ジンが村で仕事を与えられて、数ヶ月が過ぎた。
「木こりのジン」という呼び名は、今や村のあちこちで日常的に飛び交うようになっている。当初は遠巻きに見ていた村人たちも、彼が薪を割る快音や、倒木を一人で片付ける異常な作業効率を目の当たりにするうちに、次第に「得体の知れない居候」から「頼りになる若手」へと認識を改めていった。
日の出と共にガイゼンの家を出て、切り出し場で汗を流し、夕暮れにはガイゼンが仕留めた獲物の解体を手伝う。そんな単調で、しかし確かな手応えのある毎日。
現代の会社員時代、パソコンの画面越しに数字と格闘し、磨り減っていた頃の「守屋 仁」からすれば、信じられないほど原始的で、それでいて満たされた時間だった。
(……不思議なもんだな。あんなに嫌気がさしてた「管理」や「しがらみ」が、ここにはほとんど無い)
切り出した材木を肩に担ぎ、ジンは一息つく。
この村を支配しているという『狩りと月の神』の存在も、ここではまだ、時折行われる礼拝や、狩りの成功を祈る習慣の中に溶け込んでいるに過ぎなかった。狩人であるガイゼンがそれを嫌がるような素振りだけは気になっていたが、元々偏屈そうな老人なので個性として受け入れていた。
「おい、ジン! 休憩にするぞ。リンダスが家から持ってきた果実水があるってよ」
離れた場所から、リンダスが手を振る。数ヶ月前、あんなに惚けていた男は、今ではジンの良き仕事仲間であり、この世界の常識を教えてくれる先達だ。
「ああ、今行くよ」
ジンが歩き出そうとした、その時。
――ひた、と。
背筋を冷たい指でなぞられたような、悪寒が走る。
その悪寒に導かれるように、ジンは『母なる森』の方角へ目を向けた。
いつもは神妙な静寂を保っている森の浅層から、鳥たちが一斉に飛び立つのが見えた。
それと同時に、村の入り口の方から、聞き慣れない鐘の音が激しく打ち鳴らされる。
「……何の音だ? 礼拝の時間にはまだ早いだろ」
リンダスが不安げに空を見上げる。
村の広場の方から、馬の蹄の音と、金属が擦れる重々しい音が近づいてきた。
現れたのは、銀の胸当てを纏い、背中に弓を背負った数人の騎兵たち――『狩りと月の神』の直属の使徒、その指衛士の一団だった。
彼らは村の中央で足を止めると、村長を呼びつけ、威圧的な声で告げた。
「近頃、森の浅層にて我々の一個小隊の壊滅が観測された。神格を乱す魔物が紛れ込んでいる疑いがある。……村長よ、防人の役目としてお主らに捜索隊の命を与える、見捨てられた者どもの身に余る光栄である!有り難く拝命せよ!」
ジンの心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をした。
切り出し場で、自分を見守るように立っているガイゼンの姿が遠くに見える。老狩人は、研ぎ澄まされたナイフを握り締め、厳しい表情で騎士たちを凝視していた。
ジンは、小脇に抱えていた材木を静かに地面に置いた。
その拳は、怯えか、怒りからか、震えを止めることができなかった。