翌朝。
セラフ基地のアリーナ施設へと通じる通路で、第30G部隊の白河ユイナは、施設前に立っていた士官の七瀬七海に声をかけた。
「七瀬士官」
「はい、白河部隊長。何かご用でしょうか?」
「今日は、部隊の訓練にアリーナを使えないんですか?」
固く閉ざされたアリーナの隔壁を見つめ、白河が静かに尋ねる。
「はい。本日は施設の定期メンテナンスのため、終日使用できない状態となっております」
七瀬は手元のタブレットから視線を外し、業務用のポーカーフェイスでよどみなく答えた。
「それは……また急ですね」
白河の隣に立っていた桐生美也が、不思議そうに首を傾げる。
「以前より、大掛かりなメンテナンスの機会は検討していました」
七瀬は表情一つ変えずに言葉を続ける。
「加えて、急遽行われた昨夜の『オペレーション・レチクル』により、疲労回復が必要な隊員も多数いるため、このタイミングで実施することを手塚司令が決定しました。明日には通常通り使用できますので、本日は30Gも特別休暇として身体を休めてくださいと、司令から伝言を預かっております」
「……確かに、そうだな」
白河は深く息を吐き、納得したように頷いた。
「目標のハブキャンサーは無事に撃破したとはいえ……あの大阪ドームの痛ましい結果は、現場にいた31Aや31Dの面々に、それなりの精神的負担を与えただろう。これを機に、少し労う時間を作りたいところではあるが……」
「今朝確認したところ、今日は両部隊とも、誰も自室にはいませんでしたね……」
桐生が心配そうに目を伏せる。
「そうだな……。今日だけは、そっとしておいてあげたほうが良いかもしれないな」
白河は後輩たちを気遣うように廊下の奥を見つめ、静かに踵を返した。
◆ ◆ ◆
その頃。
「メンテナンス中」と偽装され、完全に外部の目がシャットアウトされたアリーナ施設内。
手塚司令は、31Aの少女たちと共に、アリーナの片隅で宿泊していた南光太郎と向き合っていた。
「昨日は夜中までありがとう。よく休めたかしら?」
手塚が労いの言葉をかけると、ルカが大きく伸びをしながら答えた。
「うん。固い地面での夜営と違って、ちゃんとしたベッドの上だったからよく休めたよ」
「ふわぁ……私はまだ眠いですぅ〜……って、えええ!?」
目をこすりながらあくびをしていたタマが、不意に光太郎の顔を見て悲鳴のような声を上げた。
「西島秀俊さんがいる!! あの無精髭が綺麗に剃られてて、髪も整ってめちゃくちゃさっぱりしてます!!」
「西島秀俊じゃねえわ、南光太郎だわ。そろそろ別界隈の大人たちから本気で怒られるぞ……いや……確かにめちゃくちゃ似てるけどさ」
すかさずユキが的確なツッコミを入れる。
「わーお……だんでぃ、ないすがい、おじさま、いけめん……」
可憐が目を輝かせて、語彙力を失ったようにつぶやいた。
「自分、完全に語彙力崩壊しとるで」
めぐみが呆れたように突っ込む。
「アリーナのシャワールームを使わせてもらったんだ」
光太郎は、少女たちの賑やかな反応に少し戸惑いながらも、身だしなみを整えた自身の姿を見下ろした。
「ついでに、ランドリーで服を洗って……新しい服やゴーグルなどの小物類まで用意してもらった。世界がこんな事態になっているのに、この基地の施設だけは本当に凄いな……」
「私がさっき、基地内のブティックや、六宇亜さんとマリさんのお店でいくつか見繕ってきたの。サイズが合っていてよかったわ」
手塚が少しだけ満足げに口角を上げる。
「わざわざ、すまんな……」
「私はお金の使い道なんてほとんどないから、気にする必要はないわ」
「あそこの店、男性服の取り扱いもあるのかよ……。マジで何でも揃ってんな、この基地……」
ユキが感心したように天井を仰いだ。
「さて、雑談はこれくらいにして」
手塚が表情を引き締め、本題を切り出す。
「昨日の一件を踏まえて、今後のあなたの方針についていくつか固めることができたから、説明させてもらうわ」
その言葉に、31Aの面々も居住まいを正した。
「まず、南光太郎さん。結論から言うと、あなたにこの基地に常駐してもらうことはできないわ」
「え……?」
ルカが不安げに声を漏らす。
「まあ、そうだろうな」
光太郎は動じることなく、静かに頷いた。
「ええ。理由は、昨日あなたが危惧していた『基地ごと反逆罪に問われる』というリスクが無視できないからよ。私もこの基地と数多くの部隊員を預かる司令官として、その危険を軽視できない」
「そんな……」
「じゃあ……ここから追い出すんですか……?」
タマが泣きそうな顔で手塚を見つめる。
しかし、手塚は自信に満ちた瞳で首を横に振った。
「ここからが本題よ。光太郎さんには、秘密裏に『ワンマンアーミー』として、独立して外の調査を行ってもらいます」
「ワンマンアーミー……?」
ルカが首を傾げる。
「たった一人の軍隊ってことだ」
ユキが補足するように言った。
「私らみたいに部隊には所属せず、組織の枠組みから外れて一人で活動する独立遊撃兵って訳だ」
「つまり、自由行動が可能な特権……『ライセンサー』のようなものを持つってことね」
つかさも納得したように頷く。
「なら、結局またおっちゃんを一人で危険な外で戦わせるっちゅうんか……?」
めぐみが不満げに眉をひそめる。
「いいや。必ずしもそうじゃない」
光太郎が口を開き、ポケットから『ある端末』を取り出して見せた。
「それって!」
「電子軍人手帳!?」
ルカとユキが同時に声を上げる。
「……に、極めて近い性能を持たせた特製の通信機器だ。これを使って、外を旅しながら、俺が見たその地域の情報を手塚に送る」
「ええ。監視網をすり抜ける暗号通信よ。彼はこの提案を承諾してくれたわ」
手塚の言葉に、タマの表情がパァッと明るくなる。
「じゃあ……光太郎さんは……!」
「ああ。お前たちが心配しているように、完全に世界から孤立するわけじゃない」
光太郎は、優しさを滲ませた目で31Aの少女たちを見回した。
「何か連絡があれば、距離が遠くなければお前たちのところへ駆けつけることもできる。……軍の監視の目が届かないところ限定の話だがな」
「よかった……!」
ルカが満面の笑みを浮かべる。
「離ればなれにはなっちゃうけど、完全にいなくなっちゃうわけじゃないんだね……! でも、一人で色んな危険な場所へ行って、本当に大丈夫なの?」
「こう見えて、この狂った世界でのサバイバル経験は、ここにいる誰よりも長く経験しているつもりだ。なんの支障もない」
25年という壮絶な時間を生き抜いてきた男の言葉には、確かな重みと説得力があった。
「さすがは歴戦の仮面ライダーって訳か……。で、出発はいつからだ?」
ユキが尋ねる。
「今日の夜中よ。今は他のセラフ部隊も多数徘徊しているから、確実に出立できる夜までは、安全なここにいてもらうわ」
手塚はそう言うと、静かに背を向けた。
「今日は一日、このアリーナを『メンテナンス』という名目で貸し切りにしているわ。出発までの時間で、色々と物資の準備をしてもらうけれど……あなたたちも、彼と話したいことがあるなら、心残りがないように今のうちに話しなさい」
指揮官としての粋な計らいを残し、手塚は執務室へと戻っていった。