象牙の塔
2020年3月。
アメリカ・ロサンゼルスから帰国したゴリラ女を待っていたのは、見慣れたはずの天王寺の風景と、未知のウイルスによって急速に機能を停止し始めた日本だった。
「練習も出来へん、外にも出られへん……。何やこれ」
実家のソファに巨体を横たえ、彼女はテレビから流れる不穏なニュースを眺めていた。プロレスからMMAまで、常に肉体を極限まで追い込んで刺激の中に身を置いてきた彼女にとって、この世界規模の強制的な静寂は、心身を蝕む毒に等しかった。
4月に入ると初の緊急事態宣言が発出され、キャンパスは閉鎖。大阪体育大学大学院の入学式は中止となり、当面の間全ての講義はオンラインへと切り替わった。同時に、楽しみにしていた道場通いの再開も完全にストップした。
この時期の生活は、格闘家人生の中で最も異様だった。
朝はニュースを確認するために遅めに起床し、母の作った大量の朝食を胃に流し込む。
昼はノートPCの前に座り、不慣れなZoom講義を受け、画面上のPDF資料と格闘しながらレポートを作成する。
ほんの数ヶ月前までは、世界最高峰のUFCのケージの中で、200kgの巨体を躍動させて世界中のファイターと殺し合いのような戦いを演じていたのだ。その彼女が今、実家の自室で静かにキーボードを叩いている。
「何やこれ……。大学院始まった感が全然せえへん」
何よりのストレスは、柔道の練習が全く出来ないことだった。道場が開いていないため、乱取りも、打ち込みも、寝技の攻防もない。つまり「相手がいない」のだ。相手と組み合い、その肉体を通じて重心や力を感知する「感覚のグラップラー」である彼女にとって、この状況は精神的な飢餓を齎した。
必然的に、実家での一人練習はカオスを極めた。
夜になると、彼女はリビングの床で一人、地響きを立てながら激しい寝技の練習を開始する。
「床抜けるわ! ええ加減にしとき!」
キッチンから母の怒鳴り声が飛ぶ。そんな騒々しいやり取りと、大阪ガスに勤務して完全リモートワークとなった四女のオランウータン女が一日中家に居る賑やかさだけが、辛うじて彼女のメンタルを正気に繋ぎ止めていた。
5月になってもオンライン生活は継続していたが、彼女の中で奇妙な変化が起き始めていた。悶々とする日々に飽きた彼女の脳が、徐々に研究脳へと切り替わり始めたのだ。
配属されたのは、スポーツ科学におけるバイオメカニクスの研究室だった。
最初のオンライン自己紹介の場では、隠すことなく自らの経歴を語った。
「2013年に大阪体育大学を卒業して社会人柔道、プロレスラー、総合格闘家を経て戻って来ました。29歳です。宜しく」
画面の向こうの24〜25歳の院生達は、意外にも冷静だった。
「へえ、元プロ格闘家なん? 凄いな」
特別視されないその適度な距離感が、今の彼女には酷く心地良かった。
しかし本格的な講義が始まった瞬間、彼女は人生最大の巨大な壁に激突した。
「柔道を科学するんやろ? なら、感覚だけじゃあかん」
画面に共有される資料や手渡された文献には数式、グラフ、難解な専門用語、そして英語の論文が並んでいた。中高大と力と本能だけで修羅場を渡り歩き、勉強という文字から逃げ続けてきたツケが、30歳を目前にして一気に回ってきたのだ。
(……一文字も意味分からん)
周囲の院生達が当然のように専門用語を使いこなしてディスカッションを進める中、200kgの元UFCファイターが画面の前で絞り出せるのは、「分かりません」という一言だけだった。
だが、かつての彼女とは違った。UFCという世界の頂点を見てきた彼女は、もう絶対に逃げなかった。
彼女は夜な夜な自室の机に向かい、分からない単語をノートに一文字ずつ調べ上げ、YouTubeの動画を貪るように見始めた。
この時期、彼女は完全に技術分析オタクと化していた。
国内外の柔道、レスリング、ブラジリアン柔術、過去のUFCの試合、五輪の映像。それらを何度も一時停止し、巻き戻した。
大学院で学び始めたバイオメカニクスの視点が、彼女の格闘技観を急速に変えていく。
「重心」「力点」「角度」「股関節の回旋」――。
これまで「何となく感覚で極めていた技術」を、理論の枠組みで捉え直す作業が始まった。
「何で投げれるか、何で極まるか分かるか?」
オンライン画面越しに教員が問いかける。
「力です。パワーで持っていきます」
彼女が真顔で答えると、教員は苦笑して画面に図解を描いた。
「違う。ここや。支点の位置、そして骨盤の角度、タイミング。これらが噛み合うから、最小の力で最大の効果が出る」
そのロジックを理解した瞬間、彼女の脳内で、長年培ってきた「本能」と「理屈」が猛烈な火花を散らして結合した。
(――あぁ、そういうことか! うちが感覚でやってたんは、これやったんか……!)
夜、将来への不安や、本当に全柔連に復帰できるのかという不透明な現状に悶々とし、自分は何者なのかとベッドの中で考えることもあった。しかし、家族と囲む夕食の温かさに救われながら、彼女は確実に前を向き始めていた。
「今は、牙を研ぐための勉強期間や」
6月。緊急事態宣言が解除され、世間の規制が徐々に緩和され始めた。
彼女は実に8年ぶりに、母校の大阪体育大学の正門を潜った。
「大学院、か。まさか自分がな」
久しぶりに踏みしめるキャンパスの空気は、あの頃と変わらない。だが、すれ違う19歳の新入生たちは眩しいほどに若く、地図を片手に騒いでいた。
(あの子らは19歳。うちは、今年で30歳か……)
一回りも違う年齢差に、かつて格闘技界で「暴風」と呼ばれた彼女も、時の流れという冷徹な事実を突き付けられた。8月になれば、自分もいよいよ30歳の大台に乗る。
しかし、感傷に浸る時間はなかった。何より大きな転機が訪れたのだ。道場の練習再開に伴い、正式な所属ではないものの、修道館クラブへの練習生としての参加が認められた。
「ようやく、畳に戻れる」
修道館クラブへ向かう夕方、彼女の胸は高鳴っていた。
大きな道具袋には、格闘技団体やスポンサーのロゴが一切入っていない、新調したばかりの無地の柔道着とマスクが入っている。
列車に揺られながら、珍しく緊張していた。格闘技から離れて数ヶ月、久々に人と組むという高揚。そして、自分が今の柔道界でどんな目で見られるか分からないという不安が、大きな身体を少しだけ小さく見せていた。
道場に到着すると、入口には消毒液と検温器が設置され、マスク姿の選手たちが距離を保って動いていた。コロナ初期特有のあのピリついた空気だ。
修道館側も、事前に「元UFCファイター」という情報は掴んでいた。そのため、彼女が道場に足を踏み入れた瞬間、周囲の空気が僅かに変わった。
指導者への挨拶。
「大阪体育大学大学院のゴリラ女です。宜しくお願いします」
元世界最高峰のファイターとは思えないほど、彼女は深く頭を下げ、低姿勢を貫いた。
周囲の第一印象は、何よりもまず「デカい」の一言に尽きた。そして「ほんまにUFCのゴリラ女が来た」という驚き。若手の選手達は、ストレッチをする彼女の姿をチラチラと盗み見ていた。UFC、海外、女子重量級、総合格闘家――その全てが、純粋な柔道界においては異質で、珍しかった。
だが、彼女自身は極めて静かだった。
道着に袖を通し、帯をギュッと締め直す。
畳の上に一歩目を踏み出した瞬間、足の裏から伝わる特有の弾力と、汗と道着が混ざり合った「柔道場の匂い」が鼻腔を抜けた。
(――戻ってきた。うちは今、柔道場に立ってる)
その圧倒的な実感が、彼女の魂を震わせた。
練習が始まる。
数ヶ月ぶりの対人練習ゆえ、体操や基本的な打ち込みでは、自分の身体が予想以上に重く感じられた。ブランクは確実にある。
しかし、練習が寝技の局面に移行した瞬間、道場内の空気が凍りついた。
彼女の動きが、明らかに周囲の重量級選手と違っていたのだ。
地を這うような低い侵入、相手の視界を奪う完璧な首のコントロール、そこから流れるような腕十字固めへの移行。
「うわ、何やあれ……」「MMAの動きや……」
周囲から驚嘆の声が漏れる。200kg級という超重量級でありながら、寝技の初動の速さと正確性が尋常ではなかった。UFCで培ったケージレスリングの圧力と、バイオメカニクスで学び始めた理屈が、彼女の寝技をさらに危険な領域へと押し上げていた。
練習後、道場の若手たちが目を輝かせて集まってきた。
「UFCどうでした!?」
「アメリカの選手ってやっぱりデカいんですか?」
質問攻めに合う彼女は、相変わらず帽子を直しながら雑に答えた。
「んー、広かったわ。あと肉が多かった」
周囲がズッコケるような回答だったが、一度技術の質問になると、彼女の口からはバイオメカニクスの専門用語が次々と飛び出した。
「今の抑え込みな、相手の股関節の角度に対して、うちの重心をここに置かんと力点が逃げるんや。だからあそこでこう絞るねん」
理論的かつ緻密なアドバイスに、若手たちは圧倒され、言葉を失った。
帰り道、心地よい疲労感が全身を包んでいた。マスクの下で、彼女は小さく笑った。
(やっぱ、畳はええな)
自粛期間中の孤独な一人練習や、オンライン講義の不安が、全て汗とともに流れ落ちていた。
UFCファイターとしてではなく、無地の柔道着を着た一人の練習生として、彼女は静かに、しかし確実に畳へと帰還したのだ。
6月の道場再開を機に、彼女の修士1年の生活は完全に確立された。
平日の午前中は、自宅でオンライン授業を受け、研究室との連絡を密に行う。
午後はレポート作成と、英語論文の読解。
そして夕方になると道具袋を担いで修道館クラブへ向かい、打ち込み、乱取り、寝技に没頭する。
夜遅くに帰宅してからは、母の作った大量の晩飯を平らげ、風呂に浸かり、就寝前には再びYouTubeで技術研究の動画をチェックする。
7月から8月にかけて、彼女の肉体と感覚は、完全に柔道家のそれへと戻っていきつつあった。
MMA特有の、顔を庇うような構えの癖を修正し、柔道の組み手へとアジャストしていく。同時に、大学院の前期レポート地獄が到来した。深夜、PCの前でデータを整理し、文献を引用し、発表準備に追われる日々。
「MMAの練習よりこのレジュメ作成の方が頭おかしなりそうや……」
そう零しながらも、彼女は30歳の誕生日をその多忙さの中で迎えた。
9月に前期が終了する頃には、研究室や周囲の院生達からの彼女への見方は変わっていた。
「元UFCの総合格闘家」という色眼鏡は消え、「寝技が異常に強い、理論派の院生」という確固たる評価へと移行していた。
10月から後期が始まると、研究は更に本格化した。指導教員との面談を重ね、自身のUFCでの経験をもとに「柔道競技者における実戦的練習が試合パフォーマンスに与える影響」という研究テーマを絞り込んで行く。
11月、昼は大学院、夜は道場という「研究+競技」のサイクルは完全に肉体に定着していた。放課後の道場で、彼女は1人、居残って反復動作を試す日々を送る。
「崩しの角度、ここをあと3度変えるだけで、無駄な力がこれだけ削ぎ落とせる……」
意識が変われば、動きが変わる。それでも、最後の最後で「めんどくさい!」と圧倒的な怪力で相手を強引にねじ伏せてしまうのは彼女らしさそのものだったが、今やその「力」には、誰も論破できない科学的な根拠が備わり始めていた。
12月の年末。
実家のリビングには、いつものように四姉妹と母が集まっていた。テレビを見ながら、チンパンジー女が茶化すように言う。
「あんた、最近UFCの時よりなんかインテリぶってへん? 股関節がどうとかうるさいねん」
「うるさいな、これが科学や」
ゴリラ女が味噌汁を啜りながら言い返す。猿女がそれを聞きながら「普通の生活に戻ったな」と短く笑った。
年が明け、2021年1月から2月。
後期のレポート提出と、修士論文の予備準備が始まり、研究者志望としての色彩が一段と強くなっていった。しかし、どれほど忙しくとも、彼女が柔道の練習を休むことはなかった。彼女は決して「競技を辞める」ために大学院へ来たのではない。全柔連への復帰、そしてその先にある畳の上での勝利を、本気で目指しているのだということが、今や修道館クラブの誰もが認めるところとなっていた。
3月。修士1年という激動の1年が終わりを迎えた。
1年前の今頃、彼女はロサンゼルスの殺風景なアパートで、UFCファイターとしての自らのアイデンティティをどう置いていくべきか迷う孤独な挑戦者だった。
しかし今の彼女は、大学院生であり、柔道練習生であり、そして自らの肉体を科学する研究者志望のバディである。
世界全体が止まったあの春から、彼女が積み重ねてきた地地味な努力の時間は、裏切らない土台となってその足元を支えていた。
世界最高峰の格闘家から、研究と柔道を積み重ねる院生へ。
無地の道着に隠されたその肉体は、2年後の畳の上で再び暴風を巻き起こすその時を、静かに、そして虎視眈々と狙っていた。