「なんだ、ここは⋯⋯。私は、一体⋯⋯?」
先ほどまで、私はエマと一緒に電車が来るのを待っていたはずだ。しかし、繋いでいたはずのエマの手の感触はなく、周りが真っ黒のよく分からない空間にいる。
試しにスマホを取り出して照らしてみようとするが、そもそもスマホを取り出すことが出来ない。それどころか、自分の肉体に触れることも視認することもできない。混乱する頭で、努めて冷静に直前までの出来事を思い出そうとしてみる。
「確か私は、エマと一緒に電車に乗ろうとして、その時にエマが線路に落ちそうになって、それを、私、が⋯⋯」
そうだ、すべて思い出した。私は、エマを庇って、代わりに電車に轢かれて⋯⋯。そこまで思い出した瞬間、その時感じた痛みも同時に思い出し、耐え切れず膝をついてしまう。自然と息が荒くなる。
私は、死んだ? つまり、ここは死後の世界、ということなのか? 何もない、何も見えない、真っ暗な世界で、私はこのまま一人、孤独に過ごしていかなければいけないのか?
「⋯⋯嫌だ。嫌だ!! 私は、死にたくない!! せっかく、エマと仲直りもできたんだ。今日だって、カフェに行く約束もしたのに!! 私はここで、死ぬわけにはいかないんだ!!」
死者が死を拒むのは正しくない。かつての私は、それが正しいことだと信じていた。だからこそ、『死に戻り』の魔法のことを正しくないと嫌悪すらしていた。
しかし、今の私は、すべての物事が『正しい』ものと『正しくない』ものにはっきり別れているわけではないと学んだ。自分が『正しい』と判断するものが、必ずしも『正しい』とは限らないとも知っている。
だからだろうか。私は望んでしまった。もう一度、エマに会いたいと。『死に戻り』の魔法があるならば、もう一度発動してほしいと。
その瞬間、私の胸からぽぉっと白い光のようなものが飛び出し、暗闇を照らし出した。先ほどまで見えていなかった自分の指の先まではっきりと見えるようになっている。飛び出した光は、まるで私を導くかのようにゆらゆらと動きながら、暗闇の中に光の道を作っていった。
「おい、待ってくれ!」
私は、慌ててその光を追いかけていく。直感で、これに付いていかなければならないと思ったからだ。
どれくらいの時間が経っただろうか。真っ暗な空間の中できた光の道を、ただひたすらに歩いていく。だが、不思議と疲れは感じない。やがて、光は動きを止め、とぷんと闇の中に沈んでいった。すると、光が沈んだ箇所から波紋のように光が広がっていき、黒一色の世界に白い光の空間が出来上がる。その空間からぬるっと音も無く表れたのは、光と同様に白一色の少女。エマと同じ、私の大切な友人。魔女因子を引き取って消えたはずの、大魔女。
「ユキ⋯⋯!!」
「また会いましたね、ヒロ。とても嬉しいです」
その大魔女⋯⋯月代ユキは、私を見てにっこりと笑みを浮かべた。
〇〇〇〇〇
「混乱しているようですね、ヒロ」
「当然だろう⋯⋯! あの時消えたはずの君が、何故こんなところにいるんだ? やはり、ここは死後の世界で、私は死んでしまったのか!?」
「⋯⋯少し落ち着いてください、ヒロ。私に答えられることなら、なんでも答えますから」
ユキは親指と薬指で輪を作った手を口元にやって、首を少し傾げてみせる。裁判の時や、中学時代に何度も見た、ユキの癖だ。それを見て、改めてここに居るのがユキ本人であることを確信すると同時に、ユキの穏やかな声色に少し気持ちを落ち着かせることができた。
「⋯⋯ああ、分かった。すまない、取り乱してしまったようだ。まず、ここがどこかを教えてくれないか?」
「ここは、生と死の狭間の世界。死者の魂は必ずここを通過し、天国か地獄へと行くことになります」
「⋯⋯そうか。つまり、やはり私は死んでしまったというわけか」
「厳密には、違います。あなたはまだ、死んだわけではありません」
「どういうことだ?」
ユキの言葉が理解できず、問いただした私に、ユキはそっと近づき、その小さな手で私の胸に触れた。
「あなたの胸から飛び出し、こうして私をここに呼び出した光。あれは、あなたの身体にあった『魔女因子』の残留思念です。あなたは、死にたくないと強く願い、祈った。その祈りが、あなたに再び『死に戻り』の力を与えました」
「なっ!? ⋯⋯つまり、私は戻れる、というわけか? 電車で轢かれて死ぬ前の、今日の朝に」
なんとも複雑な気持ちだった。『死に戻り』ができる。その事実を素直に喜んでいいものかの判断ができない。何故なら、ユキは私たちが助かるように、自らを犠牲にしてまで魔女因子を引き取ったはずなのだ。私が『死に戻り』の力を取り戻してしまったことは、ユキの献身を無駄にすることではないのか。
「気に病む必要はありませんよ、ヒロ。確かに、あなたが魔法の力を取り戻した原因に、あなたの願いは関係あります。でも、それはきっかけの一つにすぎません。もっと大きなきっかけは、別にあります」
「もっと大きなきっかけ⋯⋯? それは何なんだ。教えてくれ、ユキ!」
「それを教えてあげたいのはやまやまですが⋯⋯どうやら、時間のようです」
ユキが頭上を見上げる。その動きにつられて上を見ると、まるで天から梯子が伸びているかのような光の柱が、私に向かって降りてきていた。その光が身体に触れた瞬間、私の身体はふわりと持ち上げられてしまう。私は、抗うように必死にユキに手を伸ばした。
「待ってくれ、ユキ! もっと聞きたいことがあるんだ! もっと、もっと話したいことがたくさんあるんだ!!」
「ヒロなら、大丈夫ですよ。きっと、すぐ知ることになります。ああ、あと、最後にあと二つだけ」
ユキは、指を二本立て、その指を口元に添え、ふっと微笑んだ。
「一つは、あなたが魔法の力を取り戻したことで、あなたと深い関りをもった人間は魔法の力を取り戻しているということ。エマもきっと、魔法の力を取り戻しているはずです。それに、あの牢屋敷にいた少女たちも、また」
「なっ!? そういう大事なことはもっと早く教えてくれ!!」
「ふふ、すみません。⋯⋯こうして叱られるのも懐かしいですね。では、最後に一つ。ヒロ、頑張ってください。あなたならきっと、大丈夫ですよ」
ユキがこちらに向かって手を振る。その姿は、光の波に呑まれて消えていき、次第に見えなくなっていく。私は、必死に手を伸ばした。でも、もう届かない。二度の別れを経験して、もう泣くことはないと思っていたのに、自然に目から涙が溢れ出していた。意識が光に呑まれ消える寸前、最後に見たユキの顔は、穏やかな笑顔だった。
〇〇〇〇〇
いつものベッドの上で目を覚ます。上体を起こし、机の上の目覚まし時計を見れば、アラームの設定時刻の5分前。すかさずカレンダーを確認すれば、日付は記憶していた今日のもの。
ユキとの会話は、はっきりと覚えている。そして、自分が死んだ瞬間のこともまた、は
っきりと。『死に戻り』が発動したということを確信し、私の口からは自然と声が漏れ出していた。
「──【戻った】、ということか⋯⋯」
目に手を当てれば、少しだけ湿っている。まだ、網膜の裏にはユキの姿が残っている。だが、いつまでも感傷に浸ってはいられない。
ユキの教えてくれたことが本当ならば、今頃皆も魔法の力が戻ったことに気づいているはずだ。そのことに戸惑い、混乱する者もいるはずだ。そのフォローも重要だ。だが、今私が一番やらなければならないこと。それは、今日の『死』の原因を特定し、それを回避することだ。
何故、エマが線路に落ちそうになっていたのか。いくらエマが少しドジなところがあるとはいえ、2人で手を繋いで電車を待っているあの状況で転ぶなんてことはあり得ない。そこには、何かしらの第三者の介入が存在していたはずだ。もしかしたらそこに、ユキの言っていた『大きなきっかけ』とやらが関係するのかもしれない。
一度目よりもやや急ぎ目に朝の支度を整え、玄関を出る。そして、駅のホームに着いたタイミングで、ピロンと着信音が鳴った。文面は分かっているが、一応立ち止まり、スマホを確認する。
『ヒロちゃん! 今日の約束忘れてないよね? 一緒に帰ろうね!!』
「⋯⋯エマ、残念ながら、カフェに行くことはできなさそうだ」
一度目と同じ返信を送りながら、ぼそりと呟く。もし今日の死を回避したとしても、カフェに行くことは出来ないだろう。何となく、そんな予感がしていた。