ショタ魔族ワイ、フリーレンに腰ヘコヘコして無事死亡   作:(⩌ˬ⩌)

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第四話 腰ヘコはここから始まった

ゼーリエの思考が一瞬だけ停止した。

 

今この魔族は何と言った?

 

腰ヘコヘコ。

 

何かの暗号か。魔族の間で通用する隠語か。高度な心理戦の一環か。

 

敵の思考を撹乱するための、計算し尽くされた狂言か。

 

「よーし! 作戦変更! 初手からの熱意アピールは逆効果だったみたいだし」

 

少年の魔族が真剣な顔でぶつぶつと呟きながら自分の頬をぱんっと叩いた。そして瞬時に表情が切り替わった。

 

さっきまでの興奮と鼻息荒い変態の顔が消え、代わりに浮かんだのは儚げで怯えたような……懸命に勇気を振り絞っているような完璧な美少年の表情。

碧い瞳にうっすらと涙を浮かべ、唇を微かに震わせて。

 

てとてと、と。小さな足取りでゼーリエに近づく。

 

「あ、あの……お姉ちゃん……僕、迷子になっちゃって……」

 

声まで変わっていた。

さっきの絶叫が嘘のように、震えた子供の声。

 

「怖い森で一人で寂しくて……お姉ちゃんを見つけたら、すごく安心しちゃって……あの、怒らないで……?」

 

上目遣い。両手を胸の前で握り合わせて碧い瞳を潤ませて。

 

──リヒとが数年間、水溜まりに向かって鍛え上げた演技力の集大成。

 

人間の女性であれば十中八九……いや百中百、庇護欲を爆発させるであろう、渾身の弱者ムーブ。

 

「ねえ……お姉ちゃんの、綺麗な白い足に……僕のお顔をすりすりしても……」

 

さらに一歩近づく。

 

「……」

 

ゼーリエの金色の瞳が少年を見下ろしていた。

 

表情は変わっていない。一切。先ほどの僅かに揺らいだ無表情が完全に元に戻っている。

 

いや……戻ったのではない。

 

凍った。

 

ゼーリエの目に浮かんでいるのは嫌悪でも怒りでも警戒でもなかった。もっと根源的な——「理解不能なものを見た」という困惑。

ただし、それを表情に出すことを自分に許さない程度の矜持は保っている。

 

魔族の擬態。それ自体は珍しくもない。

魔族が人間の言葉で騙し、油断を誘うことは幾度となく目にしてきた。

 

「お姉ちゃん、怒ってる? 怒ってないよね? ねえ、太腿のすぐ横にあるスリットの隙間から、僕の顔を潜り込ませて、そのまま深く深呼吸してもいいかな? あ、無理? じゃあせめて膝裏の匂いだけでも──って、あれ。何か光って……えっ、待って、無力な子供の純粋なお願いに対する大人の対応としてそれは大人げないっていうかさぁ、嘘だよね?ショタは問答無用で保護するのが世界の法則じゃ──」

 

「くだらん」

 

一言。

 

それだけだった。

 

ゼーリエの周囲の空間が歪んだ。重力が局所的に暴走する。少年の体が地面に叩きつけられ……叩きつけられた、などという生易しいものではなかった。

 

「ぐえええええーーーー!!!!」

 

圧縮。

 

見えない万力が少年の体を上下から挟み、信じられない圧力で押し潰していく。

骨が軋む音。肉が潰れる音。少年の体が紙のようにぺしゃんこに。

 

超重力魔法。ゼーリエが指一本動かすことなく思考の片隅で発動させただけの、片手間の一撃。それだけで少年は二度目の死を迎えた。

 

地面に赤い染みが広がる。

 

つい一秒前まで立っていた場所に、人の形をしていたものの名残が薄く貼り付いている。

 

ゼーリエは踵を返した。

 

もう見る価値もない。目的も意図も読めないが、それは単に狂った魔族というだけの話だ。脅威ではない。

何度か殺せば蘇らなくなるだろう。

 

そう、結論づけた矢先だった。

 

背後で、あの音が始まった。

 

ゼーリエは足を止めた。

 

振り返らずとも分かる。魔力の流れが教えてくれる。地面に張り付いた赤い染みから光の粒子が立ち昇っている。

潰された肉が膨らみ、砕けた骨が再構成され、圧死したという結果が世界から巻き戻されていく。

 

二度目。

 

同じ呪いが、同じように発動している。

 

「……」

 

ゼーリエは振り返った。

 

復元は完了していた。傷一つない美少年が、地面に大の字に寝転がっている。

ぱちぱちと瞬きをして、それからむくりと起き上がった。

 

リヒトは体をぱんぱんと叩いて埃を払い、首をこきこきと鳴らした。

 

そしてゼーリエを見た。

 

碧い瞳に、恐怖はなかった。怯えもなかった。

代わりにあったのは——何とも形容し難い、蕩けるような光。

 

「……フーッ(ゴキゴキ)」

 

沈黙。

 

風が吹いた。ゼーリエの金色の髪と、リヒトの蜂蜜色の髪が同じ方向に揺れた。

 

リヒトが口を開いた。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

 

「……」

 

「今のは痛かったよ。すっごく痛かった。ぺしゃんこにされるの初めてだったし。あれは新体験だったね」

 

「……」

 

「でもさぁ」

 

リヒトが笑った。

 

「氷みたいに冷たい目で見下ろされながら踏み潰されるの……なんだろう。僕の中の新しい扉が開きそうになったよ。ひっ……ひひっ……」

 

碧い目がとろんと蕩ける。頬が薄桜色に染まっている。

 

「虫ケラを見るみたいな冷たい目でさ、くだらんって一言だけ吐き捨てて、ぐしゃってやるでしょ? あれ最高。僕のために特別に用意された最高のシチュエーションじゃん。ドSのお姉ちゃんに全力で踏み潰される無力なショタ。需要しかない。ていうかお姉ちゃんに殺されるなら何回死んでもいいかもしれない。いやでも本命は腰ヘコヘコだからそこはブレないけど——」

 

「貴様は」

 

ゼーリエが口を開いた。

 

声は低かった。平坦で、感情の色が削ぎ落とされた声。

だがその底に、微かな困惑の澱が沈んでいた。

 

「その呪い。時の流れに逆らい、死という結果そのものを世界から消し去る大呪い。女神の理に対する悍ましい冒涜だ」

 

「へー、そうなんだ。僕よく分かんないけど。で、女神って誰?腰ヘコヘコできる?」

 

ゼーリエの目が、すっと細くなった。

 

嘘か本当か。

 

──よく分からない。この魔族の言葉を額面通りに受け取るべきかどうかは分からない。

 

だが、あの呪いの質は本物だ。あれは紛れもなくゼーリエの知識の中でも数える程度しか理論上の記述を見たことがない、最上級の禁呪。

 

それほどの呪いを身に宿した魔族がこれほどまでに弱い、というのも解せない。

 

何か裏がある。あるはずだ。茶番のような振る舞いの裏に底知れない目的が——

 

「ねえお姉ちゃん、名前なんていうの? 僕リヒト! よろしくね! あ、それよりお姉ちゃんのその服、すっごく素敵だね! 特にここのスリット部分! 神がかったデザインだよ! もうちょっと深くてもいいと思うんだけどどうかな! ていうかお姉ちゃんの太腿って近くで見ると更にすごいね! 絹? 絹なの? 人間の肌でこのきめ細かさは——あ、エルフか。エルフの肌ってこんなにすべすべなの? 触りたい。触っていい? 駄目? じゃあ添い寝だけでも——」

 

喋り続けている。

 

死の恐怖を微塵も感じていない。二度殺されたことに対する怒りも恨みもない。あるのは——ただひたすらに、目の前の女の太腿に対する、底の知れない執着。

 

ゼーリエはほんの一瞬だけ自分の認識を疑った。

 

何千年と生きてきた。あらゆる種類の敵と対峙してきた。世界の破滅を企む魔族。力に溺れた人間。狂気に取り憑かれた魔法使い。どんな相手であれ、その目的を読み、思考を看破し、最適な対処を行ってきた。

 

だが。

 

目の前のこの存在は読めない。

 

読めないのではなく、読む価値のある深層が存在しないのだ。

表面に見えている太腿と腰ヘコヘコが文字通りこの魔族の全てなのだとしたら……

 

それは、ゼーリエにとって未知の存在だった。

 

理解できない。理解したくもない。

 

「名を聞いたな」

 

ゼーリエが、低い声で言った。

 

「うん! 教えて教えて!」

 

「ゼーリエだ」

 

「ゼーリエちゃん! ゼーリエお姉ちゃん♡可愛い名前! 僕のことはリヒトって呼んで! ねえお姉ちゃん——」

 

空気が震えた。

ゼーリエの魔力が一瞬だけ膨れ上がり、森全体がみしりと軋む。鳥が一斉に飛び立ち、地面の小石がカタカタと跳ねた。

 

リヒトの体がびくりと強張った。が、怯えたのではなく、感動で震えたらしい。

 

「す、すご……お姉ちゃんが怒ると森が揺れる……かっこいい……最高……♡」

 

「……」

 

「ねえゼーリエお姉ちゃん! お願いがあるの! 一つだけ! 一つだけでいいから聞いて!」

 

ゼーリエは無言で先を促す。好奇心からではなかった。この魔族の目的を確認するためだ。

女神の理を冒涜する大呪いを背負い、何度殺されても蘇る不死の魔族。その存在が求めるもの。世界に対して成そうとしていること。それを聞き出す。

 

リヒトは深呼吸した。

 

「お姉ちゃんとの腰ヘコヘコ……いや、いきなりそれはハードルが高いのは分かってる。分かってるから。だからまずは——半ヘコでいいから! 半ヘコ! ヘコの半分! 腰をちょっとだけ前に出すだけ! 減るもんじゃないでしょ! お姉ちゃんの太腿に一瞬だけ腰をヘコヘコしたいの!♡でも本当は股に──」

 

「貴様は狂っているのか」

 

ゼーリエの声に初めて明確な感情が乗った。

この感情は、ゼーリエにとって新鮮だった。

あらゆる敵に対して恐怖を感じたことはない。怒りも、焦りも、全て制御下にある。だが困惑という反応は想定外だった。

 

ゼーリエは、静かに右手を持ち上げた。

 

掌に光が凝縮する。白ではない。金色の太陽の核を圧縮したような、灼熱の光。

業火。万象を灰燼に帰す炎の魔法。ゼーリエが放てば、それはもはや魔法の域を超えた天災となる。

 

「あっ、光ってる。綺麗。お姉ちゃんの手のひらめっちゃ綺麗……♡って違う、あ、これ死ぬやつ、ちょ待っ、最後に一言質問、ちゃんと下着穿いてるの?それともノーパン──」

 

世界が白く染まった。

 

「ぎえええええーーーー!!!!!」

 

業火が少年の体を包み、骨の髄まで——いや、存在の根底まで焼き尽くした。

肉も骨も血も、一瞬で蒸発した。蒸発した気体すら燃え尽きて、灰すら残らなかった。

空間そのものが焼け焦げるほどの超火力。少年が存在していた場所には、硝子化した地面だけが残っている。

森の木々が数本、巻き添えで燃え尽きた。

 

ゼーリエは右手を下ろした。

沈黙が戻る。森の精霊たちが怯えたように息を潜め、風すら止まっている。

 

「……」

 

ゼーリエは焼け焦げた地面を見つめた。

 

瞳に僅かに疲労の色が滲んでいた。それは魔力の消耗による疲労ではない。もっと別の精神的な、とでも言うべき疲弊。

 

あの呪いの異常性。間違いなく、ゼーリエの知る限り最も悍ましい不死の呪い。そ

れを身に宿すほどの存在が、あの……あの目的のために……。

 

理解を拒む。

思考を打ち切る。

 

考えるだけ無駄だ。あれはただの狂った魔族だ。脅威ではない。目的も何もない。あるのはただ気持ちの悪い執着だけ。

 

ゼーリエは踵を返し、森の奥へと歩き出した。

今日はもう、魔法の研究に戻ろう。この不愉快な出来事は忘れ……。

 

「——ゼーリエお姉ちゃーん!! 待ってー!!」

 

背後から。

森の向こうから。

あの声が聞こえた。

ゼーリエの足が止まった。

 

「死ぬかと思った! いや死んだけど! でも今回は焼かれるの一瞬だったからあんまり痛くなかった! 流石お姉ちゃん一撃が優しい! 好き!」

 

振り返らなくても分かる。忌々しい光の粒子が、森の向こうで集まっている。あの魔族が三度目の復活を果たしている。

 

「ねーねーゼーリエお姉ちゃん! お姉ちゃんの太腿のために僕何回でも死ねるよ! これって愛だよね! 運命だよね! 僕たちの出会いって最高にエモいよね!」

 

足音が近づいてくる。

ぱたぱたと。軽い。子供の足取り。

 

「ゼーリエお姉ちゃんの手のひらから出たあの業火、すっごく綺麗だった! 今度はもうちょっとゆっくり焼いてくれない? じっくり味わいたい——いや違う。違うから。僕の本命は太腿だから。えーっと、次はどうやって近づこうかな——あ、そうだ。お姉ちゃん僕のこと名前で呼んでくれない? リヒトだよ。り・ひ・と。可愛いでしょ? ねえ呼んで——」

 

ゼーリエの全身に魔力が迸った。

 

♢   ♢   ♢

 

この日から——ゼーリエの長い長い人生に面倒が一つ増えた。

 

それは何千年経っても、決して消えることのない——世界で最もしつこく、最もくだらなく、最も意味不明な面倒。

 

後にゼーリエの弟子たちの間でこう語り継がれることになる。

 

——師の元に定期的に現れる魔族がいる。

 

——あれの目的は誰にも分からない。

 

——師はあれについて聞かれると一言だけ答える。

 

「くだらん存在だ。無視しろ」

 

その一言に数千年分の疲労が詰まっていることを、弟子たちは知る由もなかった。

 

 

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