悔いなき選択 ※休止   作:Jefflocka

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【前回のあらすじ】

 第19話。

 アストレア・ファミリアは少人数でダイダロス街区の西廃倉庫へ潜入。
 ベートが臭いを追い、ザイロが退路を塞ぎ、
 パトーシェが正面を制圧し、レックスが全体を動かした。

 目標——ダイダロス・オーブ——奪還、成功。

 ただし、運び屋はレックスの判断で意図的に逃がした。
 「アストレア・ファミリアがオーブを持っている」と
 敵に知らせるための、計算した一手だった。

 帰還後、パトーシェが反発した。
「それは街を守る者の判断ではない。敵を呼び込む者の判断だ」

 レックスは、すぐには返せなかった。

 任務は成功した。
 では、黒鍵を手にした星屑の庭に——次は何が来る。



第20話 黒鍵は渡さない

 夜が深まった食堂に、それが置いてあった。

 

 白い球体。人の頭ほどの大きさ。

 表面を細い金の線が幾重にも走り、

 交差する中心に——赤い目がある。

 

 虹彩の縁が、淡く光っていた。

 瞬くわけでも揺れるわけでもない。

 ただ在って、静かにこちらを見ていた。

 

 誰も触れなかった。

 

 全員が、なんとなく少し距離を取っていた。

 

 (……ずっと見られている気がする)

 

 レックスは目を離せなかった。

 

 百年以上前に作られたものが、今夜ここにある。

 

 それだけのことが、妙に重かった。

 

「なんで目があるんだ」

 

 ベートが言った。

 

「さあ」

 

「さあって何だよ。奪ってきたのはお前らだろ」

 

「目がある理由と奪ったことは別問題だろ」

 

 ザイロが天井を向いたまま返す。

 

「……発光が弱まっている」

 

 パトーシェがオーブの側面を観察していた。

 

「持ち運びで消耗したのか、使用者の手から離れたからか。

 どちらにせよ、今夜中に何かが起きるわけではない」

 

「ならとっとと片付けろよ」

 

「片付ける前に、どうするか決めなければならない」

 

「どうするって」

 

「渡すか、持つかだ」

 

 食堂が静かになった。

 

 アストレアが椅子を引いて座った。

 

「話しましょう」

 

 主神の声だった。

 

 全員の視線がレックスに集まった。

 

 (なんで全員こっちを見るんだ)

 

 (……まあ、俺が言い出したことだけど)

 

 

「渡さない」

 

 レックスが言った。

 

「ギルドにも、ロキ・ファミリアにも」

 

 パトーシェの目が鋭くなった。

 

「理由を」

 

「渡した瞬間、俺たちは交渉相手じゃなくなる。

 ロキに渡せばロキが主導権を持つ。

 ギルドに渡せばギルドが管理権を持つ。

 どちらに渡しても、次の瞬間から俺たちは

 呼ばれた時だけ動く駒になる。

 それは嫌だ」

 

「貴様の都合の話をしているのではない」

 

 パトーシェの声が低くなった。

 

「これは戦利品ではない。

 敵を呼ぶ鈴だ。

 今この瞬間から、星屑の庭は的になっている。

 アストレア様が、住民スタッフが、

 アストレア・フィットネスの利用者たちが、

 協力してくれているシャクティさんたちが——

 全員、この鍵のせいで狙われる理由を得た」

 

 レックスは返せなかった。

 

「貴様は、この鍵を持つことで

 誰が危険に晒されるか、数えているのか」

 

 答えが出なかった。

 

 数えている。数えた上で、それでも、と思っている。

 でも、それを言えるほど確信が持てなかった。

 

 ザイロが口を開いた。

 

「パトーシェの言ってることは正しい」

 

 パトーシェが少し驚いた顔をした。

 

「……珍しく素直だな」

 

「正しいから面倒なんだよ」

 

「褒めているのか、貶しているのか、はっきりしろ」

 

「両方だ」

 

 パトーシェが眉を動かした。

 

「で、正しいくせに渡さない方に賛成するのか」

 

「そうだ」

 

 ザイロが足を組んだ。

 

「渡したら終わりだ。

 俺たちは"黒鍵を拾った奴ら"になる。

 ロキ・ファミリアは礼を言って、以後無視する。

 ギルドは記録に残して、以後管理する。

 持てば危険だ。だが持たなきゃ、席にすら座れねぇ。

 パトーシェの言う危険は正しい。

 でも渡せば確実に失うものがある。

 俺は確実な損の方が嫌いだ」

 

 パトーシェが口を閉じた。

 

 完全に納得した顔ではなかった。

 

 でも、反論も止まっていた。

 

 ベートが鼻を鳴らした。

 

「……俺はどっちでもいい。

 ただ」

 

 黒鍵を一瞬見た。

 

「臭いは覚えた。

 似たものが近づけば分かる。

 それだけ言っておく」

 

「便利に使うなよ」

 

「使う」

 

「おい」

 

「冗談だ。

 ……たぶん」

 

「たぶんって何だよ」

 

「九割冗談だ」

 

「残りの一割が気になるんだが」

 

 ザイロが言った。ベートが目をそらした。

 

 パトーシェが額に手を当てた。

 

 

 アストレアが静かに言った。

 

「一つ聞かせて。レックス」

 

「はい」

 

「怖い?」

 

 全員が少し止まった。

 

 レックスは少し間を置いた。

 

「……怖いです」

 

「何が怖い」

 

「分からないことが怖い。

 持ち続けることで誰が傷つくか、

 全部は見えない。

 渡さないと決めたとして、

 それが最後まで正解かどうか、証明できない」

 

「それは私も同じよ」

 

 アストレアが静かに言った。

 

「私も怖い。

 この庭が狙われることも、

 みんなが傷つくことも。

 でも、怖いから渡すなら——最初から奪うべきではなかった」

 

 レックスは黙った。

 

「怖いまま選びなさい。

 でも選んだなら、帰る場所も守りなさい。

 正義は進むことだけではないわ。

 戻る場所を残すことも、正義よ」

 

 しばらく、誰も言わなかった。

 

 パトーシェが息を吐いた。

 

「……私は反対だ。それは変わらない」

 

 全員が見た。

 

「だが、決めたなら従う。

 反対した者として、最後まで警戒する。

 それが私の役割だ」

 

 ザイロが「そういうとこだぞ、パトーシェ」と言った。

 

「どういう意味だ」

 

「真面目すぎて、損する人間だって言ってる」

 

「……それは、褒めているのか」

 

「褒めてる」

 

 今度は即答だった。

 

 パトーシェの耳の先が、少し赤くなった。

 

「……任務上、反対を記録しておく必要があっただけだ」

 

「知ってる」

 

「余計なことを言うな」

 

「言いたかった」

 

 ベートが「ここは無視していいか」と言った。

 

「無視してくれ」とザイロが言った。

 

「無視しろ」とパトーシェが言った。

 

 二人が同時に言って、お互いを一瞬見て、また別の方向を見た。

 

 レックスは黙ってじゃが丸くんの袋を開けた。

 

 パリ、と音がした。

 

「貴様、今この場で何を食べている」

 

「糖分補給」

 

「会議中だぞ」

 

「終わった。さっきアストレア様が決めた」

 

「……決まったのか」

 

「決まった。渡さない。パトーシェが警戒を引き受けてくれた。

 それで決まり」

 

 パトーシェが眉を寄せた。

 

「そんな雑にまとめるな」

 

「雑じゃない。重要な決定だ」

 

 レックスがじゃが丸くんをアストレアに一つ差し出した。

 

「……あら。ありがとう」

 

 アストレアが受け取って、一口食べた。

 

「美味しいわね」

 

「アイズ・ヴァレンシュタイン対策の備蓄です」

 

「……え?」

 

「突然来ることがあるので、常備しています」

 

 アストレアが数秒止まった。

 

「そ、そうなの」

 

「はい」

 

 ベートが鼻を鳴らした。

 

「……においがする」

 

「どうぞ」

 

 レックスが一袋投げた。

 

 ベートが受け取って、無言で食べた。

 

 ザイロが「俺は」と言った前に一袋投げた。

 

 パトーシェが「私は会議中だからいらん」と言った直後に一袋置いた。

 

 しばらく間があった。

 

 パリ、と音がした。

 

 ザイロが口の端を上げた。

 

 パトーシェは何も言わなかった。

 

 (いい庭だな)と、レックスは思った。

 

 

* * *

 

 

「保管はどうする」

 

 ザイロが言った。

 

「管理室の金庫。

 鍵はアストレア様だけが持つ。

 場所を知るのはこの部屋の全員と、

 必要に応じてシャクティさんとアスフィさんまで。

 ギルドへの記録は上げない」

 

「ギルドへの虚偽申告になるが」

 

「記録には上げない。でも隠蔽もしない。

 聞かれたら答える。今は聞かれる前に動く」

 

「シャクティには何を伝える」

 

「警戒線を共有する。

 黒鍵を持っている事実、敵が来る可能性。

 見返りにガネーシャ側の巡回を増やしてもらう。

 街を守るための情報共有として持ちかける」

 

「シャクティさんが納得するかどうかは別の話だ」

 

「しない。でも一緒に考えてくれる人だから、

 筋を通せば話を聞いてくれる」

 

 パトーシェが言った。

 

「アスフィには?」

 

「保管策を相談する。

 偽物を作れるか、触れる人間を限定するための箱を頼めるか。

 全部は無理でも、できる範囲を聞く」

 

「あの方が何でもできるわけではないぞ」

 

「分かってる。できないことはできないと言える人だから頼む」

 

 ベートが言った。

 

「フィンには」

 

「現物を見せる。

 ただし渡さない。

 情報共有と合同警戒を条件に、クノッソスへの動きにこの庭を組み込ませる。

 それが要求だ」

 それが要求だ」

 

「フィンが断ったら」

 

「断らない」

 

「根拠は」

 

「フィンも黒鍵が欲しい。

 手に入らないなら、

 次善として持っている側と組む方を選ぶ。

 あの人はそういう判断ができる指揮官だ」

 

 ザイロが少し間を置いた。

 

「……フィンと会うのが怖いか」

 

 レックスは少し止まった。

 

「怖い」

 

「正直だな」

 

「嘘ついても仕方ない。

 俺より遥かに完成された盤面使いと、

 同じ机に座るのは怖い。

 でも」

 

 一拍あった。

 

「怖いから渡す、は違う。

 怖いから、準備する」

 

 ザイロが鼻を鳴らした。

 

「まあ、そうだな」

 

「大した度胸だな、十五歳のくせに」

 

「褒めてないよな、それ」

 

「褒めてない」

 

「知ってた」

 

 ベートが「俺が運ぶ」と立ち上がった。

 

「一番速い。それだけだ」

 

 黒鍵に手を伸ばした。

 

 触れた瞬間——

 微かに、赤い目が光った気がした。

 

 ほんの一瞬で、また静かな光に戻った。

 

 誰も何も言わなかった。

 

 ベートだけが、ほんの少し眉を動かした。

 

 (……なんだ、今の)

 

 

 金庫の扉が閉まった。

 

 アストレアが鍵を、自分の首にかけた。

 

 それだけのことだった。

 

 大仰な儀式でも、宣言でもない。

 

 ただ、鍵が一人の神の首に下がっただけ。

 

 でも、その重さは確実にこの庭全体に乗った。

 

 

* * *

 

 

 全員が散ったのは、それからしばらくした後だった。

 

 ベートは自分の部屋へ。

 ザイロは「一杯飲む」と台所へ。

 パトーシェは「見回りに行く」と外へ。

 

 廊下でアスフィとすれ違った。

 

 今夜の伝言を届けに来た、と彼女は言った。

 

「黒鍵の保管について、いくつか確認したいことがあります。

 ……その前に」

 

 アスフィがレックスを見た。

 

「顔色が悪い」

 

「大丈夫です」

 

「大丈夫な顔じゃないです」

 

「大丈夫と言ってる人間は大丈夫なんです」

 

「そういう人に限って一番大丈夫じゃないことを、

 私は職業柄よく知っています」

 

 レックスは少し黙った。

 

「……保管の話、明日でもいいですか」

 

「いいですよ。

 ただ、早めに。

 あれは早いほどいい」

 

「分かりました」

 

 アスフィが帰り際に言った。

 

「危険物を抱えた顔をしている人が、

 それ以上危険物になるのは見ていて辛いです。

 ご自身も、管理対象に含めてください」

 

 レックスは返せなかった。

 

 アスフィは特に待たずに帰った。

 

 

 最後にアストレアがレックスに言った。

 

「レックス。今夜はゆっくり休みなさい」

 

「手紙を書いてから休む」

 

「フィンへの?」

 

「はい」

 

 アストレアは少し間を置いた。

 

「……まだ怖い?」

 

「まだ怖いです」

 

「何が」

 

「正しいかどうか、最後まで分からないことが。

 渡さないと決めた。

 でも、パトーシェの言った通り、

 危険はこちらへ来る。

 それで誰かが傷ついたら——」

 

「レックス」

 

 アストレアが穏やかに言った。

 

「怖さを手放したら、あなたはあなたじゃなくなる。

 怖いまま選んだから、今夜の会議は正しかった。

 怖くなくなった時が危ない」

 

「……はい」

 

「おやすみなさい。

 ちゃんと、眠りなさいね」

 

「おやすみなさい、アストレア様」

 

 

 机に向かったのは、それからすぐだった。

 

 ペンを取った。

 

 フィン・ディムナへの手紙。

 短くていい。飾りはいらない。

 

 手が少し震えていた。

 

 (怖いな)

 

 (でも、怖いから書かない、は違う)

 

 ペンを動かした。

 

 ——持っている。見せる。ただし渡さない。話がしたい。

 

 手は震えたまま書いた。

 

 でも、書けた。

 

 封をした。

 

 テーブルの上に置いた。

 

 それを見た。

 

 黒鍵は今、金庫の中にある。

 静かで、重くて、赤い目を持って、ただそこにある。

 

 これは扉を開けるための鍵ではない。

 今はまだ、開けてはならない。

 

 これは——同じ机に座るための札だ。

 

 星屑の庭は、その札を手放さないと決めた。

 

 それがこの選択の意味で、

 この選択の重さで、

 この選択の続きだ。

 

 レックスは窓を少し開けた。

 

 夜の空気が入ってきた。

 

 まだ夜明けには遠い。

 

 でも朝は来る。

 

 今日から始まる。

 

 これが、星屑の庭の次の一手だ。

 




【作者コメント】

 第20話「黒鍵は渡さない」、お読みいただきありがとうございます。

 今回は「戦わない回」でした。

 戦闘ではなく、机の上に黒鍵を置いて、
 誰が反対して、誰が賛成して、
 誰が怖がって、誰が背負うかを決める回です。

 この回で一番伝えたかったのは、
 レックスの「強さ」ではなく「怖さ」でした。

 前世記憶があっても、戦術眼があっても、
 レックスは今この体では15歳です。
 フィンと同じ机に座ることが怖い。
 誰かが傷つくかもしれないことが怖い。
 正解かどうか最後まで分からないことが怖い。

 それでも席を立たない。
 それでも封筒を書く。
 手が震えたまま書く。

 そこだけを描きたかった回です。

 パトーシェの反対について。
 今回、パトーシェは最後まで完全には納得しませんでした。
 それが正しいと思っています。
 彼女は正論で刺す役ではなく、
 倫理と重さをこの庭に戻す役です。
 反対した者として最後まで警戒する、という言葉が、
 この回のパトーシェで一番大事な場面でした。

 ザイロとパトーシェの相棒感について。
 「正しいから面倒なんだよ」「両方だ」のやり取り、
 そして褒めた直後のパトーシェの耳が赤くなる件、
 書いていて一番楽しかったです。
 本人たちは任務の話しかしていない。

 ベートの「九割冗談」について。
 残り一割が何なのか、本人も分かっていないと思います。

 じゃが丸くんについて。
 重い会議の後に袋を開ける音でレックスの人間らしさを出したかった。
 パトーシェが「いらん」と言いながら食べる場面、
 これが今回で一番好きです。

 アスフィの一言について。
 「ご自身も管理対象に含めてください」、
 これはアミッドが言いそうな言葉ですが、
 今回はアスフィに言わせました。
 実務家が実務として言う言葉の方が、
 レックスには刺さると思って。

 次回第21話はフィン・ディムナとの交渉です。
 手紙は書けた。
 次は、同じ机に座る番です。

 引き続きよろしくお願いします。

(メモリア・フレーゼのアプリ ストーリーだけ残してくれるのありがたすぎる。とてもストーリーの予習に助かる存在。無かったら絶望してたw)
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