[悲報]虎杖成り代わり、縄文時代に立つ[言葉が分からん]   作:夕暮れの家

2 / 39
2

「彩葉、最近ちょっと元気になったよね」

 

「そうかな?」

 

「そうだよ~、バイト先変えてからじゃない?」

 

 昼休みにお弁当を食べながらいつも通り芦花と真実とお喋りをしている最中、そんなことを言われた。心当たりは、非常にある。常にせわしなく働いていた前のカフェバイトと違って、あそこの店での労働は非常にゆったりとしたものだ。小学生が複数人集まればそれは非常に騒がしくはなるものの、クレーマーや後輩の大やらかしに比べればかわいいものだ。精神衛生上非常によろしい。

 

「駄菓子屋だっけ?なんで急に変えたの?」

 

「確かに、なんだかんだ聞いたことないかも」

 

「や、あのカフェはちょっと労働環境が…」

 

 さすがに1アルバイトに託す業務量ではなかった。そもそも結構繁盛しているカフェだったのに、そのうえに只のアルバイトである私の存在如何によって経営できるかできないかが左右されるような状態になっていたのだ。思い返してみれば本当にいかれてるな、どういうことなんだろうか。

 

「あぁ、たしかにそんなこと言ってたねぇ」

 

「そのカフェどうなってるの?」

 

「なんだかんだやってけてるみたいだけど…」

 

 私が辞める、といったときは阿鼻叫喚の地獄のような状況だったが、どうにかこうにか自転車操業のごとく右に左に大きく触れながらもやっていけているらしい。風の噂で聞いた。今でもたまにあのカフェの店長や後輩ちゃんから戻ってきてほしいとのSOSが届いたりすることもあるが、目に見えた地獄に飛び込む趣味はないのだ。南無。

 

「目の下の隈隠しながら学校来ることも少なくなったし、…ホント良かった」

 

「う゛、その節は大変なご心配をおかけして…」

 

 私の顔に手をそっと触れながら、芦花がしみじみ言う。今でも何日かに一度はそんなときあるけど、とぼそりとジト目付きでお説教を頂き、目をそらしてしまった。仕方がないのだ。時間などいくらあっても足りないのだから。

 

「ねー、彩葉。前みたいに忙しくないバイトなんでしょ?遊びに行っちゃだめー?」

 

「うーん、いい、のかな?」

 

 そう言われて思い浮かべるは店長の風貌、いつも通りパーカーを目深に被った状態なら、知らない人から見ればそれは完全に不審者だし、脱いだ状態でもあの人は目立つのだ。どちらに転んでも面倒ごとになる予感しかしない。

 

「店長に聞いてみるねー」

 

 断ってくれ店長、と願いを込めてメッセージを送る。そもそもいつも返信は遅いのだからこの場をごまかすくらいは出来るだろう、という目論みも含んでいる。そんなことを考えたのが悪かったのだろうか。送ってから幾らもしないうちに携帯がなり、短く『いいぞ』という文面が画面に表示された。

 

「彩葉、なんかいいみたいだよ?」

 

「そ、ソウダネ」

 

 どうしてこういうときばっかり返信が早いんだ。恨みを込めて店長がいつも私用に買って食べている駄菓子を店頭の一番目立つところにおいてやることを決意した。やると言ったらやるのだ。いつの間にか自分のお気に入りが売り切れていることに気が付いた時の店長の表情を見るのが楽しみである。

 

「じゃあ今日の放課後行っちゃおうかな!」

 

「そうしましょ~」

 

 自分の意思は置いたままとんとん拍子に決まっていく段取りに、乾いた笑いをこぼすことしかできずに、彩葉は考えるのをやめた。とりあえず未来の自分に丸投げすることとしたのだ。

 

 

 

 

「彩葉のバイト先、楽しみ」

 

「駄菓子屋なんて久しぶりだねぇ」

 

「私が子供の頃はもう近くになかったんだよね、そういえば」

 

 放課後、店への道を三人で並んで歩く。結局店長からの許可という私がどうにもできない要素によって二人の訪問を止めることはできなかったのだ。あの時店長に連絡を入れたのは完全な間違いだったらしい。

 もうどうにでもなれの精神でここまで来てしまったが、さすがに店長の恰好だけは二人が店に入る前に確認せねばなるまい。

 

「ちょっとここで待ってて!」

 

 不思議そうな顔でこちらを見る二人を置いて、勢いよく、開くと外れかねないので気持ち勢いよく引き戸を開いて店内に踏み込む。店長の姿を探すと、店番としてカウンターに座りながら本を読んでいる姿が目に留まった。いつも通りフードは被っている。

 

「店長、今日友達が遊びに来てるんですよ」

 

 なんで被ったままなんですか、と頭を指差す。二人が店内に入ってくる前で本当に良かった。店に入って最初に入ってくるのがフードを目深に被った顔の良く見えない男とか嫌すぎる。

 

「なんでまたフード被ったままなんですか、とって下さい」

 

「いや、むしろだからこそこっちの方がいいと思ったんだが」

 

「とんちきなこと言ってないでとってください」

 

「とんちき…?」

 

 困惑した様子を見せながらもフードを取ろうとしない店長のフードを引っ張って外す。いつも通り後ろに流された綺麗な白髪が露になり、夕暮れの西日を浴びて煌めいた。

 

「うん、やっぱりこっちの方がいいです」

 

 ぱ、と離れて笑う。相変わらずヤチヨに似た綺麗な髪の毛なんだから隠す方がもったいないのだ。積極的に出していくべきだ、ヤチヨに似てるんだから。羨ましい、私があんな綺麗な白髪だったら絶対に自慢するに違いないのに。

 

 両手を腰に当てて満足していると、なんだか外からの視線を感じ振り返る。嫌な予感である、そちらを振り返るとじとー、とした目をした芦花と真実が外からのぞき込んでいた。

 

「彩葉ー、ちょいちょい」

 

 一度店長と顔を見合わせる。行ってくるといいと言いたげなジェスチャーをされたので、荷物を置いてから真実の手招きに応じることにした。嫌な予感は据え置き中だ。

 

「なに、どうしたの?」

 

 恐る恐る引き戸を開け、せめてもの抵抗として外に顔だけ出して様子を窺う。しかし、そんな抵抗もむなしく手を引っ張られて外に連れ出され、更には両肩をがしっと抑えられてしまった。

 

「あの人、店長さん?」

 

「そ、そうだけど…。真実?顔が怖いよ?芦花もなにか言ってくれないっ?」

 

「いや、いや、いや…」

 

「えぇ…?」

 

 なんなんだ、どうしたというのか。混乱の最中にある私は、一歩、また一歩とそのままの姿勢で近づいてくる真実から遠ざかるように後ずさり、ついには壁際まで追いやられてしまった。

 

「ま、真実…?」

 

 そのまま俯いて黙ってしまった。後ろの芦花もさっきから黙ったままで何も言ってくれない。怖いんですが、何か言ってくれませんか。私が沈黙に耐えきれなくなり、口を開こうとした瞬間、がばりと勢いよく顔を上げた真実と目が合った。

 

「駄菓子屋の店長って言ったじゃん!」

 

「そうだよ…?」

 

「お爺ちゃんとかが出てくると思うじゃん!なにあれ!」

 

 どえらいイケメンが出てきたんだけど?と興奮気味にしゃべる真実。そういえばこの子は結構ミーハーなところがあるんだったな、と思い当たる。帝アキラの熱狂的なファンであることを隠す気もないのだ真実は。実の妹としては思うところがないわけではないが、それはそれ。

 

 俺様キャラである帝アキラが好きであるということは、ちょっと危険なところがありそうなイケメンが好きだということで。

 

 あぁ、確かにと思い至った。子供に甘いところや集られているところばかり見ていたので忘れてしまっていたが、店長は確かにその外見だけ見れば、顔に傷があって、白髪とそういうタイプに見えるのだ。

 

「彩葉…、大丈夫なの?」

 

「大丈夫、凄く優しい人だよ」

 

 興奮気味の真実とは打って変わってこちらを心配そうな表情で見つめる芦花。店長が目立つことは分かっていたが、そういう見方をされる可能性が完全に頭から抜け落ちていた。どうしようかな、いつも来る小学生たちに名前呼びされて纏わりつかれてるところ見せられれば楽なのにな、と遠い目になっていると、中から店長の落ち着いた声が聞こえてきた。

 

「外にいたんじゃ暑いだろ、入るといい」

 

 渡りに船である。とり合えず話せばわかるだろうから、と二人の背中を押して店内へ。案の定今時見ることのないような文字通りらしい内装の駄菓子屋の店内の光景に二人の目が煌めいた。

 

「酒寄の友人だろ、割引するから好きなの買ってきな」

 

「え、ここからさらに安くなるんですか?」

 

 10円、20円と信じられない安価の商品が並ぶ棚をしげしげと眺めていた芦花がその言葉に目を丸くした。店長も事も無げにいつも世話になってるからな、と返している。何割割り引くつもりか知らないがまた悪い癖がでている。

 

「店長、またそんなこと言って。原価割りますよ?」

 

「気にすんな」

 

 割れていない、とは言わないんだなとジト目を向けるとあからさまに目をそらされた。やっぱり原価割れさせるつもりだな、と更に目線を強める。いい加減私に帳簿を見せろ、店長。

 

「あ、あの。私、諌山真実っていいます。店長さん、お名前教えてください」

 

 いつの間にか二つほど駄菓子を選んでいた真実が、会計ついでに店長の名前を聞き出そうとしていた。そういえば教えてなかったかな、それにしても行動が早い、さすがグルメ系インフルエンサー。エプロンをつけ、この会計が終わったら代わろうかな、と店長の後ろに待機だ。

 

「虎杖悠仁だ。駄菓子屋“八月(やづき )”の店長をやってる。よろしく、諌山ちゃん」

 

「は、はい…」

 

 店長から差し出された手を恐る恐る両手で握る真実。この人また小さな子と同じような対応しているな、なんて思いながらレジの数値を見て。

 

 ひっくり返るかと思った。なんでこの人5割引きしてるんだ。

 

「店長~?」

 

「なんだ」

 

「なんだ、じゃないです。半額って何ですか半額って。儲けどこに投げ捨ててるんですか」

 

「え、やっぱりこれ安すぎますよね、流石に悪いですよ…」

 

 少しは分かっていたらしい真実が申し訳なそうな顔になっている。店長はそんな真実と私の顔を交互に見て、少しだけ微笑んだ。

 

「やっぱり酒寄の友達だなぁ。いい子だ」

 

「いいこッ⁉」

 

「値段は気にしないでいい。さっきも言ったが酒寄にはいつも助けられてるからな、お礼だ」

 

 あ、ありがとうございます…、と言って商品を受け取った真実は、凄い勢いで逃げて現在棚の下のおもちゃに気を取られている芦花の背後に隠れてしまった。

 

 なにか失敗したかな、と言わんばかりに頭を掻いている店長に会計代わりますよ、と声をかける。今の子わからんなと小声で言っている。何を言っているんだ、貴方も歳自体はそう変わらないだろうに。

 

 座っていた椅子を私に譲り、立ち上がった店長の目が一緒になってベーゴマをしげしげと眺めている芦花と真実に向けられ、険しく細められる。

 

「あー、ピンク色の髪の嬢ちゃん。ちょっといいか?」

 

「?はい。私ですか?」

 

「そうだ。お名前聞いていいか?」

 

「綾紬芦花です」

 

「綾紬ちゃん、ちょっとこっちに来てもらっていいか?」

 

 商品見てたところごめんな、と謝りながら手招きをする。少し剣呑な雰囲気を発する店長に、おずおずと足を進めて芦花が近づいて手が届くくらいの距離に近づく。

 

 すると、よっ、という軽い声と共に店長が軽く芦花の肩のあたりを片手で払った。

 

「よし、もう大丈夫。悪かったな邪魔して」

 

「い、いえ…。あれ?」

 

「店長、何だったんですか今の?」

 

 不思議そうに肩をぐるぐる回す芦花を横目に、店長に声をかける。先ほどまでの変な緊張感は既に消えており、いつもの店長だ。別に肩に触ったわけでもないので虫がいたというわけでもなさそうだし、完全に変な行動にしか見えなかったのだ。

 

「聞かない方がいいと思うが」

 

「な、なんですか。怖いこと言わないでくださいよ…」

 

「店長さんっ!」

 

 私たちが来るまでカウンターで読んでいた本を読もうと思っているのか、しおりを挟んであるそれを手にもって座敷に上がろうとしていた店長からの怖すぎる返答に怯えていると、勢いよく芦花が会話の中に入ってきた。

 

「なんか体も、肩もすごく軽くなったんですけど、なんですかこれ。なにしたんですかっ?」

 

「店長…?」

 

「だから、聞かない方がいいと思うんだが…」

 

 芦花と、いつの間にかこちらに戻ってきていた真実のキラキラとした目線。そして、私からの圧力に耐えきれなくなったのか、少し迷いながら店長は口を開いた。

 

「綾紬ちゃん、最近妙に肩が重かったり、疲れやすかったりしてただろ」

 

「は、はい。確かに」

 

「確かに、珍しく芦花が授業中にねてるなーって思った」

 

 ちょっと真実!と慌てながら真実の口を塞ぐ芦花。その様子を見ながら、店長は言葉を続ける。

 

「憑かれてたんだよ。君らみたいな優しい娘ほど憑かれやすい」

 

「疲れる…?」

 

「そう、これな」

 

 そう言って、店長は両手を胸のあたりに上げ、肘を軽く折りたたんでこちらに手の甲が見えるように、指は下に力を抜く。言ってしまえば幽霊のポーズをとった。

 

「え、わ、私幽霊に憑かれてたんですか…?」

 

 自分を抱きしめながら震える芦花に、大体そんなかんじと頷く店長。さっと芦花の顔が青くなる。それはそうもなるだろう。聞いていただけの私もちょっと血の気が引いた感覚がある。

 

「わ、私は、私は大丈夫なんですか?」

 

「落ち着け、大丈夫だから。言っといてなんだが信じるんだな」

 

「店長の言うことを今更疑ったりしませんよ…」

 

 青い顔をする芦花、大丈夫と言われてちょっと安心した様子を見せる真実、ちょっと現実が受け止め切れていない私に、いわんこっちゃないとでも言いたげな顔をした店長という地獄の空間は、私がどうにか情報を飲み込みきるまで続くこととなった。

 

 

 

「いやぁ、驚いたねぇ」

 

「ねー…」

 

 店の外のベンチ、3人で並んで店長が驚かせてしまった詫びに、とくれたラムネを飲む。バイト中にも関わらず私にも渡され、更には3人で飲むといいとたたき出されてしまった。

良く冷やされ、表面に結露しているラムネは7月初頭の暑い空気を随分とやわらげてくれている。

 

 あのあとどうにか私たちが平静に戻るのを待って、そうそうあることじゃないが、何か変なことがあったら連絡するといい、と言って芦花と真実にもこの店の電話番号を教えていた。

 

「よくよく思い返してみれば、何回かあんな感じの動きしてるの見たことあるんだよね…」

 

「そうなの…」

 

「芦花、大丈夫?」

 

「大丈夫、ここ数日で一番体は軽いし…。ただ、色々と受け止め切れないだけで…」

 

 いまだにちょっと遠い目をしながら遠くの入道雲を眺める芦花。その顔には諦観が浮かんでいる。やっぱり聞かない方がよかったかな、と店長の言葉に従っておけばよかったと少し後悔。

 

「そ、そういえば。彩葉、結局なんでここでバイトし始めたの?」

 

 ぱちん、と手を叩いて真実が少し無理やりに話題を変える。かなり無理しているのが見て取れるが、渡りに船である。すこし上を向き、日差しを遮ってくれるすだれに目を向けながら数か月前の夜の事を思いかえした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだまだ冬ど真ん中で外を歩くにはコートが必須だった頃の事。彩葉がふらふらになりながら帰路についた夜の事だ。

 

 その日はいつもにもまして激務だった。まだ1年目なのにも関わらず、後輩のミスのしりぬぐいに追われ、波状攻撃を仕掛けてくる厄介クレーマーたちをさばき、その日2度目のやらかしを演じた後輩の尻ぬぐいにまたも駆り出されて。バイトを上がることが出来たのは本来の終業時間よりも1時間ほど過ぎた時間になったころだった。

 

「つ、疲れた…」

 

 駅へのつながる道をふらふらと歩く。ぼんやりと光る連続した街灯に照らされた帰り道は、なんだか何時もよりも暗く、長く感じて、足元に転がる石につまずいて転びそうになる。

 

 あぁ、寝不足だなと自分でも感じるほどに頭の動きが鈍い。先ほどまでは仕事中だったからこそ自分を奮い立たせててきぱき動きまわれていたが、タイムカードを切ってしまったその瞬間からもう前に出す足はふらつき、瞼は今にも落ちそうだ。

 

 そんな状態だったからこそ、それとも少しでも元気が出るようにとイヤホンでヤチヨのデビュー曲を聴いていたのが悪かったのか。やっとの思いでふらつきながら駅にたどり着いた私の右手が、不意に上に引っ張られた。

 

「無視するなよ、なぁ?」

 

 引っ張られた拍子にイヤホンが耳から抜け、腕を引っ張った相手の声が耳に入る。疲労と寝不足で体に力が入らないのが悪さをし、バランスを崩したたらを踏んだ挙句その相手に寄りかかるような形になってしまった。

 

「お、なんだ積極的だな」

 

「は、はなしてください。…い゛っ」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべる金髪野郎、振りほどこうとするのに、やはり力が入らず、なお悪いことに引っ張られたときに痛めでもしたのか、動かそうとすると肩に痛みが走る。顔を歪めた私の様子を見た相手の笑みが更に深くなる。

 

「あらら、大変だねぇ。大丈夫そ?」

 

「だ、れの、せいだと」

 

「え?聞こえねぇな。何だって?」

 

「う゛っ…」

 

 追い打ちのように引っ張られた肩に激痛が走る。元々思うように動かなかった更に震え始めた。なんで私がこんな目に、だったり。全く抵抗できていないこちらを嘲るように笑う相手への怒りだったりとごちゃまぜの感情で口がはくはくと動く。

 

「じゃ、行こうか。いいよな?」

 

「ッ…」

 

 どうにか離れようと後ずさった努力をあざ笑うように更に強く腕がひかれる。再び肩に激痛が走るも唇をかみしめることでどうにか声を漏らすのだけはこらえた。私が痛みにあえぐことは相手を喜ばせるだけだと理解していたから。

 

『おい』

 

 正面から聞こえてきた低く重い声が、粗く私の腕を引っ張っていた相手の足を止めた。進路を塞ぐように立つその男性は、フードを目深に被り、腹の部分のポケットに両手を突っ込んでいる。

 

『消えろ』

 

 声を掛けられた瞬間から震えていた手が、二言目を聞いた瞬間私の腕を勢いよく放して、脇目もふらずにどこかに走り去っていってしまった。

 

「う゛ぐッ」

 

 勢いよく振りほどかれたことでバランスを崩し、反射的に手をついてしまったことで更に肩に痛みが走る。痛みに滲んだ脂汗が冬にも関わらず額を伝って、駅の構内の床に落ちる。

 

「嬢ちゃん、大丈夫か?どこか怪我したか」

 

「すみ、ません。ちょっと立てなくて」

 

 さっきのパーカーの男の人がしゃがんで私に目線を合わせてきた。危地から抜けた安堵、そして極度の疲労に、緊張状態から抜けた状態も合わせて、元々力の入らなかった私の両足はすっかり立つという本来の機能を忘れてしまったようだ。

 

「痛いのは、肩か?」

 

「は、い…」

 

 助けてくれた恩人に対してお礼を言うことも忘れ、はっ、はっ、と粗い呼吸をこぼす。立てない、動けない。利き手を動かすことすら痛みでできない。

 

「ごめんな、少し触るぞ」

 

 蹲る私を見かねたのか、目の前の気配が私に近づいて。次の瞬間、視点が一気に高くなった。数秒の混乱のあと、ようやく私が目の前の人に抱き上げられたことに気が付いた。

 

「な、ななな…っ!」

 

 混乱して、体を動かそうとしても、落ちたら今の状態では受け身も取れないという本能と、そもそも力が入らないという状態の為、そのまま現状に甘んじることしかできず。先ほどよりも近くなったその男の人の顔を下から見上げる。

 

 立ち上がった拍子か深くかぶっていたパーカーは外れて、素顔が駅の照明に照らされている。白い髪、口元と右目に走る傷跡、後から思えば目立つ部分はたくさんあった。でも、その時の私が一番目を引かれたのは、その瞳だった。

 

 優しそうな目。穏やかな光がゆらゆらと瞳の中で踊り、こちらを案ずるように時折細められる。先ほどまでの私を嘲るような目とは全く違う、その瞳。

 

「歩けるようになるまで、送っていこう」

 

「ありがとう、ございます」

 

 すまない、背負おうとも思ったんだが肩の怪我がきついだろう。と眉を下げて申し訳なさそうな顔をするその人に、ようやく安堵が他の感情を上回り始めて、口が笑顔の形を描き出す。

 

 きっと、この人なら、大丈夫。

 

「申し訳ないが案内してもらえるか?おい?大丈夫か?」

 

 

 

 ぱ、と目が覚めた。知らない天井だ。木目調の古い天井、私のアパートの天井と似てるが、少し違うそれは、やわらかい色合いの蛍光灯の光で照らされている。

 

 何故かかぶっていた布団を丁寧にどかして起きる中で違和感に気が付く。怪我したはずの肩の痛みがない。筋を痛めたような痛みに、暫く不自由な生活を強いられることを覚悟していたのに。

 

 あの出来事は夢か何かだったのだろうか、と首を捻る。布団を敷くためにどかしたと思われるちゃぶ台に、所狭しと様々なジャンルの本が詰め込まれた本棚、テレビ。そして月見ヤチヨの激レアタペストリー。タペストリー?異彩を放つそれを一度視界から外し、空いた障子の外を眺める。そこは商品がたくさん並べられた駄菓子屋だった。もう閉店しているのかそちらの明かりはついておらず、薄暗いそこは少し不気味な雰囲気を放っている。

 

 しかしあのタペストリーは私の記憶違いでなければ相当のレア物ではなかったか、と首をかしげながら見ていると、ドアが開いて白髪の男の人が入ってきた。

 

「…お、起きたか」

 

 差し出されたコップをお礼と共に受け取り、口につけて少し傾ける。沸かしたてのお茶のようだ。暖かいそれが喉を抜けていく感覚と共に、体の底が暖かくなっていくのを感じる。

 

 改めて助けてくれた相手の顔を見やる。声を聴いただけだとかなり年上かとも思ったが、こうやって面と向かってみるとすごく歳は離れていない様にも見える。きっとその判断を難しくしているのは後ろに流された白髪だろう。染めたようには見えないし、地毛だろうか。

 

「肩はどうだ?大丈夫か?」

 

「はい、大丈夫そうです。あの、ありがとうございます。本当に」

 

「いや、送っていくつもりだったのにうちの店に連れてくる羽目になってしまって。申し訳ない」

 

「や、やめてください…」

 

 なぜか助けられた方が頭を下げられるという事態に居心地の悪さを感じ、慌ててしまう。思い返してみれば送ってくれると言ってくれたのに、私の家を知らないこの人を置いて意識を落とした私が悪いのだ。

 

 しっかり布団を敷いてもらって寝かせてもらったのにその上に謝られては完全に私の立場がない。

 

「後でタクシーを呼ぶから、それで帰りな。お代は出すから」

 

「そんな、何からなにまで頼るわけにはいかないです」

 

 親への連絡と説明を、と言ってくれたので、一人暮らしだから大丈夫だ、と返すと、女の子が簡単に一人暮らしなのを明かすな、というお小言と共にそんなことを提案された。

 上から更なる恩を足さないでほしい。子供は大人に甘えるものだなんて、今更。何度か払う払わないで押し問答した末、これ以上固辞するのも失礼だと気が付いた私が折れる形で不毛な戦いは幕を閉じることとなった。

 

「ついでに、夕飯も未だなら食べていくといい」

 

「流石に、さすがに申し訳ないです…。ほんとに」

 

 善意の洪水か?タクシー代を押し切られてしまったら次も、とすぐさま次弾が装填されて放たれた。先ほどから何処かいい匂いがするな、と思っていたし、常に空腹な自分のお腹が鳴らないように気を付けていたというのに。

 

 そんな私の様子をみて、男の人は考えるように顎に手をあてた。そして、声を少し低くして視線を外す。

 

「一人でここで食卓に着くのは思いのほか寂しくてな」

 

「うっ」

 

「嬢ちゃんが嫌じゃなければだが、俺を助けると思って一緒に食べてくれないか?」

 

「…分かりました」

 

「ありがとう、助かるよ」

 

 こちらが断りにくい頼みかたの上に、こちらの罪悪感をあおらないように上からお礼まで言われてしまった。これでこちらが申し訳なさそうにすることこそもはや迷惑である。その上ちゃぶ台を出そうとするのを、やりますと言ったが、危ないからとやんわり断られてしまった。確かに少し前まで体に力が入らず立ち上がれなかった女の子にさせることではない、と言われては引き下がるしかない。そのままいるとどんどん恩が積み重なっていってしまいそうでやるせなかったので、せめてと自分の寝ていた布団をきれいに畳んで端に寄せる。

 

 そんなことをしているうちにいつの間にか運んできてもらってしまっていた食事を見て、目を剥いてしまう。ほうれん草の胡麻和えに、鯛の刺身、筑前煮に白ごはん、みそ汁と、とても一人暮らし?の男性からお出しされるような食事ではなかったからだ。

 

「あ、あのこれ」

 

「なんだ、食べないのか?」

 

 私の対面に座る男の人が自分は食べる気満々で既に手を合わせている。慌てて私もいったん疑問を飲み込んで手を合わせて、いただきます、といった。

 

そういえば、人と向かい合ってこうやって食卓を囲むのも、一緒にいただきますというのも、何時ぶりだろうか。

 

 それに、誰かが作ってくれたこんな食事も、本当に久しぶり。お箸をもって、ほうれん草の胡麻和えを一口たべてすぐ、おいしいと思った。誰かにこんなに無条件に優しくされることなんて、本当に何時ぶりか自分でも分からなくて。

 

 あれ、まずい。そう思った時には、両目から涙がこぼれだしていた。

 

「うまいか」

 

「おいしい、です」

 

「そうか。おかわりもあるぞ」

 

「あり、がとう、ございます」

 

 止めなきゃ、止めなきゃと思うのに。次の一口を運ぶ度にまた両目から新しく溢れてきて。結局食べ終わってしばらくするまで止まってくれることはなかった。

 

 

「…なにも聞かないんですか?」

 

「話したくないことも、あるだろ」

 

「いえ、話します。ここまでしてもらったので」

 

 母親とそりが合わなくて飛び出してきたこと。生活費と学費をすべて自分で稼がねばならないこと。それでも成績は落とせないこと。全部ではないが、ぽつりぽつりと取り留めもなく自分の事を話して、話して。ここ最近の寝不足も、今日のバイト先でのトラブル続きも。

 

「なんで、私ばっかり、こんな」

 

 ぽろりとこぼした後に、はっと自分で自分の口を塞ぐ。私は“弱音”を吐いたのか?なんで、どうして。聞いている方も楽しくないだろうに。

 

「ッごめんなさいっ」

 

「頑張り屋だな、嬢ちゃん。えらいな」

 

 反射的に下げた頭を、えらいえらい、と小さな子供にするように、大きな手がのせられて軽く動く。暖かくて、大きくて。全然違うのに、どこかお父さんに似てて。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい…」

 

 結局私が泣き止むまで、脈絡なく色々なことを口にする私の話を、この人は嫌な顔一つすることなく最後まで聞いてくれた。泣きつかれて赤くなった目元に温めたタオルを当ててもらって、そのころには申し訳ないから遠慮する、何て気も起きなくて。

 

「あの、私の名前。酒寄彩葉です。名乗ってなくてごめんなさい」

 

「謝ってばかりだな、酒寄ちゃん。お礼を言われた方が俺は嬉しいぞ」

 

「あ、ありがとうございます…」

 

 泣き止んでしばらくして、タクシーが来る直前になってまだ名乗ってもいなかったのを思い出して頭を下げながら名乗った私に、虎杖悠仁だ、と名乗り返した後に、店長はこう口にした。

 

「酒寄ちゃん、うちで働く気ないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そんな感じかな」

 

「…待って、大恩人じゃん」

 

 恥ずかしいところを大きく端折りつつ、そんな話をすると、芦花はまた顔を青くして私の手を掴んでるし、真実は飲み終わったラムネに気づきもせずにポカンと口を開けている。

 

「彩葉、本当、無事でよかった…」

 

「芦花?大丈夫、大丈夫だから。結局あのおかげで店長に会えたんだし」

 

「私もう一回お礼言ってくるねー」

 

「わ、私もっ!」

 

 芦花と真実がバタバタと店内に戻っていってしまったので、まだ少し残っているラムネを口に含んだ。

 

「空、広いなぁ」

 

 ゆっくり空を見上げる余裕もなかった数か月前の私を思い出して、あの時店長に会えなかったら今頃どうしてたんだろうな、何て考えて。ちゃんと寝てるのか?と頻繁に心配してくる店長がいなかったらきっともう少し、寝不足だっただろうななんて考えておかしくなって声を出して笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 膝の上でこちらを心配そうに見上げる小さい生物を、ちゃんとこちらと目が合うように手の上にのせて顔の前まで持ってきて目を合わせる。そんなことをしただけで。君は「悠仁はやっぱり悠仁だねぇ」と笑ってくれた。

 

 

 

 

「ねーねー悠仁ー。私の事知らないの?本当に知らないの?」

 

「だから多分お前がいう俺は未来の俺なんだろ?言ってることが本当なら」

 

 お互い落ち着くのを待って、お互いの身の上を話した。俺が50年間の虚無の時間の事を話すと、目の前のウミウシは50年間何て耐えられないよっと大袈裟に引いたリアクションをして見せた。

 

 こうして人に、人に?話すだけでも自分の孤独が和らぐ気がして話して。相手のウミウシ、いや、かぐやの話す未来から来たという荒唐無稽な話に相槌を打って。長く、長く話して、お互いが話し疲れるまでそれを続けた。

 

「悠仁ってなんか信仰されてるんでしょ?その呪術?ってやつは何なの?」

 

「未来の俺と知り合いなのに知らないのか…。こういうやつだよ。『解』」

 

 キンッ、と近くの岩山が両断される。長く術式の研鑽しかやることのなかった自分にとっては、ノーモーションの解も既に呼吸をするように出来るような芸当である。

 

「す」

 

「す?」

 

「すげーーー!かっこいいーーーッ!なんで言ってくれなかったの!そういうの出来るってなんで言ってくれなかったのッ!」

 

 大興奮で俺の肩をぴょんぴょんと跳ねるかぐやに、それは未来の俺に言ってくれ、と返す。いままで反転術式が出来ても、領域を成功させても、誰からも何も言われてこなかった。強いて言えば畏怖される度合いが上がったくらいか。

 

 しゃべるウミウシに肩越しに騒がれるという最高に意味が分からない状態でも、ここ何十年かで一番いい気分だ。

 

「なぁ、かぐや」

 

「なーに?悠仁」

 

「ありがとう、命の恩人だよ、君は」

 

 あと少し君と会うのが遅かったら、きっと俺は自死を選んでいただろうから。

 

 




おかしいな。こんなに書いたのに原作時間軸にすらたどり着いていない。どうしてだ?このままでは次の話でもたどり着かないんですが。

ifの扱い

  • このまま最後まで書く
  • 普通の後日談も交えつつ書く
  • 書かんでいいから後日談だけ書く
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。