建造物、瓦解した世界。かぐやは初めて、この世界を呪った。恨み、憎み、世界の残酷さに唇を噛み締めた──青年の手が、僅かに砂を掴んだ事すら気が付かずに。
やがて、かぐやの涙が枯れ始めた頃──雨の音とは別に静寂にすらも掻き消されてしまいそうなほどの小さな呼吸の音が聞こえた。
「…………え?」
視線は地面から彼へと向けられる。僅かに上下する胸部と、揺れる肩。それを理解した瞬間にかぐやは駆け出していた。
FUSHIの身体で肩に飛び乗り、よく耳を澄ませてみると、小さく「かひゅー」と吹き抜けるような呼吸が聞こえる。彼がまだ生きていると脳が理解して、かぐやは驚きを隠し切れなかった。
「こーいち……! こーいち!! あぁ……良かった……!」
良かった、と言うにはまだ早かった。取り敢えず生きていたことに対して、かぐやの安堵から溢れ出た言葉だった。
彼は呼吸こそしているが、明らかに重傷で今すぐにでも手当てをしなければならない状態でもある。落下した瓦礫から身を挺した所為で、額は割れて鮮血が流れ、恐らく複数箇所を骨折している。爆炎と爆風に晒された皮膚は裂かれ、焼け爛れている。明らかに危険な状態だった。
「こーいち、動ける? このままじゃ……」
黒い雨が、彼の鮮血を汚していく。彼という存在を人間の憎悪と過ちが蝕んでいた。
黒い雨の正体はかぐやには分からなかった。だがそれでも、黒い雨という異常な現象が、かぐやの直感に危険を知らせていた。
だが、彼は吐息を漏らすだけでぼんやりとした意識のままかぐやを見つめている。かぐやはウミウシの身体で、なんとか小さな瓦礫の隙間を掘り起こした。
「こっち! ここなら雨も凌げるから……こーいち、お願い……頑張って、動いて……!」
かぐやは彼の身体を精一杯押した。
ぐらりと身体が揺れて、地面に彼が倒れる。その際に身体を強く打ち付けてしまうが「ごめん、ごめん……あと少しだから……」と謝罪を口の中で呟きながら、かぐやは彼を押した。
ゆっくりと、彼が腕を伸ばして這いつくばりながら瓦礫の隙間に身を潜めた。
「…………こーいち……?」
かぐやが心配げな眼差しで彼を見つめる。多少なりとも雨は凌げるが、このままでは本当に彼が死んでしまう。かぐやは彼の服の裾を破り、割れた額に布を当てて簡易的な止血をした。
だが、止血の問題ではない。瞳を閉じて息を荒くしている彼の苦悶の表情を見つめ、ただただ彼が生きてくれることを願うことしかできなかった。
そこで、かぐやは目を見張った。
焼け爛れた皮膚の不自然な場所の一部が、なぜか
その場所だけは火に晒されなかったのだろうか、と思いもしたが明らかに不自然な箇所で、そこだけピンポイントで焼けなかったとは思えなかった。
「……………………か……や……」
「こーいち……?」
風に吹かれたらすぐにでも飛んでしまいそうな声で名を呼ばれた気がして、かぐやは布を離す。おかしい、そう感じたのは同時だった。
切れた額からの血が止まっている。疑問に思って彼の背中を見ると、焼け爛れた皮膚や肉の一部が徐々に元の状態へと戻りつつあった。
「え…………どういうこと…………?」
────それから二時間足らずで、死に至るはずの彼の傷は全て完治した。
◆◆◆◆
「それで? 今のペースじゃ遅いって?」
黒い髪を短く切り揃えた青年が、目の前のダンボールの上で鎮座しているウミウシから伝えられた言葉を繰り返す。ウミウシ──FUSHIは「そう」と頷いて、それを肯定しながら言葉を続けた。
「彩葉たちがいた2030年まであと20年ぐらい。いまのペースだと、多分
「って言われてもなあ……今はVRゴーグルとかも作られたじゃん。その内できるんじゃないの?」
「私もゴーグル試したよ。けど、全っ然っ違う!!」
20年後と比べられても、と不満げに青年は腕を組む。そこでかぐやは身ぶりをできる限り真似ながら答えた。
「あの時代じゃ、何もかもスピードが速いんですわ」
「なに言ってんのさ。20年後って、産まれた子供が成人になる年月だよ? ああ、数日で高校生ぐらいにまでなったのが目の前にいたわ」
しかも今は8000歳、と小声で続けるとかぐやは憤慨して青年の額に突進。鈍い音と共に青年の目の前が真っ白になる。矮小な身体に対して力強い一撃の衝撃に青年は後ろに倒れた。
「
「ほぼ不老不死みたいになった人間に言われたくないねっ!」
倒れた青年の鼻先に乗って、ふんぞり返るようにして青年を見下ろす。ウミウシの姿では分からないが、元の姿であれば恐らく腕を組んでいることだろう。
「誰のおかげで身分を変えられたと思ってるの!」
「ごめんて。でもしょうがないじゃん。こんな18歳の姿で市役所とか行って『いやあ、これでも昭和5年の産まれなんです〜』とか言えるわけないじゃん! 約90歳だよ!?」
「じゃあ感謝して!
「へいへい、ありがとうございますかぐや様〜」
もうっ、と怒るかぐやを宥めながら、玲翔はFUSHIを摘んでダンボールの上に下ろす。綺麗に畳まれた布団にもたれかかって、そのまま天井を見上げた。
「俺なんかまだ可愛い方でしょ。8000年過ごした宇宙人の方がもっと異質」
「私だって、好きで8000年過ごした訳じゃないよ」
「分かってるよ。8000歳の宇宙人って言われたらウルト○マン80が出てきちゃうなぁ」
「え、なにそれ」
玲翔は「なんでもなーい」と言って無理やり話を終わらせる。態勢を変えてからかぐやの方へと視線を向けると、彼女は部屋の隅に置いてある「もと光る竹」を見つめたまま溜め息をついた。
「もうすぐ、その彩葉って子が産まれる年代?」
「うん。そうだと思う」
露骨にかぐやの声色が落ちた。
玲翔は目を伏せる。彼女の努力は全て記憶を通して見てきたから、苦労も何もかも全て分かっている。彩葉、という女の子への想いや、あの輝かしい日々の出来事も、何もかも玲翔の脳裏に焼き付いていた。
8000年という月日が経っても、その思いは決して変わらない。ワガママで図々しくて、すぐ暴れる凶暴な宇宙人。それだけ聞けば、ウルト○マンに登場したら真っ先に倒されるであろう異星人だ。
「…………会いたいなあ……」
それでも、その思いや愚直ながらも真っ直ぐな純粋さは、玲翔も彼女の良いところだと理解している。8000年も努力して来たのだ。その思いが嘘な訳がない。
玲翔はかぐやを手のひらに乗せる。かぐやは彼の行動に首を傾げながら、顔を見つめる。ウミウシの姿で見つめられると、玲翔は噴き出した。
「顔がアカンわ」
「あ゛!?」
玲翔の言葉で、かぐやの額に怒りのマークがくっきりと浮かんだような気がした。それと同時に鼻先を噛み付かれて、激痛が走った。
「ほんっと、こーいちってデリカシーが無いよね!! 人の心がまったくない! 宇宙人はこーいちの方なんじゃない!?」
「ウミウシの状態で会いに来られても、向こうはびっくらぽんだって」
ぷくー、と頬を膨らませるかぐや。
玲翔の正論に対して何も言い返せないのが、彼女の怒りに更に油を注いでしまったらしく、彼女はプンスカと憤慨しながらダンボールの上に降り立った。
「正論きらーい」
拗ねるかぐやを撫でながら、玲翔はもと光る竹を持ち上げてじっくりと観察する。かぐやが月から地球へと来るために乗ってきた宇宙船。時間を超える技術も備えているらしい。
「話を戻すけど、スマコン……だっけ? それはいつできたの?」
「んー、分かんない」
「ツクヨミができたのも?」
「うん、分かんないけど、ヤチヨが作ったんじゃないの?」
マジかコイツ、と吐き出されそうになった言葉を呑み込む。玲翔は過去に共有したかぐやの記憶から、何かを得ようと記憶の引き出しを片っ端から探す。
仮想空間ツクヨミと管理人の月見ヤチヨ。手っ取り早いのは、月見ヤチヨの正体を突き止めることだが、ライバーで顔出しをしていない以上その正体を知ることはできないだろう。
かぐやが言っている未来での史実を反映する為には、やはり過去で何かしらのアクションが必要なはず。もしくは、過去で何かを間違えたことで未来であったことが消えてしまったとか。
「げ、てか…………」
そこまで考えて、玲翔は声を漏らす。かぐやが首を傾げる。本来の歴史通りに進まなくなった原因が、こんな間近にいたこと。それに気が付けなかった自分の馬鹿さ加減に苛立ちすら覚えるが、本来の歴史から、改変された可能性。
それは────、
「────俺か?」