緑野メイは、自身の持つ『迷彩』の魔法を使い、講堂への入場時間の少し前に潜入することに成功していた。そして、昨日寝る前に検討した狙撃スポットへと足音を立てないように向かう。講堂の中にはまだ観客は居ないが、劇の準備で数人の生徒が居る。狙撃前に存在を気取られるわけにはいかなかった。
舞台袖は無理、そうなってくると場所は限られてくる。頑張って練習した期間があったとはいえ、メイはただの学生。離れた場所からの狙撃は無理だ。ならば、もう真正面から撃つ。どうせ、メイの姿は誰にも見えないのだ。撃った後は、死体を見た観客の混乱に乗じて逃げればいい。
メイが狙撃ポイントに選んだのは、観客席の最前列と舞台の間の空間。観客が来る前にここで待機しておけば、基本人の行き来はない。舞台袖と比べると接触の危険はあるが、そこは注意を払っておけばどうとでもなる。
狙撃までの時間はまだたっぷりある。バクバクと鳴る心臓を落ち着けるためにも、すっかり手に馴染んだ拳銃をハンカチで拭く。こうすると、少しだけ心が落ち着くのだ。最近は、枕元に拳銃を置いて寝ているくらいだ。
その時だった。ふと、視界の端に奇妙なモノが映った。それは、講堂の舞台下、メイの隠れ潜む場所のすぐ近くに貼られた写真だった。写真に映っている猫耳のイヤホンをつけた少女は、昨日の劇には出ていなかった。となると、誰かの悪戯だろうか。無駄にこちらを煽ってくる表情なのは気になるが、ここで剥がしてしまえば存在がバレる危険がある。写真に関してはひとまず見なかったことにして、メイは拳銃を拭く作業に戻るのであった。
〇〇〇〇〇
午前中で粗方準備を整え、私は今レイアと本番前の最後の打ち合わせを行っていた。下手人の捕獲も大事だが、レイアの劇を成功させることも大事だ。どちらも妥協はしない。やるからには完璧にやる。それが正しいあり方だ。
「なあなあヒロっち~。今ちょっといい?」
「なんだココ。今私は忙しいんだ。お喋りなら後にしてくれないか」
「いやぁ、それがさぁ⋯⋯下手人? たぶん今千里眼で見えてんだよね」
ココの口から告げられた予想外の事態に、私は目を丸くしてココの方を振り返った。
「それは本当なのか!?」
「うん。ほら、舞台と観客席の間。あそこから見える位置にもあてぃしの写真貼ったって言ってたじゃん? なんかそこに居るっぽい。どういうわけか知んないけどさ、普通に見えてんだよね」
「⋯⋯確かに、あそこなら狙撃するには問題ないか。だが、見えているとはどういうことだ? 下手人は今魔法を使っていないのか?」
「立ち位置をチェックするふりをして、一度見に行ってみるかい?」
「レイア、君が行くのは危険だ。そうだな⋯⋯アリサ! ちょっとこっちに来てくれないか」
私が声をかけると、少し離れた場所でエマと小道具のチェックをしていたアリサがその手を止め、こちらへ歩いてやってきた。
「どうした、二階堂。さっき蓮見に頼まれた時も断ったけれど、ウチは劇には出ねーからな」
「劇への出演オファーではない。ココが、下手人の姿を千里眼で視認したそうだ。場所は観客席と舞台の間、写真が貼られた近くだ。君の目で確認できるかどうか、一度見てきて欲しい。ただし、あまり近づきすぎないようにな。こちらが居場所に気づいていることを下手人に知られたらマズイ」
「それマジかよ⋯⋯。分かった。ちょっと見てくるわ」
アリサもまた驚いた反応をしつつも、素直に頷いて下手人の姿を確認しに向かってくれた。数十秒後、何事も無く戻ってきたアリサは、ぶんぶんと首を横に振った。
「確認したが、ウチは分かんなかった。なあ沢渡、本当にそこに拳銃を持った奴がいんのか?」
「いやいや、マジだって!! なんなら今もハンカチで銃拭いてるヤベー奴が見えてっから!! 年齢は⋯⋯あてぃしらと同じくらい? なんかそこら辺に紛れてたら分かんなそーな地味な見た目してる」
指で輪っかを作り、それをのぞき込むようにして千里眼を発動させているココの証言は具体的で、見間違えの可能性は低そうだ。そうなると、本当に魔法を使って姿を隠している下手人がココが確認した場所に居るのだろう。
「下手人がそこに居るのは間違いなさそうだね。ただ、そうなるとどうしてココ君だけに見えるのだろうか。千里眼の魔法は、透明人間も視認できるのかな?」
「いや、おそらくだが⋯⋯下手人の魔法は、完全な透明化というよりは、『迷彩』のようなものに近いのではないか? 迷彩にもいろいろと種類はあるが、基本的に背景に馴染むように色彩を変化させたりするものだ。通常、誰から見ても視認できないような迷彩など用意することは困難だが、魔法ならばそれも可能だろう。迷彩の魔法が、相手の視点に合わせて姿を変えるような類のものだった場合、俯瞰で相手のことを視認できる千里眼の魔法相手に通用しないのも納得は出来る」
「光学迷彩とかは透明人間みたいなもんだけどな。再帰性反射の原理を使って背景の映像をそのまま見ている人間に届けるよう光をコントロールする奴だ。そっちだとしても、まあ『迷彩』って呼んでいいんじゃねーのか?」
理系に詳しいアリサからも太鼓判を貰った。この推察が正しい可能性は高そうだ。ただ、今大事なのはそこではない。下手人の居場所が特定できたこと、これは非常にこちらにとって有益な情報だ。
「ひとまず、助かったよココ。君のお陰で犠牲者を出さずに済みそうだ」
「なんだか難しいことごちゃごちゃ言ってて途中から聞いてなかったけれど、これまたココちゃん大活躍ってこと!? 後でなんかおごれよ~?」
「ああ、君の祖父の分も何か報酬を出そう。レイアが」
「ふふふ、私に任せてくれたまえ!!」
ココへのご褒美に関してはレイアに丸投げしてしまったが、本人は満更でもなさそうなのでこれで良しとしよう。アリサからはやや非難の視線を向けられているが、私はそれを無視してエマの元へと向かった。
「エマ、そっちはどうだ?」
「ヒロちゃん! えへへ、ヒロちゃんの衣装に飾る小道具、ボクが何個か作ったんだ。そろそろ着替える時間だよね? ボクが付けてあげる!」
「ああ、お願いするよ」
私はそばに置いてあった椅子に座り、エマに背を向ける。エマは、顔を直接見ていなくても分かる上機嫌さで、鼻歌混じりに私の髪に触れていた。その指が、不意に止まる。
「⋯⋯ヒロちゃん、絶対死なないでね」
「当然だ」
エマにこれ以上心配をかけないように、力強く答える。エマには、下手人の確保の後に『魔女殺し』の魔法を使い、無力化してもらう大切な役目がある。あまり心労をかけたくはなかった。
「なあなあ、あいつエマっちとあてぃしらの前で態度違くね?」
「そうだね。なんだか少し妬いてしまうな」
「⋯⋯いちゃつくんならどっか別の場所でやってくれ」
「おいそこの3人。聞こえているぞ」
私が怒って立ち上がると、3人はふいっと同時にそっぽを向いた。その様子がおかしかったのか、エマが笑い声をあげる。それに吊られて、私も笑顔になっていた。
──この場に居る全員、誰も死なせない。改めて、その決意を強く固めなおした。
〇〇〇〇〇
劇が始まった。講堂内はステージを除き照明は落とされ、視界は悪い。この中でなら、迷彩の魔法が無くても気づかれる心配はあまりないかもしれないが、メイは『迷彩』の魔法を発動し続けながら、狙撃のタイミングを待っていた。
先日はスモークによって邪魔されたが、その演出が入るタイミングは把握している。ならば、その前に撃てばいい。劇は既に中盤付近に差し掛かっている。もうすぐだ。もうすぐ主役の蓮見レイアが1人で舞台に立つタイミングがある。ジュリエット役の少女も一緒に撃てないのはやや残念だが、この際標的は一人に絞った方がいい。
そう覚悟を決め、銃を構える。メイの思いが銃身にまで伝わっているのか、拳銃を持つ手が熱い。⋯⋯いや、これは気のせいではない。本当に銃が焼けるように熱い!!
慌てて拳銃を落としたところで、ぽんっと何者かに肩を叩かれた。ぞくりと背筋に寒気が走る。どういうことだ。メイの姿は誰にも見えていないはずだ。何故、肩に触れることができるのだ。
「次はこの辺に手を伸ばせばいいのか? ⋯⋯うお、ホントに触れた。おい、ウチの声聞こえているよな? 銃は先に『発火』で熱したから落としていると思うが、次銃を構えてみろ。その時はてめーを燃やす」
恐る恐る後ろに視線を向けると、そこには観客席の最前列に座る、マスクで顔を隠した少女が居た。少女は、片方の手を耳元に当てながら、もう片方の手をメイに伸ばしている。肩に触れている方の手は徐々に熱を帯びてきていて、少女の脅しが嘘ではないことを物語っていた。おそらく、メイと同様、この少女も特別な魔法を持っているのだ。姿の見えないはずの自分に触れられた驚きと、向けられる敵意による恐怖で、メイの抱いていた殺意は呆気なく上書きされた。
「こここ、殺さないで⋯⋯」
「それが蓮見を撃とうとしていた奴の台詞かよ⋯⋯。安心しろ、ウチはてめーを殺したりしねぇ。その代わり、ここで魔法を解け」
「ええ、でもでも、そそ、そんなことをしたら⋯⋯」
「やれ。やらねぇと燃やすぞ」
ぼっ、と人差し指の先に小さく火が灯るのを見て、メイは小さく悲鳴をあげた。ここで姿を見せるなんて自殺行為だ。拳銃を持っていたことも含め、ばれてしまったら捕まってしまうだろう。でも、燃やされて死ぬよりはましだ。
メイはしぶしぶ魔法を解除した。その瞬間、メイの居る場所にぱっとスポットライトが浴びせられる。
「そこに居たか、私の命を狙う不届き者め! さあ、隠れていないでこちらに来い! 私と正々堂々の勝負だ!!」
予想外の事態にパニックになるメイに追い打ちをかけるように、舞台の上に立つ蓮見レイアが、明らかにこちらに向けて声をかけてくる。一体どういうことなのか。どうすればいいのか。咄嗟に、背後のマスクの少女に視線を向けるが、少女は行け、というように顎を舞台の方へ向けるだけだった。
観客席の視線が自分に集まっているのをひしひしと感じる。今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。しかしそれは、マスクの少女が許さないだろう。メイは震える足を動かし、舞台の上へと歩みを進めた。そんなメイに、蓮見レイアはレイピアを投げてよこしてくる。
「武器が無いのは不公平だ。一対一の真剣勝負、これで蹴りをつけよう!! ただ、その前に一つ尋ねたい。⋯⋯何故、君は私の命を狙うんだ?」
昨日見た劇にはこんなシーンは無かった。現に、おそらく昨日も劇を見ていたであろう観客にはざわめきが走っている。おそらく、アドリブで自分を巻き込むために用意された台詞。しかしその言葉は、明らかにメイ本人に向けられたものだった。
メイは、この時初めて、正面から蓮見レイアの顔を見つめた。今、メイは蓮見レイアと同じ舞台に立っている。それなのに、明らかに輝きが異なっていた。スポットライトを浴び、舞台の中央に立って剣を構える蓮見レイアは、誰よりも目立っていた。
ああ、この世界はなんて理不尽なのだろう。明らかに、自分と蓮見レイアとでは住む世界が違う。メイは、何者にもなれない、誰にも愛されない、ただの背景のような存在。本来ならば、一生交わるはずのない相手。その相手と、何故か今、同じ舞台に立っている。
「そんなの、理由はたったひとつ、だけ。お前が⋯⋯妬ましいからだ!! だからぼくは、お前を殺して、そこに立つ!!」
気づけば、今まで出したことの無いほどの大声を出していた。そのことに、自分でも驚きを隠せない。蓮見レイアも、一瞬だけ目を丸くしていたが、すぐに面白そうにその口角を上げた。
「残念だが、ここは譲れない!! 欲しいというならば、力づくで来い!」
力強いその声と共に、レイアはレイピアを構える。メイは、全力で叫びながら、蓮見レイアに向かいレイピアを振るう。だが、素人の振るう一撃は、蓮見レイアの華麗な剣閃によりあっさりと防がれた。持っていたレイピアを叩き落とされ、メイは首筋にレイピアの刃先を向けられる。
「いい勝負だった。次は、最初から姿を見せて戦ってくれたまえ。⋯⋯君の全力、とても素晴らしかったよ」
そう蓮見レイアが告げると同時に、観客席から拍手と歓声が巻き起こる。メイは、その拍手の渦の中、先ほど蓮見レイアに告げられた台詞を脳内で反響させていた。
ああ、完敗だ。メイはもう、蓮見レイアに勝てない。今もなお、嫉妬や羨望といった醜い感情は残っている。しかし、それに今、憧憬が加わった。
この日初めて、メイは舞台の上で、大勢の観客に見守られ、主役の敵役という『何者か』になることができたのであった。