「はぁ……っ」
白煙の中から姿を現した漆黒の外殻。人間からかけ離れた、生物的で生々しい異形の姿となったその男は、底冷えするような黒い眼光をキャンサーの群れへと向けた。
獲物を代えたキャンサーたちが、一斉に怪人へと襲いかかる。
だが、怪人は全く怯むことなく、迫り来る強固な外殻に向けて無造作に拳を振り上げた。
パァァァンッ!!
鼓膜を劈くような破砕音。
怪人の拳を叩き込まれたキャンサーは、断末魔を上げる間もなく、その硬質な装甲ごと一撃で粉砕された。
「嘘でしょ……生身でキャンサーを倒した!?」
セラフを持たない単独の個体がキャンサーを屠るというあり得ない光景に、つかさが驚愕の声を上げる。
「なんてやつだ……」
ユキもまた、冷や汗を流しながらその圧倒的な暴力から目を離せずにいた。
「はぁぁぁ……っ!」
怪人が低く唸り声を上げると、その右手をどす黒いオーラが覆い始める。
高密度のエネルギーが収束し、怪人の手の中に生々しい鼓動を打つ「漆黒の刀」が生成された。
「はあッ!!」
怪人は地を蹴り、黒い閃光となってキャンサーの群れへと飛び込む。
鋭い太刀筋が閃くたびに、強固なはずのキャンサーたちがバターのように両断され、次々と物言わぬ残骸へと変わっていく。
「……詳しい事情はあとだ! 私たちも片付けよう!」
ルカの鋭い号令が、呆然としていた31Aの面々を我に返らせた。
「「了解!」」
セラフ部隊の連携と、謎の怪人による圧倒的な蹂躙。
戦局は瞬く間に覆り、ほんの数分のうちに、周囲を埋め尽くしていたキャンサーの群れは完全に掃討された。
◆ ◆ ◆
静寂を取り戻した廃墟に、張り詰めた空気が漂う。
「あんた……一体……」
ユキの言葉を皮切りに、31Aの6人はセラフを展開したまま、警戒を露わにして怪人を取り囲んだ。
すると、怪人の強靭な肉体が再び白煙に包まれ、シュルシュルと音を立てながら収縮していく。
数秒後、そこに立っていたのは、元のくたびれたジャケットを着た男――南光太郎だった。先ほどキャンサーの爪に深く抉られたはずの肩の傷は、痕跡すら残さず完全に塞がっている。
「その強さ、速さ、そして手際の良さ……お前たち、『A部隊』だな」
光太郎は、向けられた刃に動じることもなく、鋭い観察眼でルカたちを見据えた。
「なんでわかるの……?」
可憐が怯えたように身をすくめる。
「おいおい、こっちの事情まで把握してんのか……」
ユキが眉をひそめ、さらにセラフの柄を強く握り直した。
「なぜ、お前たちセラフ部隊がここにいる? ……俺を、暗殺しに来たのか?」
光太郎の低い声に、拭い去れない軍や組織に対する深い不信感が滲む。
「暗殺!? なんで私たちがそんなことしないといけないのさ!」
ルカが心底わけがわからないといった様子で叫んだ。
その時、それまで息を呑んでいたつかさの雰囲気が、ふっと変わった。
瞳から感情の揺らぎが消え、冷徹な知性を宿した『覚醒』状態の彼女が一歩前へと出る。
「暗殺されるような心当たりがあるってことは……あなたは人型のキャンサー? それとも……」
つかさは、光太郎の目を真っ直ぐに射抜いた。
「過去に『人体実験』を受けた、被験者の一人かしら?」
図星を突かれたのか、光太郎はわずかに目を細め、沈黙した。
緊迫した視線が交差する中、光太郎は気を失ったままの葵を一瞥し、小さく息を吐く。
「……まずは、葵をドームの安全な場所へ運びたい」
光太郎は静かに、だが有無を言わさぬ声で告げた。
「お前らセラフ部隊は、民間人との接触が禁止されているはずだ。……俺は逃げも隠れもしない。そこで待っていろ」
それだけ言い残すと、光太郎は葵を抱え上げ、バイクに乗せて走り去っていった。
◆ ◆ ◆
「おい、東城。さっきの人体実験って、どういうことだ……」
残されたユキが、怪訝な顔でつかさに尋ねる。
「それは、彼から詳しく聞くことにしましょう」
つかさは多くを語らず、バイクが消えた方向を静かに見つめていた。
しばらくの後。
遠くから再び近づいてくる排気音が響き、光太郎が単身で戻ってきた。
バイクのエンジンを切り、彼は31Aの前に立つ。その表情には、過去と向き合う静かな覚悟が宿っていた。
「待たせたな。……さあ、話そうか」
――――――
「なるほど……つまりお前たちは、ハブキャンサーの調査のためにここへ来たのか」
瓦礫に腰を下ろした光太郎は、静かに頷いた。
先ほどまでの異形の姿が嘘のように、その声音は穏やかで、どこか深い疲労を滲ませている。
「うん、そうだよ」
ルカが真っ直ぐな瞳で答えると、隣に立つユキが腕を組みながら口を開いた。
「私たちの事情はあらかた話した。次はあんたのことを話してくれ」
「……俺は『南光太郎』だ。詳しい事情を話す前に聞いておきたい。お前たちは、軍や『セラフ部隊』の真実について、どこまで知っている?」
光太郎の探るような問いかけに、31Aの間にわずかな緊張が走る。
「セラフ部隊について……?」
めぐみが眉をひそめ、可憐がおずおずとルカの背中に隠れるようにして呟いた。
「わ、私たちの正体が……『ナービィ』だってこととか……?」
「……そうか。そのことを知っているのか」
光太郎はわずかに目を見開き、そして、痛ましそうに目を伏せた。
「……自身の正体を知りながら、それでも戦い続けているなんて。お前たちは、強いな」
「同情はありがたいけど、あんたはナービィじゃないのか?」
ユキの鋭い視線に、光太郎は首を横に振る。
「ああ。俺はナービィじゃない。ただの人間だ」
「せやけど、おっちゃん、さっきガッツリ怪人になっとったで!?」
めぐみが食い気味にツッコミを入れた。人間だと主張するには、先ほどの黒いバッタの化け物の姿はあまりにもかけ離れすぎている。
「それについては、さっき東城つかさ……と言ったか。彼女の推察通りだ。俺はかつて軍の実験によって、対キャンサー用の『生体兵器』として改造された人間だからな」
淡々と告げられた真実に、空気が凍りつく。
「そんな……生きた人間を、改造するなんて……」
ルカが絶句し、可憐が「残酷すぎる……ひどい……」と両手で口元を覆った。
「ヒトナービィ計画のほうが、よほど非人道的で残酷だと俺は思うがな」
光太郎は自嘲気味に笑い、遠くの廃墟を見つめた。
「俺も25年前……そんな事情も知らされずに戦っていたセラフ部隊と共に、キャンサーと死闘を繰り広げたことがある。……彼女たちの最期を思い出すと、今でも胸が痛むよ」
過去の悲劇を思い返す光太郎の顔には、消えることのない深い傷跡が刻まれているようだった。
――そんな、しんみりとした重い空気を打ち破ったのは、小柄なちっこい部隊員だった。
「あの! 25年前にいなくなったって言ってましたが、今おいくつなんですか!?」
タマがズイッと身を乗り出して尋ねる。
「……70歳だが」
光太郎が真顔で答えた瞬間、タマは頭を抱えて叫んだ。
「バリバリの高齢者だったぁーっ!? なのに見た目は若いです!! 西島秀俊に激似なイケオジです!! さては石仮面か何か使ってますね!?」
「いや……長編の小説を読んだりすると、最近すぐに眠たくなってくるからな。歳は感じるぞ」
光太郎はタマの勢いに少し戸惑いながらも、至極真面目に自己分析を返した。
すると、めぐみの鋭いツッコミが炸裂する。
「おいたまぁ!!」
「は、はいぃ!?」
「絵本でも読み聞かせたれ。今のおっちゃんになら、一発で眠らせられるわ」
「…………?」
突然始まったコントのようなやり取りに、光太郎は完全にポカーンとした顔で立ち尽くしていた。
「はぁ……。お前らのせいで話の論点ずれちまったじゃねーか」
ユキが深々とため息をつき、頭を掻きむしる。
「東城、さっきの人体実験の話の続き、頼む」
「ええ」
つかさはコホンと咳払いをして、知的な光を宿した瞳で光太郎を見据えた。
「私が人間だった頃……死んだお母さんの復讐のために、軍のことを調べていた事があるの。その時に軍の極秘研究項目を見つけて、目を通したことがある。こう書かれていたわ。『人間にキャンサーの器官を埋め込み、さらに相性のいい地球の生物の遺伝子を組み込むことで、キャンサーに対抗しうる生体兵器を作り出す』……とね」
「……その通りだ」
光太郎はゆっくりと自身の腹部に手を当てた。
「俺の体内には、マザーキャンサーのコア……すなわち『キングストーン』が埋め込まれている。俺の腹部にある、このベルトの中にな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
ユキの顔色が一気に青ざめる。
「マザーキャンサーのコア? おい……とんでもねえ話じゃねえか……」
「今はどこを探してもそんな資料は全く見つからないあたり、軍の上層部が徹底的に隠蔽したんでしょうね。でも……そんなヤバいものが埋め込まれているなら、あの常軌を逸した強さも納得がいくわ」
つかさの言葉に、部隊員たちは息を呑んだ。人類の敵であるキャンサーの、それも最上位個体の力が、目の前の男の腹部に眠っているのだ。
「けどさ……」
ルカが、不思議そうな顔で首を傾げた。
「なんで光太郎さんは、一般人に紛れて生活しているの? 強大な力を持ってるのに……軍から、隠れているの?」
その純粋な問いかけに対し、光太郎はわずかに目を伏せた。
吹き抜ける風が、彼の纏う孤独を浮き彫りにする。
「それには……深い事情があるんだ」