ジンは起きて、しばらくガイゼンの家で生活を過ごしていた。
その間にここは曰く地球とは全く別の場所だということが分かった。日本という国はなく、ライセント大陸という広大な世界で神々の恩恵のもと人々は暮らしているらしい。
更に言うと、今の自分のいる所は狩りと月の神が支配している土地であり、ここには原初の獣が生み出していると言われる『母なる森』と支配神の領地との緩衝地帯となっているらしい。
そんな中でも人々は逞しく生きていけるらしく、ガイゼンという老人はその危険極まりない森で約30年もの間、狩人として生き抜いてきたとのことだった。
手斧により、薪を割っているのでその手伝いを行ったり、熊と犬を混ぜたような獣の身体の解体をガイゼンの指示の通りに行った。
1週間ほどしてガイゼンから声がかかった。
「小僧、そろそろ身体も問題ないだろう。見たところお主、異常に硬い上に魔力を練り上げてもいないのに凄まじい怪力があるからな。
儂の仕事以外にも村での仕事で力仕事がある」
「おい、ガイゼンじいさん。その村ってどんなとこなんだよ。なんかあんたが話してる感じだと俺は歓迎されてないんじゃなかったか」
割った薪を全てまとめて小脇に抱えながら、ジンは訝しんだ。
「村にとって損以上の益をもたらす存在だと村長に納得させる。
それにあの村の者たちは様子を伺っておるだけで特におぬしを排除したいわけではない」
本当にそう上手くいくのか、一抹の不安を覚えながらジンは頷くことにした。
そもそもこのガイゼンという老人1週間で少し感じだが、あまり多くを語らないのである。
村にはガイゼンの家から歩いておおよそ半刻ほどで着いた。
村長の家で話してから仕事を頼むとのことでジンは村の入り口の門で待つことになっている。
この地域だと黒髪は珍しいのか、それとも唐突な珍客に興味があるのか、村人たちが隠れて見ては帰ってを繰り返していた。
(ここで俺は受け入れられなかったら、あの老人のもとでどこまで身元が保証されるんだろうな)
悶々と湧き出てくる不安を押し込むように待っていたところ、伺っていた村人たちから迷うようにそれでいてそれを隠すかのように明るい声が聞こえた。
「は、初めましてだな!俺は木こりのリンダスだ!あんた、ガイゼンさんが言ってた貴重な男手だろ?
1つ、手伝いを頼まれてくれないか?」
努めて明るい振る舞いはなるべく親しみを与えようとしていると分かった、ジンはガイゼンが言っていた言葉を思い出し、相手を刺激しないように穏やかに頷くことにした。
「初めましてだな、リンダスさん。俺にできることならなんでも手伝うよ」
リンダスに連れられて向かったのは、村の外縁にある切り出し場だった。
そこには、根元からへし折れたまま、道の半分を塞いでいる巨木が横たわっている。
「これだよ。昨夜の突風でやられちまってな。本来なら数人がかりで数日かけて切り刻むんだが……ガイゼンさんの旦那が、あんたなら『一人でどうにかできる』って太鼓判を押すもんだからさ」
リンダスは半信半疑といった様子で、手にした斧をジンの前に差し出した。
(……一人で、か。これは、、無理だろう、斧でどうしろってんだ)
だがやるしかない、それをできてこそ村はジンという利益を認めることができるのだろう。
毒づきながらも、リンダスの差し出す斧を手で断り、ジンは巨木の前に立つ。
「なぁリンダスさん、これをなんとかするっていうのは道を塞いでるこれを、退かすでもいいのか」
「え?あ、ああ。退かすことだけでもできるんなら俺たちが後はなんとかできるけどよ、できるのか?」
不安そうなリンダスの隣で深呼吸を一つ。現代の「守屋 仁」なら、まず重機を手配し、予算を考え、安全性を確認しただろう。だが今の彼には不思議な確信があった。この巨木を動かせないはずが無いという自信である。
――ドクン。
胸の奥で、なにかが、蠢いている感覚がする。
ジンは無意識に、魔力を練るという概念も知らぬまま、ただ「邪魔なものをどかす」という意志だけを腕に込めた。
――ズゴゴゴ!
生き物が這いずるような振動が響いた。
ジンの怪力が巨木の重さを上回った。大人何人分でも何日掛かるかわからないそれが1人によって成し遂げられる光景に、リンダスは持っていた斧を落とし、呆然と立ち尽くした。
「……な、なんだ、今の……」
「……悪い、少し力が入りすぎたみたいだ」
ジンは、痺れ一つない自分の腕を見て、乾いた笑いを浮かべた。
会社員だった頃の自分なら、こんな異常な力に恐怖したはずだ。だが不思議と、今は「これなら生きていける」という、泥臭い安堵感の方が勝っていた。
遠くから、村長と話し終えたガイゼンが歩いてくるのが見える。老狩人は、退かされた巨木を一瞥し、フンと鼻を鳴らした。
「……小僧。退かすのなら作業場の方に持って行け」
それが、ジンがこの村で「村人」として受け入れられた、最初の一歩だった。