23:15――。
漆黒の闇に包まれた摩耶山。木々のざわめきすら不気味に響く冷たい山道を、第31A部隊の面々は息を潜めながら進んでいた。
「……よし、繭はまだ羽化していないみたいだ」
木陰から双眼鏡で目標を確認したルカが、安堵の息を漏らす。
「ああ。このペースで進めば、あと15分くらいで繭の直下までたどり着けるぞ」
ユキが手元の端末でルートを確認し、鋭い視線を前方に向けた。
「あの獣道を通って、一気に繭の懐まで近づこう。そこから全員で最大火力を叩き込んで、羽化する前に撃破する」
ルカが力強く頷き、作戦の最終段階へ移行しようとした、その時だった。
『ザーッ……こちら31E、大島一千子! 茅森さん、聞こえますか!?』
突如として、インカムから切羽詰まった一千子の声が鼓膜を打った。
「こちら31A。一千子、何かあった?」
『茅森さん! そっちに、黒いバイクに乗った男性を見かけませんでしたか!?』
「バイクに乗った人……?」
『はい! 危険だからって必死に止めようとしたんですが、凄いスピードで振り切られて……そっちの作戦エリアの方角へ向かっていったんです!』
一千子の悲痛な報告とほぼ同時だった。
ブオォォォン……ッ!
深夜の山の静寂を切り裂くような重低音が、31Aの背後から急速に接近してくる。
木々を縫うようにして現れたのは、ひび割れた黒いバイクに跨る男――南光太郎だった。
「こ、光太郎さん!?」
タマが驚きで目を丸くする。
「おっちゃん、どうしたんや! うちらがここに来ること想定して、先回りしてたんか!?」
「……いや、嫌な予感がするな」
めぐみの言葉とは裏腹に、ユキは光太郎の尋常ではない顔色を見て、顔を強張らせた。
荒い息を吐きながらバイクを急停車させた光太郎は、血気迫る顔で叫んだ。
「まずいぞ……! キャンサーが、目覚めようとしている!」
「え……なんでわかるの?」
可憐が不安げに尋ねる。
「この人は……半分キャンサーみたいなもんなんだろう」
ユキが冷や汗を流しながら、山頂の方角を睨みつけた。
「同族の……そういう途方もない嫌な気配も、本能で分かるんだろうさ……!」
「チッ……! もう羽化の兆候が始まっているというのね……!」
つかさが舌打ちをし、セラフを強く握り直す。
「急いで向かわないと!!」
ルカの号令と共に、31Aの少女たちと光太郎は道なき道を駆け抜け、巨大な繭が鎮座する広場へと急行した。
視界が開け、不気味に脈打つ巨大な肉塊が姿を現す。
「よし、間に合った! このまま繭を……!」
ルカがセラフを構え、地を蹴ろうとした。
「いや……遅かった……!」
光太郎が絶望的な声を絞り出した、その瞬間だった。
ピキッ……! ピキピキピキッ……!!
巨大な繭の表面に亀裂が走り、そこから網目状に眩い光が溢れ出し始めた。ドクン、ドクンと、まるで世界そのものの心臓のように脈打ち、分厚い外殻がメリメリと崩れ落ちていく。
「うわっ!」
「な、なんやこれ!!」
可憐とめぐみが悲鳴を上げる。
大地が激しく揺れ、立っていることすら困難なほどの暴風が吹き荒れた。
やがて、溢れ出た光が一点に収束し――爆発的なエネルギーの奔流と共に、その『悪魔』は産声を上げた。
「ギョアァァァァァァァッ!!」
鼓膜を破壊せんばかりの咆哮。
ぬらりとした巨大な体躯に、空を覆い隠すほどの禍々しい羽を生やした新種のキャンサー。
手塚司令が『ククリノス』と名付けた底知れぬ絶望が、ついにその完全な姿を表したのだ。
「ククリノスが……羽化した……!」
つかさが、その圧倒的な威圧感の前に立ち尽くす。
「クソッ……!」
光太郎はギリッと歯を食い縛り、不完全な己の身体と、眼前にそびえ立つ強大な敵とを交互に見つめた。
圧倒的な威圧感を放ち、夜の摩耶山に君臨する巨大なキャンサー『ククリノス』。
その凶悪な姿を前にして、光太郎は迷うことなく己の内の力を解放した。
「はぁぁぁ……ッ!!」
全身から高温の白煙が噴き出し、衣服を引き裂いて漆黒の甲殻が身体を覆っていく。瞬く間に、彼は『黒殿様飛蝗怪人』の姿へと変貌を遂げた。
「あいつは羽化したばかりだ! 完全に環境に適応する前に、今のうちに叩く。ルカ、指示を出せ!」
怪人の姿のまま、光太郎は鋭い声で部隊長であるルカを促す。
「うん! みんな、行くぞ!」
「「了解!」」
ルカの号令と共に、31Aの6人が一斉にセラフを展開し、地を蹴った。
それに合わせるように、光太郎も漆黒のオーラから太刀を顕現させ、凄まじい脚力で前線へと飛び込む。
激しい剣戟とエネルギー弾が、夜の山頂を真昼のように照らし出す。
羽化したばかりで動きに僅かな硬さが見えるククリノスは、7人の波状攻撃を前に、少しずつ後退を余儀なくされていた。
「ふんッ! はぁッ!」
光太郎の重い斬撃が、キャンサーの強固な外殻に深い亀裂を刻み込む。
「光太郎さん、ナイス!」
ルカがその隙を突き、大剣で追撃の連撃を叩き込む。
「……すごいな、この人」
後方から援護射撃を行っていたユキが、驚きに目を見開いた。
「一切の無駄がない。……それに、私たちの予測不能な連携に、完璧にタイミングを合わせている……!」
「さすがは歴戦の猛者と言ったところね……」
つかさもまた、冷静に戦況を分析しながら息を呑む。
「各個の動きを瞬時に把握して立ち回っているわ。手塚司令官の指揮下で動くよりも、はるかに手慣れた動きをしている……!」
「よし、このまま一気に押し込めば……!」
ルカが勝利の糸口を掴みかけた、その瞬間だった。
「――ギィィィィィィィィィンッ!!!!」
突如として、ククリノスの全身から耳をつんざくような、高周波の不協和音が放たれた。
「ぐぁぁぁッ!?」
「な……何やねんこの音……!! 頭が割れる……っ!」
ルカとめぐみがセラフを取り落としそうになり、その場に膝をつく。
音波は物理的な衝撃となって大気を震わせ、脳髄を直接掻き回すような激痛をもたらした。
「ぐぅ……っ! くう……!!」
光太郎もまた、怪人の強靭な聴覚が災いし、たまらず頭を抱えて呻き声を上げる。
7人全員が耳を押さえ、苦悶に顔を歪めている隙に――ククリノスは、恐るべき『形態変化』を開始した。
ブヨブヨとしていた羽が、硬質で鋭利な『結晶』へと姿を変えていく。さらに、その禍々しい頭部からは、悪魔の象徴のような巨大な角が生え出し、周囲の空間を歪めるほどのエネルギーを放ち始めた。
「なんて……おぞましい姿なの……」
可憐が絶望的な声を漏らす。
だが、ここで立ち止まれば全滅は免れない。
「止まっている場合じゃない……! 行くよ!」
ルカが気力を振り絞って立ち上がり、タマ、めぐみ、可憐と共に、形態変化を終えたばかりのククリノスへ向けて決死の特攻を仕掛ける。
しかし、ククリノスは悠然と、背中の結晶化した羽を弾丸のように無数に射出してきた。
ガガガガガッ!!
「きゃああっ!」
「うぅ……なんてやつや……っ!」
4人は咄嗟にキャンサーの攻撃をデフレクタで防御するが、桁違いの反動に耐えきれず、体勢を崩して地面へと叩き落とされてしまう。
「ぐおおおおおッ!!」
倒れた少女たちを庇うように、光太郎が漆黒の刀を構え、ククリノスの懐へと決死の肉薄を試みる。
「ギョアァァァァァァッ!!」
「ふんッ! はあッ!!」
放たれる結晶の雨を刀で弾き飛ばし、光太郎は渾身の斬撃を繰り出そうと振りかぶった。
しかし、ククリノスの複眼が妖しく光った瞬間――光太郎の周囲の空間に、全方位から凄まじい密度のエネルギー弾が集約していく。
「しまっ――!」
回避不能の包囲網。
光太郎が防御姿勢をとるよりも早く、極大の爆発が山頂を吹き飛ばした。
ドゴォォォォォォンッ!!!!
「ぐあぁぁぁぁぁッ!!」
業火に包まれ、光太郎の巨体がボロ屑のように空高く吹き飛ばされる。
重々しい音を立てて地面を転がり、限界を迎えた彼の肉体は強制的に変身を解除され、元の傷だらけの『南光太郎』の姿へと戻ってしまった。
「ぐ、うぅ……っ」
「光太郎さん!!」
血を流し、身動き一つ取れなくなった光太郎に、可憐が悲鳴のような声を上げる。
邪魔者を排除したククリノスは、ゆっくりとその巨大な角と頭部に、周囲の地脈から吸い上げた莫大なエネルギーを集約し始めた。
光の奔流が渦を巻き、破壊のビームが放たれようとしている。
――その、銃口の向き。
「あれは……まずい!」
ルカが血の気を引いた顔で叫んだ。
「その方角は……大阪ドームが!!」
ハブキャンサーの狙いは、目の前の矮小な敵ではなく、はるか遠くに存在する『生命の密集地』だった。
「やめろ……っ」
光太郎は這いつくばったまま、血塗れの腕を伸ばす。
信彦が愛した世界。守ると誓った、ドームの罪なき人々。
「やめろおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
光太郎の悲痛な絶叫が夜の山にこだまする。
しかし、無慈悲な閃光は放たれた。
空を真っ二つに裂くような極太の破壊光線が、一直線に闇夜を貫き――遠く離れた大阪ドームへと、無情にも直撃した。