神権剥奪   作:蒼天美茶

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 オーガの襲撃から数日後、村の広場では犠牲になった捜索隊を悼む儀式が執り行われた。

 指衛士たちが「自分たちの手柄」を誇らしげに掲げて街へ引き上げた後、残されたのは、静まり返った村と、帰らぬ人となった男たちの遺品だけだった。

 ジンは、包帯を巻いた左腕を静かに見つめていた。

 あの時、ジンの左腕は赤黒い泥のように蠢き、砕けた骨を繋ぎ合わせるように治されたのではなく再構築されたようだとガイゼンは語った。激しい疼きは数日間続いたが、それも一時的なものだった。

「……ジン、お前のおかげだ。みんな、分かっているからな」

 村長が、震える手でジンの肩を叩く。

 この村では、失われた命への純粋な悲しみと、生き残った者への静かな感謝のみがあることがジンにとっても救いであった。

 それから数日、ジンはガイゼンから身体を休める期間だとして薬屋に通いながら過ごしていた。

 左腕の疼きは時たま感じるが、それ以外は薬屋のナイリーンという婆さんの調合した薬ですっかり良くなっていた。ただ、かなり強烈な薬を使ったらしく、副作用を抑えるための薬をもらっている日々となっている。

(副作用としては、幻痛や眩暈、体の異物感だったけな。意識が戻ってから感じたことないけど一応貰っておいた方が無難だよな)

 そう考えながら、様々な植物が植えられている薬屋の扉を叩く。

 すると、中から芯の強いはっきりした声が聞こえてきた。

「はーい! 開けて入ってきてもらっていいですよー!」

「なんだ、今はナイリーンおばさんはいないのか、ジェシカ」

 中に入って留守番をしていた女性に話しかける。植物に水をやっていたジェシカが、目だけをこちらに向けてきた。

 彼女は村でも一際目を引く端正な顔立ちの持ち主だ。艶やかな茶髪は作業の邪魔にならないよう後ろで丸くまとめられているが、こぼれ落ちる毛先が白皙のうなじを縁取っている。服装は一般的な薬師の平服だが、その下にある肉体はあまりに健康的で、豊満だった。

 特に、ゆったりとした仕立てのはずの胸元が、彼女が動くたびに大きく、重たげに揺れる。村の男たちがこぞって薬屋を覗きに来る理由は、ナイリーンの薬だけでなく、間違いなくこの視覚的な破壊力にもあった。

「おばさまは村長の家に向かってるわよ。なんでもオーガ捜索の褒賞を与えられるらしくて、物資の要望で薬の原材料を伝えるみたい」

「なんで薬そのものを要望しないんだ?」

 ジェシカはその大きな瞳をぱちぱちと瞬かせながら、ふうと息を吐く。

「ほんと、こっちで過ごしてしばらく経つのにそこら辺の常識はないのね。むこうでは治癒の魔法で大体の怪我や病気を治せちゃうのよ。まぁそれもお金かかるから、できない人たちは薬に頼ることになるって感じね」

 ジンはなるほどと頷く。そう考えると薬屋はもしかして前世よりも立場としてそこまで高くないのかもしれないと思っていると、ジェシカがジトっとした目で、ジンを品定めするように見つめてくる。

「あんた、何か失礼なこと考えてない? 言っとくけど治癒でも得意不得意があるから。特に病気とか毒関係は薬の方が費用も抑えられるし、治しやすいこともあるのよ」

「……何も言ってないだろ。それに俺は今回の怪我で初めてここに通っているから、わからないのもおかしくないはずだ。とりあえず、おばさんがいなくても今日の分の薬をもらいに来たんだ。えーと、塩肉二日分でどうだろ」

「いらないわよ。今回はおばさまも、治るまでの費用はいらないって言伝があるから。だいたい今までも貰ってなかったでしょ……何かあるわね、ジン」

 険しい目つきで一歩詰め寄ってくる彼女の動作に合わせて、豊かな胸がぷるんと大きく震えた。

「いや……そんなんじゃないんだ。ただ今度、うちの男達で集会があってだな」

「リンダスね」

 言葉を続ける前に、ジェシカから鋭い一言で制される。彼女はナイリーンから薬の調合の手ほどきを受けている他にも、こういう時の勘が異様に鋭い。

 そしてそういうジェシカを、ジンの同僚であり友人であるリンダスがとても好いているのだ。

「正面から来るならまだしも、英雄様を使って断りづらくするってのが気に入らないわね。どうせジンは来ないでしょ」

「まぁ、俺はガイゼンじいさんの手伝いがあるからな」

 ジンもそういう集会には修行もあってあまり参加しないのだが、ジェシカも薬屋の調合の勉強が好きで、あまり表に出てこない。それが他の男たちを焦れったくさせているらしい。

 かくいうリンダスも、ジンの代わりに薬屋に行くという名目でジェシカに会えると喜んでいたが、あまりにしつこくしすぎたせいで初日で出禁になっていた。

「なら、私も行かない。男たちがうざったいのもそうだけど、村の女の子達にも凄まじい目で見られるのよ」

「はあ、そこまで人数がいるわけでもないのに、そういうのは絶えないもんだな。でも一定年齢に達すると村長や親族から婚姻を決められるんだろ? ジェシカだって変な男とくっつけられるよりは自分で選んだ方がいいんじゃないか」

「ナイリーンおばさまと村長なら、相手としてそこまで変なのは紹介されないわよ。それに私は今、自分の腕を磨くこと以外はあんまり興味ないわ」

 淡々とそう言う彼女に、これは難しいかもしれないと思っていると、いつの間にか用意したのか、薬が入った袋が受付の机に置かれた。

「でも、確かに全く話さないというのも変な話よね。だから条件があるわ」

「条件とは?」

「あなたが来ることよ。そうすれば他の子達の目もそこまでだろうし、それならリンダスだけじゃなくて他の人たちとも話してみるわよ」

 ジェシカは受付のカウンターに身を乗り出した。その際、豊かな胸がぐにり、と木の机に押し付けられ、強調される。彼女は悪戯っぽくウインクをした。

「塩につけられたお肉よりも、久しぶりにお酒と美味しいお肉も食べたいしね」

 茶化すようなその姿に、ジンも思わず笑みが出た。

 ちなみに、リンダスに正直に条件を話したところ、泣きながら来るように頼まれるのだった。

 

 

 

 結局、リンダスの泣き落としに屈する形で、ジンは村の若手衆が集まる宴――通称『男たちの咆哮(リンダス命名)』に顔を出すことになった。

 場所は村の外れにある古びた空き家。焚き火を囲み、このために今日仕留めた新鮮な肉と、村長が秘蔵していた強い麦酒が並ぶ。

「おい、ジン! 本当に来てくれたんだな! さあ飲め、英雄様のお通りだ!」

 リンダスが顔を真っ赤にして、並々と注がれた木杯を差し出してくる。オーガを退けたジンへの畏怖は、酒の力と数日の時間によって、いつの間にか「頼れる兄貴分」への親愛に変わっていた。

「英雄なんて柄じゃない。……それに、ジェシカも来てるんだろ」

 ジンが視線を向けると、少し離れた場所で、村の娘数人に囲まれたジェシカがいた。植物に水をやっていた時とは違い、刺繍の入った清楚な平服を纏い、困ったように笑いながら酒を注いで回っている。

 その姿に、男たちの視線が吸い寄せられるのも無理はない。

「へへ、本当にありがとうな。ジンのおかげでジェシカが来てくれたんだ、英雄様々だ!」

 リンダスは上機嫌でジンの肩を組むが、ジェシカと目が合うと途端に顔を真っ赤にして固まってしまう。その不器用さに、周囲の男たちからやっかみの声が飛ぶ。

 

 ジンは一口、麦酒を煽った。喉を焼くような刺激と、鼻に抜ける麦の香。前世の居酒屋で飲んだ冷えたビールとは程遠いが、不思議と悪くない。

 

 遠くではリンダス含めた男達が力自慢をしていたり、今日きた女性達と楽しそうに話している。

 

「……ジン、お疲れ様」

 いつの間にか、ジェシカが隣に立っていた。彼女の手には、香ばしく焼かれた猪肉が載った皿がある。

「約束通り、来たわね。……リンダス、あんなに喜んじゃって。後でちゃんと、ジンからもお礼言ってあげてよ?」

「俺が無理やり連れてこられた側なんだがな。……でも、肉はガイゼンじいさんの自慢の一品だ。中々食べれないからジェシカもよく味わってくれよ」

 ジンが肉を頬張ると、ジェシカは満足そうに微笑み、そのまま隣に腰を下ろした。

「ナイリーンおばさまが言ってたわ。ジンの怪我、もう傷跡すら残ってないって。……本当は、治癒魔法でもあんなに綺麗には治らないはずなんだけどね」

 彼女の大きな瞳が、ジンの身体をじっと見つめる。

「……体質だろう。それより、お前は本当にいいのか? こんな騒がしいところに付き合って。男たちがうざったいんだろ」

「いいのよ、たまには。それにジンの名前で女の子もかなりきてくれたからそこまででもなかったわ。

ま!その割には、ジンのところにはあんまり女の子は来てないみたいですけどね」

「ほっておけ」

「ふふふ、冗談よ。あの子達、緊張して話しかけられないから私にお鉢が回ってきたわけ……それに、ジンと話してると、なんだか不思議な気分になるの。この村の人じゃないみたいだけど、誰よりもこの村を守ろうとしてくれてる。……ほんと、変な人」

 ジェシカはそう言って、自分の木杯をジンの杯に軽く当てた。

「塩につけられたお肉よりも、こうして皆で食べるお肉の方が美味しいでしょ?」

 茶化すような、それでいて芯の通った彼女の声に、ジンも思わず笑みがこぼれた。

 焚き火の爆ぜる音。酔っ払った男たちの野太い歌声。

 ジンは、この景色を守りたいと強く思った。神の加護がどうとか、階級がどうとか、そんな理不尽で壊されていい場所ではない。

 宴は深夜まで続き、ジンは生まれて初めて、この世界の住人として心の底から笑った気がした。

 

 

 

 

 村から数里離れた宿場町。銀色の月が天頂に掛かる頃、神殿の紋章が刻まれた豪奢な天幕の中、数人の男たちが跪いていた。

 数日前、ジンたちの村で「オーガを討伐した」と吹聴していた第五指衛士隊の面々だ。

「……以上が報告にあります。我ら第五指衛士隊が、偉大なる狩りと月の神、ハーレウト様の加護を以て、汚らわしい巨獣を屠りました」

 隊長を名乗る男が、脂汗を拭いながら声を震わせる。

 その視線の先。豪奢な長椅子に深く腰掛け、退屈そうに銀色の神気の集まり「月の雫」を指先で弄んでいる男がいた。

 ハーレウト直属である6人のみの『御手』――ボーゼンライト・ゲールウィン。

 透き通るような白銀の髪と、すべてを見透かすような冷淡な灰色の瞳を持つ男だ。

「……ふむ。第五指……つまり『小指』の分際で、変異種のオーガを、傷一つ負わずに倒した、と?」

 ボーゼンライトの声は、穏やかだが凍てつくような圧を孕んでいた。

 彼は報告書を一瞥だにせず、跪く男たちの「神気」を観察する。

「は、はい! 全てはハーレウト様の恩恵、月の奇跡によるものです!」

「嘘だな」

 パチン、と指先の雫が弾けた。

 その瞬間、天幕内の重圧が数倍に膨れ上がる。跪いていた指衛士たちは、まるで見えない巨人に押し潰されるように地面に這いつくばった。

「お前たちの神気に『狩り』の残滓がない。返り血の一滴、恐怖の一片すらも、この月の光は照らし出してはくれない。……おい、本当のことを言え。誰がそのオーガを仕留めた」

「ひ、ひぃっ……! そ、それは……!」

 ボーゼンライトがゆっくりと立ち上がり、隊長の目の前まで歩み寄る。彼の纏う神気は、指衛士たちのそれとは比較にならないほど高密度で、周囲の空気を物理的に歪ませていた。

「も、申し訳ありません! 現場には、木こりの男が……! その男が、ただ一人でオーガを……粉々に打ち砕いたのです……!」

 隊長が絶叫するように真実を吐き出した。

 ボーゼンライトの眉が、僅かにピクリと動く。

「……ほう。加護も持たぬ木こりが、たった一人で、か」

 ボーゼンライトは窓の外、銀色の月光が照らす森の方角を見据えた。彼の瞳には、慈悲など微塵もない。あるのは、管理対象としての「バグ」を見つけたエンジニアのような、冷徹な好奇心だけだ。

「面白いな。ハーレウト様の『狩場』において、神の帳簿に載っていない獲物が現れたというわけか。……この大陸の秩序において、許されざる不純物だな。しかしあの村で飼い殺せるならば有用である、か」

 彼は懐から、精巧な銀の秤を取り出した。片方の皿には、オーガの牙の破片を、もう片方には何も載せない。秤は大きく傾いた。

「だが、直ちに排除するには惜しい。その男が何者であれ、この辺境で牙を研ぎ、我々の『目』の下で飼い殺せるのであれば……それもまた一つの資源だ。有用か、それとも害悪か。それを見極める時間は、たっぷりある」

 ボーゼンライトは冷酷な笑みを浮かべ、秤の均衡を指先で弄んだ。

「その男の名を洗え。だが、手は出すな。――そうだな、その男がこの土地に完全に根を張り、隠し持った本性を曝け出すまで、じっくりと観察させてもらう。……逃げも隠れもできぬよう、月の光で照らし続けろ」

 彼は秤を懐にしまい、椅子に深く沈み込んだ。

「月の天秤がどちらに傾くか……私が直接、その価値を裁いてやろう」

 御手、ボーゼンライト・ゲールウィン。

 彼がジンの存在を「観測対象」として正式に記録したこの瞬間から、静かなる監視、そして村へのカウントダウンが始まった。

 

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