三条理久は、自分の死に方が気に入らなかった。
もっとこう、あるだろうと思う。
誰かを庇って死ぬとか、せめて何かに抗って死ぬとか。そういう“それっぽい終わり方”が。
なのに現実は、拍子抜けするほどしょうもなかった。
夜道。
イヤホン。
スマホ。
赤信号を雑に渡って、横から来たトラックに撥ねられた。
終わりだ。
痛かった、と思う。
けれど最後に胸を満たしていたのは、痛みよりも苛立ちだった。
――こんな終わり方、あるかよ。
だってまだ何も始まっていなかった。
理久は特別な人間になるはずだった。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
勉強はそんなにできない。部活も続かない。バイトも長続きしない。何かを本気で積み上げた経験なんて、ろくにない。
それでも心のどこかでは、自分には“舞台さえ整えば上へ行ける何か”があると信じていた。
今はまだ違うだけ。
当たりを引いていないだけ。
才能をもらっていないだけ。
なのに、その前に人生が終わるなんて、納得できるはずがなかった。
「……クソ」
そう吐いたつもりだった。
次に目を開けたとき、世界は真っ白だった。
床も壁も天井もない。
ただ白いだけの空間。何もない場所を、わざわざ“白”で塗りつぶしたみたいな、不自然な白さだった。
その中心に、女が立っていた。
白い髪。白い衣。白い肌。
整いすぎた顔立ちは、綺麗というより作り物めいていた。人間が美しいと思う要素だけを寄せ集めて作った像のようだった。
だが、いちばん妙だったのはその目だ。
柔らかく笑っているのに、まるで笑っていない。正確には――理久ではなく、その反応の先を見ているような目だった。
「目が覚めたのね」
声音は甘く、驚くほど優しかった。
優しすぎて、逆に現実味がない。
理久は身体を起こして周囲を見回した。どこまで見ても白しかない。
「……ここ、どこだよ」
「死後の狭間、とでも思っておけばいいわ」
数秒、理久は黙った。
そして次の瞬間、目を見開く。
「え。じゃあ俺、死んだの?」
「ええ」
「マジで?」
「マジで」
平然と頷かれたことで、理久の頭の中で一気に線が繋がった。
白い空間。
綺麗すぎる女。
死後。
そして自分だけがここにいる。
「……ああ」
口元が、勝手に緩んだ。
「これ、あれか」
女は微笑んだまま首を傾げる。
「何かしら?」
「転生とか、そういうやつ?」
その問いに、女の笑みがほんの少しだけ深くなった。
それで十分だった。
来た。
ようやく来たのだ。
こういうのを待っていた。
今までの人生がパッとしなかったのも、全部このための前振りだったのかもしれない。
「で?」
理久は、にやりと笑う。
「何くれんの?」
遠慮も躊躇もなかった。
理久の中ではもう、この先の展開はほとんど決まっている。強い力をもらって、異世界で無双して、周りにすげえすげえ言わせて、自分が本当に特別だったことを証明する。そういう流れだ。
女は理久を見つめた。
その視線は優しかったが、同時にひどく冷たかった。檻の前にしゃがみこんで、小動物の反応を眺める子どもみたいな目だった。
「特別に、好きな力を与えてあげる」
「マジ?」
「ええ。お前が望む力を」
お前、という呼び方が少し引っかかった。
けれど理久は、すぐにどうでもよくなった。
好きな力。
選べるのか。最強能力を、自分の好きなやつを。
脳内にいろんな候補が浮かぶ。
魔法。時間停止。不死身。無限成長。未来予知。
けれどすぐに、それら全部を押しのけて、一つの姿が頭に浮かんだ。
白い装甲。
狐を思わせるシャープな頭部。
走りも、銃も、立ち姿も、全部が“勝つ側”のデザイン。
理久は、ほとんど即答した。
「仮面ライダーギーツ」
女は一度だけ瞬きをした。
「……へえ」
「だって一番かっこいいし。強いし。主人公だし」
理久は早口になる。
「しかもギーツって、見た瞬間に“こいつ勝つな”って分かる感じあるじゃん。あの見た目で弱いわけないし。銃あるし、ブーストあるし、普通に最強だろ」
言いながら、自分でもテンションが上がっていくのが分かった。
ギーツになれたら、もう終わりだ。
いや、終わりじゃない。始まりだ。
今まで何者でもなかった自分が、一気に“何者か”になれる。
努力とか修行とか、そういう面倒なものを何段飛ばしもして、一番上の席に座れる。
「いいわ」
女が手を差し出すと、そこに光が集まった。
まず現れたのは、黒いベルト。
見間違えるはずがない。
デザイアドライバー。
次に、白い狐の横顔を象ったギーツIDコア。
さらに二つのバックル。
マグナムバックル。
ブーストバックル。
理久の喉が、ごくりと鳴った。
「……本物」
「ええ」
「触っていい?」
「もうお前のものよ」
理久は飛びつくようにデザイアドライバーを掴んだ。
重い。冷たい。硬い。
夢の中の玩具なんかじゃない。現実の質量があった。
指先が震える。
笑いが止まらない。
「やば……マジかよ……」
IDコアを手に取る。
掌の中のそれは、小さいくせに妙な存在感があった。自分のこれまでの人生全部より、こっちの方がよほど“本物”に思えた。
「気に入った?」
「気に入るに決まってんだろ……!」
理久は顔を上げた。もう隠す気もない。
「これで俺、勝ち確じゃん」
女は笑った。
優しげに。慈愛深く。
けれど、その実。
理久の内側を覗き込んで、ほくそ笑んでいた。
――ああ、いい。
――この顔。
自分にふさわしいかどうかも考えず、力を与えられた瞬間に“勝ち”を確信する顔。
選ばれたのだと、何の疑いもなく思い込む顔。
転び方を知らないまま、高い場所へ立たされた人間の顔。
こういう者ほど、落ちる時が美しい。
「転生先は、ヒーローが存在する世界よ」
女はさらりと言った。
「“個性”という超常が当たり前にあって、ヒーローとヴィランが社会の一部として存在している世界」
「……は?」
一瞬だけ、理久は呆けた。
次の瞬間には、破顔していた。
「ヒロアカみたいな世界ってこと!?」
「そう思ってもらって構わないわ」
「最高じゃん!」
理久は笑いを抑えられなかった。
ヒーローがいて、ヴィランがいて、超常が溢れている世界。
その中で、自分は無個性かもしれないが、関係ない。ギーツの力がある。
むしろおいしい。
無個性から最強。
めちゃくちゃ主人公だ。
「雄英とか入れる? ヒーロー科とか行ける? いや、行けるか。これあるし。てか余裕だろ」
理久はもう、入学した後のことまで勝手に想像していた。
周囲を驚かせる登場。
圧倒する戦闘。
教師たちがどよめき、クラスメイトが一目置く。
その中心に、自分がいる。
女はただ頷くだけだった。
「好きにするといいわ」
「じゃあ、もう行かせてくれよ」
理久はデザイアドライバーを抱えたまま、今にも飛び出しそうな顔で言った。
特別な使命を授かった英雄というより、新作ゲームを買ってもらった子どもに近い顔だった。
女が片手を上げる。
白い空間が揺らいだ。
足元が抜ける。
「新しい人生を楽しんで」
その声は、どこまでも甘かった。
理久の身体が、底のない白へ落ちていく。
それでもその顔には期待しかない。恐怖などほとんどない。あるのは、これから始まる自分の無双への確信だけだ。
「っしゃあ!」
落ちながら、理久は叫んだ。
「見てろよ! 今度こそ俺、最強になるからな!」
白が砕ける。
理久の姿が消える。
静寂が戻った。
女は、そこで初めて、口元を隠しもせずに笑った。
「最強、ね」
くすり、と。
「本当に、おもしろい子」
その声に応えるように、空間の奥で気配が揺れた。
何の前触れもなく、そこに一人の男が立っている。
白を基調とした衣装。光を薄くまとったような髪。
人の姿をしているのに、どこか現実から半歩ずれて見える佇まいだった。
浮世英寿は、理久が消えた先をしばらく見つめていた。
女は上機嫌のまま微笑む。
「どう? お前の力をあげたの。少しは気になるでしょう?」
英寿はすぐには答えなかった。
ただ、白の向こうを見ている。
やがて、小さく息を吐く。
「……趣味が悪いな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「褒めてない」
声音は淡々としていた。
怒っているわけでもない。けれど、女の悪趣味に付き合って笑うつもりもなかった。
女は肩をすくめる。
「でも気になるんじゃない? 自分の力を手にした子が、どこまで行けるのか」
英寿は少しだけ目を細めた。
「まだ何でもない」
「淡白ね。せっかくギーツの力を持っているのに?」
「力を持ってるってだけだ」
短く、はっきりと。
その一言には、見下しも嘲りもなかった。
ただ、それだけでは足りないと知っている者の実感だけがあった。
女は楽しそうに首を傾げる。
「なら、放っておくの?」
英寿は理久が落ちていった白の裂け目を見たまま答える。
「……今は何を言っても同じだろ」
「そう」
「ああいうのは、自分で痛い目を見ないと分からない」
女は満足そうに笑った。
まるで、それこそ自分が聞きたかった答えだと言わんばかりに。
「じゃあ見ていましょうか。あの子が、どこで折れるのか」
英寿はその言葉には乗らなかった。
少しの沈黙のあと、静かに言う。
「折れるかどうかは、まだ分からない」
女が目を細める。
「優しいのね」
「別に」
英寿は視線を戻さないまま、淡々と続けた。
「勘違いしたまま終わるなら、それまでだ。
でも、自分で気づけるなら――その先はある」
白い空間に、再び静けさが落ちた。
祝福は与えられた。
けれどそれは、救済なんかじゃない。
空っぽのまま特別な力を掴んだ少年が、何を壊し、何を失い、それでもなお立てるのか。
それを見届けるための、ひどく歪な幕開けだった。