25年後――
第31A部隊が前線に投入されて以降、人類の対キャンサー戦局は劇的な変化を遂げていた。キャンサーの撃破数は飛躍的に増加し、かつて奪われた人間の生存圏は、わずかながらも着実に広がりつつある。
そんなある日のこと。31Aの面々は、基地の司令室へと呼び出されていた。
「31A、出頭しました」
茅森 月歌 (ルカ)が、いつものようにどこか気の抜けた敬礼とともに、手塚司令の執務室へと足を踏み入れる。
「よく来てくれたわ。早速で悪いけど、ある場所で任務をお願いしたいの」
デスクで書類に目を通していた手塚は、顔を上げて本題を切り出した。
「はい! 手塚司令!」
ルカが自信満々に胸を張る。
「……なんですか? 茅森さん」
「アルファードで任務とは、あおり運転をご所望でしょうか?」
「なんでアルファードが出てくるんですか?」
手塚の眉間がピクリと動く。しかし、ルカは至極真面目な顔のまま言い放った。
「『アルファードで任務をお願いしたいの』と、づかっちゃんが言っていたからであります!」
「『ある場所で』だ!! くるくるぱーーーーかーーーー!!」
手塚の怒号が、司令室にこだまする。
「目も当てられねぇな……」
和泉ユキが深々とため息をつきながら呆れ果てる横で、國見タマは目を輝かせていた。
「くぅー! これこれ! このやり取りであります!」
「お前も怒鳴られるぞ」
ユキの的確なツッコミが入る中、手塚はコホンと咳払いをして強引に話を戻した。
「阪神高速3号神戸線に、謎の物体が飛来しているのを哨戒ドローンが確認したわ。全容ははっきりしないけれど、おそらく未確認のキャンサーの可能性が高い」
手塚の表情が、指揮官の厳しいものへと変わる。
「このまま放置すれば、重要な補給経路を絶たれてしまう危険がある。よって、この周辺地域の哨戒任務をあなたたちにお願いしたいの」
「それは厄介だな……」
ユキが端末のマップを見つめながら思考を巡らせる。
「遠距離攻撃ができる相手と仮定して、輸送ヘリではどれくらいまで接近できるんだ? 以前スカルフェザーを倒した付近、琵琶湖辺りまでか?」
「いいえ、そんなに遠い距離じゃないわ。奈良までなら、ヘリで安全に降下できると判断している。そこから少し長い徒歩での探索になるかもしれないけど……頼むわよ」
「「了解!」」
6人は即座に任務を承諾し、輸送ヘリに乗り込んだ。
目指す降下ポイントは、旧奈良公園のヘリポートである。
◆ ◆ ◆
一方、その頃。
かつての大都市・大阪もまた、キャンサーの侵攻によって無残な廃墟と化していた。
ブオォォォン……ッ!
重低音のエンジン音が、草木が鬱蒼と生い茂るアスファルトの残骸を駆け抜けていく。
ひび割れた道路を疾走するのは、一台の黒いバイク。その背には、無骨なクーラーボックスが括り付けられている。
バイクに跨る男の横顔には、深い疲労と、長きにわたる焦燥が刻まれていた。
男が辿り着いたのは、生き残った人々が身を寄せるシェルター――『大阪ドーム』
彼は慣れた手つきでバイクを停めると、クーラーボックスを抱えてドーム内の居住区へと足を踏み入れた。向かう先は、住人の一人である「魚屋」だ。
「お、来たねー。いつも悪いね」
店主の男は、彼を見るなり人懐っこい笑顔を浮かべた。クーラーボックスを受け取り、中身を覗き込んで目を見張る。
「おっ! 今日は大漁じゃないか! しかも、どれも丸々と太っててでかい!」
「今日は運が良くてな。いつもこうして獲れれば良いんだが……っ、痛つっ……」
微笑みながら頷いた男だったが、不意に顔を顰め、自身の片足を庇うように押さえた。
「おいおい、大丈夫か? 漁で無理しすぎたんじゃないのか?」
心配そうに身を乗り出す魚屋に、男はゆっくりと首を振る。
「ははっ、大丈夫だよ。ちょっとした『古傷』が疼いただけだ。またすぐに痛みは引くさ。医者のばあちゃんに薬をもらってくるよ。じゃあな」
「おう! ゆっくり休めよー!」
魚屋の明るい声に背を向け、男は僅かに足を引きずりながら、薄暗いドームの通路へと歩き出す。
その足の痛みは――25年前の業火の記憶とともに、決して消えることはないのだ。
ドームの奥深く、薄暗い一角。
光太郎は顔なじみである医者の老婆の元を訪れ、薬を受け取っていた。
「はいよ。闇医者の処方だよ、『光太郎』」
シワくちゃな手から差し出された痛み止めの小瓶を受け取ると、光太郎は少し自嘲気味に口角を上げる。
「腕は確かだろ。それに、この世界じゃもう法律なんて機能していない」
「はぁ……全く、このドームに長いこと住んでるけど、なんやかんや生きてるねぇ」
老婆は、ドームの天井を見上げて深く息を吐いた。
「キャンサーが現れて、外が世紀末みたいになった今でも、キャンサーの抜け殻で作ったこの防壁のおかげで、ドームはなんとか機能を維持できている」
「きっとセラフ部隊が、もっと生活圏を広げてくれるさ」
光太郎は小瓶をしまいながら、静かな声で返す。
「そうすれば……ほんの少しは、生きるのが楽になるかもな」
その時だった。
ドームの通路の奥から、血相を変えた男が駆け寄ってきた。
「おーい! 誰か……っ!」
「どうした?」
ただ事ではない様子に、光太郎の目つきが鋭くなる。
「はぁ……っ、はぁ……っ……葵ちゃんがいないんだ!」
「なんだって!?」
「きっと、ドームの外にあるお父さんの墓に行っちまったんだ!」
男の言葉に、光太郎の顔に緊張が走る。
ドーム内はキャンサーの殻で作られた防壁によって守られており、侵入されることは滅多にない。だが、一歩外へ出ればそこはキャンサーが跋扈する地獄だ。幼い子供が一人で出歩けば、どれほどの危険が待っているか想像に難くない。
「……葵は俺に任せてくれ。俺が探しに行く」
迷うことなく踵を返すと、光太郎は愛車の黒いバイクに跨り、轟音とともにドームの外へと飛び出していった。
◆ ◆ ◆
哨戒任務に就いていた第31A部隊は、旧大阪市街の付近へと到達していた。
「ここまでは順調やな」
周囲を警戒しながら、逢川めぐみが安堵の息を漏らす。
「そうね。敵の姿も少ないし、探索しやすいわ」
東城つかさも、索敵レーダーの反応を見ながら頷いた。
「このまま順調に行けばいいんだけど……」
朝倉可憐が不安げに周囲を見渡す。その直後、和泉ユキがジト目でツッコミを入れた。
「お前ら、それ完全なフラグになるからな……」
――ユキの危惧は、最悪の形で的中することになる。
「みんな! 11時方向にキャンサーの群れだ!」
先頭を進んでいた茅森ルカが、鋭い声で警告を発した。
「ギョアァァァァ! フラグ即回収してしまいました!」
國見タマが悲鳴のような声を上げる。
「ルカ、4時方向にもキャンサーがいる! 分担して倒そう!」
「わかった! つかさっちとかれりんは私についてきて!」
ルカの指示で部隊が二手に分かれ、それぞれがキャンサーとの戦闘に突入した。
しかし、索敵を進めたルカたちの目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。
「や、やめて……っ!」
瓦礫の影で、一人の幼い少女が異形の群れに完全に包囲されていたのだ。
「あれは……! なんであんなところに女の子が!」
ルカが目を見開く。
「チッ、数が多すぎるわ……! この距離じゃ間に合わない!」
つかさがセラフを構えるが、少女とキャンサーの距離はあまりにも近すぎた。
その時。
【ブォォォンッ!!】
凄まじいエンジンの咆哮が戦場に轟く。
猛スピードで突進してきた黒いバイクが、少女を囲んでいたキャンサーの群れを強引に撥ね飛ばした。
「こ、光太郎さん……!」
「葵、迎えに来たぞ」
バイクを急ブレーキで止め、光太郎が少女――葵を庇うように立ち塞がる。
だが、弾き飛ばされたキャンサーたちはすぐに体勢を立て直し、今度は光太郎たち二人を標的にしてジリジリと距離を詰めてきた。
包囲網の中で、光太郎は遠くにいるルカたちとふと視線を交差させる。
(セラフ部隊……!! なぜ、こんなところに……?)
光太郎の顔に、明らかな驚きが浮かんでいた。
「そこの人! 早く逃げて!」
ルカが叫ぶが、キャンサーの壁はすでに退路を塞いでいる。
「はい、バーン!」
つかさが後方から精密射撃を行い、二人を囲むキャンサーの数を減らしていくが、湧き出る敵の数に全く追いつかない。
(チッ、らちがあかない……! おかしいわ……この数、普通じゃない……。やっぱり、神戸にハブキャンサーがいる可能性が高いわね……!)
つかさが思考を巡らせた一瞬の隙を突き、一体のキャンサーが鋭利な腕を光太郎へと振り下ろした。
「グッ……!」
「きゃあああっ!!」
葵に覆い被さり、身を挺して庇った光太郎の肩口に、キャンサーの凶悪な爪が深々と突き刺さる。鮮血が宙を舞い、あまりの恐怖とショックに、葵は気を失い崩れ落ちた。
「まずい! ユッキー!」
「クソッ! 数がヤバい! 間に合わねぇ……っ!!」
絶体絶命の危機。
だが、深手を負ったはずの光太郎の顔から、ふっと「人間としての感情」が抜け落ちた。
決意を固めたように低く身を沈め、彼は自身の内なる力へ意識を集中させ始める。
「うぉぉぉ……っ」
異常な事態だった。
光太郎の体温が急激に上昇し、傷口から、そして全身の毛穴から、高温の白い煙が噴き出し始める。
「な、なんか、あの人から煙が出てます!?」
タマが信じられないものを見るように声を震わせた。
「おぉぉぉぉ……っ!」
メリメリと、骨と肉が軋む悍ましい音が響く。
肩に突き刺さっていたキャンサーの爪は、その音と共に破裂する。
光太郎の背中の衣服が内側から突き破られ、そこから二本の『巨大なバッタの脚』のようなものが、生々しく、不気味に生え出た。
「な、何やねんあれ!?」
めぐみでさえ、その異様な光景に顔を引き攣らせる。
「おおおおおおおおっ!!」
獣のような雄叫びとともに、光太郎の皮膚を漆黒の外殻が侵食していく。
みるみるうちに人間の姿を失い、そこに現れたのは、さながら『黒い殿様飛蝗(トノサマバッタ)』のような異形の怪人だった。
強靭な甲殻に覆われた腹部には、生体組織で形成されたベルトが巻き付き、その中心にあるコアが、血のように赤く、不気味な脈動とともに輝いている。
「うそ……」
可憐が絶句し、その場に立ち尽くす。
「ギョアァァァァ!! 化け物! 化け物に変身しましたぁぁっ!!」
「姿が……変わりやがった……!」
パニックに陥るタマと、驚愕に目を見開くユキ。
31A部隊が呆然と見つめる中、黒殿様飛蝗怪人は、立ち上る白煙の中で、静かに、そして禍々しい呼気を吐き出した。
「はぁ……っ」