超うらしま太郎!   作:なほやん

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第3話「玉手箱」

第3話「玉手箱」

 

 常世号が震えた。

 無重力の中で壁にしがみついていた私は、ぐん、と一方向に引っ張られた。減速とは違う。落ちている——いや、突入だ。

 

「目的地、惑星『竜宮』に到着しました」

 

 竜宮——その言葉を聞いた瞬間、記憶が来た。

 

 病室。ベッドの上で、女の子が絵本を嬉しそうに抱えている。浦島太郎の絵本。点滴の管が刺さった手で、大事そうに。

 

 ——あの星、竜宮って名前つけたの!

 

 ことん、と首を右に傾げながら、その子は笑った。

 

 その子は私の手を握って、窓の外の星を見上げた。

 

 ——常世の国だったら、時間が止まるから……私も、ずっと凪と一緒にいられるでしょ。

 

 別の光景が重なる。ニュースの画面。「地球の寿命」という文字。その子が点滴の管を引きずりながら、ベッドの上でキーボードを叩いている。誰もが匙を投げた脱出船の設計図を、この子だけが完成させた。

 

 ——できたよ、凪。これに私を入れるから。

 

 病室で、小さなカメ型ロボットを差し出された。その子は笑っていた。泣きそうな顔で、笑っていた。

 

 記憶が途切れる。

 ——全部、この子がつけた名前だった。竜宮も。常世も。カメも。全部。

 

 モニターが切り替わった。偽物の魚が消えて、外部カメラの映像になる。

 

 青い。

 画面いっぱいに青が広がっている。雲の白と、海の青。空に月が二つ浮かんでいる。

 

 船体が大気に擦れて揺れる。振動がだんだん激しくなって——ふっと静かになった。水飛沫が上がって、常世号は海に着水した。

 

 波に揺られて船がゆったり傾く。自然の重力が戻ってきた。加速度じゃない、本物の重力。体が少しだけ軽い。地球より重力が弱い。

 

「着水を確認。外気組成分析中——」

 

 カメが着水の衝撃でひっくり返って、短い脚をばたばたさせていた。

 

 手を伸ばして、起こしてあげた。

 

「——外気組成、酸素21%、窒素78%。気温22度。生存に適した環境です」

 

「住めるんだ、ここ」

 

「はい」

 

 カメが私の手のひらの上でじっとしている。降りようとしない。

 甲羅がほんのり温かかった。

 

 カメが、ことん、と首を右に傾げた。

 

 さっきの記憶の子と——同じだ。

 

 首の傾げ方。あの癖。船の名前をつけた子。脱出船を設計した子。「これに私を入れるから」と笑いながらカメを渡した子。

 あの子の癖が、このカメにある。人格をコピーしたから。

 

「……あんたが、あの人のコピーなんでしょ」

 

 カメが震えた。手のひらの上で、かすかに。

 コピーかもしれない。でも、あの子の時間を継いで、ここまで来てくれた。それでも——本物は、もう8000年前にいない。

 

「しゃべらなくていいよ。分かるから」

 

 カメを胸に抱いたまま、ハッチを開けた。

 

 風が入ってきた。潮の匂い。本物の風。モニター越しじゃない、肌に触れる風。

 

 船の外は海だった。

 見渡す限りの水平線。二つの月が低い空に並んで浮かんでいて、波がきらきら光っている。どこを見ても海。陸地は見えない。

 

 きれいだった。

 

 きれいで、どうしようもなく——静かだった。

 

 波の音しかしない。鳥の声もない。虫の声もない。私以外の生き物が、この星にいるのかも分からない。

 

 あの子が見つけた星。竜宮って名前をつけた星。常世号で私を送り出して、自分のコピーをカメに入れてまで連れてきてくれた星。

 

 きれいだよ。本当に。

 

 でも——なんで私だけなの。

 

 なんで一人で送ったの。なんで一緒に来てくれなかったの。なんで勝手に死んだの。

 

 こんなにきれいな海を、二人で見るはずだったのに。

 

 涙が止まらなかった。

 風に吹かれて、波の音を聞きながら、ひとりで泣いた。腕の中のカメが、じっと黙っていた。

 

 しばらくして——銀色の箱を見た。テーブルの上。ハッチから差し込む月光に照らされて、鈍く光っている。

 

 ——絶対に開けないでね。

 

 あの声が頭の中で鳴る。

 

 この銀色の箱は玉手箱だ。

 開けたら8000年分の時間が一気に来て、老いて、死ぬ。——そんな気がした。御伽話の筋書きに、自分から縋りついていた。

 

 でも——もう、理屈はいい。

 一人でこの星の夜を迎えるくらいなら。

 

「ねえ。あんたの名前、教えて」

 

「……おと」

 

 定型文じゃない。初めて聞く、本当の声。

 

 名前を得た瞬間、記憶の断片が繋がっていく。研究室。白衣。小さな手。あの手を握った感触。消毒液の匂い。——うまいね、と笑った声。

 

「音。私を一人にしないでよ。ちゃんと会いに行くから」

 

「まって! 凪!」

 

 箱を、開けた。

 

 ——光が、溢れた。

 

 煙じゃなかった。

 銀色の粒子が箱から噴き出して、宙に舞い上がる。何千、何万、数えきれない光の粒。

 

 光は——腕の中のカメに向かった。

 

 カメの体を包み込む。甲羅が光に溶ける。粒子が集まって、形を変えていく。カメの輪郭が崩れて、もっと大きな形に。

 

 人の、形に。

 

 光が晴れた。

 

 腕の中に——小さな女の子がいた。

 五歳くらいの。裸の。ぼさぼさの髪。目だけがやけに大きくて、きらきらしていて、こっちを見上げている。

 

「……音?」

 

「見ないで」

 

 小さな声。でも聞き覚えのある声。あの声だ。

 

 音だった。五歳児の体で、顔を真っ赤にして、私の胸に顔を押しつけている。

 

「ナノマシンの再構築は、ゼロから体を組み直すの。だから最初は……こうなる。凪が眠ってる間に復活して、ちゃんと大人に戻ってから起こすつもりだったのに」

 

「……開けるなって、そういう意味?」

 

「凪が目を開けて、最初に見るのが私がよかったの。ちゃんとした姿の私。……こんなのじゃなくて」

 

 音が顔を上げた。五歳児の顔で、泣いていた。怒っているんじゃなかった。悔しそうだった。

 

「……自殺用だと思って開けたんだよ。私」

 

 私も声が震えていた。

 

「玉手箱だから。8000年分の時間が来て、音のところに行けるんだと思った」

 

「…………私が、凪を傷つけるもの残すわけないでしょ」

 

 小さな声だった。震えていた。

 

「ずっと待ってたんだよ。カメの体で、ずっと。凪が目を覚ますの」

 

 五歳児の小さな手が、私の胸に触れた。叩くのではなく、そっと。

 

「なのに……追いつくって、何。そんなの、ずるいよ」

 

 私は音を抱きしめた。小さくて、軽くて、温かかった。心臓の音が伝わってくる。小さな体の、速い鼓動。記憶の中で指を絡めたあの手と、同じ温度だった。

 

「ごめん」

 

「……ごめんじゃないよ」

 

「うん。ごめん」

 

 小さな手を握った。

 

「おかえり、って言っていい?」

 

「…………いいよ」

 

「おかえり、音」

 

「……ただいま」

 

 二つの月の下で、私はもうその手を離さなかった。

 

 

 

(了)

 

 








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 本編としてはひと段落ですが、音視点の番外編が一話続きます。
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