異能はいいのう。   作:Desktop poison

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もうちょっとだけ続くんじゃ。


第二錠 世界線B 【時間停止】/ 人生行き詰まり闇堕ち時止め系ダークショタ

 空は、巨大な液晶パネルに覆われていた。

 

 「支配の一歩はコンテンツ!」。

 世界征服を完遂した超巨大企業『スピアー』が掲げるそのスローガンが、極彩色の広告となって街を呑み込んでいる。人々はスピアーが提供する娯楽なしには呼吸もままならず、国家という概念は、既に質の高い「視聴者」という区分に書き換えられた。

 

 時川(ときかわ) イオリは、組織のロゴが刻まれた重苦しい外套の襟を立て、路地裏の湿った空気を吸い込んだ。

 

「……雇用、見直し」

 

 時川 イオリ。十二歳。スピアーの実動部隊に属する「掃除屋」。

 幼馴染を失った悲しみと共に発現した【時間停止】の異能は、彼の感情を凍てつかせ、効率的に敵を排除する道具へと変貌させた。だが、世界が平和に「支配」された今、暴力の専門家は不要となった。次に組織が彼に求めたのは、戦闘ではなく、「新しい人生」と銘打った、無機質な放逐だった。

 

 戦うことしか知らない少年にとって、この平和は地獄よりも居心地が悪い。

 

「……っ」

 

 不意に、視界の端に「あり得ないもの」が映った。

 人混みの中、スピアーの旗艦店へ入っていく少女の背中。揺れる髪の癖、少しだけ丸まった背中――それは、数年前に自分の目の前で命を散らしたはずの、あの幼馴染の生き写しのようだった。

 考えるより先に、眼球が動く。

 気づけば彼女を追って店内に入っていた。煌びやかな内装、新作ゲームのデモムービー、はしゃぐ人々。その中心で、少女が商品棚の上の限定フィギュアを掴もうとして――手が滑り、重厚なケースが彼女の頭上へ傾く。

 

「――止まれ」

 

 意志を込めた瞬間、世界の喧騒が断絶した。

 

 宙に浮いたフィギュア、驚きに目を見開いた少女の表情、飛び散る埃。すべてがクリスタルのように固定された、一時間の孤独。

 

 イオリは無表情のまま少女に近づいた。

 よく見れば、細部が違う。けれど、その睫毛の長さも、鼻の形も、記憶の中の彼女そのものだ。

 停止した空間では、気体以外の物体を動かすことはできない。彼は少女を突き飛ばすことも、フィギュアを受け止めることも叶わない。

 

 だが、彼はその物質の「未来」を書き換えることができる。

 

 落下するフィギュアに指先で触れる。下向きに働く重力のベクトルを、不自然な「真横」へと強制的に変更する。

 

「……これでいい」

 

 時間停止を解除する。

 

 次の瞬間、フィギュアは少女の頭を避けるように横へ飛び、クッション性のあるソファの上へ着地した。

 

「え……? っ、わあ!」

 

 少女が声を上げ、呆然とフィギュアを見つめる。そして、すぐそばに立つイオリに気づいた。

 

「……君が、やってくれたの?」

 

 その声、その響き。

 イオリは不器用に顔を背け、外套のフードを深く被り直した。

 

「……別に。変な動きをしたから、見てただけだ」

「あはは、変な動きって。……でも、ありがとう! 私は弥生(やよい)。ねえ君、スピアーのスーツを着てるけど……もしかして、すごく偉い人?」

「…いや、今日クビになった。」

 

 暗殺者だった自分を「偉い人」と呼ぶ能天気な言葉に、イオリの凍った心が微かに解ける。

 それからの数時間は、イオリにとってどんな任務よりも過酷で、そして奇妙な時間だった。

 

 弥生は、イオリが無職であると知るや否や、遠慮なく彼を連れ回した。

 

 アイスクリーム屋で、彼女がコーンを倒しそうになる度に時間を止めた。ベクトルの向きを上向きに修正し、不自然なほど安定したバランスで彼女の手にコーンを戻す。

 「君って、一緒にいると運が良くなる気がする!」と笑う彼女の顔を、イオリは苦虫を噛み潰したような顔で見つめ返す。

 

 横断歩道で、彼女が派手に転びそうになった。

 時間を止め、彼女の重心のベクトルを「垂直」に立て直す。解除後、彼女は「おっとっと」と踊るように着地した。

 

 風で彼女の帽子が飛ばされた。

 空中で静止した帽子に触れ、ベクトルを彼女の膝元へと書き換えた。

 

 彼女が欲しがっていたガチャガチャの景品が出ない。

 内部の回転ベクトルを微調整し、望みのカプセルが落ちる軌道を作った。

 

 その度に、「すごい!」「天才じゃない?」という明るい声が、イオリの耳を打つ。

 スピアーの兵器として恐れられていた自分。死を運ぶために磨いたはずの異能が、今は彼女のアイスを守り、帽子を拾うためにだけ浪費されている。

 

 けれど、言葉を交わすたびに、彼女の横顔に死んだ幼馴染の影を重ねる回数が減っていく。

 彼女は彼女だ。よく食べ、よく笑い、ひどく不器用で、目が離せない。

 

 最後。夕暮れの公園で、彼女がベンチから立ち上がろうとして、裾を釘に引っ掛けた。

 時間を止めるまでもない。イオリはただ、彼女の隣に座り、無言でその布地を外してやった。

 

「……ねえ、イオリ君」

 

 不意に名前を呼ばれ、イオリは肩を揺らした。

 

「君、ずっと悲しい顔をしてたけど。今は、少しだけ……いい顔になったね」

 

 弥生は、太陽のように眩しい笑顔で彼の覗き込んだ。

 スピアーが作った洗練されたコンテンツよりも、ずっと乱暴で、ずっと鮮やかな色彩。

 

「……うるさい。新しい仕事を探さなきゃいけないんだ、俺は」

「じゃあ、私の専属ボディガードになれば? 給料は、私の笑顔でどうかな!」

「……最悪な雇用条件だな」

 

 毒づきながらも、イオリは自分の口角が微かに上がっていることに気づかなかった。

 深夜。自宅で、晩飯を食べながらイオリは一人考えた。

 

 イオリは、長年連れ添った組織を去る。

 実動部隊としての履歴は抹消され、彼はただの「時川イオリ」として、このコンテンツに満ちた世界へ放り出される。

 

 もう、任務としての時間停止は必要ない。

 

 異能はもう武器ではなくなった。けれど、その使い道はもう決まっている。

 

 彼は机の上に置かれた、弥生から無理やり渡された連絡先を手に取った。

 

「……仕方ない。守ってやるよ。アイスを落とさない程度には」

 

 彼は小さく、本当に小さく微笑んだ。

 窓の外、液晶パネルの偽物の星空ではなく、本当の夜風が彼の頬を撫でていた。

 それは、止まっていた時間が、ようやく新しい季節へと動き出した合図だった。




大性癖。
【時間停止】
詳細
・自身以外の全てを停止する。
自身に働いている力は一時的に無効になり、時間停止解除後に有効になる。
・時間停止中に能力使用者が他の物体に触れた時、任意でベクトルを変更することができる。
・時間停止中は気体以外の物質を移動させることができない。
・止めることができる時間は1時間。
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